25.ようすを見に行きます。
クリスには、エリを迎えに行った時の顛末を大まかに記し、その時出会った吸血鬼ハンターのことを出来るだけ詳細に書いた手紙を返信しました。
ヘビの血族は、クリス自身も含めて、吸血鬼ハンターに執拗に狙われています。
それは人への脅威が大き過ぎる為ですが、力も強大ですので、クリスくらいの大吸血鬼ともなれば、それらを笑っていなすことができます。
極夜の国であれば、ハンターはそう簡単にやって来ることも出て行くこともできません。この国の外へ出なければ、そう吸血鬼ハンターに狩られる心配はありません。
それでも、クリスは油断して脇が甘くなるような、生易しい相手ではありません。
そもそも吸血鬼は狡猾ですし、並大抵のことでは、人はそれに相対することすら敵わないのですから。
……自分があまりにも抜けておりますので、それをうっかり忘れてしまう私です。
強大な力に奢り、傲慢である吸血鬼は、ふつう私のように尻尾を巻いて逃げることを屈辱と感じます。
あらゆる手段を使っても、敵を叩き潰すのが吸血鬼なのです。もっとも、それは吸血鬼ハンターも同じのようですが。
矜持を持つ者同士、表面は穏やかでも、水面下では熾烈な戦いが繰り広げられているのです。
……私は矜持などという立派なものは持ち合わせておりませんので、みっともなく逃げ回り、こそこそと生きるだけです。
とはいえ、吸血鬼仲間にそっけなくはできませんし、無駄に人と争うつもりもありません。
要請があれば、それが人であれ吸血鬼であれ、できる範囲で応えるだけです。
クリスは今、吸血鬼ハンターに狙われているのでしょうか。それともやはり、エリたちのことでしょうか。
思い悩んでおりますと、執務室の扉をノックする者がおります。
図書室から借りて来た吸血鬼ハンター年鑑を眺めながら、私は返事をしました。
「どうぞ」
「……失礼いたします。晩餐の用意が整いました」
「はい、わかりました。すぐに行きます……って、イザベラですか?」
ふつうに返事をしてからはじめて、その声が双子のものでないことに気づき、私は驚いて顔をあげました。
イザベラは黒を基調とした侍女服に身を包んでおります。袖が風船のように膨らんだバルーンスリーブの白いシャツに、ふわりと長い黒いスカート。エプロンもきちっと着込んで、長い栗色の髪もホワイトブリムで留めています。どこからどう見ても侍女かメイドさんです。
城の行政区には、行政官たちの世話をする侍女たちも詰めていたはずですけれど、吸血鬼である私たちが済む居住区には、そういった人たちはおりません。身の回りのことは全て自分で出来ますし、双子たちだってそうです。
もっと城で人を使って雇用を生み出せ、という苦情も上がってはおりましたが、上流階級的な暮らしに慣れませんので、はっきりと返答せずにいたのです。
ともかく、目の前のイザベラです。いきなり侍女姿で現れるなんて、どういうことでしょう。
目を白黒させていたであろう私に、彼女はにっこりと笑いかけました。
「はい、アベル様。いつまでもお客様身分というのも慣れませんので、ヘレナ様とルーナ様にお願いして、ひとまず城の内々のことについて、働きながら学ぶことにいたしました」
「いえ、お気になさらずとあれほど……まあ、確かに好きにしてくださいとも言いましたが」
すこしばかり困惑して眉を下げますと、イザベラはころころと笑って口を押さえました。
「はい、好きにいたします。これは、お嬢様や兄たちと、城下町を巡って決めたことです。ここは恐ろしい土地ではないし、ご領主は良い吸血鬼だとわかりましたので」
私が首をかしげますと、イザベラはなおもおかしそうに笑います。
「城の中で会う人も、外の人も、みんなアベル様のことを悪く言う人はいませんでしたよ。仕事もせずにほっつき歩いて仕方のない人だと、そればかり。扱き下ろされているようでも、そこに信頼があるのが見て取れました」
……私のどこを見れば、信頼などという言葉が出てくるのでしょうか。甚だしく疑問です。
ですが、イザベラはそれを見て取ったように、大きくうなずくのです。
「前のご領主たちは、それほど人に関心を持たなかったとか。そんな中でアベル様は、人の暮らしを豊かにするよう、人が自分たちで自分たちのことを決められるように、尽力してくださったとか。行政官たちは特に感謝しておりましたよ。ですからきっと、ここでもあたしたちは上手くやっていけるって思ったんです」
何でしょう、その過大評価! こっ恥ずかしいでは済まないのですけれど!
人を豊かにするのは吸血鬼として間違っておりませんし、人について人任せなのも、私が仕事を放り出してほっつき歩きたかったが為です。それを褒められると罰が当たるので、是非とも止してほしいです。
……ですがまあ、それで彼女たちがここに留まっても良いと思ってくれるなら、誤解は解かないほうが良いかもしれません。良心は疼きますけれど。
私の内心の葛藤をよそに、イザベラはにこやかに一礼しました。
「兄や祖母も私と同様に、働きながら身の振り方について考えると言っていました。よろしくお願いいたしますね、アベル様」
「……そうですか。働きたいのでしたら、それも良いでしょうね。みなさんの望みのとおりにいたしましょう」
双子も私が反対しないだろうと、彼女たちの好きにさせてくれたのでしょう。
とにかく、午前の重い話にも負けずに、彼女たちはもうしばらくこの地にいてくれるようです。それにほっとしつつも、恐る恐る、私はイザベラを窺いました。
「……あの、ところで、エリは……?」
イザベラの言葉には、エリのことが含まれておりませんでした。昨日や先ほどのようすから、そう悪くない感触を覚えていたのですが、どうなるかはエリ次第です。
イザベラは私を安心させるかのように、微笑みながら大きくうなずきます。
「はい。エリーゼお嬢様も、ここで勉学に励みたいとおっしゃっておられました。今までまともに学ぶことも働くことも出来なかったので、まずは足を引っ張らないように知識を身に付けるのだと張り切って、ヘレナ様が手配してくださったご教師と、さきほど面談しておりました」
「……そうでしたか」
私はほっと、大きく息をつきました。
やはり吸血鬼なんて、と三行半を突きつけられるかもしれない、そうどこかで怯えていた私です。これでもうしばらくは、彼女と一緒に居られるでしょう。
詳しくは、晩餐の席で聞いてみましょうか。
イザベラに着替えを勧めてから、私もさっと書類をまとめて、だいぶ軽くなった気持ちで食堂に赴いたのでした。
エリはまず、こちらの世間の常識を身に付け、勉学に励むのだとはりきっております。
イザベラはエリ付きの侍女、ヨハンもその従僕、マリアはエリたちと、私たち吸血鬼の私生活の世話のまとめ役です。それでもしばらくはお客様扱いですから、食事などはその待遇でとる形にしました。
彼らを迎えるための晩餐会も企画します。フィリップも、これで城が多少は活気づくと大乗り気です。
「晩餐会もですが、月に一度の夜会もよろしいですね。行政員はもちろん、城に出入りする者たちも喜びますよ。閣下は私生活があまりにも質素過ぎなのです! 予算も余りまくっておりますし、それに、雇用を生んでくださらない上役は悪い上役なのです!」
白いひげを蓄えた、渋い中年男性であるフィリップが、ぐっと腕を構えて身を乗り出しております。
魅力溢れる人ですが、どうも所作がすこしばかり大げさです。そこが面白いのですけれどね。
彼が行政区のトップである、行政長官のフィリップです。トーマスとジェシカの上司でもありますし、私の不在時、双子と並んで懸命に仕事をこなしてくれた有能な人物です。頭があがりません。
「そ、そうですね、すみませんでした。これからはちゃんと働きますので、お手柔らかにお願いします」
思わず私が頭を下げますと、彼は愉快そうに笑いました。気持ちの良い人物です。
「なんの、閣下が大らかであればこそ、その下の者ものびのびとしていたのは事実ですから。まあ、正規の仕事もちゃんとしてくださるようになれば、さらにありがたいと、そういうことです。それに職場が活気づけば、仕事も捗りますしね。エリーゼ様方には感謝の念に堪えません」
「ええと、そうですね」
そこには心の底から同意します。領主の地位や城のことは、正直性に合わないのですが、彼女が居れば全く気になりません。
エリもそうですし、マリアとヨハン、イザベラといった人たちが増え、俄かに城が明るくなりました。双子たちも表面上はいつも通りですが、どこか楽しげです。
ビアンカにもエリたちは慣れてくれたようで、しゃべれない彼女を相手に和気藹々と騒いでおりました。特に問題も起こらないようで何よりです。
「では、エリーゼ様方を歓迎する晩餐会はこのように。準備に取り掛かります」
「よろしくお願いします。行政区のみなさんの労いの意もありますから、どうぞ豪勢にしてください」
「賜りました、閣下」
にっこりと笑って、フィリップが執務室を退室して行きました。それを見送って、私はこれまでを振り返ります。
……私はあまりにも、この城に住む者を蔑ろにしていたようです。
最近になってようやく、やっとそのことに気づきました。これは猛省せねばなりません。
とにかく、ことごとくあった不安要素が薄れて、私はとても安堵いたしました。
なればこそ、私はあのことが気になっておりました。
忘れていた訳ではありませんが、吸血鬼ハンターのお爺さんとお孫さんのことです。
フレッドに薬を渡してそれきりでしたが、一度こっそりお見舞いに行こうとは考えていたのです。エリの迎えにてんやわんやしていたのは事実ですが、つい後回しになっておりました。
月下薬は万病に効果がありますが、必ず完治させるものとは限りません。遺伝と血の病気であれば効果は絶大と思われますが、結果をきちんと見届けておりませんでした。
とはいえ、彼らとこっそり連絡する手段を、私は持ちません。
フレッドとは腐れ縁ですが、人の国をあちこちうろついていた私が偶発的に遭遇するばかりで、フレッド側の連絡先は知らないのです。住居を構えているようすはありませんでしたし、フレッドも教えてくれませんでした。フレッドからの便りも、この間がはじめてなくらいです。
私が領地に引っ込んでしまった以上、これからはそう会うこともないでしょう。それを思うと寂しいですし、一度ちゃんと挨拶しておきたいところです。
お爺さんとお孫さんは、屋敷の場所は知っておりますので、こっそりと見るだけにいたしましょう。
フレッドには、お爺さん経由で連絡してもらいましょうか。これからはそうしょっちゅうは抜け出せませんので、そのほうが早いと思われます。フレッドがまた連絡をくれるかはわかりませんし。
ですので、私はせっせと仕事に取り組みました。真面目にやります宣言の後に、また仕事を抜け出す訳ですから、きちんと申請して仕事を片づけておかねばなりません。
その間にも、エリたちは随分城に馴染んでいったようでした。
ヨハンなどは黒い一角獣の世話に夢中で、いつか自分も持つのだと張り切っております。イザベラはすっかり双子と仲良くなり、よく一緒に居るのを見かけます。マリアは城の内々のことどころか、行政区の侍女や従僕たちまでまとめ上げ、きりきりと働いているようです。フィリップもその手腕を褒めておりましたから、相当でしょう。彼女のために、良い葡萄酒を仕入れるよう指示しておきましょうか。
エリは教師相手に奮闘しているようです。読み書きはある程度下地ができていたので、他にも計算や倫理、社会などの学門にも手を伸ばしているようです。
たまにそのストレス発散と称して、散歩に出かけたりします。私もこっそり仕事を抜け出してお付き合いします。
彼女は馬に乗る練習もはじめましたけれど、やはり今までまともに動くこともできなかったためか、なかなかに苦戦しておりました。
それならばと、私と一緒に乗ろうと誘ったのですが、真っ赤になって断られてしまいました。相乗りには恥ずかしさもあるようですが、とにかく自力で乗れるようになりたかったようです。
それが微笑ましかったので、私も応援しておりました。すこしずつ、エリはやりたいことに近付いているようです。
晩餐会という名の歓迎会も近付いております。
仕事も多少は慣れたのか、はたまたトーマスやジェシカたちが手加減してくれたのか、落ち着いてきました。
すっきりと晩餐会を迎える為に、一度お爺さんの屋敷へ向かいます。
私はいつものように、双子とビアンカ、そして今はエリたちにその旨を伝えて出立しました。
「では、またよろしくお願いします。今回はすぐ戻りますので」
「いってらっしゃいませ、旦那様」
双子に習うように、ヨハンとイザベラ、そしてマリアも頭を下げて見送ってくれます。双子たちだけの見送りでも気が引き締められる思いでしたが、人数も増え貫録も増え、なかなか迫力のある見送りとなりました。
エリははじめはおずおずとしておりましたが、性に合わないのか、大きく息をついてから胸を張ります。
「……うん、気をつけて行ってらっしゃい、アベル。早く帰って来るのよ」
「はい、行ってきます」
別れの挨拶として口付けのひとつも落としたいですけれど、他の目がある場所ですとエリが怒ってしまいますし、仕方ありません。
寄り道はぜずに早く行って早く戻ろうと、私は月夜に羽ばたいたのでした。




