断章『そして、滅びの焔は灯る』
*R15の凌辱を匂わす描写有。御不快に感じる方は、ご遠慮ください。
みないで。
おぞましい手が体中を這い回る。
どうしようもなく気持ちが悪いのに、些細な刺激にさえ快楽を感じる躰が厭わしい。
嗅ぎ慣れたはずの情事特有の匂いに、今は吐き気がこみ上げてくる。
お願い。
私を、見ないで。
叫びたくとも、喉は潰れ、声は掠れる。
世界はいつでも理不尽で、どこにでも転がっている不幸は、いつでも手ぐすねを引いて待ち構えている。
優しい指先が近くにあるのに。
どうして、私に触れるのが貴方ではないの?
きつく閉じた眦から、涙が一筋零れた。
消えてしまいたい。
そう思ったのは自分で、それでも、他の人間がいなくなればいいと、思わなかった、筈だ。
けれども、『繋がって』、しまった。
心臓に、灼熱が灯る。
耳を侵し続けていた、卑しい嗤い声が唐突に途切れた。
忌まわしい感触が、消失する。
唐突に訪れた無音。
虚ろな目を開いた娘の目の前にあったのは、赤の世界。
赤く。赫く。紅く。赤々と。
もえる。燃える。炎は燃え盛る。
何かを喚き散らしながら娘に剣を振り上げた男は、炎に舐めあげられると同時に消え去った。
虚空に浮かび上がった、魔法の発動を知らせる陣さえも、炎に喰われ、世界を歪めぬまま霧散する。
「ブリジッド」
馴染んだ腕が、娘をきつく抱きしめる。
男の安心できる温もりに、娘は安堵の息を吐いた。
それと同時、何の前触れもなくあがった火の手は、急速に収束していく。
そして、ごおっと、一際激しく炎が燃え盛った後、娘の目の前に一振りの剣が出現していた。
どこかの手妻のように虚空に静止するその剣は、鮮やかな緋色。
余計な装飾が存在しない、無骨な刀身には、ゆらゆらと炎が揺らめく。
ああ、と娘は細く長い溜息を吐いた。
悟ってしまったから。
——ずっと、ずっと、呼ばれていた。
目を背けていた。
耳を塞ぎ続けていたのは、分かっていたからだ。
手を伸ばしてしまったら、引き返せなくなると。
『——真なる《殺戮の覇王》の座——。沈黙の星のままにするには、実に惜しい……』
そう呟いたのは、誰だったか。
纏まらない思考のまま、娘は炎剣に手を伸ばす。
それに触れようと触れまいと、最早引き返せないことだけは、理解していた。
娘の指先が刀身に触れた瞬間、炎剣は無数の火の粉となり、その場から消え失せる。
それでも、胸中の熱は消えることなく。
娘は、己が岐路の先に至ったことを知った。
「みぃ~つけたっ」
無邪気な声は、主の喜色を如実に表していた。
声が響くと同時に、その場にいた複数の人間の首が、文字通り飛んだ。
床に首が落ちる、湿った音。
その後一拍を置き、思い出したように噴出した血潮が、床の穢れを上書きする。
「——やっと、やっとだよっ」
そう言って、嬉しそうにきゃらきゃらと笑うのは、乾いた血のような髪色の少女だった。
少女がいつからそこにいたのか、娘には分からない。
恐らくは、先程の殺戮を行ったのがこの少女であったと思われるのだが、少女の様相はその行為とは不釣り合いに見えた。
要所要所にレースがあしらわれた衣装は、全体的に丈が短く、肉付きの薄い手足がむき出しになっている。活動的な衣服であるのだが、お洒落のつもりなのか、腰元のベルトには、掌ほどの小さな熊の縫いぐるみが括りつけてあった。
笑う少女が跳ね回るたびに、左右の耳の上あたりで括られた癖のある髪が、持ち主の動きに合わせてひょこひょこと揺れる。
無邪気に喜ぶ少女の様は、あまりにも周囲の凄惨な光景とは異質で、見る者に不気味な違和感を募らせるものだった。
体中で歓喜を表現していた少女は、気が付けば、娘の目の前に立っていた。
「我が君」
それまでの狂態が嘘のような優雅な動きで、少女は娘に跪く。
恰も、替えの利かない尊い相手へするように、恭しく。
「貴女が貴女である限り、絶対の忠誠を誓約申し上げます。——我が唯一無二たる主君よ」
廃棄することが能わぬ誓いは、娘と少女のこれからを、雁字搦めに縛るものだった。
少女の唇が娘の晒された足の爪先に触れたとき、娘を抱きしめる腕に、痛いほどの力が加わった。