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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
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28.恐ろしい人と出会ってしまいました。


 その鋭い榛色の目は鋭く、眼光はまるで鷹の目を彷彿とさせました。

 そこに立っていたのは、煌びやかな金髪を波打たせた、背の高い女性です。服装や雰囲気からして、彼女も吸血鬼ハンターでしょう。なかなか目立つ容貌をしており、体つきも豊満でかつ筋肉質でした。戦いの中に生きる者だとすぐわかります。

 先ほど聞こえた声のうちのひとりのようです。フレッドたちを一喝で黙らせていました。ふつうの人間のように見えますけれど、その雰囲気と言うか威圧感は凄まじいです。

 相当な手練れなのでしょう。フレッドも身構えながらも、どこか萎縮して見えました。


「なあ、そうだろう? 我々は裏切り者を許さない。掟破りには厳格な処罰を、吸血鬼には死を。それが吸血鬼ハンターだ。知っているだろう?」


 年齢不詳気味の美女で、そのハスキーな声には張りがあります。小麦色に焼けた肌はいかにも健康的で、きっと血も美味しいのだろうと、私は何故か暢気に思えたのでした。

 フレッドはぐっと手を握り締めて彼女を見ています。その目にあるのはどんな感情なのか、私には読み切れません。


「ディートリンデ。どういうことだ? ジジイはあの情報をもって、救命されたんだろうが」

「ただの建前だ。どうせハイエナどもに殺される。貴様とてそれを悟っているだろう? 知らない振りをしても現実は変わらんぞ」


 フレッドがぎりりと歯を食いしばっています。その琥珀の目が鋭く光り、腰を落として身構えました。いつでも飛び出せる体勢です。

 ……お爺さんたちは結局助からないのでしょうか。どうすれば助けられるでしょう。

 私が考えを巡らせる前に、ディートリンデと呼ばれた女性が私を見ました。思わず姿勢を正しそうになるほどの眼光です。


「やあ、お初にお目にかかる、で良いのかな? 私はディートリンデ・ヘルシング。由緒ある吸血鬼ハンターの一族の出で、ヴァンガードの末娘だ。現在はハンターギルドの遊撃隊を率いている。そこな人狼の口喧しい上司だ」


 その口調は軽く、どこか面白がって聞こえましたが、ひやりとしました。

 血がすっと落ちて行く冷たい感覚が背中を走ります。

 それは、ハンターから逃げ回り、目を逸らし続けて来た私でも聞いた覚えがある名です。


 ヘルシング家は吸血鬼ハンターたちの中でも、もっとも格式の高い一族だったはずです。代々優秀なハンターを輩出しては、多くの強力な吸血鬼たちを狩ることに成功し、名を上げています。とある王から、夜を安寧せしめた者として、名誉ある勲章を下賜されたとか。

 人狼族を押しのけて、当代髄一と呼ばれるその実力は生半可なものではあり得ません。吸血鬼にとってあまりにも有名な強敵です。

 ヴァンガードも聞いた覚えがあります。当主でありながら、吸血鬼の戦いの第一線に立つ猛者だとか。

 ……私程度の吸血鬼では、とても敵いっこありません。万事休すでしょうか。


 内心震え上がりながらも、挨拶を返さねばと、私は頭の隅で考え付くことができました。

 私はせいいっぱい平静を装い、嫌味に見えない程度に腰を折って、胸に手を当てて自己紹介しました。


「……お会いできて光栄です、ヘルシングの系統よ。私はアベル・アーサー・アマデウス。極夜の国アマデウス領の領主にして、深淵なるカラスの血統たるミラーカの系譜、その当代にあたります」


 何とかつっかえず、声が震えずに言えたので上等でしょう。

 正直、吸血鬼の口上などよく覚えていないので、合っているかも分かりません。まあ、格好がつけば良いのです。


 そう思って顔を上げたのですが、目に飛び込んで来たのはフレッドとディートリンデ、そのふたりの盛大に間の抜けた顔でした。

 ……これはすこし前にも、見た覚えがあります。エリたちと自己紹介した時がこれでした。

 こんなへたれた吸血鬼が爵位持ち、しかも領主だなんて考えもつかないのは、吸血鬼ハンターでさえも同じだったようです。


 耳に痛いほどの沈黙が落ちましたが、それを破ったのはディートリンデでした。


「――ふ、ふふっ」


 勇ましい口ぶりから一転、妙齢の女性がこぼすような、軽やかな笑い声が転がり出ました。

 彼女は耐えられないといったように、途中からお腹を抱えて大笑いしています。大きく口を開けて、その目元に涙さえ浮かんでおりました。


「あっはっはっはっはっはっ!! 領主だと? あんな子ども騙しの罠にひっかかる間抜けが、よりにもよって大貴族か! あはっははは!」

「お、おいちょっと待てよアベル!? アマデウス領って何だ、聞いてねえぞ!?」


 私のせいで吸血鬼の、特にカラスの血族の評価が大暴落しているようですが、仕方ありませんよね。

 間の抜けた話ではありますが、元からこんななのですからどうしようもないのです。取り繕うくらいは、もうすこし頑張った方が良いかもしれませんが。


 フレッドもどうやら、すっかり混乱しているようです。

 ……ああ、そういえば彼にも言っていなかった気がします。連絡先は教えていましたけれど、アマデウス城のアベル宛てではわからなかったのでしょうか。まあ、領主はふつうその姓か、吸血鬼としての名前で呼ばれているはずですから、アベルという名ではぴんと来なかったのかもしれません。


 仮にも吸血鬼ハンターがそれでいいのでしょうか。すこしばかり疑問です。

 私が唸っておりますと、ディートリンデはなおも笑い続けています。


「――っはっ、あははっ! ……きゅ、吸血鬼の、領主がこんな牢に閉じ込められて、人狼相手に相談事か? 今まで散々、凶悪な化け物どもを狩って来たが、こんな吸血鬼ははじめてだ!」

「はあ、そうですか。まあ、変わっているとはよく言われます」

「ふふっ……だが、吸血鬼の貴族、それも領主ともなれば、名のある大吸血鬼であるはず。おまえの名など知らなかったし、おまえ自身そう歳を食って見えないが、どういうことだ? 何故、貴様ごときがアマデウスを名乗る?」


 やっと笑い終えたディートリンデが、私に鋭い目を向けてきました。

 何故と言われても、身内の贔屓があったとしか言えません。


「領主の交代は、先代の死をもって決まります。戦って決まる場合が多いですけれど、私は元から指名されていたので」

「――ほう? おまえに何か、特殊な力でもあるのかな? 仮にも領地の名を冠する吸血鬼であれば、貴様とてただのへたれた吸血鬼ではあるまい」


 どきりとしましたが、答えずにおきます。血のことはしゃべれませんし、それ以外では彼女の言うとおり、ただのへたれた吸血鬼なのですから。

 順当にいけば、ヘレナとルーナのどちらかが領主となっていました。血統も私と同じですし、歳は彼女たちのほうが重ねております。吸血鬼の力は、私よりずっと強大でしょう。

 私の強みなど、弱点に強いという点だけです。


 ……ですが何故か、ミラーカも双子たちも、私を担ぎ出したのです。それはおそらく、私が真血だということが大きいのでしょうが、それほどたいそうなものには思えません。確かに弱点に強くなるのは便利だと思いましたし、吸血鬼に力を与えたり、薬にもなるとも最近知りました。もしかしたら他にも何か利点があるのでしょうか。


 ……とはいえ、ローラやクリス、たまに双子にまで血を欲しがられ、血を吸われたことがあるのです。

 おかげで貧血になりますし、吸血鬼に狙われるという危険がある以上、人の視点に近い考えさえ持てます。利点と比較しても、どっこいどっこいな気がいたしますが、どうなのでしょう。

 薬になることはかなり有用ですけれど、そのせいで吸血鬼ハンターにまで狙われるとなると、恐ろしいばかりです。


 吸血鬼にとって、真血とはどういった意味合いを持つのか、それを持つ私が一番よくわかっていないようです。

 まあとにかく、真血それのことは話せません。私はぐったりと頭を抱えました。


「私がへたれた弱い吸血鬼なのは認めますけれど、私が領主になったのは、そのほうが都合が良かっただけですよ。みんな領主をやりたがりませんでしたし」

「ほう?」


 ディートリンデが眉をあげて、私を観察しています。彼女に読心術がないことを祈るばかりです。

 とはいえ、言っていることに嘘はありません。みんなと言っても双子だけですが、彼女らが領主の地位に微塵も魅力を感じていないのは事実です。

 ミラーカも双子たちも、私にとても甘いという、ただそれだけなのです。


「……まあいい。吸血鬼の内情など、その心臓に杭を打ち込むのに関係のないことなど、興味はない。ただ……」


 ディートリンデは格子越しに、じろじろと私を見回します。鋭い眼で見つめられて、非常に緊張したしました。


「いくら軟弱なカラスとはいえ、吸血鬼がここまで温厚なのも珍しい。貴様、ほんとうに吸血鬼の領主……いや、れっきとした吸血鬼なのか?」

「ご覧のとおりですよ。なり損ないに見えますか?」

「いいや、見えん。ただ、内面はなり損ないのようにも思えるな。どうやら元人間だったようだが、貴様は吸血鬼としての精神が、人のまま変容していないのではないかとさえ思える」


 その言葉に、私は首をかしげました。

 吸血鬼の貴族になったと言うのに、中身が人の平民のままに近いのは事実だと思います。けれど、私は吸血鬼としての血と掟を受け入れていますし、人の命を最優先にすることもしていません。クリスに血を啜られた人間を幾人も見ましたが、助けたことなどないのですから。


 それをふつうの人の精神だと言えるのか、甚だ疑問です。

 そんな私の考えを見抜いたのか、ディートリンデは肩を竦めました。


「人が死んで吸血鬼として生まれ変わると、その体も心も変容するものだ。中には記憶をすっかり失う者さえいる。まあ、それも個々の程度が違うと言うだけか? ふむ、かなり珍しい事例だが……」

「お、おい、ディートリンデ。何暢気に無駄話をしてやがる。さっきの言葉は何なんだよ!?」


 たまりかねたように、フレッドが悲鳴のような声を上げました。扉の向こうを慮ってか、そう大きな声ではありませんでしたが、彼が必死なのが窺える声です。

 ディートリンデはフレッドに向き直ると、やれやれというように首を振って腕を掲げました。お手上げ、ということでしょうか?


「言った通りだ。我々は裏切り者を、掟破りを許さない。これは私どころか、ハイエナどもや教育員、それこそヴィクターにも、口を酸っぱくして言われただろう? 我らは咎人と吸血鬼の取引には応じない」

「なっ! ……だ、だが確かに血の出所と、その吸血鬼の情報を話せば、許してやると――」

「ただの世辞だよ。おためごかしだ。担がれたんだよ、フレッド」


 ディートリンデにひたと見つめられて、フレッドは小さく呻きながら、うなだれました。

 ……どうやら、お爺さんたちの命運は、とっくに決まっていたようです。

 その要因に、私が深く絡んでいるのが非常に心苦しいのです。どうしたら良いのでしょう。

 ディートリンデはふと顔を和らげて、わずかに微笑みさえ浮かべてフレッドに告げました。


「そして、それはおまえもだ、フレッド。おまえはかつて掟を破り、罪を犯した。二度目は無いと言ったな? 裁判をするまでもなく有罪なんだよ、おまえは」


 私ははっとフレッドを見ましたが、彼は薄々気づいていたのか、それとも覚悟していたのか、何の反応も見せません。

 いっそ慈悲深いとさえ言える笑みを浮かべて、ディートリンデが私を見ました。その目だけ、笑っていません。


「こいつはかつて、吸血鬼に堕ちた元仲間を見逃した。かつての友を殺すことができないなどと、戯言をほざいてね。おかげで、かけがえのない一族にまで死者が出た。人狼族の長老もおかんむりでね、宥めるのに苦労したよ」


 ディートリンデが腕白坊主を諌めるかのように、あまりにも軽くその話をするのです。


「吸血鬼になりさがった者など、それは仲間ではない。知己ですらない。おまえの知っていたものはもういないのだ、それが何故わからない?」


 フレッドは無言で、ただゆっくりと両手で顔を覆います。その表情が見えません。


「だというのに、すすんで吸血鬼になろうだなどとふざけたことを抜かす者を、お前は見逃すどころか支援した。子どもとはいえ、ハンターの教えを受けたヒューゴは、それを重々理解していたはずだ。ヴィクターはほまれあるハンターの屋敷に吸血鬼などを呼び込んで、施しさえ受けた。……何様だ? おまえたちに、人の尊厳を左右する権利などない!」


 その一喝は大きく、冷たい地下の壁に良く響きました。

 フレッドは微動だにしませんし、それは私も同じでした。ディートリンデの言っていることはもっともでしょう。吸血鬼がひとりでも増えたら、人の尊厳が損なわれるのは事実です。

 ですが、彼女の言葉には完全にはうなずけません。気づいた時には、私は口を開いていました。


「その人の尊厳は、その人自身にしか左右できませんよ、ヘルシング」


 ディートリンデは再び私を見ました。そこには、いかなる感情も見えません。

 彼女に説教など出来ようはずもありませんが、こうなったら自棄です。言いたいことを言ってやりましょう。


「私もかつて、それを捨てた者です。人でなくなったことに絶望しながらも、その生を手放せなかった。結局こうしておめおめと生き延びて、生き恥を晒しているのでしょう」


 生き恥を晒すこと自体を、完全に否定することはできないと、私は思います。

 というか、自分だけは否定してはならないでしょう。他の誰もがそれを認めなくても、最低限自分だけでも認めてやらなければ、きっと生きていられません。辛くても苦しくても、いつかきっとそれを乗り越えると決めているのであれば、それはむしろ尊重さえできるのではないでしょうか。


 ベッドで深い眠りに落ちていた、あのか細い姿が思い浮かびました。

 ……諦めて死を受け入れた私のような者はともかく、必死に生きたいと望んだお孫さんのような子どもを、私は否定できないのです。


「……それを丸ごと呑み込んでこそ、人だと思います。人の生に縋るのも、吸血鬼に堕ちるのも、その人次第です。死を受け入れることも、吸血鬼になってでも必死に生きることも、どちらも人の尊厳ではないでしょうか。それを他人が指図できるはずがありません」


 お孫さんには、まだ真正面から会ってさえいません。その苦吟は想像することしかできません。

 ですが、彼の判断を部外者がどうのこうのは言えないはずです。結果を受け入れるのは彼で、後悔したとしても、その報いは全て彼が受け止めるのです。もちろん、ディートリンデがそれを止めることも自由ですが、その決断を切って捨てて貶めることができるのは、本人だけです。


 次いで、私の脳裏にはエリの顔が浮かびました。

 吸血鬼になることを恐れる彼女が、それでも吸血鬼である私と共に居ることを選んでくれた、あの喜びが胸に迫ります。

 彼女には、未だに多くの葛藤があるはずです。それでも自分の足で踏みだした彼女を、誰も止めることはできません。元婚約者という赤の他人はもちろん、父親だって子どもの人生を、丸ごと自分のものにはできないはずです。


「……その結果もたらされることは、自ら受け止めなければならないでしょうけれど。ですが、選択は自由です。天の高みからだろうとゴミ山の上からだろうと、そこから下で足掻く人を見下ろして貶すことを、私は尊厳とは呼べません」


 エリの元婚約者や父親のように、彼女を見下して否定して、その尊厳を踏みにじることはできません。

 あんな連中のようにだけはなりたくないのです。


「ヘルシングの矜持も尊厳も、しがない吸血鬼の私でさえ尊重できます。あなた方がそれをできないのなら、私が彼らを守るだけです」


 私に出来ることと言ったら、せいぜいエリたちやお孫さんたちを応援するくらいです。

 みんな誰に頼らずとも、自ら決めて生きて行く強さがあります。私のようなへたれではないのです。

 私こそみんなから、そんな強さを貰っているのかもしれません。


 ディートリンデは無表情のまま、つと一歩格子に近付きました。そのたった一歩で、空気ごと気圧されそうになります。

 威圧感が半端ない女性です。さすがはヘルシングと言ったところでしょうか。


「ほう? 吸血鬼の分際で、この私に説教か? 貴様、よほど杭がお望みと見えるな」

「いいえ。むしろ自分に向けた説教ですね。ヘルシングが何を言おうと、私が何をしようと、人の心は動かせませんし。私に出来ることを再確認して、宣言しただけです」


 それを聞いて拍子抜けしたように、ディートリンデが眉を持ちあげました。

 ふと、威圧感がやや薄らいだようです。

 ……私のような者が、人にあれこれ言えるはずもないのですけれど、つい口が出てしまいました。

 支離滅裂でしたが、どうやらディートリンデにとっては、その言葉に琴線に触れるものが含まれていたようです。


 それが何かはわかりませんが、私はエリと、お孫さんのことを強く思いました。

 かつて生を諦めた私ですが、諦めることはむしろ、吸血鬼になってからも数多くありました。出来ることがぐんと増えても、何かを実際にやり遂げたことは、そう増えていないのです。

 吸血鬼になっても貴族であっても、死にかけの貧民であった時のように、私は何も出来ておりません。

 なので、せめて私を頼る人くらい、助けてやりたいと思うのです。



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