前編
しん、と静まりかえった大広間。大きな音を立てて扉を開けて飛び込んできた義妹は、胸に手を当てて大きく息をしている。その姿をしばし見つめた後、どうしてこうなったんだろうと、なかば現実逃避気味に過去を振り返った。
母の再婚により新しくできた妹は、それはそれは美しい娘だった。私たち姉妹と並んだ義妹を見て、母が複雑そうな顔をするくらいに。名誉のために言わせて頂けるのならば、私たちが不美人というわけでは、決してない。義妹が飛び抜けて美人なだけだ。
誰よりも肌理細やかで白い肌。際立って整った目鼻立ち、非の付け所のない均整の取れた体つき。出会った瞬間、この子とは次元がまるで違うのだと、私は早々に諦めをつけた。
「お義姉様方、どうぞ仲良くしてくださいね」
差し出されたのは、しなやかで白く、まるで苦労を知らなさそうな手だった。
母の再婚相手は成功した商人で、二十を超える部屋のある屋敷を所有し、当時十人以上の使用人を雇うという、まるで貴族のような生活をしていた。
結婚の際、ごく堅実的な母は贅沢すぎると言い、屋敷を引き払って五人で住むに丁度良い小ぢんまりとした家を見つけて引越しさせ、使用人全員に十分な退職金を出して暇を告げた。
「これからは女手も増えるのですから」
それが言い分だった。
母は若い頃、良家の子女の家庭教師として働いていたことがあり、礼儀作法に関しては大変厳しい人だった。顔が良いだけのろくでなしの前夫――つまりは私の実の父――との不幸な結婚生活に終わりを告げたあと義父と出会うまで、母娘三人豊かとは言えない暮らしを続けてきた。食うに困ることだけはなかったものの、新しい服など当然買ってもらえるはずもなく、ご近所から分けてもらったお古を繕って着ているような生活。それでも母は、細々とした仕事の合い間を縫って、私たちに簡単な読み書きから言葉遣い、さらには食事作法まで自分の知識が及ぶかぎり、徹底的に指導した。母は自分の子供だからといって容赦はしなかった。酷いときには鞭すら受けたこともある。そして、その方針を再婚したからといって改めるつもりもないようだった。
母としては、妹たちが学校に通っている間に私の結婚相手を決め、二人が卒業してからは結婚が決まるまで、淑女としての心得を、自らみっちり教え込もうとしていたのだろう。
誤算は、再婚相手の連れ子がとんでもなく要領の悪い娘だったということに尽きた。
料理を頼めば鍋を焦がし、掃除を言いつければ汚水の入ったバケツをひっくり返す。
せめてこれだけはと、雑巾縫いをさせたら着ている服と一緒に縫い付ける始末。尻拭いをするのは当然母と私たち姉妹。
何度言っても失敗ばかりの義妹に、家事をさせるのは止めたほうがいいのではないかと、母娘三人で額を寄せてよく話し合ったものだ。
それなのに、
「お義母様、何かすることはありませんか?何でもおっしゃって」
「私お役に立ちたいの。お手伝いしますね、お義姉様」
天使のごとき微笑でそう言われると、何もするなとは言い辛い。
なるべく簡単な用事をさせるたび、義妹が酷い失敗をしては、私たちの余計な手間が増えてしまう。
悪気はないのだ、そう思いたいのだけれど、それが回を増すごとに母の小言が厳しくなるのも無理のない話だと思っていた。
「ああ、せっかくあかぎれとは無縁の生活が送れると思っていたのに。お姉さん見てよこれ」
自分の部屋で繕い物をしていた私の前に、家の窓拭きを言い付かっていたはずの妹が現れ、唇を尖らせて言う。
「新しいお父さんがお金持ちで、家には部屋がいっぱいあって使用人もいるって言うから、喜んでたのよ」
たったの五人家族に広い家はもったいないと半ば無理やりだったものの、今住んでいる家に引越ししたこと自体、私は良かったと思っている。
前のお屋敷は広すぎて迷子になりそうだったし、据えられている家具もただ豪華なだけで、使い勝手が悪く、居心地もあまり良くなかった。雇いの使用人とはいえ、身の回りのことを他人にしてもらうのも正直気が引ける。けれど、まだ幼さの残る妹は違っていたらしい。
「母さんが決めたことなのだから仕方がないでしょう。それよりあなた、掃除は終ったの?」
「終った」
膨れっ面でそう言って、妹はひび割れのある真っ赤な手を私に差し出してきた。
「こんな手してるの、新しい学校じゃ私だけなのよ。友達に見られたら恥ずかしいからあんまり見せないようにしてるけど、もう、ばれてると思う」
がさがさとしていて、所々血が滲む小さな手。季節関係なく水仕事をする、母も私も同じようにあかぎれはあるのだけれど、何かを堪えるような妹の顔を見てしまうと胸が詰まる。
私とは少し年の離れた妹たちの通う学校には、裕福な家庭の子供たちが多く在籍していた。
転入生という立場に加えて、白魚の手とは全く無縁どころかむしろ間逆な妹は、浮いた存在として肩身の狭い思いをしているのかもしれない。
「そんな顔しないで。後で義父さんから頂いた香油を塗ってあげるわ。薔薇の香りがするのよ」
「本当?」
現金なもので、妹はぱっと顔を輝かせた。
「あの人、お腹は出てるし、顔中お髭だらけだけどいい人よねえ」
妹の言うとおり、義父は思っていたよりもずっといい人だった。先の奥様は義妹を産んですぐに亡くなったらしい。義父とはちっとも似ていないから、義妹はきっと母親似なのだろう。若くして失った妻に良く似た娘を溺愛する義父が、私たち姉妹にも優しかったのは嬉しい誤算だった。仕事で家を留守にしている事が多いが、旅の先々で私たち全員に異国の珍しい物を送ってくれる。
母には更紗織りのスカーフ、私には素敵な香りのする香油、妹には珍しい透かし彫りの髪留め、義妹には螺鈿細工の小箱といった具合に。
「これでよけいなコブが付いてこなければ完璧だったのに」
「そんなこと言うものではないわ」
そう窘めたものの、妹の気持ちは分かる気がした。
妹と義妹は生まれ月が違うだけで、年は同じだった。家では同い年なのに、早く産まれたのだからと、何かと我慢を強いられる姉の役を押し付けられ、学校では同い年だからこそ色々比較される。母に似てプライドの高い妹にはきっと耐えられないのだろう。
「だってあの子ったら……」
不満そうに続ける妹の声を遮るように、階下から何かが割れる派手な音が聞こえてきた。
「だ……! …………! ま……」
「…………」
よくは聞き取れないが、強い口調の母の声と、それに答えるおどおどとした義妹の声が聞こえる。
「何かしら?」
妹と二人、顔を見合わせると急いで二人のいる台所へと降りて行くことにした。
騒ぎの原因はすぐに分かった。向かい合う、険しい顔をした母と青ざめた義妹の足元には、割れた食器の破片が散らばっている。
「洗ったお皿を拭いて片付けるくらい、簡単な仕事でしょう? 何をぼんやりしていたの?」
冷たい声で母が問い詰めた。
「ごめんなさい、お義母様。あの、今朝、居間の窓の外にとっても可愛らしい小鳥がいたの。それで、ええと、昨日の残りのパンくずをあげたら、美味しそうに食べていて、え、と、もし、もしもよ? あの……あの小鳥さんとお話ができたらどんなに素敵かしらって、私考えてしまって……あ、あの、それで、わ、私……」
おずおずと上目遣いで答える義妹の顔はとても愛らしかったが、母は表情を固くする一方だった。
「ご、ごめんなさい……!」
今にも泣き出しそうに義妹が唇を震わせて、不注意にも割れた破片へ手を伸ばす。
「危ない!」
母がその手をぴしゃりと叩いた。ハッと義妹が身を強張らせ、そのまま顔を伏せる。
「怪我をしたらどうするんです……もう、いいわ。あなたはもう、部屋に下がって」
叩かれた手を反対の手で押さえ、唇を噛み締めた義妹が、顔を俯かせたまま走り出した。箒を取りに行くように命じた母も、それに従う妹も気付いていない。
私は見てしまった。悲しそうに眉尻を下げ、美しい琥珀色の瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだったけれど。
でもあの子。
あの子、笑ってた。
その日から、義妹は自らの要領の悪さに拍車をかけた。
義父が大事にしていた高価な花瓶を割ったり、床中を水浸しにしたり、ただの雑草と野菜の苗を間違えて引っこ抜き、菜園を目茶苦茶にしたり。
日常茶飯事になりつつある、義妹のそそっかしい失敗だけならまだましだった。
テーブルに置かれた料理に手を伸ばしてつまみ食いをしようとしたり、薄布一枚で家中を歩き回ったり。母の理想から大幅に外れる、おおよそ淑女らしからぬ振る舞いを、義妹はするようになったのだ。
最初のうちこそ、連れ子に手をあげてしまったと動揺していた母だったが、時が経つごとにあまり躊躇することがなくなった。
「何ですか! はしたない」
あろうことか、足で雑巾がけをしようとした義妹の背中を母は小突いた。
「あっ……! ごめんなさい、お義母様」
母から叱られるたび、義妹は悲しそうに唇を噛むが、それが悦びの表情を隠すためだと私は知っている。
「本当に愚図よねえ」
怒られていい気味、と言わんばかりの妹の言葉に、顔を哀しそうに俯けているものの、実は嬉しそうな顔をしている義妹の顔を、私はつい確認してしまう。
わざとやっている。この並外れて美しい義妹は、母に叱られ妹に罵られる行為を自らの意思で行っているのだ。
唯一の救いは、気付いているのが私一人ということ、ただそれだけだった。
冬も押し迫ったある日、家に私たち姉妹宛にそれぞれ招待状が届いた。
外遊していた王子殿下の帰国を祝って舞踏会を開くので是非出席されたし、という内容のもので、貴族でもない我が家に何故、と最初は不審に思ったのだが、妹たちの通う学校の生徒だけではなく、貴族、平民を問わず、国中の若い娘が殆ど招待されたことを教えてもらった。
「王子様が運命のお相手を探すために、国中の女の子を招待したのですって!」
頬を紅潮させながら学友たちとの噂話を教えてくれた。
それを真に受けたわけではないが、二人の妹は勿論、恥ずかしながら私も招待状を受け取ってからは浮き足立っていた。王都に暮らすようになり、お城を遠目で見たことはあるものの、一般庶民である私がその中に入ったことは当然ないし、綺麗なドレスだって着たことがない。年頃の娘ならば誰もが一度は、美しく着飾ってお城のダンスパーティに出席することを夢見たことがあるに違いない。
幸いなことにこの点で言うと、母は大変物分りが良かった。勿論、自分の娘を王子妃にと大それたことを考えるほど、母は夢見がちではない。娘たちが舞踏会で恥をかかぬためには、それなりの支度とお金が必要だと判断した母は、相変わらず出張中の義父に早速手紙を出し、三人分のドレスを仕立てる許可とお金を得、私たちは舞踏会への支度へと出かけた。
「ああ……」
「まあ、なんて素敵なの!」
既製服などでも、ましてや自分の拙い縫製でもない、たった一つの自分だけのドレスを作るために向かった仕立て屋で、私たちはそろって溜め息をついた。
目にも鮮やかな絹織物、赤に緑に金色。どれもこれも素晴らしく、一つ一つ手に取って見ていたら日が暮れるどころか、季節さえ変わってしまいそうだった。
「その萌黄色のタフタは袖と裾をうんと膨らませて、そちらの桜桃色のジョーゼットは肩を出してその上からもう少し濃い色のオーガンジーを重ねて……。そうね……それからその青い本繻子は……」
あれこれ目移りしている私たちをよそに、母は次々に衣装を決めていく。妹は不満げな顔をしていたが、まだろくに審美眼を養われていない私たちに、己に似合うドレスを見繕うことなどできる筈もなく、色や形は母に任せると、事前に話し合って決めていたのだ。
その代わりと言ってはなんだが、装飾品は好きな物を選ばせてもらえることになった。
種類豊富な髪飾りや腕輪。耳飾りに首飾り、ブローチなど。素材も、貴金属から天然石、珍しい植物。果ては動物の骨からできている物さえあるという。悩みに悩んだ末私が決めたのは、淡水真珠を幾重にも連ねた首飾りと、それと揃いの耳飾りと腕輪。妹は星をかたどった繊細なつくりの髪飾りと、鮮やかな色の鳥の羽根を集めて作られた扇、それと私の真似をしたのか、大粒真珠の耳飾りを選んだ。
義妹はと言うと。
「素敵……」
溜め息を零しながらも、一足の靴に釘付けだった。確かにとても美しい靴だった。透明なガラスでできたその靴は、尖ったつま先と、踵の部分に金細工で蔦模様が描かれていて、それが光に反射してきらきら光る。
「まあ、お目が高い事。ですがそれは展示専用で、成人間際の女性の足には合わないかと存じます」
仕立て屋の女主人は申し訳なさそうに言い、母も眉を曇らせた。
「そうね。素敵なのはよく分かるけれど、あなたの足には随分と小さく見えるわ。どうせドレスで足元は隠れるのだから、靴ではなくてもっと別の……そうね例えば、あちらの金の耳飾りはどう? あなたの髪色とちょうど同じだし、ドレスの色にも映えると思うのだけれど」
「いいえ、お義母様。どうしてもこれが気に入ってしまったんです。確かにきついかもしれないけれど、その位は我慢できるわ。お願い、もしこれを買っていただけるのなら、私、他の物はいりませんから」
珍しく義妹は、断固として自分の意見を譲らなかった。女主人と共になんだかんだ説得し、言い含めようとしたものの、義妹は首を決して縦に振らず、結局母は根負けする形で、私たち三姉妹はそれぞれ気に入った物を手に入れて、意気揚々と帰路に着いたのだった。
それから舞踏会まで、怖ろしいほど平穏な日々が続いた。義妹の要領の悪さはなりを潜め、私たちは余計な尻拭いをすることなく、思う存分、来る日に向けて肌や髪の手入れに時間を割くことができた。母は自分の教えがやっと実を結んだと、どことなく満足げだったし、妹は他の事など眼中に無いといった感じで、爪磨きに集中していた。
だから私は、時折胸によぎる一抹の不安にも蓋をしていたのだが、それは間違いだったのかもしれない。
舞踏会当日の忙しさと言ったら、今までにないくらいだった。三人分のドレスの着付けに化粧、髪結いなど全て終わらせた後、母はぐったりと長椅子にもたれながら、疲れきった表情をしていた。
対する私たちは、かわるがわる姿見の前に立ちながら、きゃあきゃあと騒ぐ。
「お二人とも、なんて可憐で可愛らしいのかしら。まるでおとぎ話の妖精みたい」
「あら、そんなこと言われても、見え透いたお世辞にしか聞こえなくてよ? ねえ、やっぱり何度見ても、あなたの方が何倍も素敵。隣に並ぶのが恥ずかしいくらい」
「本当。悔しいし絶対に認めたくないけど、多分、今日のあんたは国中の誰よりも一番綺麗だわ」
「嫌だわ、恥ずかしい。そんな事おっしゃらないで」
けれどそんな和気藹々とした時間は、いざ出かけようと連れ立って玄関を出ようとしたとき、「きゃあ!」という義妹の悲鳴、彼女が派手に転倒し、布が裂ける嫌な音と共に終わりを告げた。
「どうしたの!」
母が血相を変えながら慌てて駆け寄ってくる。妹と二人、手を差し出して義妹を助け起こすと、ドレスは無残な有様になっていた。どうやって転べばそんな風に生地が裂けてしまうんだろうと思うほどにスカートの前部分がずたずたに裂けていて、所々ペティコートが露わになっている。母は、眉根を寄せながらドレスの損傷具合を検分し、そのまま神妙な面持ちで私と妹に言った。
「あなたたちは、待たせてある馬車で先に行きなさい。前々から言っている通り、舞踏会だからと言って、決して羽目を外さないように、淑女としての振る舞いを忘れないようにしなさい。就寝の鐘が鳴り終わる前に帰りの馬車に乗る事。鐘が鳴り終わったら、誰がなんと言おうと、たとえ誰も乗っていなくても馬車は我が家に向かいますからね。馬車が家に着いた時、私は玄関に鍵をかけます。乗り遅れたとしても、それは自己責任よ。野宿なりなんなりしなさい。門限も守れないような人間に淑女の資格はありません。よろしいですね?」
よどみなくすらすらと言葉を連ねる母に苦言を呈したのは、私でも妹でもない、義妹だった。
「お義母様? 私もお義姉様たちと一緒に行きたいです。こんな鉤裂き、大したことないですわ。ですから私も同じ馬車で……」
「何を馬鹿なことを。そんなみっともない格好であなたは本当にお城に上がるつもりなのですか? そんなことは許しませんよ。さあ、何をぐずぐずしているの、あなたたちは早く馬車に乗りなさい」
母の答えはにべも無い。
私たちはせき立てられるように馬車に乗ってお城に向かい、可哀そうな義妹のドレスのその後など知るよしもなかった。
開け放たれた大広間。床は磨きぬかれた大理石でできていて、少ししゃがみ込めば、己の顔がくっきり映るほどだ。あちらこちらに据えられた照明が床に反射し、夜も更けたというのにまるで昼間のような明るさだった。
「すごい……」
妹と二人、異空間に投げ出されたような気分になり、ただただ圧倒されるのみだった。
舞踏会は三日間開催され、私たちが招待されたのは最終日。会場は同じ年頃の娘であふれかえっていて、冬だというのに、羽織物がなくても人の熱気で汗ばむほどだった。
宴の始まりは、王子殿下の挨拶から始まった。とはいっても、遠目でほとんど顔など見えないし、周囲のざわめきで、声もろくに聞こえなかった。ただ、周りの歓声と拍手に合わせて手を叩く。その後は、軽食の並んだテーブルへと向かい、この機会を逃したら食べることの出来ないであろう、豪華な食事に手を伸ばした。
「あ、あの子」
「お友だち?」
「うん、同じ学校の子」
見知った顔を見つけたのか、妹が笑顔で手を振る。どうやら同級生がいるらしい。
「お友だちがいるのなら、そちらに行って来てもいいのよ? 私ならこの辺りにいるから、どうぞ行ってらっしゃい」
「ううん、いい。今日はお姉さんと一緒にいるわ」
妹は、どことなく緊張した面持ちで答えた。
「あの子のお祖父さん、騎士だったんだって。だから、貴族のお嬢様たちとも顔見知りみたい」
こうして辺りを見回していると、本当に国中の娘を招待したのだということが分かった。おそらく既製服であろう、若干、袖や裾の丈の合わないドレスを着た、いかにもこういった場には慣れていませんと言った顔で、きょろきょろとせわしなく首を動かしながら料理を頬張る娘たちは、きっと私達と同じ平民なのだと簡単に推測できる。
私たちは、義父の支度金のおかげで身なりをそれなりに繕うことができたが、それでも会場の全体を見渡せばこの装いは中くらいで、簡単に埋もれてしまう。妹の級友だと言う少女をふくむ、その周辺の華やかなお嬢様たちと私たち姉妹では、雲泥の差があった。遠目から見ても生地も縫製も質が違うのが窺える。身に付ける宝飾品も照明を反射して目に眩しい。その上を行く上級貴族のご令嬢達の立ち居振る舞いを含めた煌びやかさと言ったら、語彙の少ない私に言葉にできるわけもなく、格の違いというものを嫌でも見せ付けられた気分になった。
結局、妹の言っていた王子殿下の運命の花嫁探しと言うのは建前で、侯爵だか公爵だか、その違いはよく分からないけれど、とにかく高貴な生まれのご令嬢とのご婚姻が既に決まっているに違いない。その証拠に、殿下を始めとした若くて高貴な気品溢れる殿方たちがダンスに誘うのは、高価なドレスを身にまとう女性ばかりで、私たち平民は壁に追いやられている。
不満を感じているわけではない。何かの間違いで、もしダンスに誘われたとしても、ステップもろくに踏めない私では相手の足を踏まないようにするのがせいぜいだ。むしろ、殿方たちは会場の半数以上を占める、私たち姉妹を含む平民の娘たちに恥をかかせまいとしてくれているのだろう。
とは言うものの、何という茶番。
結局、私たちのような平民が舞踏会に招待されたのは、にぎやかし、あるいは王子殿下が結婚相手を選ぶ場に居合わせる証人のようなもの。口さがのない若い娘がたくさん集まれば、殿下の色恋沙汰は尾ひれをつけながらあっという間に広がるに違いない。
王子殿下は結婚適齢期ではあるが、これまで浮いた話などほとんど聞いたことがなかった。
もしこの舞踏会で、殿下がある一人の女性に興味を示し、これまでと少しでも違った行動を見せたのならば、次の日の早朝には国中に王子殿下のご婚約成立という噂が事実として広まっていることだろう。
けれども残念ながら、これまで殿下はどのご令嬢にもごく儀礼的かつ冷淡に接していて、とても心に決めた女性がいるようには見えなかった。
くるくると舞い踊る男女の姿を、遠巻きに眺めながら思い浮かべるのは、この場にいない哀れな義妹のことだった。もし、あの美しい妹がここにいたら、もう少し空気は変わっていたかもしれない、とは思うのだけれど。
義妹がこの場にいたとして、どうなった? あれほど見栄えのする娘なら、いくら平民だとしても殿方の誘いは引きも切らないだろう。
でも、それで? うかつにもその誘いに乗ってしまった義妹が手酷い失敗、お相手の足を踏むのはまだ許容範囲内として、例えば躓いた義妹が相手のズボンを引き摺り下ろす、あるいは頭部を引っ掴んで実は鬘だった輝かしい頭部を露わにしてしまう――どれもこれもありえそうで怖い。
義妹が出掛けに躓いたのは、あるいは神の采配だったのかもしれない。
「あの子、遅いわね」
妹が気遣わしげに、大きな扉の向こうを何度も見やる。宴はとうに最高潮を迎えていた。王子殿下は、艶やかな紅色のドレスを着た、栗色の巻き毛の貴族令嬢と軽やかなステップを踏んでいた。令嬢は麗しく、それでいて淑やかで、決して自分の足元を見ることもなく、ずっと王子殿下の顔を潤んだ瞳で見つめていた。
「こんな素敵なパーティに、この先お呼ばれすることなんてないでしょうに。よりによって、転んでドレスを破くなんて、本当にドジよね。……可哀そうな子」
普段憎まれ口を叩いている妹だが、せっかくの舞踏会に来ることもできていない義妹に対して、さすがに同情心を抱いているようだ。
「そうね。けれど、せめて帰りの時間までに来られたなら、少しだけでも――」
私がそう言いかけたとき、バアン! と派手な音を立てて扉が開かれた。
そして話は冒頭に戻る。