リオン君による某主従の観察記録 〈某公爵について〉
*変態警報発令中。R15あたりの仄めかし表現有。一応、ブラックコメディーを目指した系。
仄暗い灯に、男の顔は照らされていた。
普段は飄々とした笑みを崩さないその面に、珍しくも真剣な表情が浮かんでいる。
そこらの貴族の屋敷とは格の違う、格調高くも落ち着いた室内。
一つ一つが平民の生涯年収を軽く上回るだろう調度品に囲まれながら、男は何かを見聞しているようであった。
貫くような鋭さを湛えた眼差しは、先程から男の手元へ向けられている。
「終わった」
「——ああ、リオン君かい」
ようやく『彼』に気付いた男は、顔を上げた。
湯あみの後らしく、いつも撫でつけている赤銅色の髪が、水気を含み逆立っている。常日頃は如何にも貴族らしい伊達男なのだが、今は隠されがちな野性味の方が目につく。
「順調にいったかい?」
「いつもと同じだ」
男からの頼まれごとをこなすことは、『彼』にとってそう難しいことではない。ただ、『彼』に与えられた役目を終える度、『彼』の中から憎悪や歓喜といった正負がない交ぜになった叫びが生まれる。『彼』自身のものではないその叫びは、『彼』が以前の彼とは逸脱した存在である確たる証拠であり、『彼』に何とも言えない感慨を呼び起こすものであった。
「ところで、何を見ている?」
そう男に尋ねた瞬間、『彼』は己の選択を心底後悔した。
男が浮かべた笑みは、寒気がするほど、——気持ち悪かったのだ。
執着。妄執。狂気。そう言った男の歪みが現れ、自身も狂っていることを自覚している『彼』をして、それを向けられた相手に冥福を祈りたくなる代物だった。
……ついでに来世の幸福を祈るところだが、目の前の男の執心ぶりを見ていると、対象が昇天したところで、宗教の中に謳われる天国への道行や輪廻の輪を阻止してしまいそうで笑えない。男のそれは、もはや執着というより粘着質と言うのが当てはまるかもしれない。あえて男の妄執に擬態語をつけるならば、ネチョネチョで、ネッチョリで、ネトネトである。
『彼』は男の主君と、彼女に付き従うもう一人を知っていたが、主従の中で一番人間的にあれなのは目の前にいる男であると、胸を張って断言できる。
「——素晴らしいだろう」
満面の笑みを浮かべたまま、男が手に持つものを掲げた。
「……」
『彼』は沈黙する。
沈黙するしかなかった。
三十路を過ぎた男が満面の笑みを浮かべて、『それ』を掲げるのだ。
——何も言いようがない。
「我が君が、これを身に纏う姿は、さぞ美しかろうね」
うっとりといわれても非常に困る。
『彼』は、無言のまま『それ』から目を逸らした。
何せ、いけない妄想をこれでもかと掻き立てる代物なのだ。
迂闊に想像すると、男の理不尽な怒りを買いかねない。
——蛇足だが、『それ』は男の主君が正気の時に身に纏うものではない。
一応、常識の持ち合わせのある彼女ならば、通常の衣類に要求される機能が排されているどころか、違う方面での機能に特化した衣類は一目見ただけで拒絶する。
『それ』は、お楽しみの後に男が勝手に主君に着せるものだった。
主君の意識が朦朧としている間に、『それ』を着せて脱がせるので、すっとぼけられれば、彼女も男に苦言を呈し辛いのだろう。
男が主君に異様な執着を向ける原因も、男が彼女を義務から引き剥がさない理由も、『彼』は知らない。
とりあえず、部外者の『彼』をして怖気が走るほどの男の欲望を受けざるを得ない彼女に、『彼』は心の中で重ね重ね哀悼の意を捧げておいた。
そして、『彼』はそのまま、『それ』を片手に笑み崩れる変態の前から逃亡したのであった。
はっきり言えば、男のあれな行動にいちいち付き合っていたら、『彼』の身が持たないのだ。
——後日、『彼』は非常に肌艶の良い男と、非常に気だるげな男の主君を目撃した。




