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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
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12.便りが来ました。


 行政区に挨拶に行きますと、そこで働く人たちは、真面目でない領主の私を温かく迎えてくれました。

 良心が痛みます。さぼってばかりの駄目領主で申し訳ありません……。


 中には見慣れない顔がいて、どうやら新しく入った人のようです。吸血鬼である私を前に緊張しているようですが、私も気持ちは庶民ですので、内心かなり焦り気味です。

 彼らはふだん、領地を治める業務をしてくれています。基本的に、人のことはすべて人が決め、私はそれに許可を与えるだけという立場です。君臨すれども支配せず、といったところでしょう。


 極夜の国では、国の頂点に元老院を置いています。

 そこに所属する六血族の六人の長老……大公たちがこの極夜の国を治めており、広大な国の土地を適宜振り分けて領地とし、爵位を下賜した吸血鬼に与えている形です。

 形式上の王はいません。ご真祖がそれに当たりますが、実権はないようです。まあ、無いと言ってもすべての吸血鬼はその方に逆らえませんから、位など無いようで有るようなものです。


 極夜の国には、文字通りに夜しかありません。

 かつては生き物はいっさい住めない、氷と闇の国であったそうですが、今ではそんなこともありません。比較的寒い気候ではありますが、人が簡単に凍死してしまうほどではありませんし、いちおう短いですが夏もあります。人も動植物も、問題なく生きている土地です。

 昼はありませんので、特殊な魔法の光で農畜産業が行われます。人や家畜の健康のため、疑似太陽を作り出すのです。

 吸血鬼の国ですから、夜しかないのは吸血鬼には住みやすいですけれど、人や獣にとってはそうではありません。いろいろと工夫が必要なのです。


 こことは逆に、人の国には白夜の国という国があるそうです。

 こちらは昼しかなく、夜のない国です。そしてそのふたつのどちらにも属さない、どちらの国から見ても辺境と呼ばれるのが、私がよくうろついていた辺りです。エリのいた国、人の領主の土地もそこにあります。

 世界には、昼も夜もあるふつうの地のほうが広いですけれど、強い魔物が多く生息していたり、手つかずの山や原生林などの自然に溢れていて、人が住みやすいとは決して言えないようです。


 吸血鬼にとっては極夜の国が、人にとっては白夜の国が、もっとも暮らしやすい場所なのでしょう。


 基本的に、極夜の国では、人は領地を移動できません。生まれた場所がその者が住む場所で、生涯をそこで過ごすのです。

 もっとも、領地といっても滅茶苦茶広大ですから、移動できたとしてもひと苦労でしょう。

 吸血鬼にとって人は大事な食糧ですから、結構まめに世話をするものなのです。

 ……まあ、ほとんどの吸血鬼が、その恐ろしい力でもって、人を恐怖で支配しているわけなのですけれどね。


 とにかく私の領地では、私など権威も何もあったものじゃありませんので、人は結構好き勝手やっています。定められた人の法や吸血鬼の掟に触れず、変なことでなければたいてい許可していますし、そもそも難しいまつりごとの話はわかりません。

 なので他人任せ、人の力頼りに、私の領地経営は上手くいっているのです。


 みんな有能なので、無能な領主は肩身が狭いのです。

 そのうえ居心地の悪さから仕事をさぼってばかりいるのですから……ええ、これからは真面目になろうと思っておりますよ。

 そう思って仕事に取り掛かろうとした時、唐突にフレッドからの手紙が届いたのです。




「人が……じゃないですけど、珍しく真面目に仕事をしていたというのに、いったい何用ですか?」


 胡散臭い連中が出入りする場末の酒場で、私は町人然とした服装でフレッドと相席しておりました。

 以前会った時と似たような場所、時間帯です。フレッドも人狼ですし、そして吸血鬼ハンターでもありますので、活動時間は夜が多いのでしょうか。

 ここは客がそう多くありません。声を潜めれば誰に聞かれることもないでしょう。


「吸血鬼が何やってんだか知らねえが、真面目に仕事するもんじゃねえだろ」


 フレッドが何やら複雑な顔をして、それでも的確に突っ込んできます。

 とはいえ、彼から便りがあるだなんて、尋常ではありません。腐れ縁の友人ではありますけれど、名目上は人狼と吸血鬼、ハンターとその獲物です。連絡先は教えてはおりましたけれど、今まで一度もそんなことは無かったのです。

 その手紙にはただ私に話がある旨と、日時と場所の指定しかありませんでした。なので彼がどんな話を持って来たのか、まだわからないのです。


「そんなことより。あなたが手紙を出すほどです。私に頼りたいことでもあるのですか?」

「……ああ、その、なんだ」


 フレッドは珍しくも、はっきりと言わずに口ごもっています。私はおやと首を傾げました。


「便りを寄越したこともそうですけれど、珍しいですね、あなたがそんな態度だなんて。それほどお困りなのでしょうか?」

「……まあな。厄介って訳でもねえんだが……いや、厄介だな」


 彼はどう切り出したらいいのか迷っているようです。

 口も滑らかではないようですし、私はこちらから軽く話題を振ることにしました。


「ところで、例の吸血鬼から人になる方法ですが、やはり見つかりませんでしたよね」

「あ? あ、ああ。そうだな……悪いな、応援してやるなんて言ったくせに」


 バツが悪そうに、フレッドは頭を掻いています。そのようすから、彼が私が思ったよりずいぶん懸命に、その話について聞いて回ってくれたことが窺えました。

 その気持ちはありがたかったので、私はフレッドににっこりと笑いかけます。


「いえ、元からうろんな話だったのです。その気持ちだけでも十分ですよ。それに、根本的な解決にはなりませんでしたが、良い情報も手に入りましたので」

「そ、そうか」


 フレッドは何だか居心地悪そうに、そしてそわそわしています。一体何なのでしょう。

 私は黙って、彼から話すのを待つことにしました。

 クリスに奢ってもらった葡萄酒の味と比較してしまいそうだったので、今回は麦芽酒でも頼もうかと思いました。お酒やジュースしか頼めないのもすこしばかり寂しいですね。

 私が給仕さんを呼ぼうと思って手を挙げかけた時、ようやくフレッドは口を開きました。


「……なあ。あらためて聞くんだが、あんたはカラスの者だよな?」

「え? ええ、はい。そうですが」


 何だかフレッドはあらたまっているようです。

 吸血鬼ハンターはふだん、その素性を隠しているのはご存じのとおりです。

 吸血鬼ももちろん、極夜の国でもない限り、自分が化け物なのだとひけらかしたりしません。狩られてしまいます。


 私はあっさりと彼に素性を話していますが、ふつうは吸血鬼同士でもない限り、自分の血族を明かしたりはしません。それも当然ですね。

 吸血鬼であれば、よほど長命でない限り、重大な弱点を持っています。一般的に吸血鬼の弱点とされるものは全て苦手ですが、特に、ヘビであれば聖別されたもの、トカゲでしたらニンニクやハーブ、コウモリでしたら陽光、オオカミでしたら流れ水、不定形であればそれらすべてが致命的な弱点になります。カラスは弱い変わりに、弱点がそう効きません。


 このように、血族によって、より致命的な弱点が変わるのですから、どの血族出身かはふつう軽々しく口にしないのです。そういった情報が敵に渡らないよう、十分注意しているのですね。

 もっとも私はカラスですので、元から弱点はそうないと思っており、あまり気にしておりませんでした。弱点が全く効かないと知ったのはつい最近です。何だか間抜けな話ですね。


 とにかく、そう弱点がない血族でしたので、特に気にせず話してしまったのです。

 人への害もそうありませんし、吸血鬼ハンターが積極的に狙い、討ち滅ぼすことに心血を注いでいる訳ではありません。より恐るべき吸血鬼の血族は、他に多いのですから。


 吸血した者を確実に死に至らしめ、吸血鬼として蘇らせてしまうのは、不定形とヘビのふたつの血族です。トカゲも一度噛んだ対象をは死を免れませんが、必ず吸血鬼となる訳ではないようです。

 人にとって恐ろしいのは、この三つの血族出身である吸血鬼でしょう。他の血族も討伐対象ではありますが、基本どれも強力な怪物ですから、優先順位的に彼らが上です。


 まあそれでも、行儀の悪い吸血鬼はどんな血族であれ、真っ先に狙われて討伐されてしまいます。

 ですが、吸血した対象を不必要なまでに軽々しく殺してしまうような、掟破りで罰当たりな吸血鬼を退治してくれるのであれば、こちらこそ願ったりなのです。そういった者は吸血鬼内で粛清されることすらあるのですから。


 とにかく、私がカラスの血族で、人に比較的害がないからこそ、こうしてフレッドと友人としていられるのです。


「私は確かにカラスの者ですよ。それが何か、問題があるのでしょうか?」


 重ねて肯定しますと、フレッドはようよう話す決心がついたのか、やっと私の顔を見たのでした。

 どこか不安げな、年相応の心細そうな表情です。


「……あんたに折り入って頼みがある」


 そう、いかにも重大なことを口にしようとしているフレッドの雰囲気に呑まれて、私は麦芽酒を注文するのをすっかり忘れてしまったのでした。 




「……吸血鬼にしたい人がいる?」


 大きな声を上げなかったのは、我ながら僥倖という他ありませんでした。

 思わず口からこぼれたその声は、そう大きなものではありませんでしたが、私は慌てて周囲を見回します。相変わらず人はまばらで、従業員もこちらには気を配っていないようです。

 それにほっとしてから、私はフレッドに向き直って居住まいを正しました。


 そう。何と、吸血鬼ハンターであるフレッドが、彼の知り合いを吸血鬼にして欲しいというのです。


 驚きに声が裏返りそうにもなりましたが、それも堪えられたようです。私も落ち着いた大人になったのでしょうか。

 現実逃避をしてしまいそうになりましたが、私は頭をひとつ振って、意識を戻します。そしてあらためて、フレッドに顔を近づけて問いただしました。


「いったい、どういう風の吹き回しですか? よもや、ハンターであるあなたがそんなことを言い出すなんて」

「……まあ、そうだな。吸血鬼ハンターとして、あんたらの仲間を散々狩って来た俺が言うことじゃねえ。だが……」


 フレッドはなおも躊躇っていたようですが、わずかな間をおいてから、ひたりと私の目を見つめました。


「生き字引の爺さんがいるって言っただろ? くたばりぞこないのジジイだが、俺の恩人なんだ。その孫が重い病気にかかってな、爺さんがすっかり参っちまってる。息子夫婦もいたんだが、そいつらもハンターで、何年か前に命を落とした。爺さんにとって最後の家族がその孫なんだよ」


 ぽつぽつと説明してくれたところによると、そのお孫さんはどうも進行の早い病気のようです。

 彼らの一族は、代々吸血鬼ハンターを輩出してきた家のようですが、立て続けに家族を失い、そのお爺さんはすっかり落ち込んでしまっているようです。

 そして、最後に残された子どもも、長くは持たない。

 きっとすさまじい葛藤があったのでしょうけれど、とうとうハンターとしての矜持を曲げてでも、お孫さんに生きていてほしいと思ったのでしょう。

 まあ、それまで宿敵であった吸血鬼に、その救いを求めるのは何やら歪んでしまっているようですが、それほど追いつめられていると考えられます。


「……確認しておきますけれど、そのお爺さんはほんとうに、お孫さんを吸血鬼にすることを承諾しているのですか?」

「ああ、そりゃあ何度も確認したさ。孫もまあ……十歳だったかな。ガキではあるんだが、てめえのことは理解出来るし、考えられる歳でもある。……どうしても、死にたくないってよ」


 本人も承諾済み。頭は痛くありませんが、私は思わず頭を抱えました。

 エリのように、たとえ死んでしまっても吸血鬼になりたくはないという人もいれば、どうしても死にたくないから吸血鬼になってもいい、という人もいます。

 私もエリに、死にたくないのであれば吸血鬼にならないかと、お誘いしましたしね。

 いろいろな考え方があり、いろいろな人がいるのです。


 周囲の環境や将来への展望を含めて、最終的に決めるのは本人の意思です。

 ですので、本人が良いと言うのであれば、私は人を吸血鬼に変えることもやぶさかではありません。まあ、それを後悔したとしても苦しいのは本人ですから、よくよく考えて欲しいことではありますけれど。

 エリにも、吸血鬼になっていいと思ってほしい、そう望んでいますが、無理強いだけはできないと考えています。その人の存在をまるごと変えてしまう訳ですからね。


 ただ、今までに私は、過失であれ故意であれ、人を吸血鬼に変えたことはありません。

 吸血鬼にならないかと誘ったのも、エリがはじめてですから。決めるのは本人だと言っても、それなりに責任は感じてしまうでしょうし、好き好んで吸血鬼を増やそうと思ったことはありません。


 それをよりによって、吸血鬼の天敵であるハンターに提案されてしまったのですから、元人間であり、吸血鬼に愛憎含めて複雑な感情を抱いている私としては、より複雑な案件だったのです。


「……いちおう、そのお孫さんとお爺さんにも会わせてください。ああ、まだ吸血鬼になれると決まった訳ではないので、名前は教えないでくださいね。私も言えませんし、あなたも私の名前は出さないでください」

「ああ、わかってる」

「重ねて言いますけれど、私はカラスの血族です。人を必ず吸血鬼に出来るとは限りません。もしよかったら、他の血族を紹介……まあ、ハンターであるあなた方に会わせる訳にはいきませんけれど、そのお孫さんのところへ招くことはできると思いますけれど」


 私がクリスの顔を思い浮かべて、彼に協力してもらうことも想像しました。ヘビの彼であれば、必ず人を吸血鬼にできます。

 ですが、フレッドは大慌てで、とんでもないと言うように首を横に振りました。


「い、いや、それはいい。弱くて大人しい、害がねえカラスの血族のあんただからこそ、頼んだんだ。人を無理矢理死なせて吸血鬼にさせちまうような血族は、いくらなんでもやべえしな。あんたならぎりぎり目を潰れても、カラスの血族以外の連中は駄目だ」


 もっともな意見に、私も納得しました。

 そうですね、いくら吸血鬼になって生き永らえたいのだとしても、それで凶悪な吸血鬼になっても良いと思うほどではないのでしょう。何より、元の仲間たちであるハンターに狙われてしまいますし、フレッドもそれは勧められないでしょう。

 コウモリやオオカミの血族も、吸血した人を必ずしも死に至らせはしません。ですが、恐るべき力を持ち、人を強制的に隷属させ、そして人に対して残酷であるのが著しい血族です。

 騒ぎを起こすことの多い吸血鬼ぞろいですから、フレッドも認められないのでしょう。


「……では、もうひとつだけ確認を。吸血鬼になれるかどうかは、人間側の素質が必要不可欠です。こちらである程度、その確立を上げることはできますが、絶対ではありません。そのことについてはどうですか?」

「もちろん了承済みだ。ハンターの一族だからな、心得てる」


 フレッドは真剣な顔でうなずきました。でしたら、私はもう何も言うことはありません。

 それに原因が病であるのであれば、私にも何とか出来ることができません。月下薬は遺伝病の特効薬ですが、それ以外にも効くとありましたし。

 私が彼に承諾したと伝えると、さっと立ち上がって手招きしました。


「じゃあ、とっとと案内する。あんたのことだから口止めもいらねえけど、誰にも話さないでくれよな」

「わかっています」


 フレッドは沈痛な面持ちで、私を案内するために、先に立って歩き出したのでした。



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