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いったい、どれだけの時間が経過したのだろう。きっと、まだそれほど時間は経過していないはずだけど、それでもかなりの時間が経過したかのような錯覚を覚える。それほど、私は男性に対して自分が感じる恐怖のことを伝え続けていた。
学校で目に見えるほとんどのものから恐怖を覚えること。
何か、どんなものでも私のことを痛めつけようとしているように見えて仕方がないこと。
そして、少なくとも今わかっているのは、本を読むことだけがほぼ唯一恐怖の感情から逃れることのできる手段だということ。
何故、私はこんなにもすんなりと自分のことをさらけ出し続けているのだろう。自分でも、本当にわからない。……少なくとも、今までにはなかったことだ。
男性は私の話を、何やら作業を続けながら何の文句を言うこともなく聞き続けてくれていた。そして、私の話が一旦落ち着くと、男性はタイミング良く何かを差し出してくる。
「――良かったらどうぞ」
男性が差し出してきたのは、一杯のコーヒー。そして、表紙に何も記されていない一冊の文庫本だった。
私はその差し出されたものと男性の姿に視線を交互させながら、何がなんだかよくわからない状態のまま話す。
「えっ、あの、これ……は?」
「ん? コーヒーと本ですけど」
「そんなことはわかってます! そうじゃなくて、私何も注文してませんけど……」
「あぁ、これは私からのサービス。もちろんお代はいりませんよ。……コーヒー、お嫌いですか?」
「いえ、そんなことはないですけど……。でもサービスだなんて、ただでいただくわけには……」
「いいからいいから。実はこれ、まだうちの商品ってわけじゃないんですよ。試作品ってやつです。ですから、良かったら味見てってほしいなぁって思いましてね」
「そう、ですか……」
若干……いや、それなりに不信感を抱いてしまうけど、差し出されたコーヒーの放つ心地よい香りに負け、私は素直にそのコーヒーをいただくことに。
「……美味しい」
「良かった。それじゃあ、その本もぜひ読んでみてください」
「えっと、この本、表紙がまっさらですけど……何ていうタイトルなんですか?」
表紙に何も記されていない文庫本を手に取りながら、私は当然のように浮かんできた疑問を投げかける。すると男性は、文庫本の一頁目を開こうとしていた私の手をそっと握って呟いた。
「それは、私にはわからないんですよ。……大丈夫。君がこの本を読み終えたときに、きっとタイトルが何なのかがわかりますから。――そして、きっとその時には、君が抱えている恐怖に対する対処法が見つかっていると思いますよ」
あるのは、男性の見せる笑顔と私を包む手の温もりからくる驚きとちょっとした焦り。けして、恐怖の感情は生まれてこなかった。
コーヒーをすすりながら、文庫本の一頁目をゆっくりと開く。
そして私は、まるでコーヒーの香りに溺れているかのような感覚の中、一頁目一行目の文字を読み取る――ことなく、カウンターにゆっくりと上半身を預けていた。
意識が遠のいていく。……その状況をかろうじて認識していられた僅かな時の中、男性の穏やかな笑みだけが、私の脳裏にただただ残っているのだった。