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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
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20.三十六計逃げずに如かずです。


 深い霧はミルク色で世界を染め上げていました。

 夜空には月が出ており、一面の霧でもそう真っ暗ではありません。


 町のはずれにある林に転移した私は、さっと当たりのようすを窺います。すぐ近くに怪しげな者はいないようです。

 それにほっとして、私は彼らを振り向きました。

 一瞬で辺りの景色が変わったのに、目を白黒させているエリたちに説明しておきましょう。


「ここはエリの小屋の近くにあった林の、ちょうど反対側です。だいたいの地理はわかりますか?」

「……え? あ、ああ」


 ヨハンは慌てて頷きました。

 彼らを納得させる時間がないのが惜しいですが、仕方ありません。彼らの目の前で、いきなりエリを連れて消えるような真似はしたくありませんから、最低限、伝えるべきことは伝えましょう。


「吸血鬼である私を、いきなり信用しろというのが無理だとうのはわかります。けれど、私はエリをあの小屋に置いておきたくありません。彼女が好きですから、きっと大事にします。どうか呑み込んでいただけませんか」


 ヨハンは目を丸くしっぱなしでした。女性も老婆も同じくです。

 似たような所作に、私はふと、彼らは家族なのかなと思いました。顔立ちはそう似てはいませんが、雰囲気は似通ったものがあるようです。ですが、じっくりと自己紹介を交わす暇はないでしょう。


「落ち着いたら、必ずエリと一緒に伺います。ですから――」

「わ、わかったよ、あんた。落ち着けって」


 ヨハンが何故か慌てています。あわあわとどこか愉快なしぐさをしてから、やがて腕で額をぬぐいました。


「……いや、まだちょっと混乱してるが、あんたは……良い? 吸血鬼? なのか?」

「疑問符が多すぎやしませんか? というか、それは私が答えていいのでしょうか。そうありたいと思っていますが」

「あ、ああ、まあそうか。と、とにかく、あんたがお嬢様に危害を加えてないのはわかったし、あんた真面目そうだしな……正直、まだ心配ではあるんだが、お嬢様をあそこから連れ出すこと自体は、俺たちは賛成なんだ」

「ヨハン……」


 エリがじっと彼を見つめます。やはり、エリと彼らの間には、深い信頼関係があるように見えました。お互いに大事な人なのでしょう。

 ヨハンはまだ複雑そうな顔をしていましたが、やがて意を決したように私に頭を下げました。


「旦那様はお嬢様にひどい仕打ちばかりしてきた。どうか、お嬢様を助けてやってくれ、頼む」

「あ、あたしもお願いします!」


 女性が慌てたように、ヨハンの隣に立ってお辞儀しました。柔らかい栗色の髪に灰緑の瞳の、こちらも物腰の柔らかい雰囲気の女性です。

 ふたりとも所作がしっかりしていますので、やはり屋敷に仕えていた者たちなのでしょう。


「きゅ、吸血鬼って聞いて、お嬢様が騙されてるって思ってたけど、あなたは違うように見える。だ、だからお願いします、お嬢様を連れて行ってください!」

「……イザベラ、ありがとう」


 エリがそっと彼女に近づき、上体を起こした女性……イザベラと抱擁しました。

 何とも慌ただしいですけれど、別れの挨拶です。最後に、お婆さんがずいと前に出てきました。

 総白髪で皺の多い肌ですが、背筋はピンと伸びていて、いかにも矍鑠とした雰囲気です。彼女はひたとエリを見つめてました。


「エリーゼ。あたしたちはもう何も言わないさ。元気で、しっかりやんなさい」

「もちろんよ、マリア婆ちゃん」


 エリはお婆さんにも同じように抱擁します。

 それからマリアと呼ばれたそのお婆さんは、私にも目を向けて、にやっと笑いました。

 ……何だか思わず身を正してしまう、そんな迫力がある笑みです。

 へたれとはいえ、吸血鬼である私を気圧けおすとは、一体何者なのでしょうか。


「なかなかいい男じゃないか。エリーゼは人を見る目があるよ」

「ば、婆ちゃん……」


 ヨハンがお婆さんに恐る恐る呼びかけます。このふたりはどうやら祖母と孫のようです。

 聞きたいことも、話しておきたいことも山とありましたが、どうも嫌な予感がします。私は三人を見つめるエリの背を叩いて促しました。


「エリ、急かしてすみませんが、そろそろ……」

「……うん、わかった。ごめんね、みんな。巻き込んじゃって。でも私、きっと幸せになるから」

「わかっとるよ。そら、駆け落ちはばれちまったらつまらないよ。行った行った」


 愉快そうに笑いながら、しっしっとまるで虫でも払うように、お婆さんは手をやりました。

 外見は全く違いますが、何だかエリに似ている気がしました。エリの母親代わりだった人なのでしょうか。

 エリはなおも名残惜しそうでしたが、やがて彼らに一礼すると、ぱっと身をひるがえして私の手を取りました。

 私も同じく、彼らに礼をしてからエリの手を引き、霧の中を走り出しました。


 大切な人たちの別れをこのようにしてしまって、私はひどく彼らに申し訳なく思いました。

 ですが、ハンターは恐ろしいです。かつて失った大事な女性のことを思い出して、私はエリの手を強く握りしめたのでした。




 濃い霧の中、枯れ林の中を駆けますと、そういくらも行かないうちに木立が途切れました。

 ここまで来れば、あとは馬車を出して先に進むだけです。私はほっとしてエリに向き直りました。


「エリ、すみません。ちゃんとお別れもさせてやれなくて」

「……いいの。悪いのはあのくそ野郎共だから。アベルは悪くない」


 エリは眦を吊り上げて、忌々しそうに呟きます。今にも歯ぎしりしそうな表情です。

 一体何があったのか、エリと彼ら三人との間柄は、と聞きたいことはありましたが、今はとにかくここを離れましょう。


「とにかく、一刻も早く離れましょう。いつハンターが来るかわかりま――」


 その瞬間。

 ミルク色の闇を貫くように、一発の銃声が響き渡りました。


 息を呑んで、思わず身構えましたが、どうやら私たちに向かって撃ったものではないようです。

 そう遠くない銃声でしたが、すぐ近くでもありません。

 エリは大きく肩をすくめて、それから慌てたように辺りを見回しますが、これだけの濃い霧です。枯れた木立の姿がうっすら見えるだけで、他には何も見えません。


「な、何、銃声よね? 今の」

「はい、おそらくは。ですが、こちらに向かって撃たれたものではないです」

「じゃあ、誰が誰に――」


 エリがはっと口を閉ざし、その表情をみるみるうちに真っ青にさせました。

 こんな霧の中で獣を狩る猟師はいないでしょう。

 ……いるとしたら、獣ではなく吸血鬼を狩るハンターくらいです。

 そして、この近くには私たちと、ヨハンたちしかおりません。


「エリはここを動かないでください。ようすを見てきます」


 私は彼女の返事も待たず、白い闇の中に溶けたのでした。




 私が生み出した魔法の霧の中ですから、そう精度は高くないものの、ある程度の把握はできます。

 そう遠くない位置に、先ほどの三人の気配。

 それから、ふたつの異質な気配。

 エリの小屋にいたふたりのハンターに違いないでしょう。私はそれを悟って、一気に霧の中を渡りました。


 彼らの姿を見つけた時、ヨハンが前に立つ後ろで、イザベラが地面に座り込み、その肩を抱くようにマリアお婆さんが屈んでいました。

 血の臭いはありません。怪我は無いようです。

 ですが、ほっとしてもいられません。

 三人に向かい合うようにして、すこし離れた位置にふたつの人影がありました。不思議なことに、彼らの周囲は霧が薄くなっています。


 彼らが吸血鬼ハンターでしょう。

 黒い装束に煌めくのは銀の装飾で、古今東西あらゆる魔除けを身に纏っているようです。

 ふたりとも目深にフードをかぶっているので顔はわかりませんが、どちらもふつうの男性のようです。ヴァンピールや人狼ではないことに、すこしだけ胸を撫で下ろしました。ふつうの人のハンターより、そういった者のほうが圧倒的に手強いからです。


 ふたりの手には拳銃。恐らく銀の弾丸が込められているでしょう。

 腰にも銀製の武器が見え、杭もぶら下がっています。誰がどう見てもハンターです。


「ったく、やっと追い付いたと思ったら外れかよ。吸血鬼とお嬢ちゃんはどこ行ったんだ?」

「知るかよ。とにかく、吸血鬼とこいつらは絶対に逃がすなってのが依頼だ。とっととふん縛って、奴らを探すぞ」


 粗野な声ですが、さすがにそこらのごろつきのようには見えません。

 足取りも隙がありませんし、周囲への警戒も怠らず、ふたりの連携も取れています。戦い慣れているようですし、私ではこのふたりを相手取ることはきついでしょう。

 殺す気でかかればそうでもないでしょうが、命の危険もないのにそうする勇気は湧きません。


 ですが、ハンターたちに捕まっては、ヨハンたちがどうなるかはわかりません。あの評判の悪い領主が彼らをどう扱うか、彼らを地下牢に入れただけでも想像がつきます。

 ここは何とか、ハンターたちの目を盗んで彼らを逃がすしかないでしょう。

 私が彼らと相対することを覚悟したまさにその瞬間、ハンターのうち一人がいきなり拳銃を構えました。

 一瞬思考が止まります。


「あー、めんどくせえ。ちんたらしてっと吸血鬼どもが逃げちまうだろうが。逃がすなって言われたが、殺すなとは言われてねえよな?」

「そうだな」

「……だったら文句はねえよなあ?」


 拳銃を構えた方の、フードの下から覗く口が、嫌な形に歪みました。


「じゃ、女からだな」


 ハンターは銃口をイザベラに向けました。霧の中ですが、この距離なら吸血鬼ハンターが外すこともないでしょう。

 そして、あまりにも呆気なく、その引き金は引かれたのです。




 吸血鬼である私は、それに反応して何とか動くことができました。

 力のある吸血鬼でしたら、拳銃など、撃たれてから回避できる者もいれば、飛んできた弾丸をはたき落とせるような猛者もいます。


 魔法を使えば、私もそれと似たような真似はできるでしょうが、今回は無理でした。

 私には弱点は通用しませんが、私の魔法の錬度が足りないのか、特製の銀の弾丸だったせいか、それともハンターの技なのか。魔法を使おうにも粘つくような抵抗に押されて、思うように効果が発揮できないのです。

 事実、彼らの周囲だけ、すこし霧が晴れておりました。


 ……彼らを庇うように、前に飛び出て正解でした。でなければ間に合わなかったでしょう。

 イザベラに向けて放たれた弾丸は、私の左脇腹あたりに命中しました。

 衝撃の後に、灼熱の痛みが走ります。嫌な、痛みです。


 霧の中から、私が忽然と現れたように見えたことでしょう。三人はもちろん、ハンターも一瞬反応が遅れたようでした。

 私はとにかく、前に立つヨハンの襟首を掴み、座り込んでいるイザベラとマリアの肩を抱くようにして、霧の中をエリの元へ跳んだのでした。

 ……こんな場所からは、とっとと逃げるが勝ちです。

 逃げてばかりで情けないですが、命があってなんぼでしょう。


 とにかく、その時の私の脳裏にあったのは、ハンターたちからすこしでも遠ざかること、それだけです。

 霧ににじむハンターの姿は一瞬で消え失せました。

 ヨハンたちも何が何だかわからなかったことでしょう。


 跳んだ先で驚いたように目を見張るエリを見た時、私は脇腹の痛みも忘れて、心底ほっと胸を撫で下ろしたのでした。



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