4.やってみましょう。
ぶっちゃけた話、吸血鬼というのは蘇った死人です。
特殊な例を除いて、死んだ人だけが吸血鬼になる可能性がある、ということです。
では、吸血鬼が人になるにはどうすべきか。
答えは簡単です。死んだ者が吸血鬼になるなら、生き返ることができれば人になれます。
「いや無理でしょう。死者蘇生なんてどんだけですか。神か悪魔でもないと無理ですよ」
思わず、ひとり突っ込みをしてしまいました。
吸血鬼はそれなりに力のある種族ですが、神でも悪魔でもありません。大それたことなど出来ないのです。
数多くの弱点がある代わりに永遠の命があり、怪力で魔法が使えるだけですから。
とはいえ、エリと約束しましたから、ちゃんと人になる方法を探します。
「と、いう訳で、何かご存じないですか」
「何がじゃ」
その少女は呆れた顔を隠そうともしません。
今、私の目の前で椅子にちょこんと腰かけている彼女は、名をローレリアといいます。愛称はローラ。年端も行かぬ少女に見えて、実は齢千年に迫る大吸血鬼なのです。
詳しくは知りませんが、コウモリの血族の生まれで、純血種なのだとか。
純血種とは、吸血鬼と吸血鬼の間に生まれた子どもで、生まれながらに吸血鬼である希少な存在です。死人が蘇った吸血鬼とは違い、とてつもなく強く、そして美しいと言われています。
ローラは一見小さな子どもに見えますが、とても美しいのは確かです。彼女が戦うところはとんと見ませんが、きっとものすごく強いのでしょう。
吸血鬼ですから、その肌の青白さ、血色の瞳は私と同じですが、他は全く雰囲気が違いました。
波打つ豊かな長髪は金に輝き、天使の輪が幾重にもかかって見えます。ぱっちりとした大きな瞳は長い睫毛で飾られ、つんと尖った鼻に花びらのような唇。整い過ぎて恐ろしいほどの美貌は、見る者すべてを一瞬で虜にするでしょう。
語彙に乏しい私では、その美しさを余すところなく形容する術を持ちません。
服装は、いわゆるゴシックロリータと呼ばれる装いでしょうか。たっぷりの衣とレースを使ったドレスは、ふわりとやわらかく彼女の肢体を包み、彼女の美しさも相まって、その姿はまるで天上の女神か天使のようです。
……まあ、そのドレスもリボンもすべて真っ黒ですし、可憐であるのにどこか邪悪な表情と相まって、実際は小悪魔といった風情でしょうか。
間をとって、ビスクドールのような美少女としておきましょう。
「そんなくだらないことを聞くために、わざわざ私の城にやって来たのか? ご苦労なことじゃ」
ローラはため息を隠そうともせず、私を見下げてふんぞり返っております。
少女ですからそのとおりに小柄ですし、視線も彼女のほうが低いのに、見下されているように見えるのは不思議な事です。大吸血鬼の威圧感がそうさせるのでしょうか?
……ここは、ローラの居城にある一室です。
領主である彼女の城の内部は、徹底した少女趣味な内装です。私がここを初めて訪れた時は、足を踏み入れるのもためらうほどでしたが、今ではすっかり慣れました。私の存在が激しく浮いてしまう空間ですが、ローラはぴたりとはまっています。
こうして私が彼女を訊ねたのは、エリとの約束である吸血鬼から人になる方法を、ローラが知らないか、確かめるためでした。私の数少ない知り合いの中で、一番長生きで知恵者であるのが彼女なのです。
「ええ、長生きしているあなたでしたら、どんなくだらない話でもよくご存じかと思ったので」
「貴様、死にたいようじゃな」
「吸血鬼なんて、既に死んでいるようなものじゃないですか? 蘇った死者ですし」
「ふん、餓鬼が減らず口を叩きおる。ミラーカも嘆いておるじゃろ」
少女は忌々しげな表情を隠そうともしません。
ミラーカは、私を吸血鬼に変えた女性です。そのミラーカの唯一無二の親友であったのが、このローラなのです。
ローラはやれやれと肩を落としながら、血を垂らした紅茶を口にしました。吸血鬼の嗜好品としてよく出されるものですが、実は私はすこし苦手だったりします。血の味は確かに吸血鬼の舌には馴染むのですが、せっかくのお茶なのですし、せめてお酒にしてもらえないでしょうか……。
「……奴の系譜から”真血”が出たと喜んでおったのに、それがコレとは。始祖もご真祖も嘆かわしいと、さぞ悲しんでおられるであろう」
「コレ呼ばわりは心外ですね。お年を召した方が”餓鬼”をいじめないでください」
「良い性格をしておる。吸血鬼となったばかりの頃は、まだ可愛げがあったというに」
ローラがやれやれと肩を竦めましたが、私はにっこり笑ってやりました。
「ミラとあなたのおかげです。おふたりには是非感謝をしたいですね」
「……はあ、もうよいわ」
少女は可愛らしい溜息をつきましたが、その重さは相当なものでした。
「……それで? 貴様が女なぞにトチ狂ったのはどうでもよいが、極夜の国の外の者に己を吸血鬼だと暴露して、放置したままでよいものか? 面倒事は御免じゃぞ」
少女はそのたおやかで小さな手で、再びティーカップを口に運びます。ローラは見かけによらず、大食漢なのです。吸血鬼用のお茶請けもひょいひょい口に運んでおりますし、食事の時も血をたくさん摂るようです。
「ええ。少なくとも彼女は、それを軽く口に出す人ではありません。それに、相談できる人も少ないでしょう。まあ、たとえ密告されたとしても構いませんけれどね」
「阿呆が。惚気でも何でもないただ自殺志願ならば、私の目の届かない場所でやるがよい。まあもっとも、ぬしが死ねばミラーカが悲しむから、死なせはせんがの」
小さな手を払うようにして、ローラは盛大に私をこき下ろします。相手をするのも馬鹿らしい、といった態度です。
けれど、私はローラに知恵を借りに来たのです。彼女は長寿で、私の良き相談役であり、そして博識であることはよく知っています。是非とも力を借りたいのです。
「ローラ、お願いです、どんな噂話でも構いません。吸血鬼が人になる話をご存じないですか」
「そのような話があったら、とうに知れ渡っておるじゃろうて。人と吸血鬼の歴史がどれだけあると思うておる。まあ、少なくとも私は聞いたことはないがな。人に戻ろうとする哀れな吸血鬼の話だけは聞くが、それが叶ったという者にはとんと会わぬ」
うんざりしたようにローラは話してくれました。
「吸血鬼の血族同士でも血は交わせぬ。別の存在となるのじゃからな。たとえ元は人であったとしても、人と吸血鬼は、吸血鬼の血族同士よりも存在が遠い。吸血鬼から人へなるなど、夢のまた夢じゃろう」
「でも、ローラはともかく、私は元人間ですよ。まったく不可能ということでは……」
「不可能じゃと言うておる。まったく、カラスの一族は聡い者が多かったはずじゃが、コレが特殊なだけなのじゃろか?」
「コレ呼ばわりはやめてくださいと、さっきも言いましたよね? でも……そうですか。あなたにもわからないことはありますよね」
仕方のないことです、と呟いた私の言葉に、彼女の耳がぴくりと動きます。
ローラが案外負けず嫌いなのを、私は重々承知していました。
「ぬし……私を無知だと申すか? この大吸血鬼ローレリアを軽んずる者の末路がどうなったか、知らないとは言わせぬぞ?」
ローラがその可愛らしい唇から牙を覗かせます。
それは少女らしくやや小さいですが、恐ろしく鋭く、幾人もの人の命を奪ったものです。
幼く見えても、ローラは大吸血鬼。その怪力はもちろん、魔法でも叶う者はそういません。コウモリの血族自体も強いですし、ローラほど長く生きていれば、弱点も効き目が薄くなります。ついでに結構喧嘩っ早い上、喧嘩慣れしているのです。見た目美少女なのに。
とにかく、私などでは敵うはずもありません。私はしおらしく頭を下げました。
「いいえ、そんなことは。たとえご真祖であっても、ご存知ないこともあるでしょう。ただ、噂話のひとつくらいは聞きたかったのですが」
ローラはその美しい面をあるまじきくらいに歪めて、思い切り溜息をつきました。
「はあ……よい。そこまで言うならば話してやろう。後悔するでないぞ」
「ありがとうございます」
私がにっこり笑って礼を言うのに、ローラはふんと大きく鼻で笑います。
やっと窺えた小さな子どものような仕草が、とても微笑ましいです。そのようすにすこし和んでいると、ローラがじろりと私を見ました。その赤い瞳に欲の色を見て取って、私は嫌な予感を感じました。
「礼ならば口先ではなく、身をもって払ってもらおうぞ。さて、ぬしの誠意はいかほどのものかの?」
にやりと笑うその顔は、美しく幼いその姿に似合わぬ、老獪さが含まれているように見えました。
一瞬息が詰まりましたが、彼女が何を望んでいるかはわかります。私はしぶしぶうなずきました。
「……毎度思うのですが、吸血鬼が吸血鬼の血を吸っても構わないのですか? これっていわば、共食いでしょう?」
吸血鬼が人の生き血以外の血を求めることは、ふつうありません。嗜好品として獣などの血が飲まれたりもしますが、そもそも人の生き血以外では渇きも癒せません。
……まあ、ミラや同じ血族の者に血を求められたことはありますけれど、それは同族ゆえの親愛表現と言えないこともないでしょう。いや、私は同族の血を望んだことはありませんが。
ですが、ローラはコウモリの血族で、同じ吸血鬼であっても同族ではありません。まあ、私が彼女に気に入られているといったらそうかもしれませんが、血を欲するという行為は、それこそ家族間くらいの親密さがなければ求められないと思います。
そんな私の疑問に、ローラは文句のつけようがない、麗しく美しい笑顔を見せました。
「本来であれば悪食もほどがあろう。じゃが、ぬしは”真血”じゃから当てはまらぬ。その血は他の吸血鬼にも力を与えるのじゃぞ」
「初耳です。てっきりあなたが偏屈で我儘で偏食なのだとばかり」
「……ぬしには一度、私を何ととらえておるのかを、じっくり聞く必要があるようじゃの」
一転して凶悪な牙を剥き出しにするローラに、私は観念して襟元をくつろがせたのでした。
喜々としてローラはテーブルを飛び越えて私の膝に飛び乗り、首に抱きつくと、おもむろに喉元に牙を突き立てます。ぷつり、と肌を破る小さな音が鼓膜に響き、私は小さく呻きました。
痛みはわずかですが、決して快いものではありませんし、後で具合も悪くなるのです。
喉を鳴らして遠慮なく私から血を啜るローラの、その小さな背を軽く叩きながら、私はまた貧血になるのだろうなと、暗澹とした思いを抱いたのでした。大事な血が奪われるこの感覚は、何度経験しても慣れません。
……なかなか離してくれませんでしたが、ひとしきり飲んでやっと気が済んだのか、やがてローラは私の首元から牙を放します。そして、ふたつ空いたであろう牙の痕、その傷を小さな舌で舐め取るのです。ぞわっとするというか、くすぐったいです。
すこし前でしたら、これが妙齢の女性であれば嬉しく思ったでしょう。ローラは美しいですけれど、あまりに幼く見えるので、私の守備範囲ではありませんし、正直犬猫に舐められいる気分です。もちろん、そんなことを言ったら彼女は激怒するでしょうから、恐ろしくて何も言えませんが。
今なら是非エリにやって欲しいですが、それはまだだいぶ気が早いでしょうね。真っ赤になって怒る彼女の顔が目に浮かびます。彼女と早くいちゃつきたいものです。
そんな頭に花の咲いたような馬鹿なことを考えていると、何故かローラが再び、不意打ちのように首筋に噛み付いてきました。
「いつっ……!」
油断しておりましたので、思わず間の抜けた声が漏れてしまいました。私が慌ててローラを引き剥がすようにしますと、目の前でその血塗れた唇をひと舐めして、彼女は禍々しく微笑みます。……実に吸血鬼らしい笑顔です。
「また阿呆らしいことを考えておるな? あまりに間の抜けた態度を晒すのであれば、嘆かわしくて見ておれん。その尊い血を吸い尽くしてくれようか」
「……謝りますので吸い尽くさないでください、ごめんなさい」
私がさっと自分の首元に手をやりますと、ローラはつまらなさそうに鼻で笑います。
「ふん、つまらぬ男よ。まあ、今のは冗談じゃ。人の言葉で言えば、ぬしはいわば金の卵を産むガチョウじゃからな。そんなもったいないことはせぬ。せいぜい、己を大事にするのじゃな」
「? ……肝に銘じます……」
ガチョウとは何かと思いながらも、私はそっと傷口を撫でて口を閉ざしました。下手なことを言ってさらに血を吸われてはたまりません。
……しかし、己を大事にしようにも、ローラにちょくちょく血を吸われてしまうわけですけれど、それは構わないのでしょうか。
とにかく、ローラは血をたらふく飲んだためか、すっかり機嫌を直してくれました。
くすくす笑いながら、何故か私の膝の上に座り直します。また噛みつかれそうで恐ろしいのですが。思わず身が引けます。
「相変わらず舌に甘い奴よ。まあ馳走になった、満足じゃ。それでは、耳をかっぽじって拝聴するがよい」
ローラは私の膝の上でふんぞり返りながら、様々な話を私に聞かせてくれたのでした。
彼女が博識であると思ったことは、間違いありませんでした。
古今東西、あらゆる本を読み、そして長い時を生きたローラの話は、眉唾のものも含まれていますが、含蓄のありそうな深いものも多かったのです。
……吸血鬼が人に戻るといった話には、共通点があるように思えました。
例えば、限界まで陽光に当たること。
太陽の光が苦手な吸血鬼は多いです。血族によっては比較的平気な者もありますが、長い時を生きた大吸血鬼以外のほとんどは、陽光が苦手な者ばかりです。ローラの血族であるコウモリは、特に陽光に弱いとされますが、彼女くらい長生きをしている者であれば、火傷をするくらいで済むでしょう。
ですが若い吸血鬼には、陽光にすこし当たっただけで瀕死の重症になってしまう者もいるのです。もっとも、陽光だけで死ぬことはありませんし、吸血鬼としての力がついてくれば、それほど致命的なことにはなりません。
例えば、限界まで血を飲まないこと。
吸血鬼の糧は人の生き血です。他のあらゆるものは受け付けませんし、たとえ受け付けても栄養となりません。
血を飲まないという行為は、かなり危険なものです。人の生き血以外で命を繋げることができない吸血鬼は、その食事が取れなければ、とてつもない飢餓に襲われます。
……吸血鬼は、心臓に杭を打たれなければ死にません。飢えても死ぬことなく、身の内から食い破られるかのような苦しみが、永劫続くのです。
吸血鬼以外の生物は、栄養を摂取できなくばやがて死んでしまいますが、吸血鬼はそうなりません。あまりの餓えの苦しみに、やがて狂い、理性を失ってしまった者もあるのです。
……軽々しく試せる類のものではありません。
例えば、聖印を身に付け、教会へ入ること。
これも食事を取らないことと同様、命の危険に晒されます。ほとんどの吸血鬼は聖別されたものに弱く、それが近くにあるだけで弱ってしまいます。
さらに、教会は吸血鬼ハンターの温床です。元から我ら吸血鬼を抹消すべく動いている彼らですから、そんなところにのこのこやって行くことはできません。教会へ入会などはもっての他でしょう。
教義に触れ、それを行う前に殺されてしまいます。
他にも、吸血鬼の弱点となるものに触れ、向かい合うことを繰り返せば、いつのまにか人になっていたというおとぎ話や言い伝えを、ローラは語りました。
……つまりそれは、苦行僧になれということでしょうか?
苦行を積み、修行すれば良いというような話になってきました。
「……それってつまるところ、死の寸前まで体を痛めつけろということですよね? そんなことでほんとうに人になれるのでしょうか」
「知るか。じゃが、良い趣味じゃろう? 一体誰が考え付いたかは存ぜぬが、なかなか性格の良い者がおったようじゃの」
くすくすと笑うローラは天使のように美しいですが、その笑顔の後ろには悪魔の尻尾が見え隠れしています。美しい血色の瞳も愉快そうに歪んでいます。
私は思わず呻きました。彼女が何を言いたいのか、わかった気がしたします。
「……その言い草は、つまりこれらは嘘だということですか」
「むろん。それだけで人になれるのであれば、いずれ幾人か吸血鬼から人へ戻った者が出てくるはず。限界まで陽射しに打たれた者も、餓えてのたうち回り、それでも死ねずに苦しんだ者、屍肉あさりどもに群がられ、酷い行為を受け続けた者もおる。じゃが、それで人になったなどという者はとんとおらぬ」
頭がくらくらしてきました。ローラに血を吸われ、貧血気味であるせいだけとは思えません。
博識な彼女がこれらを悪質な嘘だと言い切るのであれば、吸血鬼から人になる方法は、単なる作り話でもこれ以上は出てこないでしょう。
そして、それらはかなり望み薄なもののようです。ですが、他に手段はなさそうです。
……死なば諸共、やってみましょうか。