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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
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19.迎えに行きます。


 一週間経ちました。エリを迎えに行く日です。

 私はいそいそと、簡単に旅装を整えました。エリを連れて戻るまで、数日かかってしまうからです。


 人であるエリは、気脈に乗って移動することができません。彼女は魔法を使えませんし、どうやら遁行術は、姿を変えられる者しか使えないようです。

 私ひとりであれば、移動にはほとんど時間がかかりませんが、こればかりはどうしようもありません。

 転移術も人が一緒ですと、そう長距離は無理です。負担がものすごくかかりますので、いくら元気になったとはいえ、エリをすっかり疲弊させてしまうでしょう。魔法で守るのにも限界があります。


 ですので、帰りは馬車にしておきます。馬と客車を持って行きましょう。馬車を持って行く、というのも変な表現ですけれど。

 後は、変に思われない程度の旅の荷支度です。

 せっかくエリを迎えに行くのですから、すこしはきらびやかに支度をしたいのですけれど、そう目立つ真似はできません。人の国ですし、吸血鬼はこっそりしておくほかないのです。

 エリも私と同じように、そう華美なものは好きではなさそうですので、気にはしないでしょう。


「たくさんお世話をかけてすみませんが、よろしくお願いします。留守は頼みました」


 私が出立を告げると、双子とビアンカが見送りの挨拶をしてくれました。


「行ってらっしゃいませ、旦那様」

「ご無事のお戻りをお待ちしております」


 双子はいつも通り、息のそろったぴしっとした態度で頭を下げてくれます。ビアンカは無言でしたけれど、その瞳が双子と同じことを言っているのが私にはわかります。

 みんな可愛いです。エリともきっと仲良くなれるでしょう。

 私はにっこり笑って彼女らに応えてから、カラスに変化したのでした。




 夜空を飛ぶのは相変わらず楽しいことでした。この間のように貧血でもありませんし、気分も上々です。

 帰りはどのような道順を辿ろうかと、私は考えておりました。長距離は無理でも、ある程度の距離はエリと一緒に転移できますし、そこから馬車に乗り換えて、後は道なき荒野を突っ切った方が早いでしょうか。

 人の国を行くことはそう難しいことはありませんけれど、きちんと街道が敷かれた国境などではもちろん検問もありますし、何かあったら不安です。魔物や吸血鬼対策にハンターが詰めている場合もありますし。

 荒野では魔物が心配ですけれど、私でも対処しきれない恐ろしい魔物はあまりおりませんし、ここから極夜の国の途中には、そう恐ろしいものたちは生息していないはずです。こちらのほうが安全かもしれません。


 馬車の脚も早いですし、長い旅にはなりません。

 数日の短い距離をエリと過ごすのを楽しみにしながら、私は風脈に乗って一気に距離を跳んだのでした。




 風脈から飛び出せば、そこは通い慣れたエリの家の近くです。

 広い畑の中に立つその小屋を見て、しかし私は嫌な予感を覚えました。

 ……明かりがついておりません。


 エリはそう油を贅沢に使える環境にはありませんでしたが、それでも私が伺う時には、小さなランプに火を灯して、そのわずかな明かりが窓からこぼれて見えました。

 ですが、今夜は小屋が真っ暗です。


 私は嫌な予感とはやる気持ちを抑えて、近くの林に降り立ちました。

 変化を解いて、小屋に近付いて辺りを窺います。


 知らない人の気配がふたつ、小屋の中にありました。神経を尖らせれば、そういったことは吸血鬼には読み取れるのです。

 もっとも、詳細まではわかりませんので、これ以上知りたければさらに近付かねばなりません。

 ですがどうも、中にある気配はどちらもエリのものではないようでした。

 エリがいないのも不安でしたが、その気配は以前に会った元婚約者のものにも思えず、私は冷や汗が額を流れるのを意識しておりました。


 ……これはもしかすると、吸血鬼ハンターかもしれません。

 吸血鬼は魔力を持ち、魔法を操る種族です。霧や獣に変化するだけでなく、人を操ったり眠らせたりもできますし、辺りを探ったりすることも可能です。

 その魔法が、いつもより上手く発揮できません。よくよく小屋を探ろうにも、抵抗されているかのように魔法が展開出来ないのです。


 いるはずのエリがいないことと、見知らぬ気配。粘つくような魔法への抵抗。

 材料はこれだけですが、十分でしょう。

 嫌な予感がさらに増しました。


 ハンターがそこにいると仮定します。そこにエリがいないことも含めて考えて見ると、想像するしかできませんが、考え付くのはひとつです。

 きっと、エリはあの元婚約者か、彼女の父親であるこの地の領主に、ここから連れ出されてしまったのでしょう。彼女の自由を許さないような連中ですから、エリが出奔の準備をしていることに気づいたのかもしれません。


 それに、元婚約者には一度会っています。ちゃんと人に化けていたと思いますが、あの時の私は貧血で余裕がありませんでしたし、すこし自信がありません。あの男性のようすからして、きっと力自慢でしたでしょう。

 そんな彼を易々と捻りあげ、腕一本で簡単に抑え込んでしまう怪力の持ち主で、顔色も悪い男。

 吸血鬼が夜にはびこるこの世界で、怪しまれるには十分な気がいたします。


 そして、今彼女の小屋にあるふたつの気配。

 夜目の効く目で見つめますと、窓辺にヒイラギの枝が差し込まれているのが見えました。これは、この地方では魔除けの一種です。

 ……今までに、そこにそんなものがあった記憶はありません。他にも何か、魔除けや吸血鬼の弱点のようなものがあるかもしれませんが、遠くから見ているだけではわかりませんでした。中へ入ってみようかと思いましたが、当然躊躇いがあります。


 これはもう確定でしょう。

 エリが吸血鬼に魅入られていると考えた者がいて、それを狩るためにハンターを呼び寄せ、そこに潜んでいるのです。


 私はどうするか必死に考えました。

 ここで中に突撃しても、仕方がない気がいたします。エリの行方を知りたいですが、中の人たちが知っているかはわかりませんし、知っていてもしゃべってくれるかもわかりません。

 ハンターでしたら決して話さないでしょうし、私が敵う相手とも限りません。勝てたとしても、無理矢理襲って暗示をかけようにも効かないかもしれません。現に魔法は発動しにくいようですし、どんな吸血鬼対策が為されているかも分からないのですから。


 ミラがハンターに倒されて以来、私は彼らから逃げるばかりでした。

 ミラの仇は彼女が討ってしまいましたし、そうなった以上、私からハンターへ向かってゆくような真似はしなかったのです。人の命を奪う吸血鬼を滅ぼそうとする彼らの存在もその意義も、元人間である私にはよく理解できます。

 ですから、私からハンターに関わろうとはいたしませんでした。食事をする時も、吸血鬼が出たとわかるような立ち回りはいたしませんでしたし、極力彼らの目につかないよう気を配っておりました。わざわざ敵対したくありませんでしたし、それらしき気配をすこしでも感じたら、一目散に尻尾を巻いて逃げるだけです。


 例外は大怪我をしていたフレッドくらいです。それも、そう深い関わりではありません。大手を振って日の下を歩けない者同士、ちょっとしたおしゃべりをする間柄です。

 あとは名も知らぬお爺さんとお孫さんですが、薬を渡して以降はこれ以上関わらないことにしています。一匹狼なフレッドはともかく、彼らは一度はハンターの掟に背こうとはしたものの、まだそちら側の住人ですから、どんなしがらみがあって関わりが増えてしまうかも知れませんし。


 ですので、こういう時にハンターがどのように考え、獲物である吸血鬼……この場合は私ですが、それを待ち構えているのかわかりません。

 私はそう力も強くありませんし、人と真っ向から戦う気概も持ちません。


 ハンターたちは、恐らくは吸血鬼の弱点で身を固めているでしょう。吸血鬼の急所である心臓に打ち込むための杭も、周到に準備しているはずです。

 弱点と呼ばれるものは私には無意味ですが、もちろん杭を打ち込まれたら死んでしまいます。ふつうに銃を撃たれてもナイフで切られても怪我を負いますし、弱らせることは当然できます。


 戦い慣れしていない私が、ハンターふたり相手に立ち回れるか、そう聞かれれば自信がありませんと答えるほかないです。元婚約者の時は私もだいぶ腹を立てておりましたし、相手は筋肉質でも戦いの素人の若造ひとりです。それくらいでしたらどうということはありません。

 ……弱者にばかり強く出る、情けない男ですね、私。


 それはさておき、今回はどうでしょうか。相手は恐らくは吸血鬼ハンターで、しかもふたりいます。吸血鬼と戦うことに特化した者たちを、私は相手することができるでしょうか。

 エリの行方も気になりますし、彼女を探すのを優先して、ここは尻尾を巻いて逃げるべきでしょうか。彼らを放っておくべきか、私は判断に迷いました。


 しばらくの間考えましたが、私は立ち去ることにしました。相手を無力化するほど痛めつけるのも気が引けますし、こちらに吸血鬼が出たと、ハンター仲間に連絡が行ってしまう仕組みがあるかもしれません。新手を呼び寄せることは避けたいのです。

 ですので私はさっそく、カラスの姿へ変わって飛び立ちました。

 どうやら幸い、小屋のハンターたちに気づかれてはいないようですし、とっとと領主の舘へ向かいます。




 実際に近付いたのは今回が初めてですが、その豪奢な屋敷は町のはずれからも良く見えました。

 エリをあんな町のはずれに押し込んでいたというのに、その屋敷はいかにもお金をかけられた佇まいです。

 小高い丘の上に悠然と建っているそれは三階建てで、今夜もこうこうと明かりが灯っておりました。


 上空から観察してみますと、目立つ場所には人影があまりありませんが、どうやら相当な数の人間が潜んでいるようです。

 ハンターがそこに含まれているか、そこまではわかりませんでしたが、神経を尖らせた私の聴覚には、多くの人が立てる衣擦れや足音、呼吸音まで聞こえます。少なくとも、エリの小屋に潜んでいたハンターのように、すっかり音を立てずに潜んでいる、という訳ではありません。これはふつうの兵士たちでしょう。


 私は千里眼を使って、屋敷中を眺めました。

 もっとも、千里眼というのは名前負けしております。見えてせいぜい地平線まで、それも閉ざされた内部を隅から隅までは見れません。

 ですが、ここまで接近できれば、ある程度中を観察することくらいはできます。


 三階、二階、一階と見ましたが、各部屋に鎧姿の兵士らしき姿が確認できました。ハンターらしき姿は見えませんが、その中に絶対いないとは言い切れず、不安です。

 どうやら屋敷には地下もあって、そこを探った私は、思わず上空でバランスを崩しそうになりました。

 エリが見えたのです。格子の中に見えた彼女は、小さくうずくまって俯いておりました。


 かっと血が頭に登る感覚を覚えます。恐らくは地下牢のような場所に、彼女は捕らわれているのです。

 実の娘に、何という仕打ちでしょう。吸血鬼に魅入られたと思っているのであればいた仕方ない処遇かもしれませんが、あまりにもあんまりです。


 すぐに助けに向かおうとしましたが、エリの他にも捕らわれている人がいることに気づきました。

 別の地下牢に、まだ若い男女とひとりのお婆さんが押し込められています。

 どういった人かはわかりませんが、投獄されているということは、エリの味方をしてくれたのでしょうか? そうであれば助けねばなりません。


 私はなおも、じっくりと屋敷中を観察しました。

 中にいる者たちは、みな聖印を首から下げております。魔除けもあちこちにありますし、どう見ても、吸血鬼対策です。


 ですがやはり、彼らはごくふつうの兵士たちにしか見えません。服装の違う、明らかに別系統の戦士のような姿も見えましたが、どうも雇われの傭兵のようです。ハンターには見えません。

 そして、ひときわ豪奢な部屋にいる恰幅の良い老人と、この間見た元婚約者の姿。彼らもまた、聖印や魔除けの品を体中に身に付け、がちがちに武装しているようです。


 とはいえ、それらは私には意味を為しませんし、吸血鬼ハンターでなければどうとでもできます。

 ハンターは吸血鬼の暗示や魔法を防ぐ術を持っていますから、なかなか一筋縄では行きませんが、単純に戦い慣れている者だけならば、私のようなへたれた吸血鬼でも何とかなるでしょう。


 私はひとまず、霧で辺り一体を覆うことにしました。

 目隠しにもなりますし、霧に紛れて魔法を放つこともできます。


 できるだけ不自然ではないように、ゆっくりと町全体を霧が覆い尽くすのを待ちました。夜の帳が落ちた町が、濃い白い闇に埋め尽くされて行きます。

 音も気配もしませんが、大掛かりな魔法です。エリの小屋にいたハンターも、いずれ気づいてしまうでしょう。とっととエリを助け出し、逃げ出さなければなりません。

 私はさっと霧の中を飛んで地上に降り立ち、変化を解いて、屋敷へ向かいました。


 出来るだけ身を隠してこそこそと動きましたが、これだけ人が居れば出会ってしまうのもやむなしです。

 私とはち合わせた者たちは魔法で眠らせ、その効果を徐々に広げて行きました。大騒ぎになる前にみんな眠ってしまえば良いですが、魔法にはかかりにくい者もいるようですし、ハンターもいずれやって来るでしょう。時間との勝負です。


 私は霧に体を溶かして、一気に移動することにしました。

 地下へ続く階段には見張りの者がおりましたが、今は眠りこけています。鍵は何の変哲もない鍵ですし、鍵を探す手間も惜しんで、私は霧になったまま、鍵穴から地下へ侵入しました。


 地下牢は薄暗く、そしてじめっと湿気を帯びていました。

 重苦しい石壁と、鉄の格子に囲まれた小部屋が四つ。うちふたつは埋まっています。片方にはエリ、もう片方には三人の人の姿があります。

 私は霧の姿から元に戻りながら、焦って声をあげました。


「――エリ!」


 格子の手前で変化を解いてしまったので、私はそれを掴んで、中でうずくまっていたエリに呼びかけます。

 彼女はぱっと顔をあげて、私を認めたようでした。


「アベル!」


 軽快な動きで立ち上がって、格子に駆け寄ります。

 どうやら怪我も何もなく、元気なようすに私は胸を撫で下ろしました。


「待ってください、今鍵を開けますので」


 格子などへし折ってしまおうと思いましたが、以前怖がらせてしまった前科もありますし、大人しく鍵を外します。簡単な仕組みですから、鍵などなくても魔法で一発です。

 檻の中から出たエリは、私に抱きついてきました。そうとう不安だったのでしょう。


「……よかった、アベルが無事で。あの最低男とくそ親父が、吸血鬼ハンターを雇ったって聞いたから、生きた心地がしなかったの」


 すこし弱った表情をしていたエリですが、その忌々しそうでも元気なようすに、私はほっと息をつきます。

 エリは元気なのが一番です。

 私は彼女の見事な赤い髪を撫でながら、再会を喜んだのでした。


「エリも怪我もなくて良かったです。ハンターにはかち合っていませんが、こちらのようすに気づいてやって来るかもしれません。とにかく逃げましょう」

「ええ。……あ、マリアたちも助けてあげて!」


 エリはぱっと顔をあげて、彼らのいる牢屋を見ます。私が視線を向けますと、三人は恐ろしいものを見たようにびくりとしました。

 ……わかってはおりますが、これがふつうの人の反応です。赤い目も隠しておりませんし、目の前で霧から姿を現した私は、吸血鬼以外の何者にも見えないでしょう。


 彼らが何者かはわかりませんが、とにかく私は牢の鍵を同じように開けました。

 それでも彼らは何も言いませんし、動こうとしません。


 エリは私と一緒に行きますが、彼らはどうするつもりでしょう。

 無理に連れて行くこともできませんし、牢から出すだけで大丈夫でしょうか。


「今、この辺りは霧で視界が酷いです。あなた方はすぐ抜けられるようにしますけれど、逃げる先はありますか?」

「……あ、あんた、吸血鬼だな?」


 逃げ場があるかたずねると、三人のうちのひとりの男性が、恐ろしげな表情を私に向けたまま、口を開きました。

 二十代半ばの金髪碧眼の青年で、外見は大人しそうに見えます。怯えの色が見える目ではありますが、確固とした意思を感じさせる視線でした。


「……ええ、そうです」


 私が肯定しますと、男性はもちろん、他のふたりの女性も顔を強張らせています。

 ですが、男性はばっと私を指さして、きっと睨みつけてきました。


「お、お嬢様の血を吸ってないっていうのはほんとうだろうな? あんた、お嬢様をだまくらかして連れてこうなんて――」

「ヨハン! あのハンターのおっさんたちも言ってたでしょ!? 私は操られてないって! アベルはいい奴よ!」


 慌てたようにエリが間に入って来ました。

 どうやら、彼らがエリを心配しているのはわかりました。こうして一緒に牢に入れられているのですから、やはりエリを庇ってくれたのでしょう。


 経緯はよくわかりませんが、エリが出奔することに気づいた元婚約者たちが、彼女をここに連れて来させ、根掘り葉掘り聞き出そうとしたとします。

 エリも正直には話さなかったでしょうが、まっすぐな彼女と無礼なあの男のことですから、きっと私について言及することになってしまい、この騒ぎとなったのでしょう。


 彼らの服装は簡素な町人のものに見えますが、それなりにしっかりとしたものです。恐らくは屋敷の下働きや侍女でしょう。エリの言っていたお手伝いさんかもしれません。

 エリの出奔の話を裏付けるために彼らを呼び、エリを庇ったが為に一緒に投獄された、といったところでしょうか。


 現状の把握はしたいですが、今はハンターが気になります。逃げるのが先でしょう。


「とにかく、早く逃げなければ、ハンターたちがやって来てしまいます。今だけ、私を信用してくださいませんか?」

「……え?」


 ヨハンと呼ばれた青年も、女性も老婆も怪訝な顔をしています。

 ……何でしょう、何か変なことを言ったでしょうか。疑問ですが、ここに長時間留まるのは、肝の据わっていない私には無理です。逃げ出してから、ある程度説明しましょう。


「この霧の中でしたら、ある程度の距離なら一瞬で移動できます。行きますよ」


 そして、呆然とする彼らと一緒に、私は有無を言わせず転移術を使って跳んだのでした。



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