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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
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45.過去と現在に思うのです。

 フィリップたち行政区で働く者たちも招いておりますから、彼らにも挨拶をせねばなりません。


「うーん、領主って面倒臭いわね。挨拶尽くめで飽きないのかしら」


 エリがややげっそりとしております。

 如才なく挨拶をしていた彼女ですが、そう楽しいものではなかったのでしょう。私もですが。


「それが仕事のようなものですからね。今までさぼっていましたけれど、社交は大事です。ただ、人の貴族社会ほど必須ではありませんよ。吸血鬼は血族と、あとは年功序列で決まっていて、それが動きませんから」

「ふーん? 単純なのか複雑なのか、よくわかんないわね。まあ、わたしの父親だった人は無駄に晩餐会をやってたようだけど、それで何かが良くなったなんて聞かないから、こういうのはほんとうにたまにやるくらいで良いのよね。マリアたちが無駄に忙しいって愚痴ってたわ……あ」


 呟いたエリの足が、不意に止まりました。

 何だろうとエリを見ると、彼女は回廊から見える庭を見下ろしています。

 この辺りは城の側面に近く、夜会の招待客はおりません。そもそも城の庭園も呆れるほど広く、きちんと公開するのにも人手が要ります。今回は城の中でのみの催しなので、庭に人が出るのはないはずです。


 見れば、その人影はフレッドとビアンカのようでした。

 薄明るい魔法の光が照らす庭で、ふたりは並んで立ち、話し込んでいるようです。


「おおっ、なかなかやるじゃない。ほんとはホールで一緒にいたいんだろうけど」

「ビアンカはなかなか人前に出ませんから……招待客が多いところは無理でしょうね」


 エリが目をきらきらさせて身を乗り出す横で、私はふと大広間のようすを思い浮かべました。

 ビアンカをあのきらびやかな場所に連れて行ってやりたいとは思っても、彼女の気が進まないことはできません。

 ですが今、遠目に見る彼女はふだん通り、落ち着いた雰囲気を醸しておりました。

 狼の顔から表情を読み取るのは難しいのですが、私や双子には良くわかります。以前植物園で見た時よりも、柔らかい印象を覚えるのです。


「……どうやら、相変わらず私たちが出張る必要はないみたいですね。少しずつ距離が近づいているようですし」

「うーん、上手くいっては欲しいけど、波風がいっさいないのもつまらないなあ」

「ちょっとひどいですよ、それ」

「わかってるわよ」


 くすくすと笑って、エリが今度は私を引っ張って歩き出しました。大人しくそれに続きます。


「あのね、こういう話って気になるのよね。マリアは若い頃の武勇伝を良く聞かせてくれたけど、勇まし過ぎてちょっとぴんと来なかったし。イザベラは出会いがないって嘆いてたくらいだし……」


 エリは何だか浮き浮きとしているようです。

 若い娘さんですから、なおさら恋愛話に関心があるのでしょう。

 ……別に乙女ではありませんが、私も興味はありますし!


「ああ、マリアは確かに、若い頃から女傑だったのは想像できます。今も充分勇ましいですし。……それでイザベラは、どなたかと付き合いたいと言っていたのですか?」

「好きな人はいないって言ってたけど。でもあれよね、たぶん恋に恋しちゃう年頃なのよ、わかるなあその気持ち」


 うんうんとうなずくエリですが、私はすこし慌てました。


「エ、エリには私がいますから、もう恋には憧れませんよね?」

「ふふ、どうかしら? いつでも恋したいっていうのは乙女の特権よ? 恋が女を磨き上げるんだから」

「それは持論ですか?」

「マリアが言ってたのよ」


 なるほどと思わずうなずいてしまいました。

 想像がつきにくいのですが、マリアにもエリと同じような年頃があった訳で、エリのように恋をして結婚して、愛を育み、子どもを産んで育てたのです。ヨハンとイザベラは今年頃ですし、エリも我が子のように育て上げた訳ですから、いろいろと薫陶を与えているのでしょう。


「……私も病気がちだった頃は、すごく憧れてたのよね。本もろくに読めなかったけど、子ども向けの恋愛小説はすこし読んだことがあるの。健気で可愛い女の子が、苦難に耐えて頑張っていると、王子さまが迎えに来てくれるってやつ」

「ああ、お伽噺に多いですよね。外国にも多くて、翻訳したことがあります」


 エリがきょとんと首をかしげます。


「翻訳? って、何が?」

「本ですよ。私が人だった頃は、翻訳家の手伝いをしていましたので」

「え、そうなの? ちょっと聞きたい!」


 エリが興味深そうだったので、私はかいつまんでその頃の話をしようと思いました。

 とは言っても、語ることはそう多くありません。貧乏で学ぶこともろくに出来なかった私が、何故翻訳などできたのか、それはたまたま隣に住んでいたおじさんが、その仕事をしていたというだけなのですから。


 私は人だった頃を思い出して、不思議なことにどこか懐かしさを感じておりました。

 もうほとんど忘れたと思っていたのですが、鮮やかに当時のことが思い出されたのです。




 隣りに住んでいた、そのおじさんの名前は知りません。

 彼は自分のことをろくすっぽ語りませんでしたし、きちんと名乗りもしませんでした。

 私は彼をただおじさんと呼び、おじさんは私をただの坊と呼びました。

 お互い、赤貧洗うが如しの、つましいその日暮らしのその中で、私はちょくちょくおじさんの家に、押しかけていたのです。


 彼は何がしかの病を得ていて、ふだんから体調が悪く、しかも片足がありませんでした。

 どこかの国の戦争にでも巻き込まれたのでしょうが、口数の多くない彼はついぞ、そのことについても何も話しませんでした。

 幼い私は何も気にせず、彼にまとわりついておりました。体が弱く、風邪にもかかりやすかった当時の私は、丈夫な兄妹たちと一緒に働くことも出来ず、ほとんど家の周りのことをして暮らしていたのです。


 日銭仕事をしに出かけて行く両親とまだ子どもだった兄妹を見送って、私は家の内々のことを済ませると、いつもおじさんのところへ遊びに行きます。

 彼もまたその日暮らしの貧しい身の上でしたが、何故か本をたくさん持っておりました。

 どれほど生活が苦しかろうが、決して手放さなかったのだそうです。

 もしかしたら、かつては良い身分の出だったのかもしれませんが、それを知ることもとうとうありませんでした。


 彼は貧民にはあるまじきことに、文字を書くことが出来ました。学があるというだけで、元は裕福だったことが窺えます。

 当時はそのことに気づいておらず、私はただ本に興味があって、彼に呼んで欲しいとねだったのです。


 彼から読み書きや簡単な計算などを教わるようになったのは、いつからでしょうか。

 しょっちゅう体調を崩す私が、寝床で何か出来ることと言えば、家族の迷惑とならないよう、ひたすら静かにしていることだけです。寝床で借りて来た本を読んだり、文字の練習として木切れに木炭で書きつけたりして、おじさんに教わったことを予習していたのです。


 おじさんは粗末な身なりでしたが、伝手があるのか、どこからか仕事を得ているようでした。

 祐筆のようなことをしていたのだと思います。貴人の側に上がることこそありませんでしたが、暗い室内で何かを書いている姿を良く目にしました。

 彼は外国のことにも詳しいようでした。数ヶ国語を操れるようでしたし、私もそれに倣ったのです。


 おじさんのようになれば、病弱な私でも働いてお金を稼ぐことが出来ます。父母や兄妹を助けられると、懸命に勉強したせいか、おじさんの教えが良かったのか、私は自国語を含めて数ヶ国語の読み書きを、ある程度は出来るようになりました。


 そして、おじさんの手伝いをするようになったのです。

 思えば、このころが一番平穏で幸せでした。


 ですが、そのつましいながらも幸せな生活は、長くは続きません。

 ……おじさんは、私が13の時に亡くなりました。

 隣りの小屋に帰って来ないと思った矢先、近くの裏路地で亡骸が見つかったのです。

 暴行の跡があり、粗末な身ぐるみがすべて剥がされておりました。追い剥ぎに遭ってしまったのでしょう。


 見るからに貧しいと思える者からでも、ほんのパンひと欠片すら買えないお金すら狙われる、貧しい界隈だったのです。

 私は自然とおじさんの仕事を引き継ぎ、記録書や文書、あるいは外国の本の翻訳をしました。

 子どもでしたし、おじさんほどの知識はなかったので苦労しましたが、彼が残した資料もあったので、何とかなったのです。


 ……そして、私が15の冬のことです。

 その夜、私はたまたま遠出をしておりました。薪を得るために近隣の村まで出かけたのです。貧弱な私ですが、その当時はそのくらいの遠出なら何とか出来たのでした。

 その歳は厳しい冬で、薪の消費が去年よりずっと多かったのです。貧しいとはいえ、燃料を切らしては待っているのは死だけです。私の稼ぎもあって、食べ物には苦労しない程度にはなっておりましたから、贅沢にも買いに出かけたのです。さすがに真冬の山に行けるほどの力は、私にはありませんでした。


 冷たい雪をかき分けるようにして、重い橇を曳いて人の倍ほどの時間もかけて、家に帰り着いた私を待っていたのは、もの言わぬ家族の冷たい骸でした。


 ……吸血鬼の仕業だと、すぐに分かりました。

 家族五人、全員の首元に、深々と穿たれたふたつの傷痕があったからです。


 呆然自失とする私は、暖を求めてやってきた浮浪者に肩を揺さぶられるまで、ただそこに座り込んでいることしかできませんでした。

 吸血鬼の犯行と言うことは、誰の目から見ても明らかでしたし、あっという間に話が伝わったのでしょう。多くの人が入り乱れ、家族の骸は私の手から離されました。


 ……吸血鬼とならないよう、家族には杭が打たれました。

 父の知り合いのいる教会に、何とか埋葬の許可を貰ってから、ひっそりと葬儀を行いました。

 私はひとりきりになってからやっと、家族の死を悼んだのです。


 それからは、転がり落ちるばかりでした。

 まず、すこしずつ丈夫になって来たと思われた体は、一時いちどきに家族を失ったショックもあってか、またも頻繁に体調を崩してしまうようになりました。

 それでもしばらくは頑張ったのですが、以前の告白のとおり、限界が訪れたのです。

 ……そして、あの夜の化身のような女性、ミラーカという吸血鬼に会って、私は一度死に、そして吸血鬼となりました。


 思い返しても、何とも寒々しい思い出です。

 ですが、こんな私を労ってくれた家族と、私に根気良く付き合ってくれたおじさんがいてくれたからこそ、つらいばかりではなかったと思えるのです。


 かつてと比べると、身も心も、そして立場もすっかり変わりました。

 こうしてエリとふたりで城を歩いているのが、何故だか不思議に思えてきます。




「……私が幼い頃、文字を教えてくれた方がいたのです。その人の仕事を手伝って、翻訳も手がけたことがあるというだけですよ」


 話をかいつまむどころか、思い切りばっさりと切って捨てました。さすがに今、エリに話して聞かせたいような内容ではありません。

 できるだけ楽しい話をと、私は当たり障りのない外国の話をすこし語りました。エリが目を輝かせています。


「へえー。外国にもそういう話があるのね。読んでみたいかも」

「確か、この城の図書室にもありましたよ? 古今東西、様々な文献が集められていますから」

「ああ、あそこは好きなんだけど……探すのも一苦労なのよね、うん」


 エリはうんざりとした面持ちになりました。

 まあ、吹き抜けの高い天井まで続く本棚が並ぶそのさまは、まるで本の大海原です。魔法が使えないのでしたら、分類分けされているとはいえ、本を探すことはもちろん、高い位置から目的のものを抜き取ることもさぞ大変でしょう。


「でも、外国かあ……わたし、あの小屋からほとんど出なかったから、全然知らないわ。どんな国があるのかしら」

「そうですね……」


 私は今まで、さんざんあちこちをうろついていた時のことを思い出しました。

 放浪した年数は十年に満たないのですが、白夜の国以外の主要な国の都市には、ひと通り足を運んだはずです。気脈を使えばかなり遠くまで早く移動できますから、夜がない国以外の国の夜は巡ったことがあるのです。


 もっとも、世界の半分は極夜の国ですし、他はほとんどが魔物が跋扈する荒野と大自然で、人の国はその残りにひっそりと存在しています。

 大きく分けると、人の領域はふたつの大陸に跨るようにして、大小さまざまな国があります。君主国家に共和国、連邦、自治区、そして連合国家などなど。

 それらの国には、魔物災害や極夜の国から外れた吸血鬼たちが潜むの脅威、また国家間の争いもあって、なかなか落ち着かない場所が多いのです。


「人の国もあちこち見て回りましたけれど、どこも落ち着きませんね。正直、極夜の国のほうが静かです。暴君も多いですけれど、人死には多くありませんし。自画自賛になりますけれど、いちばん平和なのはここアマデウス領かもしれません」

「……確かに、そうかもね。わたしの元の生活とか、旦那様が何だったのってくらい豊かだし、ここ」


 エリが小さく唸っております。

 たまに城下町へ降りることもありますが、エリは街並みの賑やかなこと、道行く人々が華やかで笑顔であることに、一番驚いておりました。マリアやフレッドたちですらそうなのですから、自信を持って良いでしょう。


 もっともそれは、この地ひいてはこの城で働く人たちのおかげです。

 その人たちを是非、この機会に労わねばなりません。

 私はまだ見ぬ部下たちの姿を求めて、エリと共に大広間へ再び足を踏み入れたのでした。



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