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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
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26.捕まってしまいました。



 その屋敷は町の郊外にあります。小さな林を抜けた先に、今はすっかり寂れてしまっていますが、だいぶ広く立派な建物がありました。

 私がその庭に降り立った時、ふと何かの気配を感じました。何だろうと思って辺りを探りましたが、よくわかりません。

 吸血鬼ハンターの家ですから、何か吸血鬼に反応する仕組みなどがあるのかもしれません。お爺さんが迎撃に飛び出して来るのかもしれないと身構えましたけれど、辺りは静まり返るばかりです。


 吸血鬼ですから、顔見知りとはいえさすがに玄関から訪ねる訳には参りません。

 お孫さんが元気にしていればそれで十分ですから、こっそりと以前案内された離れへ回ります。時刻も夜半を回っていますから明かりもありませんが、以前すこしだけ見ていますから、お孫さんをひと目見れば、治ったかどうかくらいはわかるでしょう。


 ですが、私はその窓を見た時に、ぎょっとして立ち尽くしてしまいました。

 ……室内が荒らされております。


 以前お孫さんが寝ていた部屋の中は、嵐にでも遭ったかのように荒れ果てておりました。

 棚や机は放り出され、自らの残骸や本や壊れた家具が重なり合っております。ベッドもぐちゃぐちゃに乱され、人の気配はありません。

 これは、尋常なことではないでしょう。物盗りには見えません。強盗にしたって、いくらなんでも荒らし過ぎです。


 私は慌てて、辺りの気配を探りました。お爺さんとお孫さんには一度会ったきりですが、近くに居ればその気配だと知ることができるでしょう。

 近くには何の気配も感じませんでした。見た感じだと、荒らされたのはつい最近のようですが、つい今さっきという訳でもないように見えます。

 一体、何があったのでしょう。そう考えた時、私はずきりと胸が痛むのを感じました。


 ……彼らは吸血鬼ハンターの一族で、私は吸血鬼です。

 私が関わった直後に彼らの屋敷が荒らされたという事実から察すれば、もしかしたら彼らはハンター仲間に襲われたのかもしれません。

 ハンターの掟は知りませんが、彼らが私に関わる時の覚悟したような顔からすれば、恐らく吸血鬼の掟にも劣らない、恐ろしい罰則が待っていたことでしょう。

 ですから、私は極力お爺さんのことは知ろうとはしませんでしたし、接触は最低限に抑えたつもりでした。それが甘かったということでしょうか。


 私は荒らされた部屋を探って、何か痕跡がないか調べました。

 宿敵である吸血鬼に襲われたのであれば、たぶんそれとわかります。相手に噛みついて主導権を握るのが吸血鬼の戦い方ですから、わずかでも血が流れた痕跡があるはずです。ですが、この場にはほとんど血の臭いがいたしません。

 それに、お爺さんは吸血鬼ハンターです。吸血鬼相手に一方的にやられるとは思えません。お孫さんを人質に取られたらわかりませんが、吸血鬼が暴れたにしてはこの室内はようすが変です。


 吸血鬼の脅威は魔力もさることながら、一番はその怪力でしょう。軽く腕を振っただけで大岩を粉々にし、大型の金庫も本のページをめくるように軽くこじ開けることができます。どんなにか弱く見えるご令嬢でも、吸血鬼であればどんな筋骨隆々の男、いえ、熊や崔などの力強い獣にも軽く勝てるのです。

 

 その怪力を想像すると、この室内の破壊痕はパワーが圧倒的に足りていません。壊れ方も半端ですし、粉砕されたものもないのです。やはり、吸血鬼の仕業ではないでしょう。

 強盗や吸血鬼ではないとすると、やはりハンター仲間からの粛清かもしれません。

 吸血鬼と取引した人間を、彼らはきっと許さないでしょう。


 私が関わったばかりに、お爺さんとお孫さんの安否がわからなくなりました。

 フレッドに合わせる顔もありません。


 私が愕然とし、それから恐ろしさに吐き気さえ覚え、どうすべきなのか混乱しておりますと、ふと何か意識に触るものがありました。

 先ほども庭で感じ取りました。一体何だろうと思った瞬間に、私は激しい眩暈に見舞われたのです。




  立っていることすらままならない、猛烈な眩暈です。

 貧血で倒れた時にも似ていますが、それよりもずっと嫌な具合です。何か、妙な気配がします。

 ……これは、ただの眩暈ではありません。


 気づいた時には、私は屈み込んでおりました。

 必死で辺りを探ると、壊れた家具の下に何かあるのがわかります。私は上の瓦礫を跳ね飛ばして、それを見つけました。

 六芒星の紋様が刻まれた水晶です。

 これが何か、と思いましたけれど、恐らくは術具でしょう。強い魔力を感じます。

 私は必死でそれを摘まみあげて砕きました。あと数個あるようですが、ひとつ壊しただけでふと体が軽くなります。眩暈も消えましたが、まだ上手くは動けそうにありません。

 その時に、室内に忽然と気配が湧きあがったのを感じ取ったのです。


「喰らえっ!!」


 避ける間もありません。おぼつかない足で立ち上がるのが精いっぱいだった私は、それをまともに浴びてしまいました。液体のようです。

 吸血鬼に浴びせかけるものといえば、聖水でしょう。私にはそれは効きません。

 私はさっと水を跳ね飛ばして逃げ出そうとして……それが敵わないことに気づきました。

 体が動きません。


 まるで凍りついたかのように、ほんの指先でさえ動かせないのです。

 私は混乱の中で、浴びせられた液体が聖水ではないことに気づきました。それよりもずっと、禍々しいものです。胸の悪くなるような、不快な悪臭が鼻を突きます。


 それが何なのか、私ははっきりと考えることができませんでした。

 駆け寄った何者かが私の側に立つ、その気配を感じ取ったのを最後に、私は意識を失いました。




 ……ぴちょん、と水音が反響するのを聞きとって、私は意識が浮上したのがわかりました。

 一瞬、状況がわかりませんでしたが、次の一瞬でそれまでのことを思い出します。

 お爺さんの屋敷へ向かい、部屋が荒らされているのを発見し、罠を張られ、そして何者かに悪臭のする液体を浴びせられたはずです。そこで意識は途切れました。

 ……何者かは、恐らくは吸血鬼ハンターでしょう。強盗の類が吸血鬼対策をしているとは思えません。

 私はハンターに待ち伏せられ、襲われたのでしょう。


 私は自身がどうなったのか確かめようとしましたが、それも敵いませんでした。

 体はほんの少しも動かせません。全身が非常にだるく、そもそも力も入りません。喉は渇いておりませんので、それで力が出ないのではなく、どうやら呪術で力を抑え込まれているようです。

 酷い痛みなどはありませんので、恐らく怪我などはしていないはずです。

 浴びせられた液体は何かわかりませんが、そのせいでしょうか。ひどい悪臭は残ってはおりませんが、他に何かの術を施されたのでしょうか。


 六芒星のメダルといい液体といい、吸血鬼ハンターの術具について、私はよく知りません。

 とにかく、状況を把握して逃げ出さないと、と考えていると、存外に近い場所から声が響きました。


「……こいつで間違いないな?」

「ああ」


 思わず反応しそうになりましたが、体が動かしにくいせいもあって、動くことはありませんでした。

 驚いたのは声が近かったせいもありますが、短く答えた声に聞き覚えがあったからです。

 フレッドの声です。


「……なあ、マジで吸血鬼の血なんかが薬になるのかよ? 何か感染しそうだし、きったねえ」

「知るか。そいつが言ってたんだ」

「だが、あのガキはほんとうに完治していた。医者も匙を投げたってのに、たった数日でだぞ?」

「少なくとも人のわざではあるまい。神か悪魔の仕業だろう」

「吸血鬼が人の益になるのかねえ。ま、損にならなけりゃ何でもいいか」


 フレッドの声はわかりましたが、他は知らない者のようでした。

 粗野な声がそろっておりましたが、中には女性のものもあります。比較的若い男性のものと、老獪そうな落ち着いた声もあります。恐らくは最低でも五人、人がいるようです。

 私は目を開くこともできませんでしたが、声の主が何者なのかを、必死で探りました。


 まあ、十中八九……ほぼ吸血鬼ハンターでしょう。フレッドといるのですし、人狼も含まれているかもしれません。

 これはかなり、絶体絶命です。私の命がまだあるのが不思議なくらいです。


「……だが、こいつはカラスだろう? ここまで金のかかる道具を使うこともなかったんじゃねえか? もったいねえ」

「知るか。だがそいつは吸血鬼の弱点に耐性がある。例の術具以外は効かなかっただろ?」

「確かに。情報通りに若い吸血鬼であれば、瞬きひとつできなくなる代物だ。なのに、多少は効いてたようだが、平然と動いてやがった。それだけでも脅威だ、手を抜くことなどあり得ない。金を惜しんで命を散らすか?」

「……つったって、カラスだろ? 力だってそう強くねえし、力づくでも……」

「馬鹿者。カラスは吸血鬼の中では弱いが、それでもそいつがすこしでも本気になれば、お前の首など簡単に捩じ切られるぞ」


 会話は続いておりますが、彼らが何をしようとしているのか、目的は知れません。

 ただ、フレッドの声も含めて考えますと、どうやら私は彼に売られてしまったようです。

 ……悲しいことですが、悔しくはありません。

 何故なら彼は人狼で、吸血鬼ハンターです。吸血鬼に対して裏切るという行為はあり得ません。

 そもそもが、元から敵なのですから。


 こうして私を罠にはめることも、十分にあり得ることと呑み込んで、私は彼と腐れ縁をやっていた訳です。

 それを裏切りとは捉えられないでしょう。むしろ、吸血鬼を見逃し、放置していたことのほうが、罪になるのですから。

 ハンターが吸血鬼と付き合いがあることが仲間にばれれば、彼のほうが粛清されるような危険だってあったはずです。それをお互いに呑み込んで、それなりに楽しくやって来ました。悔いはありません。

 とはいえ、この状況はまずいです。何故かまだ私は生きていますが、吸血鬼ハンターが吸血鬼を生かしておくことはあり得ないでしょう。


 彼らの会話からは、ハンターたち何を考えて私を罠にはめ、そして今がどんな状況なのかがわかりませんでした。

 私を捕えたかったようですけれど、吸血鬼を捕まえてどうしようと言うのでしょう。

 生かしておいても害しかありませんし、人に戻すこともできないのですから、殺す他ないはずです。


「……しっかし、いくら孫可愛さとはいえ、ヴィクターが掟破りとはなあ」

「あの爺さんも耄碌しちまったんだろう。哀れなことだが、嘆かわしい」

「……ジジイを悪く言うんじゃねえ。殺されてえか?」

「はっ、何をほざく。てめえだって掟破りだろうが。こうして馬鹿な獲物が綺麗に罠にはまってくれたから、かろうじて許されてるだけだ。半端者がいきがるんじゃねえっての」

「――何だと!? もういっぺん言ってみろ!」

「黙れふたりとも! あんまり騒ぐなら私が相手をするぞ!」


 鋭い女性の声の一喝で、場は一瞬静まりました。

 どうやら、吸血鬼ハンター仲間たちの間でも、何やら温度差があるようです。

 女性の声の主が一番偉いのでしょうか。


「……とにかくだ。ヴィクターを助けたかったら、せいぜい働け。見張りは任せる」

「へいへい。とっとと失せろ」

「チッ」

「……フレッド。変な気は起こすなよ」


 足音が響き、扉の開閉する音が聞こえました。どうやらほとんどの者が出て行ったようです。

 そうするとここは屋内でしょうか。牢屋のような場所に閉じ込められているとしたら、ハンターたちの術具のような呪が施されているでしょうし、厄介かもしれません。


 と、その時、頭の中でぱきんと何かが砕けるような音がしました。

 ふ、と何か力を抑え込んでいた重圧のようなものが消えます。


 おやと思った時には、どうやら体が動かせそうなことに気づきました。

 魔法も……たぶん、使えるでしょう。

 私はそろりと目を開けます。

 暗い石の床に壁、そして鉄格子。エリたちが閉じ込められていた地下牢と似たような場所に、私は放り込まれていることに気づきました。床にぐったりと横になっていたようですが、拘束はされていません。


 そっと視線をやると、格子の向こうに粗末な木のテーブルと椅子。燭台があって、そこに炎がちろちろと揺れています。そのさらに向こうには、同じく石の壁に木の扉が見えました。話し声の主たちは、そちらに行ったのでしょうか。

 牢の中はさほどでもありませんが、その向こうはだいぶ広いです。

 重苦しい雰囲気ですし、とっさに気脈を探ると、どうやらここは地下のようでした。


「……よぉ。お目覚めかよ?」


 格子に影が差し、何だか疲れた声がかけられました。フレッドです。

 彼は疲れた声そのままの表情で、私を琥珀色の瞳で見下ろしていました。



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