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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
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48.受け入れ難い事実を知りました。



「……さて、長々と年寄りの説教に付き合わせて悪かった、アマデウス卿。バラ園も素晴らしかった。私でさえ見ない品種もあったな。私はあの花が特に気に入ったが」


 プリムローズが指差す先には、紫色の大輪のバラがありました。花びらの端がフリルのようにふわふわとしており、ともすれば牡丹の花のようにも見えますが、それよりは軽やかなようです。

 私もそれを美しいと思いましたし、せっかくお褒めにあずかったのですから、庭師に頼んで包んでもらいましょうか。


 ですがふと、エリが言っていたバラの花言葉を思い出しました。

 “愛”や“情熱”としては贈ることはできませんが、バラは花の色で意味合いが違います。紫のバラは、夫のいる女性に贈っても大丈夫なのでしょうか?

 ……バラ自体が求愛の証のようですし、避けたほうが良い気がしてきました。

 それにひと言に花言葉と言っても、たくさんの言葉があるのです。地方や国によって違ったりもしますし、下手な真似はできません。


「……ええ、このバラもとても美しいですし、プリムローズ殿にお似合いですね。私はこちらも好きですが」


 と、私は小ぶりな黄色のバラを指差しました。

 確か黄色のバラは、花言葉が“友情”だったはずです。これならば問題はないでしょう。“嫉妬”とかもあった気がしますけれど、プリムローズは誰かに嫉妬されるくらい美しいですから、それもたぶん問題は……ないと思います、ええ。

 

 プリムローズはふと小首を傾げてから、すこしばかり意地悪く微笑みました。

 これは駄目だったのか良かったのかはわかりませんが、著しく気分を悪くしているようには見えません。


「ふむ、卿の気持ちは受け取ろう。切り花と、あと種や苗なども送ってくれるとありがたい。我らは美しいものに目がない血族でな、ウォステンホルムでは品評会も盛んにやっている。良ければ血族の者と一緒に来るがいい」

「ええ、是非とも」


 答えてから、その名に驚いて私は目を開きました。

 ウォステンホルム。それはミランダとラナ先生が以前住んでいた領地です。不定形の血族を領主に頂き、血族間の争いで、領地が荒んでしまった地。

 領主でなければ、その地名を名乗ることができません。プリムローズは夫人といえどもその例外に漏れず、この先爵位を下賜されない限り、ずっと名乗りはプリムローズのままです。夫婦より血族優位な吸血鬼ですから、彼女の立場は大公閣下に近い、公爵夫人としか考えておりませんでした。

 驚く私に満足したように、プリムローズが微笑みます。


「ふふ、あそこの領主の系譜は絶えてしまったのでな、代わりに我らが治めることになった。聞けば、追放刑になった厄介者を大金をはたいてまで受け入れたという、物好きな若い吸血鬼がいたと知ってな。どんな顔なのか気になっていたのだ。もっとも先代の領主がそうだったように、病の対処法こそが最優先だったのだが」

「ああ、そうでしたか……」


 私はほっと息をつきます。領地から逃げ出す人間は厳罰が科せられ、処刑されることもあり得る大罪人ですから、それを受け入れた私に遺恨があるのかと思いましたが、どうやら違うようです。

 これも真血のおかげかと、私はそれをもたらした真祖とミラーカに感謝しました。何だかあべこべではありますが。


「しかし、真血持ちが血族から出ることは栄誉だというのに、卿の祖はそのことをひけらかさなかったのだな」


 プリムローズはふと小首をかしげました。

 ここで言う祖とは、始祖や真祖ではなく、私を吸血鬼としたミラーカのことでしょう。

 真血について、領内の血族には知られていますが、確かに他はローラやクリスなどの親しい吸血鬼くらいにしか知らせていません。その血の特殊性など、弱点への耐性くらいしかないと最近まで思っていたくらいですから、プリムローズのように重要な案件が転がり込んでくるとは思っても見ませんでした。


「真血持ちは尊ばれるが、変わりに血を求められておつらいだろう? まあもっとも、そう簡単に与えられるものではないが。ともあれ、卿と血の契約が結べて重畳だった。よろしく頼む」

「え、ええ。こちらこそ」


 プリムローズは満足そうに、ころころと笑いました。




 彼女と共にバラの園から出ようとすると、プリムローズはふと背後を振り返ります。

 

「……しかしここにも青いバラはないか。未だに完全なる青いバラを作ることができないのは無念だな」


 バラ園を見回して、彼女はすこしばかり肩を落としました。

 いきなり何ごとだろうと思いましたが、彼女はバラが好きなようですし、気になったのでしょう。

 青いバラは稀有どころか、不可能の代名詞だということくらいは私も知っています。


 このバラ園には、青に近い紫色のバラはありますが、真に真っ青なバラはありません。

 よくは知らないのですが、青色の因子を持たないために、青いバラは生まれないそうです。青いバラの花言葉も、“奇跡”や“祝福”などがあったはずです。

 血族の行く末を嘆くプリムローズが言うと、何だかとてつもない思いが込められているように感じます。


「……確か、青いバラは奇跡というのでしたか。見てみたい気もしますけれど」

「染色すれば見ることはできるがな。無粋に過ぎるが」


 くすくすと笑ってから、ふと彼女は私を見つめました。

 思わず足を止めますと、プリムローズは無表情の中に躊躇いを乗せて、口を開きます。


「時に、あのエリーゼという娘のことだが」


 またもいきなり話が飛んで、私はぐっと息に詰まりました。一体何だというのでしょう。


「人のままでいたいと言ったそうだが、卿は彼女を吸血鬼にしようとは全く思っていないのか?」

「……ええ。彼女が吸血鬼になりたくないという限りは。強制することはできません」

「その心配はいらない。あの娘には吸血鬼となる因子が薄いようだから」


 はっとしてプリムローズの顔を見つめると、彼女の顔に苦吟が浮いているのが見えました。

 あるいは、それは哀れみでしょうか。


「……あまりにもたくさんの人間を見送ってきたからかな。私は人を見るだけで、その者が吸血鬼となれるかどうかがわかるのだよ。それを素質と言うようだが……あの娘には、それがほとんどない」


 その声は鼓膜に沁み渡るようで、私はぐらりと一瞬視界が歪んだのを覚えています。

 エリは吸血鬼になれない。それは重く私の心にのしかかって、一瞬理解を拒みました。


 ……吸血鬼になる因子は全ての人が持っていますが、それは本人の素質だけではなく、環境などにも左右されます。

 人が死んで吸血鬼となる可能性は、吸血鬼の少ない土地では高くなり、本人が望み、あるいは吸血鬼が死に介入しているとさらに高まります。

 カラスの血族が吸血で人を死に追いやっても、吸血鬼として蘇る可能性は前述のとおりで、それほど高くはありません。

 プリムローズのような不定形や、クリスのようなヘビの血族は、死に至らしめた者を吸血鬼として蘇らせますが、その時に理性を持たないなり損ないになってしまったり、あるいは元から性質が変わってしまう者も多いのです。素質があれば強い吸血鬼にもなれますが、そうでない者のほうが多いようです。


 それ故に人を選び、プリムローズたちは血族を増やすのでしょう。ですから、彼女の人を見る目は疑いようもありません。

 彼女が、エリに吸血鬼となる素質がほとんどないというのであれば、私が薄く希望を持つこともできないでしょう。


 ……プリムローズが青いバラの話を振った理由が、何となくわかりました。

 私を気遣って、ワンクッション置いてくれたのでしょう。お優しいです。

 不可能、奇跡、祝福。

 その言葉を含む花に、エリを重ねさせたのです。




 ですが……それを知った時、私はどこか安堵している自分がいることに気づきました。

 恐れや寂しさから、エリに無理を強いることになってしまうかもしれないと、私はどこかで怯えていたのです。

 それが無意味とわかったのは、良いことかもしれません。

 正直、かなりのショックではありましたが……そう思うことができました。


「……そう、ですか」


 自分の呟きに、その思いはすとんと心のどこかに収まったようです。

 もしエリが吸血鬼になれなかったらどうしようと、彼女の素質の有無を調べずにいた私です。

 プリムローズがこうして知らせてくれなければ、私はぐずぐずと、ぎりぎりまで知ることを恐れていたでしょう。

 あまりの臆病さに、思わず自嘲の笑みがこぼれてしまいました。


 私はひとつ大きく息を吐いて、プリムローズに向き直り、腰を折りました。


「教えてくださってありがとうございます、プリムローズ殿」


 顔を上げると、彼女の顔にはどこか、いとけない子どもを見るような、憐れむような、穏やかな表情が浮かんでおりました。



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