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後編

 目にも鮮やかな青いドレスは、真珠のように滑らかな義妹の肌をよりいっそう引き立てていた。心配していた鉤裂きは敢えてなのだろう、金糸で繕われていて、元々そういうデザインだったのですと押し切られれば、思わず納得してしまいそうなくらいの出来だった。細長い首にかけられた繊細な金の鎖は、ガラスの靴の他に何も買わなかった義妹を見かねた母が貸した物で、先端についた小さなダイアモンドがちょうど鎖骨の真ん中のくぼみに収まり、控えめだが確かな光を放っている。他に装飾品はない。あえて言うならば、結い上げた黄金の髪がまるで宝冠のように輝いているだけだ。

 母の見立てに間違いはなかった。すらりとした体の線に沿ったドレスも、髪型も、顔立ちを際立たせる化粧も。

 この場にいる誰もが、義妹の美しさに目を奪われずにはいられなかっただろう。


 全身が、真っ白にさえなっていなければ。


「い、一体何があったのよ……その格好、どうしたって言うの?」


 妹の呆然とした声が、静かな会場によく響く。


「嫌だわ、お義姉様方。あまり見ないで? 灰の入ったバケツに躓いてしまって」


 義妹の姿は、哀れを通り越して滑稽だった。綺麗な金髪はまるで白髪。化粧を施された麗しい顔も、眉毛も真っ白でまるで老婆のよう。露わになった首も腕も、せっかく仕立てた青いドレスも、全て灰まみれのまま、義妹は恥ずかしそうに身をくねらせた。


「よく母さんが家を出るのを許したわね?」


 静かに問い詰めると、義妹はびくりと体を震わせた。義妹が動くたびに白い灰が降りかかり、吸い込まないように息を止める。


「お義母様は、既製服を買ってくるから待っていなさいって、近くの洋品店まで行ってしまったの。でも、せっかくお父様がお金を用意してくれた、私だけのために仕立てたドレスでしょう? なんだかもったいなくって。このまま来てしまったわ」


 呆れて言葉も出ない。

 注がれる周囲の視線は、私たち姉妹のそれなりに整った姿と、義妹の見るも無残な様子を行ったり来たりし、ひそひそと小さな声で聞き取ることは出来ないが、あることないこと、憶測が主な会話がなされているに違いない。私としてはこのまま消え去ってしまいたいのだが、当然できるはずもなく、ただ身を小さくして俯くしかないのに。


 なのに、ああ! この子ときたら……!


 悦んでる。


 周りの好奇の視線に晒されて、恥ずかしそうにしながらも、確かに義妹は悦びと羞恥に身を震わせていた。私は思わず拳を固く握り、ぐっと奥歯を噛み締める。

 私たちの住む小さな家の、立派とはとても言えない、小さな暖炉から出た使用済みの、汚れた灰にまみれた姿で、この、美しい、義妹は、ただ、ただ――


「失礼」


 私の中に湧き上がった、失望とも絶望とも、怒りとも言えない炎を消し止めたのはごく冷静な声だった。


「え、まさか、王子様……?」


 唖然とした妹の、まだ幼さの残る声が私を現実へと引き戻す。

 振り返った先には黒髪の巻き毛、アイスブルーの瞳。何度か姿絵で見たことのある、彫刻のように整った王子殿下の尊顔があった。


「そこの、薄汚い格好をしたみすぼらしいお嬢さん。どうか私とワルツを踊っていただけませんか?」


 薄い唇に微笑を浮かべて、王子殿下は義妹の前に立ち、優雅に一礼した。


「あっ、ええ……ええ! 喜んで」






 テンポの速いワルツに、要領の悪い義妹が当然ついていけるはずもなかった。何度か足を踏み外して転びそうになるたびに、義妹の細い腰をしっかりと王子殿下が優しく支え直したあと、耳元に何事か囁き、義妹は顔を赤らめる。

 そこでどんな会話が繰り広げられているかなんて、私は知りたくもない。

 

 義妹が、殿下の手によりくるりと身を回すごとに、まるで蝶の鱗粉のように白い灰が辺りに舞って、綺麗に磨かれた大理石の床を汚す。


 相変わらず、周囲の好奇の目は踊る義妹と王子殿下、そして私たち姉妹を行ったり来たりしていて、まるで品定めされているようだった。私たちと義妹を見比べて「やはり」と訳知り顔に頷き合い、自分の妄想をあたかも事実のように語り合う「お嬢様」たちの視線に、早々に耐えられなくなった私は、そっと妹の腕を引いて会場を出ることにした。

 外は打って変わって薄暗く、明るい会場に慣れた目には真っ暗に映る。あんなに薄汚れた格好の義妹が、やすやすと入って来られたことを疑問に思っていたが、この暗さなら納得がいく。元々白い肌と、淡い色彩の髪色に白い灰が大量に降りかかったところで、ろくに判別することも出来なかったのだろう。

 馬車を帰らせず外に待たせて置いて良かったと、これほど思った事はなかった。御者は少し離れたところで煙草をくゆらせていたが、私たちの姿に気が付くと慌てて火をもみ消して傍に寄ってきた。


「ちょっと、人ごみに酔ってしまって……」


 そう言うと、全て納得したような顔をして馬車の扉を開けてくれた。妹と乗り込んだ馬車内は、会場での熱気に火照った顔を冷やしてくれるが、冬も近い季節柄、少し肌寒い。備え付けの毛布を引っ張り出して羽織り、妹の小さな体を引き寄せる。


「お姉さん。私、明日から学校行きたくない」


 会場には多分、妹の級友も数多くいたに違いない。鼻声で、拗ねたように窓の外を見ながら言う妹の頭を、私は黙って撫でた。

 時が経つにつれ、外からは若い女性の声がざわめき、待たせていた馬車にこぞって乗り込み、帰路に着く音が聞こえる。一台、二台と隣に停まっていた馬車が動き出し、残りは我が家を含め数台となっても、義妹は姿を現さなかった。


「あんな恥知らずな子。門限に遅れて、野宿でもしたらいいんだわ。ねえ、御者さん、時間は少し早いけれど、もう家に向かってくれない? 私もお姉さんもとても疲れているの。もう一人のことなんて、もうどうだっていいわ」

「そんなこと……ああ、そんなこと言わないで」


 そろそろ就寝の鐘が鳴り響こうとする時間。悪態をつく妹の背中を撫でながら私は諭すのだが、いつものように義妹を庇う言葉が出てこなかった。


「お姉さんは優しすぎるわ! あの子だって、少しくらい痛い目を見ればいいのよ!」


 激昂した妹は、その気分のまま言葉を連ね上げる。


「もういや! せっかくのダンスパーティだったのよ? 生まれて初めてだったのに。こんなに綺麗なドレスを着て、美味しいお料理を食べて、目いっぱい楽しもうと思っていたのに、それなのに、どうしてこんな目にあわなくちゃいけないの? ……全部あの子のせいよ! 何よあんな子、ただ綺麗なだけじゃない! 私のほうが、家事だって勉強だってずっと出来る。お姉さんだってそう思っているでしょう?」

「お願いだから落ち着いてちょうだい」


 就寝の鐘が鳴り始める。御者は雇い主である母の言うとおり、出発の準備を始めた。何度も窓の外を確かめるが、義妹の姿はまだ見えない。

 ――野宿でもしたらいいんだわ。ついさっきの妹の言葉が蘇える。こんな寒空で? あの義妹ならば喜んでその罰を受けるかもしれない。それならそれで、あの子が喜ぶなら……いいえ、駄目よ。凍え死んでしまう。あのみっともない格好のまま、冷たくなった義妹の姿が見つかったらどうなると思う? とは言っても、人の口に戸は立てられない。今夜の、あの会場内での様子では、きっと明日の内には、傲慢で意地悪な姉たちと、哀れで健気な義妹の話が国中を駆け回る事だろう。

「大丈夫よ、心配することなんて何もないわ。だから、落ち着いて」と、妹の背中を優しく撫でながら、なかば自分に言い聞かせるように繰り返す。本当は、心配事だらけなのだけれど。






 就寝の鐘が、最後までかれた。

 鳴り響く余韻を待って、任務に忠実な御者が馬に鞭を振るおうとした丁度そのとき、


「待って!」


 息を切らせた義妹が、駆け込んで来た。


「良かった、間に合って」


 胸に手を当て、ほう、と息をつく。義妹のその姿を見て実感した。確かにこの薄暗がりでは、灰まみれの惨めな様子は闇に紛れてうかがい知れない。月夜に浮かぶ微笑はまるで聖女のようで、誰もが見惚れてしまうだろう。


「あなた、靴はどうしたの? それにその足、大丈夫? 痛くはないの?」


 座った義妹のドレスの裾から覗く裸足に気付いた。つま先は赤く腫れ、親指と小指の薄皮が剥けていて血が滲んでいる。それだけでも痛々しいのに、踵はもっとひどい靴擦れを起こしていて、水ぶくれが潰れた後皮がべろりと大きく剥がれ、滴る血で真赤に染まっていた。


「あの、もともと私の足には小さすぎる靴だったでしょう? でも、踊っているときは夢中で痛みも感じなかったわ、不思議。本当に時間があっという間に過ぎてしまって、気付いたら鐘が鳴り始めていたの。急いで馬車に向かおうと思って走り出したのですけれど、上手く走れなくて。足はどんどん痛くなってくるし、思い切って脱ぎ捨てて来てしまったわ」


 ばつが悪そうに傷ついた足をドレスの裾に隠しながら「お義母さま、きっと怒っていらっしゃるわよね」と、弱弱しく笑ってみせる義妹の瞳は、舞踏会の興奮がまだ冷めないのだろう、きらきらと輝いていた。


「当たり前じゃない! そんな、そんな格好で……。信じられない! あんたなんてねえ、お母さんにうんと叱られちゃえばいいのよ。私たちにあんな恥をかかせておいて、よく平気でいられたものね! お母さんに全部言いつけてやるんだから! あんたなんて、あんたなんて……!」

「お願いだから大きな声を出さないで。ねえ、あなたは少し落ち着いて。気持ちは分かるけれど、もう夜も遅いのよ。迷惑になるでしょう」


 ほつれてしまった髪を小さな耳にかけてあげながら言うと、妹は泣き顔のまま、不貞腐れたように窓の外へと顔を背けた。


「それから、あなた」

「なんでしょう? お義姉様」


 打てば響くような答えとともに、義妹は輝かしい笑顔を向けてきた。その美しい顔を見た途端、今日一日分の疲れがどっと押し寄せてきて、私の口から出たのは、重い溜め息だけだった。


「……いいえ、やっぱり何でもないわ」


「あら、そうですか?」と言う義妹の声に残念そうな響きがあったのは、きっと私の気のせいだ。


 そう思いたい。





 出掛けの明るい空気とは一変、馬車内には重苦しい沈黙だけが漂っているというのに、義妹はそんなことを意にも介さず、馬車の窓から流れる景色を興味深そうに眺めて歓声を上げたり、かと思えば、夢見るような視線を宙に投げ、胸の前で手を組んで幸せそうな吐息を漏らす。ぱちぱちと長い睫毛を瞬かせ、くすくすと笑いだした時には、とうとう気が触れてしまったのではないかと半ば本気で心配した。


「どうかしたの?」


 そう尋ねると、義妹は心底楽しそうに、ふふふと笑い声を上げた。


「この馬車ってまん丸でしょう? 外から見たら、まるでカボチャみたいって思ってしまったんです。カボチャの馬車を引く動物って一体何かしら? 大きさから言ったらリス? それともネズミ? 想像したら可笑しくって。可愛いリスがカボチャでできた馬車を引いているところは見てみたいわ。でも流石にネズミは、ねえ?」


 ――馬鹿じゃないの。冷えた声で妹が呟き、私も声には出さなかったが、心の底から賛同した。






 戸口で私たちの帰りを、そわそわと所在無さげに待ち構えていた母は、灰まみれの義妹の姿を見るなり卒倒しかけたものの、何とか堪えた。眉間には深い皺が寄り、こめかみに青筋を立てているが、私たちの疲れきった様子を察してくれて、話は明朝に、ということにしてくれた。

 自室に戻り、ほとんど気合だけで化粧を落とし、ごてごてとしたドレスを脱ぎ捨てて髪を解き、寝台に潜り込んだ後の記憶はなく、翌朝まで夢も見ずに泥のように眠った。






「あれほど私の帰りを待ちなさいと言ったでしょう……」


 ぐっすりと眠って目覚めた朝食の時間。昨夜あった出来事を、順番に私たちから聞きだした後、母は額をおさえ低く呻いた。特に妹は、昨日私たちがどれだけ惨めで恥ずかしい思いをしたか、義妹の格好、物言いなどを臨場感溢れる身振り手振りで伝え、学校に行くのが耐え難いと切々と語ったのだが。


「それとこれとは話が別です。あなたの成績は、その評判によって上下するのですか? 友達にしてもそう。たった一晩の噂で友情が崩れるのなら、今までのあなたの振る舞いが信用するに値しなかったということなのでしょう。それは学校を辞める理由には到底なり得ません。自分の行いに恥じることがないのなら、胸を張って前を向いていなさい」


 ぴしゃりとはねのけた母は、唇を尖らせ、不満そうに頬を膨らませる妹の様子など気にも留めず、厳しい視線を義妹に向けた。


「一体どういうつもりなの? 言いつけを破って、目も当てられない格好で舞踏会に行ったばかりか、わがままを通して買った靴まで脱ぎ捨ててくるなんて。その愚かな行いはあなただけではない、私やあなたの二人の姉、ひいてはお父様にまで類が及ぶのですよ。昨日はたまたま王子殿下がお声を掛けてくださったから良かったものの、そうでなかったらあなたはただの不審者です。その場で捕らえられて、不敬罪で罰せられてもおかしくなかった。お父様は商人としての権利を全て奪われ、財産は没収されて私たちは路頭に迷うでしょう。それを踏まえての行動なの? それとも、ただの考えなしなのかしら」

「あ、あの……わ、私は、そんな、つもり……ごめんなさい、ごめんなさい」


 義妹の白い頬を透明な涙が伝う。はらはらと静かに涙を流す義妹は、傍からは心底反省しているようにしか見えない。本気で泣いている証拠に、義妹の鼻の先は赤く染まっているし、目元も腫れている。

 だから、いつもより瞳が輝いて見えるのは涙のせいで、頬が紅潮して見えるのは何度も涙を拭ったせいなのだろう。他の意味に考えてしまうのは、きっと私の穿ちすぎなのだ。


「ともかく、あなたには一度、頭を冷やしてもらう必要があるわ」


 母は義妹の流す涙にも全く動じることなく、淡々と告げた。


「この家に越してきてしばらく経つけれど、屋根裏部屋だけはしばらくは使わない荷物を押し込むだけで、ろくに片付けもしていなかったわね。この機会に、あなたには徹底的にそこの掃除をしてもらいましょうか。誰の力も借りずに、何が必要で何がそうではないか、自分の頭で考えなさい。それが終わるまでは他のことには手を出さないで、日が暮れるまでは屋根裏からは出ないこと。いいわね?」





 さすがの母も、昨夜は急に姿を消した義妹に動転し、他のことに気が回らなかったらしい。朝日に照らされた床は、義妹が躓いたという使用済みの灰が入っていたバケツがひっくり返り、あたり一面が真っ白に汚れていた。意気消沈して、傷ついた足を引きずりながら屋根裏に向かう義妹を見送ったあと、私たちは総出で床掃除にとりかかった。妹がバケツを片付け私がほうきで床を掃き、母が固く絞った雑巾で丁寧に床を拭く。誰が何を言わずともお互いの行動を先読みして円滑に物事が進むのは、母が再婚して以来久しかった。

 義妹がいないだけで、こんなにも仕事が早く終わるのだと、すっかり綺麗になった床を見ながらしみじみと実感していたとき、戸口の外にざわめきを感じ、控えめに扉を叩く音がした。


「誰かしら?」


 母は洗った雑巾を干しに裏庭に行っていたため、代わりに私が扉を開き、そっと顔をのぞかせると、そこには立派な髭をたくわえた上品な紳士が立っていた。

 見覚えの無い老紳士を筆頭に、見るからに上等な衣服を纏った殿方が十人ほど列を成し、重厚な鎧に身を固めた兵士たちがその脇を固め、最後尾には噂に聞く騎士なのだろう、一段ときらきらしい鎧の一団が、見覚えのある黒い巻き毛の麗しい男性の周りを取り巻き、辺りに目を光らせていた。


 ――不敬罪、身分剥奪、財産没収。


 背筋に怖気おぞけが走り、額には嫌な脂汗が滲みはじめる。


「どうぞ、よろしければ中へ。狭く、見苦しい家ですが」


 取っ手を押さえる腕が震えそうになるのを何とか抑え扉を大きく開けると、決して広くはない居間へと入ってきたのは、髭の紳士と数人の騎士に警護された、ここまで近くで見てしまえば間違えようのない、美しい王子殿下のお姿だった。何事かと様子を伺いに来た妹が、物々しい鎧姿の騎士を見た後、怯えた顔で私の腕にすがる。


「母さんは?」

「もうすぐ来ると思う、けど。……ねえ、何が起きてるの?」


 それを聞きたいのは私のほうだ。

 ――分からない、と小さく首を振ると、妹は一層顔を強張らせ、しがみついてきた。私はその背中をさすってやることしか出来ない。

 私たちの様子を見た髭の紳士が、ふと、目元を和らげたような気がしたのだが、護衛と共に一歩前に踏み出されたらこちらも後退するしかない。母さん、早く来て。そう切に祈るのだけれど。


「どうか、そう怯えずに。お嬢さん方、私たちは決してあなた方を脅かしに来たのではありません」


 そう言って、老紳士は見るからに高価そうな赤い天鵞絨の包みをそっと開いた。


「この靴の持ち主を探しているのです」


 透明なガラスでできた華奢なつくりの靴。細いつま先と高い踵の部分には、金細工で繊細な蔦模様が描かれていて、角度によってきらきらと光を反射する。

 少しどころではなく見覚えのある、所々、特に踵とつま先を中心に赤茶色へ変色した血に染まったガラスの靴を、老紳士はうやうやしく掲げた。


「昨晩、この靴を履いて王子殿下と踊ったご令嬢を探しています。見事、このガラスの靴を履きこなした方こそ、未来の王子妃。とはいうものの、靴だけでは皆目見当もつかず。ドレスは生地も仕立ても中の上。宝飾品もそれなりな事から、靴の持ち主は裕福な庶民か準貴族、ダンスに慣れていなかったからおそらく平民だろう、という殿下の見解だけをたよりに、送った招待状の一覧からとりあえず中流以上のご家庭だけを絞りだし、他の条件に当てはまる中からとりあえず、あなた様がたのこの家を一番に訪ねたのですが……」


 息つぎもない長口上のあと、老紳士は首を振って疲れたように溜め息をつき、真剣なまなざしで私たちを見つめた。

 私は息をのみ、すがるような眼差しで、裏口のほうを何度も見るのだが、一向に母が来る気配はない。母ならば上手いこと機転を利かせ、この場をやり過ごすことが出来ただろうに。


「も、申し訳ありませんが、どう見てもその靴は私たちの足には小さいように見えます」


 はしたないかもしれないが、上履きを脱いで、つるりとした傷ひとつない足を見せ、妹にも同じ事をするように目線で促した。


「この通り、私たちがその靴を履いた形跡もありませんし、……ですから、どうか、ほかの方を当たってみては」


 ガラスの靴は小さ過ぎた。年齢の割りにすらりと成長した義妹よりも小柄な私たち姉妹の足ですら、入るのが困難と思えるくらいに。義妹はよくこんな靴で踊れたものだ。内側にこびりつく生々しい血の痕がその苦労をしのばせる。誰が見ても、この小さな靴に年頃の娘の足が入りきるとは思うまい。靴の持ち主は嫌というほど知っているが、明かすつもりもない。

 王子妃なんて大役は、とてもではないが、あの要領の悪い義妹には荷が勝ちすぎる。

 私の返答は、多分想定内だったのだろう。老紳士は苦笑しながら、ガラスの靴を元のように天鵞絨に包みなおそうとした、のだが。


「足が入らないのならば、入るようにつま先を切り落とすなり、踵を削ぎ落とすなりすればいいのでは?」


 不意打ちのような王子殿下の言葉に、その場の空気が固まった。妹がひっと息をのみ、ますます強くしがみついてくる。

 冷淡な光を放つ薄青の瞳。殿下は、薄い唇にうっすらと酷薄そうな笑みを刷いた。


「試してみてはどうだ? 仮にも王子妃を決める舞踏会に出席したのならば、それくらいの覚悟は必要だと思うのだが」


 ニィっと三日月のようにつり上がる唇は、まるで血塗られたように赤い。私と妹は抱き合いながら、ガタガタと震えあがった。そんな私たちを見た王子殿下が、楽しそうに目を細める。妹の震えは、いつの間にかすすり泣きに変わり、私の服を涙で濡らしていた。小刻みに震える妹の肩を優しく抱きしめ、私は覚悟を決める。

 顔を青褪めさせてはいるものの、この場にいる臣下は誰一人として、王子殿下の発言を咎めることをしなかった。良識を持ち合わせてるように見えた髭の老紳士さえも。だとすれば、どのような意図があるのかは計り知れないが、先ほどの殿下の言葉は、私たちに対する命令なのかもしれない。

 足の指先、あるいは踵を切り落としたとして、流れ落ちる血の量はどのくらいなのだろう。全て終わった後、私は果たして正気を、命を保っていられるかしら。それでもこの責め苦を、妹たちに負わせるわけには行かない。

 私は長女、二人の姉なのだから。

 すがりついてくる妹の腕を優しく引き剥がし、笑いそうになる膝を叱咤しながら、忌々しいガラスの靴の前へと進み出る。妹が小さく息をのんだ。

 この小さな靴に入らなかった部分は、騎士の方々が切り落としてくれるのだろうか。できれば一思いにやってほしい。切れ味鋭い剣なら、それ程痛みを感じることもないだろう。大きく息を吸い込んでからゆっくりと吐き、ギュッと目を閉じて片足を差し出した、その時だった。


「待って! あ、あの……それなら私が!」


 息せき切って転がるように居間に駆け込んできたのは、屋根裏部屋から出ないように言いつけられていたはずの、他ならぬガラスの靴の持ち主である義妹だった。

 紅潮した頬、星のように輝く瞳は、王子殿下だけに向けられていた。殿下も義妹の顔を見て、わずかに目を見開く。


「そうよ、その子! そのガラスの靴を履いていたのはその子よ! 足を見れば分かるでしょう? だから、お願いだからお姉さんの足を切らないで!!」






 義妹の痛々しい足の傷の場所とガラスの靴に残る血痕が見事一致したことによって、誰の足を切り落とすこともなく王子殿下の捜し人は無事見つかり、老紳士を始め殿下を取り巻いていた方々は、一様にほっとした表情で胸をなでおろしていた。

 騒ぎを聞きつけ、遅まきながらも駆けつけた母は、騒動の一連の流れを聞いて今度こそ卒倒した。慌てて私と妹が介抱に走る中、どことなく物足りなさそうな義妹とどこか不満げな王子殿下の表情が強く印象に残る。






 ――意地悪な継母と義姉たちのむごい仕打ちに耐え続けていた灰かぶり姫は、見事王子様の心を射止め、その後、幸せに暮らしたのでした――





 暮らしこそ豊かではあったものの、ただの一般庶民から王子妃に成り上がった義妹の人気は凄まじい。見た目の美しさだけではない、天性の素直で朗らかな性格や、しとやかな物腰。家族に虐げられる辛い生活を送ってきたのだという噂が、彼女の人気にさらに拍車をかけた。

 世紀の婚礼の当日。純白の花嫁衣裳に身を包んだ義妹は、それこそ後世に語り継がれるくらいに美しく、気高かった。

 この日にたどり着くまでの幾多の苦労を思い出し、泣きながらお互い抱き合う義妹と私たち母娘を見た多くの人々は、「ご覧、継母たちが悔し涙を流しているよ」とひそひそと囁きあった。

 この頃やっと、己の浅はかな行為のせいで、私たちがあらぬ噂で窮地に追い込まれていると知った義妹が顔色を変え、噂の火種を消そうと必死に走り回ってくれたおかげで、私たちは石を投げつけれらたり、罵倒を浴びせられたりすることなく外を出歩くことができる。

 今までの悪行を許すのみか、意地悪な母娘に危害が及ばぬように奔走する王子妃殿下の姿に、ますます同情の目が寄せられ、王室の人気は空前のものとなった。それは良いことだと、純粋に思う。このくらい人望が集まれば、義妹の多少とは言えない要領の悪さが明るみになったとしても、かえって親しみやすいと受け入れてもらえるだろう。


 全ての経緯を聞いた時、義父は母と同じく卒倒した。愛娘が、どうしてこんな事態を起こしたのか皆目見当もつかないが、自分が留守の間皆に迷惑をかけて済まなかった。けれど、どうか娘共々見捨てないで欲しい。そう言って深々と頭を下げ、私たち一人ひとりに謝った。この時改めて、母が義父と再婚して良かったと、しみじみ思った。

 この人は、母も義妹も、血の繋がらない私たちも、それぞれ愛してくれている、そう実感した。


 王子妃殿下の人気を受けて、まだ分別のつかない少年少女たちにあることないこと言われる前にと、義父と母は、妹に留学を進めた。最初は渋っていた妹だったが結局押し切られ、たった一人見知らぬ土地に旅立っていった。しばしば送られてくる手紙によれば、もともと勉強好きだった妹は外国での学生生活を満喫しているらしい。友達も多くできたようだった。手紙の締めには必ず、家族の健康と幸せを願った一文が載せてある。


 案外穏やかな日々を送ることができている私たちだが、それでも閉口しまうのは、月に一度、義妹から送られてくる釣書の束だった。どうやら幸せの絶頂にいる義妹は、そのおすそ分けを私にしようと励んでいるらしい。


 『皆さん、とても素敵な方たちばかりですのよ。早くお義姉様にもぴったりな方が見つかるといいのですけれど』


 義妹の流麗な文字による一言が必ず添えられた釣書は、目もくらむような肩書きの殿方ばかりで、到底私などに釣り合うとは思えず、いつも丁重に断っている。母は不満そうな顔をするが、これまでほとんど我がままを言ってこなかったのだからと、目をつむってもらっている。


 義妹のお眼鏡にかなった男性など、冗談ではない。


 類は友を呼ぶ。


 身内である義妹ならまだしも、赤の他人にこれ以上振り回されるなんてまっぴらごめんなのだ。


 


 

  



 

  

 

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