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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
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23.血は甘いもののようです。


「この極夜の国では、吸血鬼が絶対的支配者です。それに背いても構いませんが、もちろん罰せられますし、場合によっては吸血鬼たちによって粛清されてしまうことさえあります」


 ごくり、とヨハンが唾を呑みこんで、思わずと言った風にフォークを置きました。

 他の三人も同様で、緊張した佇まいです。私は困ったようにそれに笑いかけました。


「ですが、みなさんは私の保護下にありますので、他の吸血鬼に無体を働かれることはありません。そういう吸血鬼が居ても、まず私のところに来ますからね。みなさんについては私がきちんと責任を持ちますので、安心してください」


 そう前置きして、私はわかりやすく話しました。

 この地では、人は基本自由に移動できないこと。外から人や物が流入することがあっても、逆はほとんどないこと。

 領主である私の保護下にあるエリたちにはまず頼まれませんが、吸血鬼から血を要請されたら人はそれを断れないこと。血を提供した場合は一ヶ月間はそれを断れること。

 エリたちの身分は用意してありますし、領主の身内であるとされれば、かなり融通を利かせることができます。アマデウス領に編入した人としての扱いですが、エリたちから辞退しない限り、彼女たちは私の保護下にあるとします。


「領主の紋章入りの、この証を持っていれば、お金がなくても買い物もできますよ。公共機関も良待遇で利用できますし。請求はあとでこちらに来ますので、気にしないでください」


 私は指先ほどの、小さな青い板を手に乗せました。真ん中にアマデウス領の紋章が入っています。ブルーダイヤを板にして魔法で紋を刻んだもので、首飾りや腕輪などに付けておけば問題ないでしょう。それも用意しておきませんと。

 みんなが物珍しそうに見ているので、私はそれを先に配ることとしました。それぞれがじっとそれを見つめたり、おそるおそる触ってみたりしています。


「これって魔法の品なのよね、すっごく綺麗」

「……ダイヤってすっげえ高い宝石だろ? それをぽんと使うってどんだけだよ」

「なかなか洒落てるじゃないかい。アクセサリーにしちまおうかね」


 興味津々のようですが、それについても簡単に説明します。そう見せびらかしてもらっても困りますけれど、まあぶっちゃけ、私の名を出せば、どんなことでもアマデウス領内であれば何とかなります。

 それを伝えると、三人は呆れたような顔になりました。


「とんでもねえな、アベルさん。あ、いや、アベル様」

「え、えっと、お心遣い、感謝します」

「ふぇふぇふぇ、エリーゼのおまけのあたしたちにもこんなにしてくれて、悪いねえ」


 マリアは相変わらずですが、ヨハンとイザベラの私を見る目がだいぶ変わったようです。ふだん通りで構わないのですけれどね。

 まあ、吸血鬼ハンターから逃げ回ってばかりの、撃たれて怪我をしたところですとか、情けない姿をだいぶ見られてしまっていますから、これでも良くてとんとんでしょう。


「とにかく、アマデウス領内であれば、困ることはありません。私の権限が届く範囲内であれば何をしても構いませんが、問題はその外側です」


 私はじっくりとエリたちを見回しました。みんながこちらに注目したのを見てから、再び口を開きます。


「この地に住む人は、他の領地への移動を基本認められていません。みなさんが他の領地が良いと言えば、私が許可を出します。けれど、戻りたいと思っっても私の権限ではどうしようもできません。私がその地の領主にお願いしても、突っぱねられたらそれまでです」


 晩餐の最中ですし、私は詳細は避けて、他の領地では、ここほどは人には自由がないようだということ、かなりな暴政を敷く領主もいるのだと言うことを伝えました。

 ……ほんとうでしたら、吸血鬼の血族、それも、人が噛まれたらおしまいという血族についても話しておきたかったですけれど、それはまた次の機会にしましょう。

 一気に話しても情報がパンクしてしまいそうですし、できれば食事時以外にした方が良い話題でしょうし。


 エリたちは神妙な顔をして、私の話にうなずいておりました。

 まずは、極夜の国や吸血鬼にもいろいろあるのだと、ある程度わかってもらえれば十分でしょう。

 私はそれで一度説明を切り上げ、また明日に詳しく話すと伝えました。後は雑談の嵐です。


「……へえ、あんたは元人間だったってえのかい? どうりで人間くさい吸血鬼がいたもんだと思ったよ」

「中身は庶民ですので、マリアみたいに堂々としているほうが吸血鬼らしいですよね」

「若造が言うじゃないか。まあ、あんな土地でここまで長く生きたんだ、図太くなろうってもんさ」

「若造と言いますけれど、吸血鬼ですから長生きしているかもしれませんよ? 私の年って教えましたっけ」

「そんなもん、顔つきと態度でわかるもんだよ。若造は若造さ、青臭いったらありゃしない。あんたはもっと、相手を呑んでかかるべきだよ」

「肝に銘じます」


 マリアの言葉はいっそ痛快です。ずばずばとこちらを指摘してくれますので、双子やビアンカ、それにスーに甘やかされている私にはありがたい存在です。

 給仕の方がはらはらしっ放しのようですけれど、私があっさり流して笑っているせいか、拍子抜けしているようです。吸血鬼でしかも領主だと言うのに、庶民的で気易い私が珍しいのでしょうか。


 基本、私は食堂を利用しませんし、料理人も給仕人も、エリたちのために整えられた人たちです。

 領民との交流も兼ねて、これからは晩餐会でも開いておくべきでしょうか。エリたちのお世話も頼みたいですし、雇用について考えてみましょう。


 私もいろいろと考えていると、イザベラとヨハンも次々に口を開きました。


「ここには夜しかないんですよね? この料理の材料とか、全部輸入してるんですか?」

「魔法で疑似太陽を生み出して、植物を育てています。建物の中で農作物を栽培している場所もありますよ。ですが、どうも天然物が好まれるらしいので、月光だけで育成できる植物の研究も盛んです」

「すっげえ。魔法とかおとぎ話でしか聞いたことがないのに、ここではふつうにあるんですか」

「ええ、生活の中に溶け込んでいますね。この明かりも魔法ですし」

「あ、ほんとだ」


 ヨハンとイザベラは、極夜の国のことに興味津々です。落ち着いて、ある程度この国や吸血鬼のことについて説明し終えたら、実際に町に降りて見てもらいましょう。

 私も城下町についてはあまり詳しくありません。外の国の裏路地ばかりうろついておりましたから、そちらのほうが詳しいくらいです。


 エリも興味深そうに私たちの話に耳を傾けておりましたが、いつもよりだいぶ言葉少なです。

 どうしたのでしょう、料理が口に合わないとか、何か不安があるのかと思いましたけれど、たずねても首を横に振るばかりです。

 旅の疲れは癒えても、慣れない生活で気疲れもあるでしょう。エリはずっと病弱でいて、あの小屋から六に外に出られなかったはずですし、旅をしたり不慣れな城での生活が始まったりで、落ち着かないのかも知れません。もうしばらく、ゆっくり休んでもらいましょう。

 晩餐の終わりを告げると、私はエリたちに、気にせずゆっくりくつろいでほしいとだけ告げて、執務室へ戻ったのでした。




 アマデウス領では、いわゆる昼を月夜の時間帯としています。

 月が出ている間は、人の国で言うところの昼であり、その時に人も吸血鬼も活動し、仕事をしたりしています。夜は星夜の時間帯で、月のない時がそれに当たります。人も吸血鬼も眠りに付くのが一般的です。夜勤があれば、この時間帯のことを指しますね。

 極夜の国では、月が太陽の代わりと言えるでしょう。月の魔力が強いので、満月の夜など辺りが薄明るいくらいの明るさですから。

 これは他の領地も同じようです。まあそれぞれの領地が、吸血鬼の立憲君主制のようなものですから、領主が変える鶴の一声を発すれば変わってしまう場合もありそうですけれど。


 ちなみに、極夜の国に出ている月は、人の国の月とは別のものです。こちらのほうがずっと大きく、青白い輝きを放っています。

 こちらでは太陽は昇りませんので、ほんとうは一日を一星と言ったりするのですけれど、人の国暮らしが多い私には違和感があります。一日と言っても通じますし、まあ問題ないでしょう。


 晩餐後、今は星夜ですので、ふつうでしたら休む時間帯ですが、丸一日さぼってしまいましたので、溜まった仕事を片付けます。双子も付き合わせて申し訳ないのですけれど、彼女らはいたって平然と、かいがいしく手伝ってくれます。姉たちが優し過ぎてつらいです。

 そんな時、執務室の重厚な扉が、ほんとうに軽くノックされました。あまりに小さかったので気のせいかと思いましたが、扉の向こうにある気配に、私は慌てて席を立ちます。


「エリ? こんなところまで来て、どうしました?」

「アベル……」


 扉を開ければ案の定、エリの姿がありました。

 着替えたのでしょう、さっきとは違う、簡素な白のワンピース姿です。これも可愛いです。


 エリを執務室に招き入れて振り向きますと、今さっきまでいた双子の姿がありません。応接机の上には茶器とティーカップが置かれ、温かい湯気が昇っています。

 ……何と申しますか、姉たちに全力で応援されているようでこっ恥ずかしいです。いえ、気持ちも嬉しいですし、エリとふたりきりになれるようにしてくれる心づかいもありがたいのですけれど。


 すこしばかり複雑な胸中に悩みながらも、私はエリを連れて応接椅子に座りました。お茶を勧めますと、エリは小さくうなずいてカップを手に取りましたが、口にしようとはしませんでした。

 どうしたことか、エリは何か悩んでいる様子です。私は思わず、飲もうとして持ち上げたカップをテーブルに戻しました。


「エリ? どうしましたか? やはりまだ、疲れているのではないですか?」

「ううん、そんなことない。昨日もしっかり休んだし、もう全然疲れなんて残ってない」

「……でしたら、不安なのですか? ここに来たことを後悔しているとか……」


 マリアたちもいることだし、エリもすぐ馴染んでくれるだろうと、軽く考え過ぎていたのかも知れません。私は思わず青くなりながら、エリのようすを窺いました。

 エリは肩をすぼめるようにして、顔を俯かせます。


「……そうじゃなくて。それはちゃんと覚悟してきたし、思ったよりずっと、ここは怖い場所じゃないってわかったから、後悔はしてない。でも」


 なおも躊躇った様子でしたが、彼女は恥ずかしそうにぽつりと呟きました。


「……アベルったらほんとうに領主だし、服装もいつもと違って、雰囲気も変わったみたいだし。何だか……遠い人なのかな、って思っちゃって……」


 ちらり、とこちらを見るエリの目元が赤いです。

 その翠の瞳も潤んで、不安そうにこちらを見るそのさまは、か弱い仔猫のようでした。


 ……まずいです。私、エリに殺されるかもしれません。

 動いていないはずの心臓がぎゅううと力いっぱい握りしめられたように感じて、私はあまりの苦しさに、思わず自分を抱え込んで上体を倒してしまいました。


「ア、アベル!? どうしたの!?」


 エリが慌てて立ち上がり、私の側に駆け寄りました。私は胸の痛みを必死で堪えて顔をあげますと、心配そうな、困ったようなエリが目の前にいます。そのまろい眉も愛し過ぎて悶えそうです。

 私が必死に口を開こうとしますと、エリは耳をずいと近づけました。


「え、な、何?」

「……エリが可愛過ぎて、つらいだけです」


 一瞬きょとんとしたエリですが、一瞬で真っ赤になると、その垂れ目をせいいっぱい吊り上げました。


「ちょ、ちょっと! わたしが真剣に悩んでたって言うのに、何よそれ!」

「エリが可愛いのが悪いのです。何度私を悶え殺そうとするのでしょうか」


 全然怖くありません。可愛いとしか言えません。

 私が思わず腕を伸ばして彼女を抱きしめますと、エリは一瞬驚いたようですが、すぐ暴れ出しました。


「ちょっと! もう、離してよ!」

「離しません。というか離せません。お願いですから、私の心臓のために、すこし大人しくしてください」

 

 ぎゅうと抱きしめて懇願しますと、やがてエリは抵抗するのをやめました。他の吸血鬼と比べれば力が弱いとはいえ、私からは逃れられないと悟ったのでしょう。

 私はぐいとエリを抱き寄せて、膝の上に乗せました。そっとその顔を窺いますと、赤いですがそう怒っていないようすが見えたので、私はくすりと笑いました。

 エリはすこしむくれたように頬を膨らませています。


「……あなたって、いつもそうね。気弱そうに見えるのに、何だかんだで押し通しちゃうんだから」

「エリに関しては、ほんとうにそうです。私から行かないと逃げられてしまいそうですから」


 からかうつもりはありませんが、どうも彼女の前だと気分が浮き上がってしまうのです。

 私はエリの赤髪をひと房手に取って、そっとそれを流してみます。月下薬を飲んで健康を得たエリですけれど、肌だけではなく、髪の色艶もずっと美しくなりました。手触りが段違いです。

 私がそうやって髪をいじっていますと、エリが大きくひとつ溜息をこぼしました。


「もう、いいわよ。アベルのことは難しく考えない。お人良しそうにみえてちょっと強引な、中身庶民の、ただの一吸血鬼って思うことにする」

「ええ、それで構いません。エリもどうぞ、そのままでいてください」


 にっこり笑いますと、エリはやや憮然としておりましたが、やがて仕方のない子を見るように笑いました。


「うん、そうする。……でもね」


 エリはじっと私の目を見つめます。いつもと違う位置から見つめられますと、どきどきしますね。


「やっぱり、アベルに与えてもらうだけっていうのが、納得いかない。でも、私には何もないから、ほんとうに何も返せないのが悔しいの」

「私はエリが側にいてくれれば、それでいいのですけれど」

「それよ」


 ぐい、と首の後ろに腕を回されて、エリの顔がずいと近づきます。

 嬉しいですけれど、ほんとうにすこしばかり恥ずかしくもありますね、この距離は。


「私が持っているのなんて、結局この身ひとつなんだから。それもアベルに救われたものだし、返すとしたらこれしかないの」


 エリが私の口元に、そっと右手を添えました。

 冷え性も治ったのでしょうか。以前よりも暖かいその手に、私は自分の手を重ねます。


「……私の血、あげる。私にはこれしかないし、それに……他の人からも貰わなきゃ足りないのもわかってるけど、できるだけアベルに別の人から血を貰って欲しくないから。だから」


 エリの瞳が潤んでいます。そうとう、覚悟の要った言葉でしょう。

 交換条件のようで、私は気が進みませんでした。いえ、もちろんエリの血を飲みたい欲求はあります。吸血鬼ですし、彼女のことが好きですから、血をあげると言ってくれるのであれば、是非貰いたい気持ちでいっぱいです。


 ですが、私がエリにしたことに何も返せないから、仕方なく血で礼をするというのは、彼女にして欲しくはありません。私がやりたいと思ったからやっただけですし、エリに与えたぶん、逆に奪ったものもたくさんあるのです。お返しがどうこうという問題でもないでしょう。


 それでも、エリの気持ちはとても嬉しいものでした。

 彼女のことですから、ただ与えられてばかりいると思っている自分が許せないのでしょう。その心根も好ましいですし、彼女の心の負担になるのでしたら、ここは私の考えがどうであれ、血を貰うことにしたほうが、彼女の気持ちも軽くなるでしょう。


 私はエリの瞳をじっと見つめてから、そっと視線を彼女の手に落としました。

 たおやかな手です。痩せぎすの彼女ですから、その手首も指も細く、厚みも少ないか細い手です。乱暴に扱ったら壊れてしまいそうなその手を私の手で包んで、そっとその指先を唇に当てました。


 ぴくり、とエリが震えたのがわかります。ですが、その顔が真っ赤になっているのは気配でわかりました。怯えるというよりは、きっと恥ずかしいのでしょう。

 ここで彼女の顔を見たら逃げられてしまいそうですし、私は目を伏せたままその指先を口に含みます。

 痛みもないはずですし、傷もすぐ塞げますけれど、できるだけ傷つけないよう、そっと牙で指を噛みました。ぷつり、と皮膚を食い破ったのと同時に、血の味が口腔中に広がります。


「んっ……」


 エリが小さく呻きましたが、それは痛みから来るものではないようでした。

 正直、血の味など、その人が健康であれば美味しく、不健康であれば不味く感じるとしか思っていなかった私でしたが、エリの血は想像以上でした。

 惚れた欲目と申しますけれど、それは味覚にも影響するのでしょうか?


 今までに味わったどんな血よりも、エリの血は美味しく、甘く感じられます。まるで甘露のようです。

 思い切り啜ってしまいたくなる本能をぐっと抑えて、私はゆっくりと血を口に含み、飲み下します。


「あっ……ん、あっ」


 ふるりと大きくエリが震えましたので、私は手を抑えているほうとは逆の手で、エリの背をぎゅうと抱きました。彼女はそれに抵抗することもなく、為すがままにしています。

 吸血鬼の唾液と牙には、痛みを抑え、人を恍惚とさせる作用もあります。

 それで抵抗する意志を失いますし、さらに暗示がかかりやすくなります。私が人を襲った際は、吸血鬼に襲われたことを忘れさせています。


 今はその必要もありません。美味しい血ですし、たくさんの見たいと言う欲求が激しく湧いてきましたが、そうもいきません。

 ひと口しか飲んでおりませんが、食欲をぐっと堪えます。

 名残惜しくも、私はそっと牙を外し、口を離しながらエリを見ました。


 陶然としたようすの彼女は、潤みきった瞳で私を見ています。わずかに開かれた唇が艶かしいです。

 ……これ、思いっきり理性の限界に挑戦していますよね? 私。


 この場で押し倒したくなるのを、私は必死に抑えました。

 吸血鬼になると、人の三大欲求のうち、睡眠欲と性欲は減退するとされますけれど、エリの前では形なしのようです。

 危険です、この娘。非常にデンジャラスです。何を言っているのかわからなくなってきました。

 内心すこしばかり混乱しつつも、私は噛んだ指先に口付けました。牙の痕はすっと跡形もなく消え去ります。エリに傷を残す訳にはいきませんから、じっくりと丁寧に治します。


 エリはまだ陶然としたままのようでした。個人差があるのは知っておりましたが、彼女は吸血鬼の暗示に特にかかりやすいのでしょうか。それだと心配です、ものすごく。

 ひとりの吸血鬼に噛まれていれば、他の吸血鬼からの暗示は効かないとも聞きますけれど、ほんとうのそうなのか不安になりました。領主である私が大事にしているエリに手を出す吸血鬼はいないはずですけれど、落ち着きません。

 エリのこんな姿、私以外の他の何人たりとも、見せる訳にはいきませんからね!


 私はとにかく、エリが正気付くのを待とうと、彼女を両腕で抱きしめました。

 エリは陶然としつつも、私の頭に腕をまわして抱きしめ返してくれます。意識がはっきりしていないとはいえ、嬉しいものです。


 ……どれくらい経ったでしょうか。

 星の柔らかい光が射す執務室で、私はじっくりとエリの体温を堪能しておりました。

 エリの温かさを感じながら、体温のない私にまでその温度が移って来た頃、無音の執務室に、柔らかいエリの寝息がこぼれました。

 ……はい。こんなにも男心を振り回す彼女は、悪女だと思います。ひどい女です。

 ですが、そんな彼女が大好きです。エリにすっかり虜になっている哀れな吸血鬼が私なのですから。


 二重の意味で、エリの首元にかぶりつきたい衝動はぐっと堪えて、私はそっと彼女を抱き上げました。

 今日のところは彼女を部屋へ返さねばならないでしょう。自室に連れ込みたいのも我慢しますよ、ええ。こう見えても私は紳士ですから。たぶん。


 抱き上げたエリの顔を覗き込みますと、彼女は幸せそうに笑いながら、安らかな眠りの中にあるようでした。その表情にほっこりと胸を温められながら、私は執務室を出て廊下を進みます。

 明日目覚めたエリがどんな顔をするのか、楽しみなようなすこし怖いような、そんなうきうきとした気分を味わいながら、私は彼女を部屋のベッドに運び入れました。

 領主の私室のものほどではありませんが、こちらもだいぶ広い部屋で、しっかりとした調度品に溢れています。天蓋付きのベッドもありますし、その柔らかな寝床の上へ、エリを起こさないようにそっと横たえました。


 毛布をかけますと、エリがいとけなく息を零して寝がえりをうちます。これもまずいです。

 理性を糸のこぎりでごりごりと削られるようでしたが、私はこれにも耐えながら、でも思わず、エリの可愛らしい額に口付けたのでした。


「……おやすみなさい、エリ。良い夢を」


 夜しかない国で彼女が見る夢は、どんなものでしょう。

 明日からはたっぷりと、エリとの時間を取って、たくさんおしゃべりをしたり、いちゃいちゃしたり、癒してもらうことにしましょう。

 そう思いながら、私は彼女の部屋の扉を閉めたのでした。



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