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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
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17.お楽しみは後にとっておきましょう。


 彼女は自分の境遇を、さも最低のものだとは吹聴いたしませんでした。

 父親である領主の冷酷っぷり、元婚約者の最低男の最低な振る舞いについて、愚痴を私にこぼした程度です。ぎゃふんと言わせたいと言った通りに、そうしてやりたい気持ちはほんとうでも、正直そんな連中に関わりたくないとも強く思っているようすが窺えました。


 彼女の母も、領主に良い扱いを受けたことがないようでした。

 母が領主に無理やり妾とされたこと。どうやら平民の侍女であった母が冷遇され、寵が離れてからは苦労してエリを育てたこと。苦労がたたって、彼女の幼い頃に亡くなっていること。そのくらいしか知りません。


 病弱で働くこともできないエリが、領主にあばら家とはいえ一軒の家を与えられ、それなりの医者に診せてもらい、衣食住を保障してくれていることは感謝していても、そこに尊敬の念は見えません。

 私も町を歩いてすぐわかりましたが、どうやら領主への領民の評判も悪いようです。統治の手腕もさほどではなく、ずいぶんと財政を食いつぶしており、荒んだ気配が漂っています。

 エリへの最低限の支援といいそれらのようすといい、私もとても尊敬できそうにないと思ったものでした。


 好色でお金遣いの荒いご老人に、それに腰巾着のように纏わりつく傲慢な商家の息子。

 病弱でひとりで生きることもできず、ただ唯々諾々と与えられるもので生きるだけの毎日。家族の愛情もわずかな望みも与えられず、邪魔者のように扱われ暴言を吐かれる日々。

 エリはそんな生活を、貶したり扱き下ろしたりはしても、決してそれだけの不幸なだけではないと笑うのです。昼間に通う侍女とのわずかな会話、ラベンダー畑の世話をする雇われ農民とのわずかな交流、近くの林にやってきた鳥や獣のようす。そんなたわいもない小さな世界の話を、とても大事なものとして受け取っておりました。

 そんな健気でしたたかな彼女だからこそ、私はエリを好きになったのだし、力になりたいとも思っているのです。




 エリの迷いはそう長くはありませんでした。

 彼女は目を伏せたまま、自らの腕を抱くようにしています。

 私はそっと彼女の肩に手を置き、軽く腕を引いてソファに座らせました。寒そうでしたが、私があまり触れると余計に冷やしてしまうでしょう。手を伸ばすことはいたしませんでした。

 ですが、エリはやがて私に寄りかかるようにして、そっと私の肩に頭を乗せます。


「……報復なんてどうでもいい。わたし、アベルと一緒に行きたい」

「わかりました。エリを極夜の国へ連れて行きます」


 私もそっとエリの手を取って、固く握り締めました。すると、エリがすこし怒ったような、困ったような声を出します。


「何だか、ずるい。私ばっかり試されてるみたい」

「すみません。でも、エリの気持ちが整理できていないと、きっと後悔してしまいますから。私を好きだと言ってくれたことも、極夜の国へ行くことも」

「……それも、そうね」


 くすくすと、エリは小さく笑い声をあげました。それからそっと肩から頭を離して、私の顔を覗き込むようにします。

 窓から差す月の光が、明るく彼女を照らします。赤髪もきらきらと輝いて見え、その真剣なまなざしに思わず見惚れました。


「……私は、アベルが好き。だから、連れてって」

「私も、エリーゼが好きです。連れて行きます」


 そっと彼女の瞳が閉じられたので、私はその小さな唇に口付けました。

 ですが、すぐにエリが頭を引いてしまったので、それはすぐ離れてしまいます。私はぱっと目を開いて、思わず物惜しそうな目をして彼女を見たのでした。もっとゆっくりと彼女の唇を味わいたかったのです。

 エリは耳まで真っ赤にして、思わずといった風に目を逸らします。


「……そんな目で見ないでよ。何よこれ、ものすっごく恥ずかしい」

「恥ずかしくはないですよ。ふたりきりですし、好き合っている者同士なら当然することでしょう?」

「そうかもしれないけど! でもはじめてなのよ! 乙女なんだから恥ずかしがって当然でしょ!? 悪い!?」


 エリが面白いくらい真っ赤なまま、私の胸を拳で叩きます。

 可愛らしいしぐさに、私は思わずくすくすと笑いました。エリはむくれたようですけれど、それすらも愛おしくてたまりません。

 とはいえ、乙女の恥じらいをからかってはなりません。

 後で恐ろしいことになりそうですし、これから時間はたっぷりあるのですから。いちゃつくのは後に取っておきましょう。


 私はそっと、月下薬を取り出しました。青い薬液が満たされた透明なガラス瓶です。

 エリが私を叩くのを止めて、はっとした表情を浮かべて視線を瓶に向けました。


「アベル、それって」

「月下薬です。これを飲めば、エリの病も治ります」


 エリは小さく息を呑んだようでした。一度に五○○cc程度にしか作れない、希少な薬です。

 ローラのところにあった文献には、この薬をコップ一杯、二五○ccほど飲めば、遺伝からなる病は快癒する、と書かれていました。どのくらいの期間で治るのかとか、大人や子どもで服用量や服用法に差はないのかとか、詳しい記述はいっさいありませんでした。

 とにかく、副作用はないようですので、ここでエリに半分飲んでもらいましょう。


 エリは無言で、コップに注がれた青い液体を見つめています。思い詰めたような表情でしたが、彼女はやがてきっとばかりに目を鋭くすると、それを一気に傾けました。

 一気にあおると咽てしまうのではとはらはらしましたが、彼女はゆっくりではあるものの、コップ一杯の青い薬液を飲み切りました。

 エリは飲み干してほっと息をつき、恐々と体のようすを探っています。


「……変な味はしないのね。ハーブの匂いがして、ちょっと薬っぽいといえば薬っぽいけど、そんな大層な万能薬には思えないわ」


 私も吸血鬼の血や、そう希少でもない薬草や金属が薬になるとは思いませんでしたし、その効果を目の当たりにしたことはありません。きっと大丈夫と思っていますが、こうして目の前でエリが飲んだのを見ると、今さらながらすこしばかり不安にもなって来ました。

 けれど、それは杞憂だとすぐにわかります。

 エリの顔色が、みるみるうちに良くなったのが、目に見えてはっきりとわかったからです。


 吸血鬼の肌よりはすこしまし、といった程度に青白く、不健康で疲れた色がくっきりと出ていたエリの肌が、あっという間にみずみずしく、きめ細かく張りのあるものに変わりました。白かった頬に血が通い、ほんのりとバラ色に染まっているのです。

 あまりに急激な変化に私が驚いて目を見張っておりますと、エリも自分の体調の変化に気づいたのか、ふとソファから立ち上がって、自らの体を見下ろします。


「あれ? 何だか急に、体が軽くなった……。気分も楽だし、ふらつかないし、だるくもない……」

「エリの肌色がすごく良くなっていますよ。病弱なお嬢さんではなく、元気な町娘さんに見えます」


 その例えは我ながらどうかと思いましたが、上手く言葉が出てきません。

 エリは痩せぎすではありますが、肌の色がぐっと健康的になったので、いかにも病的な以前の雰囲気とは全く違って見えました。

 これほど急に効果が出るのは嬉しいですけれど、どこか怖いです。薬というより魔法でしょうか。まあ、魔力を込めた薬ではあるのですけれど。


 エリははたと気づいたように、カーディガンのポケットから何かを取り出しました。手鏡のようです。

 それで自分の顔を映して、翠の瞳を丸くして驚いています。それはそうでしょう。


「すごい。何よこれ、こんなにすぐ効くものなの? ちょっとアベル、ちゃんと見てよ! ねえ、すごい!」

「エ、エリ?」


 エリが急にはしゃぎ出しました。それも無理もないでしょう。

 手鏡を手に私に抱きついて来るのは嬉しいですけれど、彼女は一気に落ち着きを失くしてしまいました。

 私と一緒に鏡に映ろうとして、鏡に映らない私を見てやっぱり吸血鬼だと笑ったり、大はしゃぎでこじんまりとした部屋を跳びまわり出しました。小さな女の子が贈り物をもらってはしゃぎ出したかのようです。

 いえ、そのまんまですね、その表現。

 いとけないい子どもそのままのように、エリはめいいっぱいの笑顔を浮かべて私を見るのでした。


「アベル、ありがとう!」


 そのひと言で、私にも幸福な気持ちが満ち溢れます。

 ここは他の家屋からも離れておりますし、少々エリがはしゃいだところで、近所迷惑になるはずもありません。

 私は喜ぶエリの笑顔を見ながら、貧血のこともすっかり忘れてただ笑っていたのでした。




 すぐにエリを連れて行きたいところではありましたが、こうして世間から隔離されているエリにも都合があります。

 旦那様と不愉快な元婚約者はどうでも良いとして、お世話になったわずかな人たちに別れを言いたいというのがエリの言葉です。それにはもちろん反対しようもございませんし、いきなり彼女をかどわかすつもりはありません。

 まあ、似たような形になってはしまいますけれど、とにかく誰にも何も言わずに連れ去ることはいたしません。


 エリは今年で十八だそうです。この国では成人ですし、未成年者略取にはぎりぎりひっかからないでしょう。

 ……この国の法に私は縛られないとか、何だか気取った言い回しでのたまいましたっけ? まあ、縛られなくても気にすることは気にするのです。

 吸血鬼ですから、この国では捕まれば問答無用で処刑されてしまいますしね。そもそも吸血鬼は人の敵で、法によって縛られないと言うのはほんとうです。法典には吸血鬼に関する記述すらないのですから、そもそも何の権利もありません。人の生き血を捕食する怪物ですから、当たり前の話でしょう。


 エリの心残りと言えば、その挨拶だけで、他はいっさいないと言いました。

 彼女の持ち物もそうありません。小屋の中は粗末な調度品ばかりですが、それらは全て父親が与えたもので、彼女の思い出の品などはいっさいないのです。比較的高価なものはその衣服ですが、それもそうたくさんはありません。


「こんな私を生かしてくれたのは感謝するわよ、ええ。世の中には親に捨てられて、そのままのたれ死んじゃう子どもだっているんでしょうから、私は恵まれているわよね。でも、ただ生かされるだけで放っておられるのも、つらいんだから」


 エリはその腕輪をじっと見つめて、それから左手首にはめました。

 唯一残された、彼女の母の形見だそうです。そう高級なものではありません。細い金属の輪に、お守りのまじないが彫られている、簡素な品です。

 それをエリは愛おしげに撫でました。持って行くのはこれだけで良いそうです。

 

「病弱な娘を見捨てるっていうのが外聞が悪いから、こうして生かしてるんでしょうけど。やっぱりどうしても、あの人たちは尊敬できない。わたしどころか、町のたくさんの人を不幸にして、踏みにじって、それでのうのうとしてる奴らを認めるなんてできない」


 なので、ここにやって来る侍女さんたちに挨拶をしたら、他はもうどうでも良いらしいです。

 幼いころから病弱で、ほとんどを領主の舘の物置で過ごし、学ぶことも、親しい友人を作ることもできずにいたと聞いて、私は領主を一発ぶん殴りたくなりました。子どもを捨てていないだけで、これは虐待でしょう。

 領政についても文句を言いたくはなりますが、不良領主である自分では何の説得力もないでしょう。それに、その権利も義務も領民にしかありません。

 よその国のことですし、もはや人ですらない私がそう突っ込んで良い問題でもないでしょう。


 エリは一週間欲しいと言いました。

 それだけあれば、彼女の狭い行動範囲内での挨拶は終わるそうです。


「日替わりって訳じゃないけど、お手伝いさんも何人か来てくれるからね。その中に私の乳母をしてくれた人がいるんだけど、風邪気味で、次に会えそうなのが一週間後なの。その人たちに挨拶できれば、後はもういいわ。吸血鬼の国に行く覚悟をしておく」

「どうぞ、お楽しみに。そう恐ろしい場所ではありませんし、決してエリに苦労はさせませんから」


 エリは気丈にも笑っていましたが、どこか不安げなようすが隠し切れておりませんでした。

 こればかりは、ここで私が言葉を尽くしてもそう覆らないでしょう。アマデウス領では、人と上手くやっているつもりですけれど、人の国と比べて、吸血鬼が上位に来るそこの法の下では、受ける印象も違うでしょう。

 実際に見て、エリに判断してもらうしかありません。




 ひとまず、次に例のお孫さんのところにも、薬を届けねばなりません。

 せっかくエリが私の元に来てくれると言ってくれたのですから、もうすこしいちゃつきたいのですが、やるべきことをやってからにしましょう。

 だいぶましになったとはいえ、貧血で気分が低迷しているのも事実ですし、やむをえません。


「では、一週間後に迎えに来ます。それまで無茶はしないで、いい子で待っていてくださいね」

「子どもみたいに言わないでよ。さっきは、まあ、ちょっとはしゃいじゃったけど」


 エリがやや照れたように目を逸らします。今日のエリが可愛くて悶えそうです。貧血なのが恨めしくてなりません。

 暇を告げて、私がカラスに変化しようとすると、エリが思わずといった風に手を伸ばしました。


「あ……、その、アベルはこれから、“食事”をするのよね? えっと……」


 エリは何を言ったら良いのか、悩んでいるようすでした。

 まあ、エリの血は今はもらえないと言ってしまいましたし、貧血がひどいので血の補給をとっととしたいのですから、近くでこっそりと物色しようとは思っていました。

 それを複雑に思ってしまうのは、人であれば仕方ないでしょう。無害なカラスの血族とはいえ、人を襲って生き血を啜るのは事実です。吸血鬼の国でないのですから、ここで抵抗を感じない人のほうがおかしいのです。


 とはいえ、生き血がないと私は生きていられません。それらの複雑な気持ちはとっくの昔に呑み込んで、消化済みです。ですが、歳若いエリはそうではないでしょう。

 いずれ多少なりとも理解してくれれば良いなと思いながら、私は眉を下げました。


「すみません。できるだけ遠い場所で済ませますから、見逃してくださいね」

「……ごめんなさい。何でもないわ。私だって、パンを食べるなって言われても無理だもの。うん、今のは忘れて」


 エリは小さく頭を振って、私に笑いかけました。

 かつては私も感じたことですから、エリの気持ちはよくわかるつもりです。それに対してすこし寂しいとは思っても、つらくは感じない程度には私も図太くなりました。

 でもやっぱり切ないなあと思っていると、エリが私に詰め寄ります。

 何ごとかと思っていると、彼女は顔を伏せたまま、ひと言。


「……できれば、女の人は襲わないで?」


 ……この娘は、私を何度悶え死にさせようというのでしょうか?

 私は数瞬その衝動に耐え忍んでから、思わずエリの肩を抱き寄せて再び口付けを落としました。真っ赤になるエリをこのままお持ち帰りしたいですが、ぐっと堪えます。


「一週間後の夜、迎えに来ます。ちゃんと待っていてくださいね」

「っ、わ、わかってるわよ! ちゃんと迎えに来なさいよ、アベル!」


 真っ赤になりながらも、ちゃんと見送ってくれるエリが愛おしくてたまりません。

 その夜の私は、さぞ情けなくもだらしない、みっともない笑みを浮かべていたことでしょう。



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