30.追放されるようです。
「……それにそもそも、私では貴様を仕留めきれんだろうからな」
「そんなことはないでしょう」
さらりとディートリンデが言った内容に、すかさず否定をしておきます。
エリたちを迎えに行った時に遭遇したハンターからだって、命からがら逃げ出した私です。自慢にはなりませんが、逃げ足くらいしか私に誇れるものはありません。
彼女は再び眉をあげました。笑うというよりは困ったような表情です。
「自分でもわかっていないのか? ここが、いかなる吸血鬼にとっての墓場であることが」
私は思わず、室内を見回しました。薄暗い地下の空間で、彼女の声も良く響いています。
今は火が灯っていないものの、大きな燭台や照明があり、壁には装飾が施された武器が掛けられています。そのあらゆる部位に、あらゆる吸血鬼対策があるのが見て取れます。
見えない場所にも呪いや呪具の気配があります。弱点に耐性があればこそ、こうして平気でいられるのでしょう。
今のフレッドにしたってディートリンデにしたって、その身を包むのは戦装束です。見える範囲にも聖印や銀、あらゆる魔除けが仕込まれているのがわかります。フレッドは人狼ですし、ディートリンデはヘルシングの者、身につけた吸血鬼狩りの技術は測り知れないでしょう。
そして、付近にはさらに複数のハンターが控えていることでしょう。戦うどころか、逃げることすら容易ではありません。
ここが吸血鬼の墓場であることは間違いありません。ディートリンデにとって私を仕留めることは、考えたくはありませんが、そう難しいことではないように思えます。
そう思っていると、彼女はおもむろに話題を変えてきました。
「ここで平然としていられるというだけで、貴様は尋常ではない吸血鬼なのだが……それに、だ。貴様はガートナー兄弟から逃げ出したな? こちらにも報告が上がっている」
「……あいつらまた何かやらかしたのかよ」
フレッドがげっそりとした表情です。ディートリンデが言ったガードナー兄弟とは……はい、考えるまでもなく、エリたちのところで遭遇した二人組のハンターのことでしょう。
「あいつらが持ち出した品が使われて、発覚した。始祖クラスの吸血鬼が動いているとな。上層部に激震が走ったよ。まあ……その割には、人が四人消えただけで他は何も起っていないし、起こらない。一体どんな吸血鬼が、何を目的に現れたのかと思ったのだが……」
ディートリンデは、ひたりと私を見つめました。彼女はそれが私だと確信しているようです。
人が四人も消えることはおおごとですが、吸血鬼を相手にしているハンターにとっては、目立つほどのことではないのでしょう。大吸血鬼が本気になったら、人の町のひとつやふたつ、簡単に壊滅させられてしまうのですから。
……それにしても、私を始祖クラスの吸血鬼だと判断するとは、とんでもない勘違いです。私は吸血鬼の弱点が効かないという吸血鬼ですが、はっきり言って弱いです。始祖ほど強い訳などありません。まあ、弱点への耐性だけはそのくらいあるかもしれませんが、ハンター相手に立ち回る力はないのです。
……デイウォーカーというだけで、ふつうは強力な吸血鬼なのですが、残念なことに私は違います。でもまあ、今はその勘違いを否定しないでおきましょう。真血とも関係があるのかもしれませんが、それは言えませんしね。
それにこの話、クリスが便りを寄越した手紙の件のようです。
吸血鬼ハンターたちが騒がしいと聞いてきましたが、エリたちがいなくなったからではなく、よもや私が原因だったとは。あとでクリスに説明しておかねばならないでしょう。
ふと気になったので、私はディートリンデに顔を向けました。
「……その、使われた品というものが何か、うかがっても?」
「話すと思うか? 我らハンターが、吸血鬼ごときに」
「はいそうですね」
私はすぐに引き下がりました。彼女の目に険呑なものが混ざったからです。
吸血鬼も吸血鬼ハンターも、己の手の内をひけらかしたりいたしません。それで対策を立てられてしまったら、たまったものではないからです。ですからお互い、掟を作ってそれを厳守し、掟破りには厳罰を与えているのでしょう。
まあ、話を聞く限りそのガートナー兄弟たちが、ヘルシングかハンターギルドの何か大事なものを持ち去ってしまったのでしょう。吸血鬼に対する協力で重要な呪具かもしれません。私の魔法も効きづらかったですし、そもそも魔法を阻害することは、ふつう相当大掛かりな技術と術式が必要なのです。
よって魔法が効きづらいのはよほど強力なハンターだろうと、私は震えあがって逃げ出したのです。
呪具だか何だかは知りませんが、その品を取り戻せたことが、彼女には大きな益だったのでしょう。
まだ釈然としないものは残りますが、とにかく私をここで殺さない理由はわかりました。彼女がそれで良いというのであれば、もちろん私も異議申し立てなどいたしません。命は惜しいですから。
「……とにかくだ。どんな忌々しい大物が出てくるかと思いきや、たかがカラスの、しかもこんなへたれた吸血鬼がたった一匹だけとはな。あれだけ仰々しく準備をしたと言うのに、気が抜けたよ」
ディートリンデはおかしそうに微笑みました。騒がせて申し訳ない気持ちでいっぱいです。
それが顔に出ていたのか、私を見て彼女はさらに満面の笑みを浮かべました。美しい笑顔ですが、妙に迫力があるものです。
「まあ、不可抗力であれ、貴様のおかげで大事なものを取り戻せた。その礼だ、その命、今だけは見逃してやる。再び私の前に現れることは許さん。その時が来たら容赦はしないからな、覚悟しておけ」
突然垂れ幕が動いたかと思うと、それが捲り上げられ、向こうから人影が現れました。
ひとりは全身黒尽くめの男、もうひとりはお爺さん……ヴィクターです。小さな男の子は、お孫さんのヒューゴでしょう。寝顔しか見たことはありませんが、その時より数段、顔色が良く健康的そうな子どもです。
ヒューゴは私に目を向けて、はっとしたようです。それから瞳をきらきらとさせて、子どもらしい笑顔を浮かべました。
……仮にも吸血鬼ハンターの血筋の者が、吸血鬼にそんな目を向けて良いのでしょうか。怖いお姉様もいらっしゃるし、私は気まずいです。
ディートリンデは無言で立ち上がると、円卓を回り込みました。私も続けて立ってそれに続こうとしましたが、彼女が後ろ手にそれを制止するようにしたので、思わず立ち止まります。
黒尽くめの人はすぐに下がり、ディートリンデはヴィクターとヒューゴ、ふたりの前に立ちます。
やや戸惑った雰囲気のヴィクターでしたが、ディートリンデが前に立つと、神妙に頭を下げました。
ヒューゴもはっと姿勢を正して、真剣な目を彼女に向けます。
そしてそのふたりに向かって、ディートリンデは厳かに告げたのでした。
「ヴィクター、並びにヒューゴ。貴様たち吸血鬼ハンターの一族の栄誉を永久に剥奪する」
フレッドが回り込んで、ヴィクターたちの側に立ちました。彼女はそちらにも目を向けます。
「そう、フレッド。貴様も同様の処罰が下された訳だ。もはやハンターを名乗ることは許されない……裏切り者だ。この国どころか、人の国すべてから追放されるのだ。むろん追っ手もかかるだろう。誰にも助けられず、誰にも信用されることなく、荒野の端に虚しく骨を埋めるが良い」
異論を唱える者はおりませんでした。傍聴人もいない、ただ裁判官兼執行人、そして被告だけの裁判のようです。
固い表情と口調のディートリンデでしたが、ふとその表情を和らげました。
「……だが、ヴィクター並びにフレッドの今までの貢献を鑑みて、永久追放ではなく流刑とする。案内人も用意した。夜半を過ぎたら刑を執行する。それまでせいぜい、この国の空気を味わっておけ」
ちらり、と私に目を向けます。案内人とは私のことでしょう。それは私は構いませんけれど、やはりハンターが吸血鬼を使うのは違和感です。
……まあ、呪具に吸血鬼を使うこともあるようですし、そう言ったこと自体はそう珍しいものではないのかもしれません。
ただ、話を聞いていたフレッドはともかく、ヴィクターはたいそう驚いた様子でした。ヒューゴはそこまでハンターや吸血鬼に詳しくないのか、きょとんとしています。
ディートリンデは肩の力を抜いたようでした。数回頭を振って、どこか疲労をにじませる雰囲気を漂わせます。
「……ヴィクター。不肖の弟子の、せめてもの手向けだ。貴方がしたことは許せないが、恩もある。これでせいいっぱいだ……許してくれ」
「……いいや、ディーが正しい。わしはハンターとして許されざることをしたし、それを謝ることはできるが、心の底から後悔はできないんだ。ハンターどころか人間失格だな」
「ジジイ、自虐してる暇があったら、今後の身の振り方を考えとかねえとまずいぞ。何せ吸血鬼の国への追放だからな。死んだ方がマシかも知れねえ」
フレッドもちらりと私を見ましたが、私には何も言えません。
彼らはハンターではありますが、私が彼らを極夜の国に招き入れること自体は、問題ありません。招き入れた者が騒ぎを起こさなければ、吸血鬼の掟には触れないからです。人の流入については案外ゆるいので、私が責任を持てば何とかなります。既に人狼のビアンカも妖精のスーもおりますしね。
後は、ヴィクターとヒューゴ、そしてフレッドの判断に任せましょう。極夜の国に行きたくないのであれば、彼らをこっそり支援することくらいはできます。まあ……ハンターの追っ手と言うのは恐ろしいですけれど。
とにかくフレッドの視線にうなずいて応えます。今回はエリの時とは違い、何の準備もありませんので、何もかも調達せねばなりません。双子にも連絡を入れておかねばならないでしょう。
フレッドは私にうなずき返すと、ヴィクターの肩を叩いて、彼とヒューゴを椅子に座らせました。
そして彼自身も椅子を引っ張って来て座ると、何やら相談事をしているようです。聞かないほうが良いだろうと思い、私は彼らから離れました。
「極夜の国とはどんな場所だ?」
不意にディートリンデがそんなことを言いました。
フレッドたちが話しているのを横目に、壁に掛けられた対吸血鬼用の武器を眺めていたところです。レプリカでしょうけれど、見たこともないような形の刀剣類に、そして銃もあります。
彼女の言葉に、私は思わず口ごもりました。
「どんな場所、と言われましても……」
あの国に吸血鬼以外の者が潜入することは命がけですから、彼女ほども腕の立つ吸血鬼ハンターであっても、おいそれと近づいたり出来ないのでしょう。とはいえ、完全に無干渉という訳でもありませんから、おおよその噂や伝聞を伝え聞いているでしょう。
「たぶん、あなたのご想像どおりの場所ですよ」
「そんなことは聞いていない。貴様はどう感じているかを聞いている」
おや、と思いました。高圧的ではありますが、どこか真摯なその声に、その質問がディートリンデの関心を強く表しているのに気づきます。
彼女は何を知りたいのかと思いながら、私はアマデウス領を思い浮かべました。
アマデウス領は大陸の西の端にある辺境で、その境の大部分は海や川などの水で分断されています。
広大な土地で、人の国ともいちおう接してはいるのですが、その大部分は魔物の跋扈する荒野です。なので特殊なルートを辿らない限り交流は難しいですし、私がやったように荒野を横断する力技は、まず人では行えません。
それ以外は、他の領地とさほど変わらないでしょう。圧倒的多数の人間の領民と、ほんのわずかの吸血鬼の領民、そしてその中に貴族と呼ばれる吸血鬼がごく少数。
その他、魑魅魍魎もすこしはおりますが、それで全てです。
「……吸血鬼にとって住みやすい、良いところですよ。太陽は昇りませんが、替わりに月の美しい土地ですし、すくなくともアマデウス領は平和で物静かです。もっとも、余所はだいぶ騒がしいようですけれど」
「騒がしい場所とそうでない場所があるのか? 暢気な貴様のご領地は、さぞ長閑なのだろうな」
ディートリンデの言葉は、皮肉気な雰囲気を漂わせておりますが、嫌味には聞こえません。不思議ですね。
さて、アマデウス領は長閑だろうかと、私は領地を振り返ります。極夜の国の辺境にありますが、城とその城下町はかなり栄えています。大きな街も点在しておりますし、とても田舎とは申せません。まあ、吸血鬼のまったく住まない、少数村落もありますし、田舎町も多いのですけれど。
もっとも、領地の大部分が大森林や山地、大河や海といった大自然ですから、辺境と言う名は当てはまるでしょう。王都やその周辺と比べれば魔物も多いですし、そういったものに対処する専門の部隊も多いのです。
……実は私は、そういった軍事関係の最高責任者でもあるのですが、戦いに関しても無能ですし、采配のしようがありません。よってこちらも適任者を必死に探して、ほとんどの権利を投げ渡し、現場の判断に任せっぱなしです。問題が起これば対処するようにはしておりますが、まあ……それで上手くいっているようですので、大丈夫だとは思うのですが。
「長閑と言えば長閑ですが、開けた町もありますし、賑やかでもありますよ。魔物の害も少ないですし、人も吸血鬼も比較的仲良くやっておりますので、そこが大きいと思いますが」
「ほう? 仲良く、ね」
ディートリンデが鼻で笑います。彼女にとっては、吸血鬼が上に立つ仕組みである以上、仲良くだなんてとでも言えないのでしょう。うっかり失念しておりました。
吸血鬼らしくない、変わっていると言われる私ですが、何だかんだで結局は吸血鬼なのです。どうやら、そこは動かせないようです
「すみません。あなたの前で失言でしたね」
すると彼女はゆっくりと首を振り、何の感情もこもらない目で私を見ます。何でしょう。
「……いいや、そういう意味を込めた皮肉じゃない。仮に表面的にでさえ、そんなことが可能なのかと思っただけだ。人と吸血鬼の間にある溝は、そう浅いものではない」
「でしょうね。譲歩し続けなければ成り立たない関係など、なかなか続かないでしょう」
「貴様なら続けられる、と? 譲歩しているとでも言いたいのか」
「いいえ。むしろ何もしていませんから」
ディートリンデが首をかしげるので、私はごく簡単に私の領地での放任っぷりを話しました。
それくらいでしたらいくら話しても掟には触れませんが、やはり吸血鬼ハンターである彼女に詳細な話はできません。どんな落とし穴があるかわかりませんからね。
「……ほとんどを人に任せっきりで、何も出来ない無能な領主ですが、それでもあそこは安穏としています。無理強いをしたり力や権利でがんじがらめにしたり、環境で捩じ伏せたりせずとも、まあまあ平和にやってきたのです。支配者層が、比較的人に対して無害なカラスであることが大きいのでしょうけれど……どうしても譲れないことを強いることなく、それで何とかなる関係を構築できれば、それは長続きするでしょう?」
「……吸血鬼など皆変態だが、おまえはさらにその上を行くな」
「えっ」
思わず間の抜けた声が出てしまいました。私の話した内容はいかにも大雑把でしたが、それでも何とかなっているのだと、つましくも希望があるのではないかと、そう伝えたかっただけなのです。
それが変態の上をいくとは、一体どういう仕打ちでしょう。あまりに楽観的に過ぎ、適当過ぎて呆れられてしまったのでしょうか。
そう思ったのですが、ディートリンデは今まで見た中で、一番穏やかな表情を浮かべていました。
「貴様ほど人間臭い吸血鬼は、長くハンターをやっていてはじめてだ。実はただのヴァンパイアフィリアという訳ではないだろうな?」
「……これでもいちおう、れっきとした吸血鬼です」
「くくっ、いちおうか。まあ、元から暢気な男だったと言うだけだろう。吸血鬼など、どいつもこいつもどこかおかしいからな。そういう意味では、確かに吸血鬼らしいかもしれん」
「そうでしょうか」
……不思議な感覚です。よもや吸血鬼ハンター、しかもヘルシングの者と、こうして静かに相対しているなど、ふつう天地がひっくり返ってもあり得ないことでしょう。
とはいえ、ディートリンデの憂いは、ハンターとしての矜持より仲間たちの命をとった、ということに尽きるようです。冷酷無比であるハンターにあるまじき、人間らしい一面でしょう。
彼女は横目で話をするフレッドたちを見てから、私に視線を向けました。あり得ないことのようですが、それは吸血鬼に対するものというよりは、ひとりの人間に向けるもののように思えたのです。
「止むを得んとはいえ、あいつらを吸血鬼に任せるなど業腹だったが、貴様に頼んで正解だったようだな。我が恩師とそのお孫殿、あと脇の甘い人狼の坊やをどうか頼む。最初で最後の、ヘルシングからの頼みだ」
「……引き受けました。私としても、最初で最後にしていただきたいですね」
「違いない」
くつくつと、ディートリンデは堪え切れない笑い声をこぼしながら、彼らを振り返ります。
先ほど見た憂いは薄く、どこか穏やかになっていると思えました。
フレッドたちも、相談が終わったようです。立ち上がってこちらを見ると、ひとつうなずきました。
……どうやら、彼らは流刑を受け入れるようです。私も腹をくくりましょう。
「では、貴様たちは今夜午前零時以降、この国に居ることを許さん。これは各国のハンターギルドにも通達してある。発見されればどうなるか、わかっているな? せいぜい急いで亡命することだ」
ディートリンデは最後まで、力強い口調を崩しませんでした。
それでもその言葉には、どこか寂しげなものが含まれているように聞こえてなりませんでした。
「……せいぜい、悪鬼どもの国で長生きするがいい。達者で暮らせ」