言葉の壁
「お前、ほんと誰にでも好かれるんだな。」
公務と公務の間、夫(この国の次期王位継承者)が車(もちろん王太子が乗るのにふさわしい高級感漂うやつ)の中でぼそっとつぶやいた。
「誰のせいだと思ってんのよ。」
わたしもぼそっと日本語で返してやった。夫は「ん?日本語わからん。」という顔をしたので、思いっきりわざとらしいため息をついてやった。
「カリン、元気かな?」
「大丈夫よ。王妃様……お母様がいらっしゃるんですから。」
今度は英語だ。夫はわたしの母国語を、私は嫁ぎ先の言葉を必死に覚えているが、結局一番意思の疎通ができるのは英語だ。
「しかし、王太子妃様もよく頑張っていますよ。」
助手席の秘書が優しい英語で話しかけてくれた。
「言葉を必死に覚えようとしている姿、とても素敵です。世界から注目されているし、好感を持ってくれる方も多いですよ。」
私は苦笑いするしかなかった。
私はちょっと前まで普通の日本人の大学生だった。英語もやっとというレベルの外国語能力しかない。そんな奴が王太子妃になるなど、言語道断だという人も大勢いた。
仕方ないので、公務をはじめ日々の生活では、なるべく嫁ぎ先の言葉を使おうとしていた。
といってもすぐに使えるわけがない。そんなスーパーマンではない。あ、スーパーウーマンか。
そこで苦肉の策ではあったが、常に小さなノートとペンを持ち歩き、覚えたてのつたない言葉を使いながら覚えることにした。
結果、訪問先の幼稚園の子供たちに話しかけようとしたら、言葉を教えられる羽目になったとか、訪問先の若者のスラングを真面目に覚えてしまい使ってしまったとか、いろいろ王太子妃としてどうなのかというハプニングも起きているのだが、それが逆に努力していていいとかかわいらしいとか、交換に繋がったようである。
「もうすぐ到着します。沿道には大勢の人が詰めかけているようですよ。」
秘書の言葉に、覚えたての言葉で返す。
「ええ、窓が開けたほうがいい?」
「窓を開けたほうがいいですか?ですよ、殿下。」
夫が笑う。ハイヒールで思わず蹴飛ばした。
「いたっ。でも俺の日本語よりはずっと上手だ。」
その言葉に、思わず顔が熱くなった。