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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
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11.帰りました。


「……ごめんなさい、いきなり泣いたりして」


 ようやく彼女が声を発した時は、まったくいつも通りの調子にに、すっかり戻っておりました。

 長い間、思う存分泣いてすっきりしたのか、すこしばかり瞼が腫れていましたが、その表情は晴れやかです。血色の悪い白い肌も、ほんの少しばかり紅が差されたようになっていました。


「いいえ、気が済んだなら良かったです。落ち着きましたか?」

「ええ、もうすっかり。それにしてもあなた、罪な男ね。こんなに突然、私の生涯の悩みを解決しちゃうんだから」

「エリのお役に立てるなら何よりです」


 私もほっとして彼女に笑いかけます。

 その心内でどんな葛藤があったかは想像しかできませんけれど、彼女の心の重荷を退けることができたのであれば、それ以上のことはありません。

 エリが健康になり、私といることを選んでくれれば、それだけ長く一緒にいられるのですから。


「エリは病気が治ったら何がしたいのですか?」

「……そうね。いきなり道が開かれて、ちょっと気持ちが追いつかないけど、やりたいことはたくさんあるわ」


 それからエリは、今までにやりたくても出来なかったことを語りました。

 男性のように馬に跨って早駆けすること。猟銃で鹿や狐を狩ること。釣りをしたり、湖の畔でキャンプをして、野性味溢れる料理を作ってそれを食べること。

 体が弱くて出来なかったことを片っ端からやりたいと、エリはその翠の瞳を輝かせました。

 どうやらエリはものすごくアグレッシブなようです。雄々しいと言っても良いでしょう。

 エリは妾腹とはいえ領主の息女なのですから、たとえ健康でもそれらをやらせてはもらえなかった気がいたしましたが、彼女は止まりませんでした。


「アベル、あなたもデイウォーカーなら一緒に出来るわよね? どうしてもって言うなら、混ぜてあげてもいいわよ」

「ええ、どうしても」


 エリが朗らかに笑うので、私も楽しくなってきました。

 これほど彼女が喜んでくれるのであれば、私は真血持ちで本当によかったと思います。

 ですが、不意に彼女が俯いたので、私はどきりとしました。


「ごめんね。結局アベルにばかり色々させて。私は悩むだけで、しかも病気のことまで気遣ってもらって……」


 エリは申し訳なさそうな小声でこぼしましたが、私は慌てて口を挟みました。


「吸血鬼になって欲しいだなんて、そんな大変なことについて悩むのは当たり前です。申し訳ないだなんて思う必要はありませんし、簡単に決断しないでください。結局のところ、すべてエリ任せなのですから。軽々しく決断して、後悔したとしても苦しむのはあなただけです。人であることに未練や心残りがあるのでしたら、それを大事にしてください」


 心からエリがそれを望んでくれるのが私にとっては幸いですが、望んでもいないことを無理に望ませるようなことはしたくありません。


「それに、これから時間はたくさんあります。薬が出来上がったらすぐに持ってきますから、それまでご自愛していてくださいね」

「……ええ、わかった。楽しみにしてる」


 エリはほっと目元を緩ませ、穏やかな微笑みを浮かべました。

 ですがふと、その目に不穏な色が灯ります。何かを真剣に考え込んでいるようですが、私には見当がつかず、首をかしげるばかりです。


「……もし健康になれたら、この上なく素敵なことだけど、無粋な連中から横槍が入るかもわからないわね。ちょぉっとだけ、下準備しとこうかしら」


 何故か今度は、その瞳に闘志の炎を燃やしているようです。無粋な連中とは誰でしょうか。

 彼女が健康になるのでしたら、喜ばしいことでしょう。邪魔をする者がいるとは思えません。

 私はそれを聞こうとしましたが、それよりも早く、エリは何かを企んだような顔を私に向けました。


「まあ、こっちの話よ。アベルは気にしなくていいの。それよりも薬をお願いするわね」

「え、ええ。頼まれました」


 私はどこか気押されて、エリの言葉に首を縦に振ります。

 すこしばかり不可解でしたが、エリのにっこりと優しい笑顔を見れたので、私は満足して帰路についたのでした。




 それから私は、久々にアマデウス領の自分の城を訪ねました。

 いちおう帰宅……帰城ということになりますけれど、あまりにも大きく立派な城ですから、未だに気後れしてしまいます。庶民的にはこの城の犬小屋でも大きいくらいです。


 所領にあるその城には、かつてのミラの部下で、今は私の部下でもある吸血鬼がふたりと、妖精がひとりに人狼がひとりおります。その他、領地を治めるのには多くを人の手に頼っています。

 ……ええ、吸血鬼はともかく、妖精と、吸血鬼の天敵である人狼がいるのです。人も大勢いますね。

 領地には他の血族の吸血鬼も住んでおりますが、領主が代々カラスの血族ですので、その出身者が多いです。吸血鬼たちには、大事な食料である人に対して、傍若無人な振る舞いは一切許しておりません。なのでまあまあ、治安も良く平穏に治まっている地だと思われます。


 そこは極夜の国の辺境、西側にあり、一部海にも面しています。辺境にありがちでかなり広大な地ですし、自然も多く美しい土地です。人の街も発展しておりますよ。

 その領主が住む城は、高い尖塔と広大な居住区に行政区、そして遊戯室や図書室などの様々な設備が整っています。庭園も整えられ、池や離れ、植物園に温室なんてものもあります。

 広過ぎるのでふつうに迷子になります。私もすべては把握できていません。


 城の外見は、ミラーカを連想させるような漆黒の石造りで、壁を蔦が覆っております。見た目はほんとうに不気味で恐ろしいですが、内部はきちんと整っておりますし、住み心地はそう悪いものではありません。

 内装も黒を基調に、落ち着いた赤い絨毯やカーテン、それに調和する瀟洒な調度品が揃えられております。外見ほどは禍々しくなく、どんな化け物が飛び出すかわからないものではありません。一部は領民たちにも開放しておりますし。

 私たち吸血鬼の居住区や執務を行う場所には魔法がかけられていて、一般の人は入れないよう工夫しております。


 滅多に帰らないものですから、私は知人の居城におとないを入れるようにして、緊張しつつ城に入りました。


「お帰りなさいませ、旦那様」

「お帰りをお待ちしておりました」

「……ただいま戻りました、ヘレナ、ルーナ」


 声をそろえて出迎えてくれたのは、双子の美少女です。

 ヘレナとルーナ、私と同じくミラの系譜で、カラスの血族の吸血鬼です。元人間ではありますが、私などよりずっと長く生きている先輩に当たります。

 彼女たちの髪は、私のようにくすんだ銀ではなく、輝かんばかりの美しい銀です。ミラの好みである麗しい美少女たちで、並んでいるとお人形さんのように見えます。ローラとはまた違った趣ですね。


 彼女たちは、たったふたりで城の内々のことを切り盛りしてくれています。私のいない間は領主代行を一任してあり、問題なくこなしてくれています。

 そっくりなふたりですが、同じ血族であるせいか、区別は意外とあっさりつきます。見た目だけですとほとんど差がなく、難易度が高いですが。

 私は双子に笑いかけてから、ふと辺りを見回しました。人狼の姿が見えません。


「あれ、ビアンカは?」

「ビアンカは休憩中です。旦那様は、まずはお召し替えを」

「湯の用意も整っております。どうぞこちらに」


 彼女にも挨拶をと思いましたが、どうやら休憩時間のようです。久々に夜だけの国に来て、昼がないので時間帯をうっかりしておりました。

 有無を言わせぬ態度の双子に、私は大人しく従ってついて行きます。


 町人然とした私の服装とは対照的に、彼女たちはぴしっと背筋が伸びるような黒のスーツを身に纏っています。すらりと伸びた手足はパンツスーツで包まれ、その手も白い手袋でしっかり隠されております。装飾品の類は最低限で、それがアクセントとなっています。その長い銀髪をまとめる、鳥をかたどった赤い髪飾りが目立つくらいでしょう。

 私の趣味ではありません、ミラの趣味です。良いセンスだと思います。


 彼女たちは私よりずっと長生きしており、吸血鬼としても大先輩ですが、私を主として敬ってくれています。彼女を差し置いて爵位をいただいてしまった時は、彼女のどちらかにそれを押しつけて逃げようと思いましたが、ふたりは許してはくれませんでした。

 彼女たちもミラによって吸血鬼となった元人間ですが、その思惑は私とは別の場所にあるようです。

 よく仕えてくれておりますが、こんな仕事を放り出してほっつき歩いている最低な領主をよく見捨てないものだと、私はあらためて感じておりました。


 湯あみを手伝うという双子に問答無用で断りを入れ、私は入浴と着替えを済ませました。

 女性に湯の世話をさせるなんてとんでもないことですし、私は元庶民ですから、身の回りのことはひとりでこなせます。逆に人の手を借りると煩わしさがあるくらいです。

 また、双子は私よりも若くは見えますが、実年齢はふたりのほうが相当上です。なのでどうも、世話好きな姉に構われるような、何とも言えない気恥かしさがあるのです。


 双子が用意してくれた服に着替えると、私は自室でほっと息をつきました。

 彼女たちのものと似た黒いスーツで、すこしばかりの金の装飾があります。これに裏地が赤の黒いマント、それも深い立て襟付きがあれば、私でも吸血鬼っぽく見えるでしょうね。


 やがて扉がノックされ、私が返答しますと、双子が茶器を手に入室しました。

 ここで出されるお茶はごくふつうの紅茶葉ですが、ブランデーの変わりに人や獣の血が垂らされることがあるので、うっかり人間の客人がある時は気をつけねばなりません。城で働く他の人は、すべてごくふつうの人間ですから、嗜好に合わないのです。


 よその領地ではわかりませんが、ここでは人と吸血鬼は案外上手くやっております。

 それは、領主である私や双子の吸血鬼、この地に住む吸血鬼たちも、人にとっては比較的無害なカラスの血族であることが大きいでしょう。不定形やヘビ、トカゲの血族は今のところおりません。

 よって、基本的に人は血を抜かれるだけですから、吸血鬼たちにそれほど敵愾心を抱く者はいないようです。

 むしろ美少女である双子などには、自ら進んで血を捧げ来る、愉快な領民の男性たちが多いようです。ファンなのかもしれません。その気持ちは何となくわかりますが、血を捧ぐのは相当な信奉者でしょう。


 双子にもやはり好みがあって、出来れば若い女性から血をもらいたいようですが、好意ですのであまり好き嫌いは言えないようです。喉の渇きは癒せますので、文句も言えません。

 たまに、どこかへこそこそと出かけておりますので、好みの血を持つ人を物色しているのでしょう。


 ローラにしてもミラにしても、この双子にしても、吸血対象にはどうもこだわりを持っているようです。

 あ、クリスもそうですね。一般的な吸血鬼はみんなそうなのかもしれません。

 きっと私のほうが変わり種なのでしょう。わざわざ領地の外、極夜の国の外まで出かけ、ハンターに襲われる危険を伴いながら、無難な獲物を物色しているのですから。


 とはいえ、私はふだん領主の仕事をほとんど放っているせいか、領民から血をいただくのは気が引けるのです。見知らぬ地で通り魔的に、こそこそと血をいただく方が性に合っているといいますか。

 彼らのように堂々と、人目も気にせず血を吸うことこそ、吸血鬼らしいのかもしれません。


 私たちとは逆に、クリスなどはヘビの血族ですから、領民にはかなり怖れられております。

 彼に吸血されたら最後ですからね。話せば話のわかる男ですし、そう無闇矢鱈に人に酷いことはしない友人であるのですけれど、食事はどうしても必要です。その吸血の対象者にとってはそう簡単な問題ではないでしょう。

 故に、極夜の国の辺境とはいえ、クリスの居城には時折吸血鬼ハンターが襲来するのだとか。恐ろしい話です。

 むろんそのすべてを返り討ちにして来た彼ですが、それ故にますます悪名が高まってしまったそうです。

 極夜の国の外にはそう出歩けないと嘆いておりました。ですが、それさえも満更ではなさそうだったのが恐ろしいです。圧倒的強者の余裕という奴でしょうか。私にはよくわかりません。


 それはさておき、私は双子にエリのことを話さなければなりません。

 頼れる部下であり、吸血鬼仲間であり、同じ血族の家族です。エリには問題がなければこの城に住んでもらうことになりますので、彼女たちにしっかり説明しておくのです。


「ヘレナ、ルーナ。近々この城に住人が増える予定なのですが、構いませんか?」

「旦那様の望みとあらば」

「私たちが差し出口をすることはございません」


 双子は端整な顔を並べて、淡々と承諾してくれます。

 ミラに対しては熱心な信奉者と化していた双子ですが、私に対してはやはり姉のような、親しみかつ世話焼きをしたがる雰囲気が溢れています。

 変わった娘たちです。


「そ、そうですか。でしたら良かったです。仲良くしてくれると嬉しいのですが」


 それから私は、エリーゼのことを簡単にふたりに話します。

 彼女が吸血鬼になりたくないと思っていることは、よくよく言い聞かせておかねばなりません。

 人と吸血鬼の間のことですから、きちんと話しておくべきことは話しておかないと、どんな間違いがあるかわかりません。

 双子はそろって同じタイミングで、同じ角度に首をかしげました。


「人のままということは、旦那様の奥様という訳ではないのでしょうか?」

「そうなってくれたら嬉しいのですけれどね」


 流石にまだそこまでは申し込めません。ただ単純に交際を許してもらえただけですから。

 ただ、たとえエリが元気になったのだとしても、彼女をあの場所にそのままにしておくつもりは、さらさらありません。エリ曰く、“クズな旦那さま”である父親が何か言ってくるかもしれませんが、知ったことではないと思っています。

 彼女にあんな悲しい顔をさせた者の近くには、たとえ彼女の肉親だとしても置いておくことはできないのです。


 とにかく、これで双子にも話も通せました。しばらく真面目に仕事をすることといたしましょう。

 そして月下薬の調合もしなければ。

 辺境とはいえ極夜の国ですから、月はよく見えるのです。きっと良い薬が出来上がることでしょう。

 私はエリの笑顔を思い出しながら、いそいそと薬の調合に取り掛かったのでした。



 私の領地はは極夜の国の辺境、人の国との境に近いですから、太陽は登らなくても地平線がうっすらと明るい時間帯があります。

 月下薬は極力、太陽光には晒さないほうが良いとありましたので、いちおうその時間帯は避けることにしました。

 調合したガラス瓶を、満月の光が射す窓辺に置きます。

 不思議とその液体は、血や薬草を混ぜたというのに、薄く青っぽく見えました。混ぜた真血の持ち主である吸血鬼、つまり私が魔力を込めれば、一カ月で完成です。

 私はどきどきしながら、瓶を両手で持って魔力を込めました。ちゃんと出来るか心配ですけれど、それでも楽しみです。


 出来あがったらエリに持って行くとして、それまで一カ月ほどはあります。

 これを機に、真面目に領主の仕事をするようにしましょうか。



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