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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
33/168

32.珍しい客人が来ました。



 時折、人の町に立ち寄って、こっそりと食糧や必需品を調達します。

 お金だけは持ち歩いていてほんとうに良かったです。極夜の国と人の国では流通している貨幣が違うのですが、そんなものでも極夜の国では手に入ります。便利ですね。

 私がこっそりと食事をするのにも、フレッドたちは目を瞑ってくれています。何だか、いつも以上にとんでもないことをしているのだと思えてしまいますね。私もまだ、彼らが元ハンターであるということを、きちんと呑み込めていないのかもしれません。


 途中からは町もなくなり、岩の多い平原が延々と続くようになりますから、そうなったら出来るだけ進んで、あとは一気に魔法で跳ぶしかないでしょう。吸血鬼の私や人狼のフレッドはともかく、ただの馬の旅ではヴィクターもヒューゴも、そして馬たちも命がいくつあっても足らないです。

 荒野の地理は完璧にはわかりませんから、まあぎりぎり夜の領域に踏み込めば、後は何とかなります。


 結局今回も、追っ手には追い付かれませんでした。目立たぬよう進んできましたが、それでもハンターの目はどこにあるかわかりません。やはりディートリンデの配慮があると見て良いでしょう。彼女には感謝しなければなりません。

 何か礼でも送った方が良いでしょうか。吸血鬼からだなんて、ハンター側から見ればとんでもないでしょうけれど、誤魔化し方はいくらでもあります。送る方法でしたってたくさんの裏ルートがあるのですから、確実とは言えなくても可能でしょう。ある程度近づいたら魔法で転送しても良いですし、やりようはあります。


 とはいえまずは、アマデウス領まで帰りついて、フレッドたちに一度落ち着いてもらうことが先決です。

 エリの顔も早く見たいし、私は彼らを急かしたいのをぐっと堪えて、先に進んだのでした。




 この旅の間に、ヴィクターとヒューゴともずいぶん仲良くなれました。

 追放されたとはいえハンター一族出身の彼らですから、私にそう簡単に心を開いてくれるとは思いませんでした。ですがそれは、ヒューゴの天真爛漫さが大きな要因でしょう。吸血鬼である私にも遠慮しませんし、追放の身の上であっても明るく元気です。それに触発されたかのように、フレッドとヴィクターも、そう落ち込んでいるように見えなくなりました。


 それがすこし変わったのは、いよいよ夜の領域に入った後です。

 陽が落ち、そして昇らないその地は吸血鬼の領分です。かつて真祖によってそのように創り変えられたと伝えられています。いかなる業をもってそうしたのでしょう。ほとんど神の御業ですよね。

 そこからもまだ荒野が続きますが、黒い一角獣のような特殊な獣が引く馬車でもなく、ただの馬ではどれだけ時間がかかるかわかりません。ですので転移装置を使います。


 荒野のあちこちには、旅の吸血鬼が休めるよう、簡易的な要塞が造られています。そこに吸血鬼だけが使える術式が組まれた呪具があり、それを使って任意の場所へ移動できます。権限で制限が掛けられている場所もありますが、領主であれば域内どこでも移動できる、便利な装置なのです。

 もっとも、それも人には負担となりますから、人を連れてはそう軽々しく使えません。エリの時もそうでしたし、あの時は馬車がありましたから使いませんでした。今度は私の怪我もありませんし、フレッドたちを守りながら跳ぶことは、何とか出来るでしょう。


 外見はいちおう整備されてはいるものの、殺風景でそっけない、単なる石造の建築物です。

 その中庭に馬に騎乗したまま入り込んで、落ち着きなく周囲を見回すフレッドたちを促し、私は術式を発動しました。


 ……その次の瞬間には、月を背景に黒々とそびえる、見慣れた尖塔が目に映ったのです。


「――お帰りなさいませ、旦那様」

「ご心配申し上げておりました」

「お、お帰りなさいませ!」


 いつもの双子の言葉と、ヨハンの声が聞こえました。アマデウス城の中庭です。

 やはり、気脈に乗るとか魔法を使って跳ぶなりしないと、移動が大変ですね。私ひとりでしたら問題ないのですが、人に負担をかけずに転移するのはかなり難しいのです。


「ただいま帰りました。度々心配をかけてすみません」

「いいえ。ご無事のお帰りで何よりです」


 馬から降りると、ヨハンが慌てて駆け寄って、馬の手綱をとりました。

 フレッドたちもはっと意識を取り戻したかのようにして、用心しながら馬を下ります。双子はそれにはまったく気にもしないで、てきぱきと動きます。


「フレッド様、ヴィクター様、ならびにヒューゴ様。ようこそアマデウス城へおいでくださいました」

「あるじより伺っております。私はヘレナ。アマデウス卿の配下にして、血を同じくする者。以後お見知りおきを」

「ルーナと申します。ヘレナと同じく、アマデウス卿の僕です。まずは旅の疲れをお取りください」


 ぴっしりと挨拶をして、彼女たちはフレッドたちを案内しようとします。フレッドたちがやや及び腰です。

 まあ、それも仕方ないでしょう。一気に移動したと思ったら、眼前にいかにもな吸血鬼の城、そしていきなり双子のような、私などよりよほど大物の吸血鬼と相対しているのですから、誰だって腰が引けるでしょう。

 フレッドたちはつい先日までハンターだったのですし、いきなり打ち解けられるはずもありません。


「ええと、フレッド。不安でしたら別の場所に部屋を取りましょうか? 城下町はふつうの人の町ですし、そちらのほうが落ち着くでしょう」

「……いや、構わねえ。もう極夜の国に入っちまったんだ。どこでも同じだろ」


 私が勧めると、フレッドは首を振りました。ヴィクターとヒューゴにも目を向けましたが、異論はなさそうです。多少固い雰囲気でしたが、ヨハンに手綱を託すと、双子の案内について歩き出しました。

 彼らに意識をやりながら、私は双子に話しかけます。


「留守中、何か変わったことはありませんでしたか? エリたちは?」

「エリーゼ様はたいそう旦那様のことを心配しておられました」

「便りがあるまで不安そうにされておられましたが、それ以降はじっとお帰りをお待ちしていらっしゃいました」


 エリに心配をかけて申し訳ないような、心配してくれて嬉しいような、そんな気持ちです。

 とにかく早く顔を見たいと、私は双子にお願いします。


「今は月夜ですし、エリはまだ起きていますよね? フレッドたちのことはお願いして良いでしょうか。顔を見に行きたいのですが……」

「エリーゼ様は今、お客様とお会いしていらっしゃいます」

「……お客様?」


 私は首を捻りました。エリにはそもそも知人は少ないはずですが、ここは極夜の国、そもそも元の知り合いはいないでしょう。ここに来てから出来た友人でしょうか。

 などと思っていると、ヘレナから爆弾が落とされました。


「クリスティアン様です。旦那様に会いにいらしてくださったようですが、留守でしたので歓待させていただきました」

「旦那様が帰ったら挨拶したいとの仰せです」

「……クリスが?」


 私はすこし嫌な予感を覚えました。

 手紙でハンターのことを聞いて来たくらいですし、彼のことですから、今回のこともある程度は把握しているでしょう。私の千里眼などとは比較も出来ない、鋭い眼を持っていることですし。

 さすがに、クリスにはフレッドたちを会わせないほうが良いでしょう。フレッドたちも好き好んで吸血鬼と知り合おうとは思わないでしょうし、ハンターに付け狙われているクリスにとっても宿敵です。

 フレッドたちには客室に下がって休んでもらいましょうと、そう思った瞬間でした。


『……駄目だよ。せっかくなのだし、みんな連れておいで。食堂で待っているからさ』


 忽然と、頭の中に声が響きました。クリスのものです。

 ……やはり、こちらの動きはある程度知られているどころか、現状さえ把握されています。

 何ともぞっとしない思いでしたが、ここは逆らわないほうが良いでしょう。わざわざ向こうから会いたいと言うのですし、宿敵のハンターとはいえ、いきなりフレッドに襲いかかるとは思えません。

 と言うか、彼が本気でその気だったならば、私程度ではどうにもなりません。身を呈して庇って、たぶんそれで終わりです。後はクリスの手心次第です。


 フレッドたちに喧嘩を売られたら大変です。何とか仲裁出来れば良いのですが……。

 まさか私が捕えられて以降のすったもんだも見られていたのではないかと鬱々としながら、私はフレッドたちに伝えました。


「……フレッド、それにヴィクターとヒューゴも。知り合いを紹介したいので、すこし付き合っていただけませんか?」

「ん? いいけどよ」


 何の構えもなく、フレッドがうなずきます。ヴィクターとヒューゴも目をぱちくりしているだけですし、先ほどの声は私だけに聞こえたもののようです。

 クリスは立派な吸血鬼で、私と同じ辺境伯の爵位持ちである貴族です。フレッドたちはそうみすぼらしい格好などはしておりませんが、さすがにそのままでは会わせられません。

 控室に待ち構えていたイザベラと、双子に頼んで三人の支度をしてもらい、あとで食堂に来てもらうことにしました。私も着替えてから、先にクリスに挨拶しましょう。


 大急ぎで見苦しくない程度に身支度を整えると、さっそく食堂に向かいます。

 そこにあった無駄に長いテーブルは片付けられ、替わりにお茶会に使うような丸いテーブルが備え付けられておりました。それでも十人くらいは楽に席に付けられそうですが、こちらのほうが場所の無駄にはなりませんね。

 そこでゆったりとくつろいでいるようすのクリスと、その向かいにかちこちになったエリ、そしてその後ろで仁王立つマリアの姿がありました。


 私を認めて、エリが椅子を蹴立てて立ち上がりました。

 ぱっとバラ色に染まったその笑顔に見惚れてしまいます。可愛いです。


「アベル!」

「……ただいま帰りました、エリ。心配をかけてすみません」


 駆け寄って来る彼女を、私はぎゅうと抱き止めました。もちろん加減はしております。

 久しぶりのエリ成分を十分補給し、癒されてから、私は彼女を離しました。いつもなら恥ずかしがるでしょうに、よほど不安だったのか、彼女は照れたりもしません。私は申し訳なく思いました。

 主人がいないので、彼女が代わりにクリスの相手をしてくれたのでしょう。エリがいる以上、双子たちは前に出ませんし、そうすると彼女しかクリスの相手をできません。

 残念なことに、エリはまだ正式な妻でも婚約者でもありませんが、恋人ではあります。ここにいる以上、何らかの役割を果たしたいと考えているのだと思います。エリが健気過ぎて、私の胸が痛いです。


 もっとエリと触れていたかったのですが、クリスがいますからそうもいきません。名残惜しく、そっとエリの肩を押してテーブルまで戻りました。

 マリアは自信溢れる態度で立っておりましたが、どことなくほっとした気配を見せます。私が目配せしますと、彼女は小さく顎を引いて答えました。言葉にしなくともわかるって、良いですよね。


「さあ、エリーゼお嬢様。旦那様がいらっしゃいましたし、後はお任せして――」

「ああ、遠慮しなくても、別にいてくれて構わないよ? 面白いものが見れそうだし」

「……左様でございますか。では、僭越ながらわたくしもご一緒させていただきます」


 クリスの有無を言わさぬ気配に、マリアは全く気押されることなく応対しております。その不敵な笑みは、クリスに決して負けておりません。

 ……マリア、たくまし過ぎです。その度胸を私にも分けてください、そしてエリを気遣ってくれてありがとうございます。

 思わず心の中で感謝を捧げてから、私はエリを椅子に座らせて、クリスに向き直りました。

 するとクリスは柔らかな笑みを湛えて、その美貌を私に向けました。ほんとうにどこぞの王子様にしか見えませんね。そんな彼が今までエリと一緒にいたのだと思うと、やきもちを焼いてしまいそうです。


「クリス、お待たせしてすみません。また下手を打ってしまいました」

「そのようだね。でも君が無事でほんとうに良かったよ。ヘルシングは元気だったかな?」


 ……ばればれです。よもやほんとうに、全部を見ていたのでしょうか。

 背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、私もおっかなびっくり席に着いたのでした。


「ええ、まあ……ヘルシング家の者などはじめて拝見しましたから、ずいぶん冷や汗をかきました。ヴィクターに人望がなければ、私もどうなっていたかわかりませんね」

「ふふ、ハンターたちもなかなかやるよね? 面白いことをしているみたいだし。あ、そのヴィクターというのも、僕に紹介してくれるかな?」


 先ほどから冷や汗が止まりません。相手をするのが私ひとりであれば、何とでもなります。ですが、間にエリやフレッドたち、人間……いや、人狼もですけれど、とにかく私の大事な者たちが入ってしまうと、ただでさえ弱い私の立場がより弱いものとなってしまいます。

 吸血鬼の間で争いは珍しくないとはいえ、殺し合いにまではそう発展いたしません。とはいえ、元吸血鬼ハンターもおりますし、クリスが彼らにどういう感情を抱いているのか、私は良く知らないのです。逆立ちしてもクリスには敵いませんから、彼が何を考えているかわからないにせよ、何とか穏便に済ます方法を考えねばなりません。


 エリは話の内容がわからないでしょうに、じっと大人しくしています。マリアは堂々と控え、非常に頼もしいです。私に専属で付いてもらいたいくらいですね。

 クリスも親しい友人ではあるのですが、今の私はエリに癒されたいです。というかクリスを前に、人を挟んで話をしたくないというのが本音ですね。ヘビの血族である彼のひと噛みで、エリたちはあっけなく命を落としてしまうのですから。


「それで、詳しい話を聞いても良いかな? 僕も全部はわかってないし」


 クリスが小首をかしげて、こちらに伺いを立てるようなしぐさをいたしましたが、それは命令に近い力強さを漂わせたものでした。ええ、まあ、私も特に黙っておかねばならないこともありませんし、話すのにやぶさかではないのですが、エリとマリアの耳もあります。そう物騒に聞こえないようにいたしましょう。


「えっと……最初から話しますと、以前クリスに教わった薬を、知り合いのハンターに届けに行った後なのですが……」


 そして私は数日前に起こったとから、クリスに語ったのです。

 



 長い話を聞き終えて、クリスはおかしそうに笑いながら、ワイングラスをもてあそんでいます。

 私も思わずグラスに手が伸び、葡萄酒を口に含んで喉を湿しました。エリの前にも果実ジュースの入ったグラスが置かれていますが、あまり口にしていません。きっと緊張しているのでしょう。


「アベル、あなたそんな危ない目に遭ってたの? ちょっと気を抜き過ぎなんじゃない?」


 ……と思いきや、どうやらエリは呆れていたようです。まあ、確かに我ながら間の抜けた話ではあるのですが。

 私はしょんぼりと肩を落として、頭を抱えました。


「いえまあ、確かに油断し過ぎていました。ハンターと関わりを持つということがどういうことなのか、ずいぶん甘く考えていたようです」

「そのようだねえ。まあ僕も、血生臭いことが嫌いな君に話すことじゃないと思って、ハンターについては何も教えなかったし、言わなかったけど。でも、手紙の返事を読んで驚いたよ。このお嬢さんのこともそうだけど、君にしては随分派手に動いたね」

「逃げてばかりで、大したことはしていませんし、出来ていませんけれどね」

「ふふっ、あのハンターたちを前に、ちゃんと目的を果たすことができたんだから、十分じゃないかな? 荒事だって得意じゃないんだし、無理はしてはいけないよ。大事な血なんだから、怪我なんかをして僕の肝を冷やさないでほしいな」


 余裕綽々のその態度では、本気で私を心配してくれているかは定かではありませんでしたが、気遣ってくれているのはほんとうでしょう。私は力なく頭を下げたのでした。


「ありがとうございます。もう無理はしません。怪我をしたり呪われたりだなんて、もうこりごりですから」

「違いないね。……ところで、君は銃で撃たれたんだよね?」

「はい、そうですが」


 私はその時のことを思い出して気恥ずかしく思いました。クリスほどの吸血鬼であれば、たとえ吸血鬼ハンターの特殊な弾丸であっても、余裕でかわすことが出来たでしょう。武器に容易に捕らえられる吸血鬼など、何とも情けない限りです。

 ですが、クリスはそんな私の失点を指摘したい訳ではないようでした。テーブルの上に身を乗り出すと、にこりと笑います。

 ……これはアレです。ローラが私に頼みごとをする時のような、お願い(強制)をする時の顔です。


「……弾丸、残っているんだろう? それを僕にくれないかな?」

「弾丸ですか?」


 弾丸は私を打ち抜いたのではなく、脇腹で止まっておりました。自力でそれを穿り出して、傷を魔法で抑えたのです。あの痛みはなかなかつらいものがありました。

 確かに、吸血鬼ハンターの特殊な弾丸のように見えました。いちおうとっておこうと思って、そのまま忘れておりました。自分への戒めとして見て思い出すことくらいにしか使えないだろうなとは思っていたのですが、クリスには使い道があるのでしょう。


「ええ、ありますけど……それを見れば、クリスには何かわかりますか?」

「もちろん。吸血鬼ハンターとは長い付き合いだからね。彼らがどんな手を使ってくるか、分析は重要なんだよ。ね、僕にくれるよね?」

「え、ええ。構いませんが――」

「――駄目だ!!」


 突然割って入った声が、食堂の高い天井に響き渡りました。



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