なにもしたくない
やる気が出ない。
まじでやる気が出ない。
申し訳ないけれどやる気が出ない。
発端は些細な出来事だった。
公務と大学の学業と育児の両立は辛い。
本来は公務に行くはずだったのだが、うっかり忘れてしまい、大学の女友達と話していたらすっかり遅刻。
いや、うすうす気づいていた。
予定がないなんておかしい。
何かあったのではないか。友達と話す余裕なんてあるのか。
でも、たまには息抜きをしたっていいじゃないか、とついつい。
友人も「プライベートも大切だよ」と言ってくれた。
携帯のメッセージは、各方面からのものであふれていた。
中には王太子である夫からの、「大丈夫か?」「なんで帰ってこないんだ?」「なぜ連絡を返さないのか?」という痛いメッセージもあった。
やらかした。と思った。
友達には、「カリンが泣いているから、もう帰る」とだけ言って、笑って別れた。
とりあえず宮殿には戻ったが、もう約束の時間は過ぎ去っていた。
公務が公開のものでなくてよかったが、それでも関係各者からの印象はがた落ちだろう。
わたしは帰ると、カリンを抱きかかえて、自分の部屋に引きこもった。
メッセージの通知が来るたびに恐怖を覚えた。
やらかした、やってしまったと涙があふれてきた。
「おい。」
夫の声で、ふと目が覚めた。
「ご、ごめん……。」
腕にカリンを抱きかかえたまま、眠ってしまったらしい。
「ごめんなさい……。」
「カリンはそっちに寝かせよう。で、君に話がある。」
夫は言いにくそうに、それでもはっきり告げた。
「僕らは……国の顔だ。君はこの国と、日本の顔でもある。僕らの生活は、国民の税金で賄われている。」
「うん、わかってる。」
「わかってないだろ?」
夫の声が鋭く響いた。
「君は、何かにつけて、自分が日本生まれの普通の女の子だと言い張る。今回だってそうだ。プライベートも大切にしたいと思って行動したんだろ。」
「そう、かもしれ、ない。」
「うん、そうだよ。」
夫はそれだけ言った。
「国のことや王室のこと、カリンのことを考えたら、たとえ忘れていたとしても、確認しようとか、気付いた時点できちんと連絡をとるよね。王室の人間として、いや大人として当然のことだ。」
「でも!」
私は思わず叫んでしまった。そういえば、いつのまにかこの国の言葉がこんなにも話せるようになっていた。
「私はここの世界の人間じゃない!寝たいときには寝て、遊びたいときには遊ぶ!自由だったの!ここよりもずっと!そこに飛び込んできた。辛いわよ!あなたのせいで!」
夫は黙ってこちらを見つめていた。
「私は、私の生活を守りたい……なんで、普通の女の子じゃ……いけないのよ……。」
私は泣き崩れた。
「ごめんなさい……。こんなこと王太子妃の私が言ったらだめよね。」
夫は静かにソファの隣に座った。そして私の肩を抱いた。
「君は強い。もうこの世界の人間だ。でも、きっと逃げたくなる時もある。そんな時は、僕に言ってくれ……。僕は、あの時君が日本で助けてくれた時から、ずっと、君を守ろうと決めたんだ……。」
涙が思わずこぼれた。