番外編『星無時に頑張る子供』その4
ちょっと説明文多し、です。
——そして、辛うじて支えられていた堤が決壊するのと同時、神域の境界線を刻み付けるように、巨大な炎の壁が吹き上がった。
目を閉じて集中している娘が抱きしめているのは、鞘のない一振りの剣。剥き出しになった緋色の刀身には、ゆらゆらと炎が揺らめく。それが司るのは、世界を焼き滅ぼす終末の火焔だ。
常より凶暴性を増した魔物であっても、炎剣が生み出す破滅の焔には打ち勝つことができないらしい。おどろおどろしい魔物の咆哮が響けども、彼らは火焔で形成された境界線を超えることができない。
ふと、娘の顔に影が落ちた。
それよりも一瞬早く、赤銅色の髪が翻り、娘に襲い掛からんとしていた翼をもつ魔物が吹き飛ぶ。
炎の壁に叩きつけられた魔物は、断末魔の声を上げることも叶わずに灰と化す。
「あはっ」
己の数十倍の質量があろうかという魔物を殴り飛ばした少女は、愉しそうに笑った。
そのまま、少女の躰が躍動する度に、炎の壁で防ぎきれなかった魔物たちが、細切れになっていく。
「上空の魔物は任せるのだっ」
そう宣言する子供の周囲に、ごく淡い光が舞う。
次の瞬間。
子供の姿が、金縁で彩られた白銀の全身鎧で覆われ。
そのまま、べしょっと、銃器の上に倒れた。
「……お、おもいのだ……」
子供には、身に纏った全身鎧が重過ぎ、立っていられなかったらしい。全身鎧の神々しさが、間の抜けた雰囲気を助長している。
「……本当に大丈夫なのかね?」
男はぼそりと呟く。彼は、極度の集中状態にある娘を、後ろから抱きしめる様に支えていた。
「むう」
子供は、精一杯の力を込めて、銃器の引き金に指をかけた。
——銃器が裏返る。
そう錯覚するほど、変化は劇的だった。
微睡みの中に漂っていた狂気が浮かび上がる。
ただの無機物であった銃器に命が吹き込まれたかのように、それは、発狂しそうな禍々しさと魂まで絡めとられるような凄艶さを身に帯びている。
その先にあるのが惨劇であり悲劇であっても、手を伸ばさずにはいられない、退廃的な魅力と存在感。
時に、男を破滅に導く『宿命の女』とも称される忌まわしき器物——呪具が、身を浸していた停滞より目覚めた。
「むむむ」
何かがごっそりと削り取られる感覚に、子供は眉を顰める。
それは、呪具を使用する代価ではあるのだが、子供の手に銃器が馴染んでしまっても、これにはいっかな慣れることができない。
子供を覆う全身鎧の煌めきが増すと同時に、銃器が仄暗い輝きを宿す。
転がった銃器ごと地面にへばりつく子供は、引き金にかけた指に力を込めた。
銃声は一度きり。
神域から溢れ出す魔物により黒く陰りつつあった空が、その蒼を取り戻す。
「なぜあれで当たるのかね?」
男は呆れ気味に、世界の神秘に思いを馳せる。
銃口は地面に水平。その前に、全身鎧と一緒に地面の上に転がっているという、その道の者からすれば、舐めているとしか言えない状況。
その状態から、上空の魔物を殲滅するというのは、悪い冗談にしか見えないのである。
「む!」
子供は己の成した結果に満足気に頷く。
如何に無様な恰好であろうと、目的が達成できるのなら子供は別に気にしない。
そもそも、子供が扱える——その性能を一欠片であっても発揮させることができる武器は、ほぼ無い。
何故ならば、子供の戦闘への適性が皆無であることに加え、彼の血統に特有の性質が戦闘に適さない方向に発言したためである。
——神器、と呼ばれるものがある。
呪わしき力を凝縮した呪具と対として扱われる、神の力の一欠片を宿した器物だ。
使用者の破滅と引き換えに絶大なる効果を発揮する呪具に対し、神器は使用者を自ら選ぶ。
子供を含めこの国の初代国王に連なる血統は、代々、神器に魅入られた人間を輩出してきた。
深紅の衣装を纏う娘は、世界に滅びをもたらす炎を司る緋色の剣に。
そして子供は、あらゆる害意を撥ね退ける聖鎧に魅入られたのであった。
しかしながら、神器が宿すのはあくまで神の力の一欠片でしかなく、万能とは程遠い。
子供の場合、聖鎧の能力を十全に発揮するべく聖鎧を纏うと、重過ぎて思うように動けなくなるのだ。
聖鎧の力は守護――ひいては、己と敵との隔絶だ。そこに、子供に並はずれた怪力が備わるといった機能は存在しない。
そのため、自分でも悲しくなるほどの運動音痴である子供の、唯一無二の攻撃手段がこの銃器型の呪具——『ザミエル』であった。
本来この銃器は、使用者の生命と引き換えに不可避の弾丸を放つ代物だ。
それを、子供は自らの神器に秘められた力を代償にすることによって、己を損ねることなく呪具の性能を引き出しているのだった。
引き金を引く度に、魔物の大軍が大きく削り取られていく。
子供は、その事実を特に高揚感もなく受け止める。
それは、この百年近く、子供が星無時の度に見てきた光景であったから。