40.さあ踊りましょう。
……夜会というものに、私はあまり思い入れはありません。
出席したのもほんの数回ですし、そのすべてがミラの従者……お供としてです。正直、私などより双子のほうがよほど見栄えがいたしますし、そちらを連れて行って欲しかったのですが、ミラにも双子にも断られてしまいました。一体何故だったのか、それはもう窺い知ることはできません。
ともあれ、双子は裏方に徹するのが楽しいらしく、決して前に出て来ようといたしません。
人の国や貴族ではないのですから、男子を優先する必要もありませんし、吸血鬼はむしろ年功序列が厳しい世界です。双子のほうがずっと年上なのですから、是非彼女たちが出張って欲しかったのですが、未だに叶っておりません。
やはり“真血”というものを、彼女たちは重要視しているようです。持っているのが私だから、そんな大層なものには思えないのですが。
まあ、ともあれ、いよいよエリたちを歓迎し、紹介する夜会が開催される日がやって来たのです。
「ようこそいらっしゃいました、ベドナーシュ卿」
「お久しぶりだ、アマデウス卿。卿が夜会を開くのは珍しいから、家内ともども参上したよ」
「ご無沙汰しております、今宵はお招きに預かり光栄でございますわ」
私はせいいっぱいの笑みを浮かべて、吸血鬼夫妻を歓待しました。
夜会に出席するためにアマデウス城へ訪れた、領内に住む伯爵や子爵、男爵たちへ、私は挨拶をしているのです。招待状を出した主催ですから、きちんと応対せねばなりません。
私は辺境伯であり、領地を持っておりますが、全ての貴族、爵位持ちに領地がある訳ではありません。その辺りは人の国と同じなのか違うのか、よくわかりませんが、極夜の国ではだいたいこうです。
真祖を頂点に、始祖と元老院である六大公がおりますが、彼らは領地を持ちません。血族をまとめる者たちであり、そのための地位と権力を持つのです。彼らは吸血鬼たちからすべからく畏れられ、尊敬されております。政をするのはそれ以下の貴族です。
公爵、侯爵、辺境伯爵は領地を持ちますが、辺境伯爵以外は極夜の国の中枢に近い地に領地を持ちます。侯爵であるローラのペンドラゴン領もすこし遠いですしね。クリスのドラッケンフォール領は南にあって、西にあるここアマデウス領から比較的近いのですが、辺境だけあって面積だけはとてつもないので、すごく近所とは申せません。
公爵はすべて直系の血を持つ吸血鬼です。それ以外の貴族はほぼ傍系であり、いちおうはカラスの直系である私や、直系どころかその純血種であるローラが、辺境伯爵や侯爵であるほうが珍しいのです。
まあ、私はこんなですからここアマデウス領が性に合っており、引っ越したくは思わないのですが、ローラはどうなのでしょうね? 生まれながらに本来は公であるはずの彼女ですが、確かご両親のどちらかに何がしかの問題があって、それで降格された覚えがあります。ですが、それは彼女の罪でもありませんし、それだけの血筋と長い時を生きていれば、公として返り咲くことも可能なはずです。
もしかしたら、ペンドラゴン領はお気に入りの人間が多い地なので、叙爵で爵位が上がるのを嫌っているのかもしれません。ふつう爵位が上がると領地も移動になりますから。
もっとも、爵位や領地の変動はそう起こりません。掟破りでもしない限り、一度下賜された爵位を剥奪や返上とはなりませんし、よっぽど長生きしなければ爵位が上がるということもありません。なので命を落とさない限り、数百年や数千年単位で領地を治めるのです。領主が死亡しても、問題がなければ血族の実力者にほとんどまるごと継承されます。
伯爵、子爵、男爵たちは、領地持ちの貴族たちの下につき、その領地の一部を間借りして、町単位で人間たちを支配・統治しています。彼らと領主である私の意向を鑑みながら、政を行っている訳ですね。まあ、領地のほとんどは領主の直轄地ですから、仕事はあまり減らないのですけれど。
とにかく、アマデウス領は穏やかで落ち着いた者が多いので、他領と比べてずっとやりやすいと思われます。彼らも労わなければなりません。
私は慣れない貴族の社交を頑張りました。伯爵以下の貴族とそのお連れ、あるいは人間の従者たちにも気を配ります。見慣れない人も多いので、挨拶がひと通り終わった時は、ぐったりしておりました。
双子が壇上で挨拶したのを皮切りに、満月の夜会が開始されました。
後は各々《おのおの》、好き勝手に挨拶したりお話をしたり、食事をしたりダンスをしたりして過ごしてくれるでしょう。後でエリを連れて再び挨拶回りするまで、すこし休憩させてもらいましょう。
「よお、お疲れ」
裏の休憩室まで下がってひと息いれておりますと、目の前にひょいとグラスが差し出されました。
見るとフレッドがにやにやしながら、自分のグラスを片手に私を見下ろしています。
「慣れてねえんだろ? ここの夜はなげえんだし、ゆっくり休んどけよ」
「ありがとうございます、フレッド。あなたも面に顔を出したらどうですか?」
私が有難くグラスを受け取りながら進めると、フレッドは嫌そうに顔を歪めました。
「ご冗談。俺はこれでも元は吸血鬼ハンターなんだぜ。前のお坊ちゃんみてえなことになってもぞっとしねえし、大人しくしてるよ。あ、料理はもらうけどな」
ぞっとしないなどと言いつつ、彼は軽く笑ってグラスを煽りました。何だかだいぶ気楽そうです。
フレッドはもちろん、ヴィクターもヒューゴも、そしてマリアやイザベラ、ヨハンも顔を出しておりません。
マリアたちは、貴族の催しで前に出るなどもっての外、ただの侍女や従者として扱って欲しいと言っておりました。無理強いはできませんし、確かにマリアたちは、もともと領主の屋敷で下働きをしていたのですし、働いているほうが性に合うようです。
ヴィクターとヒューゴも同様のようです。フレッドもですが、元ハンターということを気兼ねしてしまったのか、紹介するのも勘弁してくれと言われてしまいましたし、こちらはこちらでこっそりと楽しませてもらうと言っておりました。マリアたちを手伝っているのを目にしましたし、それはそれで楽しそうでしたから、私は何も申せません。
「フレッドはまあ楽しんでいるみたいですけれど、ヴィクターやマリアたちも、見かけたら楽しんでくださいって伝えてくださいね。大丈夫とは思いますけれど、念のため吸血鬼に近付かなければ、大きな問題も起きないでしょうし」
「ああ、わかってる。酒もあるし、人間用の料理がたっぷりあるしな。ジジイが飲み過ぎねえよう、ヒューゴが食い過ぎねえように見張っといてやるよ」
「ええ、もちろんあなたも、飲み過ぎ食べ過ぎにはご用心を」
くすくすと笑って、私もグラスを一気に飲み干しました。
その味に、おやっと思います。どうやら血を垂らしたワインのようですが、疲れた体には染み渡るものでした。
元ハンターのフレッドがこのような気づかいをしてくれるなど、彼の心境もだいぶ変わって、そして落ち着いたのでしょうか。
「……何だか、気を使わせてしまっていますか?」
「いーや? まあ、この国に来てもあんたは相変わらずだって知ったからな。お貴族サマ相手は疲れるだろ。俺たちは隅っこで楽しくやってるから、あんたはせいぜいがんばって社交しろ」
「ええ、わかりました、頑張って仕事します」
私は笑って彼にグラスを預けると、エリを迎えに向かったのでした。
……ひと仕事を前に彼女に癒されても、誰も文句は言いませんよね?
エリはラベンダー色のマーメイドドレスに身を包んでおりました。
淡い色の柔らかい生地と布飾りに、ひだのついた肩口と裾。レースで飾られた白いパンプスに、白金で造られたエメラルドの首飾り。大人しめですが決して地味ではなく、彼女の初々しさと可愛らしさを十分に惹き立てる装いでした。
ふだんはあまりしない化粧もしているのでしょう、いつもよりその唇が艶かしくてどきっとします。甘い香りはバラの香水か何かでしょうか。ラベンダーカラーですから香水もラベンダーにしたかったのかもしれませんが、ラベンダーはハーブですから吸血鬼の夜会には相応しくありません。
もっとも私は平気ですし、彼女もラベンダーが好きですから、香水を贈るのもいいかもしれません。
私の前でだけ付けてもらうとか、何だか燃えますよね。
「エリ、すごく綺麗です。この香りも素敵ですね」
「あ、ありがとう。アベルも何割増しかで素敵よ」
赤くなる彼女が可愛らしくてたまらず、私はその長い髪をひと房手に取ると、それに口付けました。
いつぞやのクリスが、娘さんにやっていたことですね。あの時はずいぶん気障ったらしいけれど、彼には似合うなあと思ったものでした。私にはとても出来ないとも思ったのですが、エリを相手にすれば何だってしたくなります。彼女が嫌がらないのなら尚更ですね。今も顔を赤くして、実に初々しいです。
そんな発見を嬉しく思いながら、私は今一度彼女に問いかけました。
「これからあなたを紹介するのに、吸血鬼たちとたくさん会います。緊張すると思いますけれど、いつもよりすこし控えめくらいで大丈夫ですよ。そう畏まった催しでもありませんから」
「あら、わたしはいつだって、万事控えめな淑女よ? まあ確かに、こういうのは慣れないけど……」
エリはドレスを見せびらかすように胸を張りましたが、私には彼女がすこし虚勢を張っているのがわかりました。明るく行動的な彼女も、さすがに物慣れない場面では緊張するのでしょう。
それは私も同じなのですが、彼女を不安にさせる訳にはいきません。張り切ってエスコートいたしましょう。
私は彼女の前で片膝をつくと、恭しく手を述べて懇願します。
「では、麗しい姫君。今宵あなたと過ごす栄誉を、私に与えてくださいますか?」
「……ええ、喜んで。こういう時の常套句なんて知らないけど、嬉しいわ」
いきなりの私の行動に、エリはすこし驚いた様子でしたが、すぐに笑って私の手を取ったのでした。
エリは確かにはじめのうちは緊張しておりましたが、三人目くらいからは挨拶も堂々としたものでした。
私が間で紹介すると、彼女はそつなく挨拶をし、吸血鬼の貴族と如才なく会話を交わしています。吸血鬼相手に怯んだり、変に構えたりいたしません。
……マリアと血が繋がっていないのが不思議なくらいですね。何でしょう、この風格とか威厳と申しますか、落ち着いたものごしというものは生まれながらのものなのでしょうか。私は生まれからして庶民ですから、いつまで経っても身に付かないのでしょうか。
私がいっそ感心しているうちに、貴族たちへの挨拶は終わりました。エリもそうでしたが、吸血鬼たちからも好感触というか、嫌な反応はされません。ほんとうに、アマデウス領の吸血鬼たちは希少です。
「……これだけ大きな催しなのに、出席してくれた吸血鬼の貴族って少ないのね」
「いえ、ほぼ全員出席していますよ、代理の方もいますけれど。吸血鬼の数自体が、もともとそう多くないのです」
「へえ?」
エリの疑問にも答えておきます。確かに、この夜会に訪れた人と比べると、吸血鬼は相当少ないです。
もともと吸血鬼は圧倒的少数派ですから、ふだん目にしない吸血鬼といっても、実数は大したものではありません。城下町でさえ滅多に会わないのですからね。夜会ではかなりの吸血鬼が集まっておりますが、それでも人の数のほうがほとんどです。
とにかく、エリよりも私のほうが先に参ってしまいそうですし、早く挨拶を終わらせましょう。
頑張ったおかげか、私がダウンする前に、残る町の上役である人間たちにも同様に挨拶を交わし、全員とまでは言わずとも、重要人物にはたいてい声をかけ終わることができました。
ぐったりと疲れる前に、補給を済ませてしまいましょう。
エリもお腹が空くでしょうし、軽くバイキングスペースに立ち寄りました。ほっとしたのか、エリが私に寄りかかりながら、私が差し出した甘いシャンパンを手に取ります。
「……何だか、拍子抜けしちゃった」
「何がですか?」
私は会場を見渡しました。アマデウス城も大きなお城ですから、その大広間も飛んでもなく大きいのです。向こうの壁が見えないほど広く、煌びやかなシャンデリアが眩しく、鮮やかな装いの人や吸血鬼で溢れるその様は、慣れないと言ってもどこか心浮き立つ風景でした。
そんな中で、エリは顔をすこし赤らめながら、シャンパンを口にします。
「何がって、わたしのことよ。人のままで、吸血鬼の、しかも貴族で領主のアベルの隣りにいるっていうのに、そのことを誰も何とも言わないんだもの。アベルに相応しくないとか、吸血鬼にならないのかとか、いろいろ嫌味ったらしく言われるのを覚悟していたのに」
むむ、と唸って眉を寄せています。嫌味がなくて良かったと思っても、何故何も言われないのか不思議でならないのでしょう。
「ああ、そんなことを気にしていたのですか? 私がエリに側にいてほしいと言ったのですから、誰にも文句は言わせません」
「でも吸血鬼って、血筋を大事にするんでしょ? 結婚とか、こ、子どもとか、結構気にするものなんじゃないの?」
「血族は大事にしますけれど、それだけってことはないですよ。それにほら、吸血鬼には結婚適齢期というものがありませんからね。寿命がないせいか、いつまでには結婚しろとか、いい加減に子どもを持てとか、そういうのもありませんし。子どもだって、実際に産んで育てるよりも、好ましい相手を吸血鬼にしてしまえば良いって考えですから」
「……そうだった。吸血鬼との考えの違いがあったんだ……」
エリは小さく呻いて、複雑そうな表情を浮かべています。
吸血鬼のこの感覚を、人であるエリが理解するのは難しいでしょう。私だってそう思います。
「……ですから、エリはエリのままで良いのです。私にはいくらだって時間がありますからね。エリに合わせて、エリと一緒にいることを選んだのですから」
「……うん」
エリはすこし切なそうな声でしたが、おもむろにグラスをぐいっと煽ると、私の腕をがっしりと掴みました。
「じゃあ、好きなことをやる。アベル、やっと挨拶も終わったんだし、せっかくだから踊りましょうよ。まだあんまり上手じゃないんだけど、ダンスだってだいぶ練習したのよ。アベルもあんまり付き合ってくれなかったんだし、今夜くらいはがっつり踊って貰うんだから!」
「かしこまりました、お姫様」
私は笑って応えると、エリと一緒に広間の中央、思い思いにダンスを踊るその中へ足を踏み入れました。
仮にも領主が来たからか、ペアを組んで踊っていた人たちが一斉に足を止め、それぞれが腰を折ったり俯いて屈んだりと挨拶を返します。緊張しますね、これ。
楽団もすぐさま調べを変えて、ゆったりとした曲が流れ始めました。見ればヘレナが識者の側にいます。きっとエリにも優しい曲調を選んでくれたのでしょう。
私とエリがぴったりとくっ付き、手を取って楽の調べに合わせてステップを踏み出すと、周りの者たちも踊り始めました。
確かに私でも踊りやすい曲です。双子の気遣いが有難くてなりません。
「足踏んでも怒らないでよね」
「では一回踏むごとに、あとでキスをするということで」
「あら、じゃあアベルから踏んでくれてもいいのよ? 痛いのは嫌だけど」
そんな軽口を叩き、笑顔を交わし合いながら、私とエリは存分に踊ったのでした。




