46.楽しい夜会は終わりです。
ようやくフィリップたちを見つけたのは、宴もたけなわの頃合いでした。
トーマスやジェシカもすっかり出来上がっており、仕事仲間たちと休憩スペースでくつろいでおります。どうやら彼らも満足のいく催しになったようで良かったです。
「閣下! いやー楽しいですな! これからは毎月夜会を開催しましょう!」
「あなたがお酒を飲み過ぎなければですね、フィリップ長官。健康診断でひっかかりますよ。これは没収します」
「そ、そんな殺生な……」
このままでは行政員たちのみで、二次会まで開催しそうな勢いでしたので、私はにっこり笑って押し留めます。
フィリップから取り上げたお酒は、マリアに渡しておきましょうか。大酒飲みな彼女ですが、自身は健康そのものですし、きちっと管理してくれるでしょう。
よほど未練があったのか、フィリップは泣きそうな顔をしておりましたが、はたと気づいたように真面目な顔になると、私に近寄って耳打ちしました。
「そういえば閣下、耳に入ったのですが、フランチェスカ大公閣下と公爵夫人がいらしたようですね? 何か領政についてご不満でもあったのですかな?」
「いえ、そういうことではないですよ。むしろアマデウス領の統治を褒めていただいたくらいですから。フィリップたちのおかげですし、私まで鼻が高いです」
「か、閣下……」
感極まるフィリップが暑苦しかったので、私はほどほどにしてくれるようトーマスたちに頼んでおきました。
楽の調べに耳を楽しませながら、私はエリと共にテラスへ出ます。
長椅子に隣り合わせで座りながら、ほっとひと息つきました。
「……長い間お疲れでしたね、エリ。最後の挨拶をすれば全部終わりですから、もうすこし頑張ってください」
要人にはすべて挨拶もしましたし、マリアたちやフレッドたち、部下たちへの労いも済ませました。
あとは閉会までのんびりさせてもらいましょう。今までも休憩を挟みながらでしたが、長い間続きますので、気力は温存しなければなりません。
もっとも、エリは何も堪えていないようで、きょとんとしてからにやりと笑います。
「あら、わたしは全然疲れてないわよ? たくさん踊れたし、甘いものもたくさん食べられたし、満足ね。挨拶は面倒だけど、おっかない吸血鬼のひともあんまりいなかったし、フィリップさんじゃないけど、また開くっていうなら喜んで参加するわ」
「……気疲れしてるのって、もしや私だけですか」
私がすこしげっそりした風に肩を落としますと、エリは私の顔を覗き込みました。
「ふふ、そうかも。ヒューゴははしゃぎ過ぎちゃったみたいだけど、マリアもヴィクターさんも元気そうだったし、フィリップさんたちははっちゃけてたし。フレッドもビアンカといい雰囲気だったし、双子ちゃんもしれっとしてたからね。きっとあんただけよ、心の底から楽しんでないのは」
「……みんなが楽しんでくれたなら満足ですし、大成功ですね。それに私も楽しんでいますよ? エリとふたりきりだったらまだまだいけます」
「ふたりで夜会ってどうなのよ……」
呆れるエリに、私は笑って応えておきます。
テラスの夜風は涼しいですが、体が冷えるほどではありません。
アマデウス領は今、良い季節です。
夜風に気持ちよさそうに目を細めて、エリは軽く伸びをしました。
「でも、そうね。あんまり大勢の人がいると目が回りそうだから、しばらくはいいかも。食べ過ぎちゃったし」
「目が回りそうだったのですか? すごく堂々としていましたけれど」
「マリアのおかげかな。居直るのは得意よ」
ふふんと胸を張るエリですが、私にこそその技術は必要ですね。マリアに弟子入りすべきでしょうか。
その時エリははたと気づいたように、眉を寄せました。
「ああでも、最近乗馬の練習が後回しになっちゃってたから、また特訓しなきゃ。やっと一人で鞍の準備も出来るようになったのに。それが終わったら、今度は猟銃の扱いも覚えないとね」
「……そんなに狩りをしたいのですか? もっとこう、女の子らしいものは……」
確かに以前、エリが言っていた希望ですが、今の彼女のぎらぎらとした目を見ていると、すこし恐ろしいくらいでした。そのうちハンティングに飽きたら魔物と戦いたいとか言いだしそうで怖いです。
エリはすこし嫌そうな顔になって、大きく肩を落としました。
「そりゃあね。思い出したくもないんだけど、あの元婚約者のくそ野郎がよく自慢してた訳よ。わたしがそういうのに興味があるって知ってて、羨ましいだろうって上から目線でね。でもあいつ、馬に乗るのも下手くそだったし、狩りの腕前だって怪しいもんだったわ。どうせ従者に獲ってもらったんだろうけど、立派な鹿の角とかをわざわざ持ってきたりとかね。厭味ったらしいったらありゃしない。どうせならお肉寄越しなさいよ、お肉」
「……フレッドが乗り移っていません?」
「じょ、冗談じゃないわ! その時はあれよ、食べ盛りだったのよ! それに、いつ死ぬともわからなかったんだし、いろんなことをしてみたかったし、いろんなものを食べてみたかったの。他にも、旅行とかにも憧れたわ」
エリの口調には、元婚約者の呪縛からすっかり解き放たれたようで、暗いものはいっさい含まれておりませんでした。
それに安心して、私は提案しておきました。ぐずぐずしていると私を置いて、彼女が飛び出して行ってしまいそうな気配さえしたからです。
「極夜の国の中でなら、いろいろな場所に行けますよ。領内には観光地も多いですからね。私もお付き合いさせてください」
「もちろんよ。わたしの気の済むまで付き合ってもらうからね。まずは狩りをしてジビエ料理を食べるんだから」
「エリが望むのでしたら何でも。どうせなら熊撃ちでもしましょうか」
「それはまた、ちょっとばかり勇気が要るわね……というか、熊もいるんだ?」
吸血鬼からしたら兎も熊も大して変わりませんが、人から見れば大違いでしょう。
エリもややひるんだようでしたが、それでも闘志があるようでした。やる気ですね。
彼女が次々と質問するのに答えながら、私はこの暮らしがずっと続けば良いのにと思わずにいられませんでした。
……こうして。
落ち着いた楽の調べを耳にしながら、エリとふたり月下に憩って、夜会の月夜は過ぎて行きました。
「……これが月下薬か。神秘的な色合いだな」
プリムローズが瓶を手に、じっくりと中の液体を見つめました。
夜会が大盛況のうち終わってからの翌日、無事開催出来たことを城の者一同がほっと胸を撫で下ろしておりました。
ですが、忘れてはいけません。訪問していただいた大吸血鬼をふたり……いえ、ローラも含めて三人も歓待せねばなりませんから、私は今日一日執務を休むことにしました。
双子はいつもどおりにぴしっときまっておりますし、フィリップたちもあの後潰れていなければ、きちんと仕事をしてくれるでしょう。流石にお酒で撃沈はしていないと思います。
プリムローズの訪問の用件は、私の真血です。定期的に血を提供する契約を交わしましたが、私はふと月下薬を思い出して、彼女にその薬を紹介したのです。
彼女の求める真血は、どうやらそのまま飲んでも良いようですが、この月下薬こそ有用な治療薬となるようです。
人の病を癒す薬が吸血鬼の自失病を治すだなんて、不思議なことのようですが、まあもともと理不尽な存在ですからね、吸血鬼は。真血もはっきりいってでたらめです。
まあ、あまり気にしないほうが良いでしょう。吸血鬼関係なんてそんなものです。
「月下薬には聖水と薬草、それと銀が含まれていますけれど、プリムローズ殿にお変わりありませんか?」
「ああ、大丈夫のようだ。我ら不定形の血族は、齢を重ねてもなかなか弱点に耐性を持てないが、どうやらこれは平気らしい。呪術の一種のようだが、不思議なこともあるようだ」
吸血鬼の不可解な弱点について、彼女も疑問に思うところはあるようです。
我ながら変な生物だとは思いますし、吸血鬼を除いたほとんどの者も、そう思っているのでしょう。
暇つぶしにとついて来たローラが、伸びあがるようにしてプリムローズの手に取った瓶を見つめています。
「……その月下薬は、飲んでも血の味はしないのかのう?」
「しないようですよ。ハーブっぽいとエリが言っていましたし」
それは残念だと言いたげに、ローラが頬を膨らませました。何だというのでしょう。
血に対する執着が強い彼女ですから、まさか薬を嗜好品代わりに飲もうと思ったのでしょうか。
作るのにひと月もかかりますし、一回にひと瓶、それも少量しか作れません。たとえ血の味がして美味しいと言われても、軽くローラにお譲りすることはできないのです。
「……人にはその薬をコップ一杯で充分なほどでしたが、吸血鬼に対してはわかりません。あまり数を供給できないのは申し訳ありませんが、その時は血を代用でよろしいでしょうか」
「充分だ、アマデウス卿。これで我が血族も助かるだろう」
プリムローズは瓶を抱きしめるようにして、頭を下げました。
尊き血の持ち主に頭を下げられて、私は気が気ではありません。
「プリムローズ殿ほどの方が、私などに頭を下げる必要はありませんよ」
「何をおっしゃる。卿も直系の血筋を持つ者、それも真血を宿す吸血鬼だ。公爵の地位こそふさわしいのに、こうして辺境の領地で満足されているのが不思議なほどだが」
「ここはミラーカより継いだ領地であり、代々カラスの血族が暮らして来た地ですからね。ここが性に合うのです」
本心から言ったのですが、プリムローズは不思議そうでした。
困ったように首をかしげて微笑みます。
「卿は欲がないな。まあ、地位や財宝などで目を曇らせるご仁ではないようだし、一番の財産である人間は、アマデウス領のもののほうが活きが良い。あながち謙遜とも言えないか?」
「ええ、それはもう」
勇んでうなずきますと、プリムローズは鈴を転がすように笑いました。
怜悧な美女は何をしても美しいです。
「ふふ、まあそういうことにしておこう。それよりも卿よ、しばし時間をいただけぬか?」
「構いませんが、どのようなご用件ですか?」
「なに、散歩に付き合って欲しいだけだ。城の庭園を全部とは言わないが、そう、あのバラ園だけでも見せてくれないだろうか」
さすがに城の庭園を一巡りするとなると、吸血鬼でも目を楽しませる余裕はないでしょう。一日や二日ですべて見回れるほど狭くはありません。
バラ園というと、城門に近い場所に植えられたバラの庭園でしょうね。
人見知りしやすいスーのいる植物園とは違いますから、彼女を驚かさなくて済みそうです。
「わかりました、ご案内いたします。フランチェスカ公もご一緒ですか?」
公にはまだ今宵の挨拶しかしておりませんでしたが、庭園にも興味を示されていたはずです。
そう思ってたずねたのですが、プリムローズはゆっくりと首を横に振りました。
「いや、大公閣下はすぐ出立なされる。アマデウス領内と、別の場所を視察なさりたいようだ。元々私はこの後に行く場所があるから、帰りは別と決めていた」
「ふむ、では私も大公殿にお付き合いいたそう。ぞんぶんに菓子は喰らったし、城下の吸血鬼に対するもてなしも見てみたいのじゃ」
ローラはぴょいとソファから飛び降りて、プリムローズに軽くスカートの裾を持ち上げる挨拶をします。
「ではプリムローズよ、達者でな。次に見える時は、ぬしの領地で馳走いたせ」
「ふふ、わかった。ローレリアこそ壮健でな」
そしてあっさりとローラは部屋を出て行きました。唐突にやって来て唐突に帰るのはいつものことですが、やんごとなき方々を前にしても、彼女の傍若無人振りは為りを潜めないようです。
「ではアマデウス卿、案内してくれるか?」
「はい、喜んで」
プリムローズが手を伸べるのを受け取って、私は彼女を庭園に案内しました。
ローラに遭ったのに珍しく、血を吸われなかったことを幸運に思いながら。




