♯5
「いらっしゃいませー」
「焼き鳥いかがですかぁ!」
「視聴覚教室で創作映画上映します!ぜひいらしてくださーい!」
「吹奏楽部と弦楽部による演奏会は11時からでーす!」
あちこちから聞こえてくる賑やかな声たちに耳を傾ける。こうやって端からみると、今自分もこの中にいるのだと実感できる気がする。
「野々村さーん!レモンなくなりそう!あとブルーハワイも!」
自分に向けられている声にはっと我にかえる。文化祭が始まる前も忙しかったが、今はその真っ只中なのだ。感慨に浸る暇なんてあるわけがない。
「ごめん!すぐとってくるね」
その声に応え、ゆすらは足を進めた。少し歩くだけで沢山の人とすれ違う。ここの生徒を始め、その家族、友人、OB。その人たちの顔を盗み見ると、そこには期待の色が浮かべられていた。全ての人が皆楽しい時間ばかりを過ごせるとは限らない。だが、そう感じる人が少しでも多ければいいと思う。
(なるほど。恭一や水瀬くんはこういう気持ちだったのか)
正直、何故好き好んで毎日行事だなんだと駆け回っているのかと不思議に思ったこともあったが、今回の経験で少し彼らの気持ちが分かった気がした。
文化祭は始まったばかりだ。
「あら、長谷じゃない」
受付をする雪乃の後ろで会計をしていたゆすらは雪乃の言葉に勢いよく顔を上げた。
「よう」
「あれ、もう時間!?」
「あともう少しくらいだな。その前に軽く腹ごしらえした方がいいかと思って迎えに来た。
にしても結構繁盛してんなー。並んだぞ?ブルーハワイとイチゴな」
「そりゃ、今の店番は私だからね」
恭一の注文を奥に伝えた後、雪乃は事も無げに言った。
ゆすら達のクラスの出し物はかき氷だ。かき氷やアイスの売上はその日の天気に大きく左右されてしまう。賭けだったが、それに勝利し、今日は見事な晴天。太陽が真上に行くのに比例し、温度も上がっている。とはいえ、この長蛇の列はそれだけが理由ではないだろう。
「相変わらずの自信だな。まぁ事実だろうがな」
「私のレベルになると、自覚がないこと以上に酷いものはないわよ」
「はいはい。じゃあゆすら貰ってくな。
ゆすら、かき氷溶ける前に抜けてこいよ。」
「うん」
ゆすらは頷き、恭一の背を見送る。
「ごめんけど私抜けるね。すぐ会計の子くると思うけどそれまでよろしく」
「…それは大丈夫だけど」
雪乃にそれだけ言うとゆすらは慌ただしく奥に下がっていった。
(…相変わらず理解不能なレベルの息の合いようね)
残念ながら雪乃のまわりには、何故当たり前のように恭一が味まで指定しかき氷を2つ買い、それがゆすらがさも当然のように受けとるのか、突っ込むものはいなかった。
「すみません、メロンお願いします」
「メロン1つですね、ありがとうございます」
雪乃は一般的に受けのもっともいい笑顔を浮かべ、その愚問を蹴り飛ばした。
「どこをまわるの?」
シャリシャリとかき氷つつきながらとっくに食べ終わった恭一の手の中のプリントをのぞきこむ。
「食品関連以外。
食品は教師がちゃんとした点検するから、俺らはそれ以外のを適当に店のまわり具合だとか困ったことがないかみるくらいだな」
「そっかー」
ゆすら達の今からの仕事は、企画に不備がないかチェックすることだ。一通り学校中を回り、それぞれの様子を把握する。
屋外ステージの方から有名な曲が流れてくる。今はカラオケ大会の真っ最中のようだ。それに乗って鼻唄をうたう。
「…お前浮かれてんな」
実は、細かいものだとこれが初めての恭一との仕事だ。丁度ゆすらが顔を出せないときに決まったことなのだが、思ってもみない幸運が降ってきた。
仕事なのだと自らに言い聞かせながらもどうしても浮かれてしまうのはどうしようもない。
「当たり前じゃん。文化祭なんだからテンション上げなくてどうするの」
恭一の言葉にも機嫌よく返すゆすらに、恭一はどこか釈然としない様子で浮かれてヘマすんなよ、と釘を指した。
浮かれてばかりいると足元をすくわれる。
「すみませーん」
それがゆすらに向けられたものだと気付いたのは肩を叩かれてからだった。慌てて振り向くと知らない男子が立っていた。高校生くらいだろうか。私服のため他校の生徒だろう。
「実行委員さんですよね?ちょっと質問いいスか」
「あ、はい。」
バクバクと早鐘を打つ心臓を抑えながらゆすらはなんとか声を捻り出した。文化祭実行委員は文化祭中、腕章をしており誰からみても分かるようになっているのだ。
「これなんですけど、」
そういって相手はゆすらにも見えるよう、パンフレットを指差した。その時に相手との距離が少し近くなる。それだけでゆすらの動揺は大きくなった。自分の体温が上がっていくのがありありとわかる。
恭一が何か相談があるとかで丁度席を外しているので今はゆすら一人で頼る相手もいない。
実行委員で知らない人と顔を合わせるのは大分慣れてきたつもりだったが、やはりまだまだらしい。知らない相手ということに加え、他校生、男子ということに緊張はいつもの比ではない。
「えっと、これは、ですね、」
「……顔赤いみたいだけど大丈夫?」
必死に説明しよう努めるが相手の指摘されてしまい、ゆすらは更に顔を赤くした。
「え!あ、違うんです!私、ちょっと人見知りでして、緊張してしまってて、あの、えっと…気を悪くしないでください…」
自分のあまりの情けなさに嫌になっている。ゆすらの声が気持ち湿り気をおび始める。
「……。大丈夫?ゆっくりでいいから」
顔をそっと上げると相手に気遣うように微笑みかけられた。
「あ、ありがとうございます…」
相手が怒ってないことに安心してなんとか微笑み返すと、肩に手を置かれる。
「!」
手から逃れたい衝動を抑えてみるが、それでも自分の顔が強ばっていくのが分かった。
(……気にするな。きっと彼は私を落ち着かせようとしてるだけ)
自らに言い聞かせ混乱する頭を整理しようとしていると、突然視界が誰かの背で遮られた。
「すいません。ちょっとそこで勘弁してやってください。代わりに俺が答えますんで」
その背は恭一のものだった。
心なし固い声の恭一に相手は少し驚いたように目をすがめる。ゆすらは安堵のため息をすんでのところで飲み込んだ。
「恭一、私答えれる」
だから代われと暗に言うが、恭一はこちらをみることもせず、相手の質問にスラスラ答えていく。それに不満を覚えると共にどこか安心してしまっている自分もいる。
(これだから人見知り、直らないんだよ…)
こうやって人が克服しようとしていると大体恭一が間に入ってきてしまう。だからゆすらもそれに甘えてしまうのだ。雪乃がいつか言っていたが、恭一はゆすらに対して少々過保護らしい。
「ありがとうございました」
「いえ。またあればいつでもどうぞ。
あと、さっきはコイツが失礼しました。コイツ人見知り酷くて初対面の相手には誰にでも、ああなってしまうんですよね。誰にでも。顔が赤くなったり」
だから気にしないで下さいね?と恭一は笑いかけた。相手もそうですか、と苦笑いをこぼす。恥ずかしくてゆすらは恭一の後ろで縮こまる。
ゆすらの半分の時間もかけずに終わらせ、しかもフォローもされてしまった。
相手を見送った後、恭一はあからさまに大きくため息をついた。
「!
そんなに呆れなくてもいいじゃん!後もう少しで出来そうだったし!」
「どこが。あんなに顔赤くして、涙目になって?」
「な、泣いてないよ」
バカにするように問われ、慌てて否定する。緊張のあまり、泣くなんて恥ずかしいことこの上ない。そんなゆすらに恭一は少し考え込み、前から聞きたかったんだが、と切り出した。心なし恭一の声には険がある。
「ゆすら、自分が相手にどんな態度だったか自覚してるか?」
「え……そんなに失礼だったの?」
「そういう話じゃない。仕草とか表情とか、相手に勘違いさせるようなことしている自覚」
突然の恭一の言葉に戸惑う。今までこのことで恭一に迷惑をかけてしまうことはよくあったが、呆れられたり笑われたりしても咎められることはなかった。だが、今の恭一は明らかに責める時のそれだ。
「……きちんとしてなくて、相手を苛々させたり気を遣わせてたりしているのは、分かってるけど」
自分が悪いのだとはっきり分かっているだけに、強気に出ることも出来ず萎縮しながら答えると、恭一は大きく息を吐き出した。それは恭一自身を落ち着かせるためであったようにも見えるが、ゆすらはそうには取れなかった。
「何よ!言いたいことがあるならはっきり言いなよ!」
震える声を誤魔化すために声を張り上げると、それに煽られるように恭一も声を荒らげた。
「は!?じゃあ言わせてもらうがな、お前、」
「やぁ、長谷少年!」
痴話喧嘩かい?と軽快な笑い声が二人の間に割り込んだ。その独特の口調に似合わない高い声に恭一は固まり、ゆすらは目を丸くした。
「え、あ………えっと、あなたは、」
戸惑うゆすらに声の主――彼女は鷹揚に笑ってみせた。歳は大学生ほどだろうか。黒い髪を高い位置でくくる髪型は涼やかな風貌の彼女にとても似合っていた。
(この人どこかで…)
「千尋さん、何やってんですか」
彼女の後を追ってきた青年は呆れたように言った。その彼を瞬間、ゆすらは声を上げた。隣からはげっ、という唸り声が聞こえた気がした。
「日高会長!…ってことは神崎会長?」
「長谷の彼女さん、ご名答!」
また人のことに勝手に頭突っ込んで…、とため息を吐き出す彼――先代生徒会会長 日高大和を、彼女――先先代生徒会会長 神崎千尋は気にもかけずゆすらにウインクを寄越した。
「彼女じゃ、」
「ど、どうして会長方がここに…」
「どうしてってOBとして文化祭を見に来たに決まってるでだろう?何か問題でも?」
「いや、問題はないですけど…」
彼女じゃないです、という言葉は恭一達に遮られる。生徒会役員の恭一は会長達とよく知り合っているのだろう。日高は元陸上部なので尚更そうだ。
「千尋さんはちょっと口閉じて下さい。恭一、お前目立ってるぞ」
日高の言葉にゆすらも我にかえり、顔をみるみる赤くさせた。そういえば、今は文化祭の真っ最中なのだ。こんな中で言い合いなどしたら注目が集まるに決まっている。
「そうだった、そうだった。止めに入ったんだった」
反省する様子もなくおおらかに構える神崎を放って日高は続ける。
「恭一、お前こんな人通りが多いところで痴話喧嘩なんて、しかも生徒会役員と実行委員が、だなんて体裁悪いだろ」
「いや、だから痴話喧嘩では、」
「…すいません。カッとなってまわり見えてませんでした」
「あの長谷少年がまわりがみえなくなるなんてことあるのだねー。へぇー」
「…俺をなんだと思ってんですか、神崎会長」
恭一の言葉に神崎は興味深そうにゆすらをまじまじと見つめた。相手は元生徒会長なので一応ゆすらは知っているが向こうは知らないわけだし、初対面といっても過言ではない。ゆすらはその視線から逃れるように顔を俯かせた。恭一はゆすらを背に隠すように半歩前に出る。
「知っているようだが、改めて。私は元生徒会長の神崎千尋だ。大学二年生。趣味は弓道。よろしく
よろしければお嬢さんのお名前も教えて欲しいな」
涼しげな目元を少し緩ませ自己紹介をする神崎にゆすらは一瞬見とれる。名前を問われていることに気づき慌てるが、ゆすらが答える前に恭一が口を開いた。
「幼馴染みの野々村です。」
「…なるほど、過保護だな」
日高が神崎の隣でぼそりと呟いた。
「ちょ、恭一!
失礼しました…私は3年の野々村ゆすらです。あの…さっきは見苦しいところをみせてすみません。あと、神崎会長のお名前がすぐに出てこなくてすみませんでした」
「顔も赤いし声も上擦ってるみたいだけど、野々村さんは上がり症なのか?目も合わせないし」
「あ、の……」
ゆすらが少し答えるのを一瞬躊躇ったのを確認した神崎は声の調子をかるくし、私がかっこいいからかな?と軽口を叩く。
「…あの、はい。初対面の人と話すのが苦手で…あ。けど、神崎会長に見惚れてたのも、少しあります」
「……。」
女性相手だからか、先程よりはまともに返せたであろう返答をゆすらははにかみながらもなんとか言う。神崎は一瞬黙りこんだあと、日高を強く叩いた。その意図を正確に読み取った日高は叩かれた部分をさすりながらおざなりに頷く。
「はいはい、可愛いですね」
すごく千尋さん好みですね、と更に続ける。
「ゆすらちゃん」
「は、はい」
野々村さんからゆすらちゃんに昇格したらしいゆすらは神崎の力のこもった呼び掛けになんとか応じる。
「文化祭、案内してくれないか?」
はぁ、という二人の青年のため息が落ちた。
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