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男性の声に対して感じたあの感覚は、全くもって謎そのものだった。何故、見ず知らずの……ついさっき初めて会ったばかりの人の声に対して心地よさを覚えたのか。
ただ、謎ではあったけれど、実際に心地よかったのは紛れもない事実。下手に追及するよりは、素直にその心地よさに浸っていた方が良いに決まっている。そう判断した私は、素直に男性のエスコートを受けることにした。
カウンターの真ん中辺りに位置する席に座った私は、カウンターの中へと戻ろうとする男性の姿を追うのをやめ、店内の様子を窺うことに。
店内には、このカウンターのスペースも含めだいたい二十席くらいのスペースがあったが、私の他にお客さんの姿は見当たらない。奥の方には本棚が所狭しと並んでおり、ギッシリと蔵書が詰め込まれていた。
後ろを振り向くと、私が入ってきた入口のドアがあり、ドアの中央部を占めるガラス越しに『営業中』という文字の記されたボードが見て取れる。
――って、何で店の内側から営業中の文字が見えるの? も、もしかして……。
「あ、あの……もしかして、まだ営業時間じゃなかったり……しますか?」
私が恐る恐る尋ねると、すでにカウンターの中へと戻っていた男性は一瞬呆けたような表情を見せた後、くすっと笑って答えた。
「えぇ、まだ本当は準備中なんですよ。……でも、折角いらしてくれた珍しいお客様ですからね」
その答えは、私の顔を青ざめさせる効果をしっかりと有していた。いくらなんでも、まだ準備中の店に居座るわけにはいかない。
「ご、ごめんなさい! 私全然気づかなくて!」
そう言って慌てて立ち上がろうとすると、何故だか今度は男性の方が慌てて、
「あっ、大丈夫ですから! それに、君を招き入れたのは私の方なんですから、全然気にしなくていいですよ」
手を差し出して私を制しながら、そんな言葉で更なる制止を試みている。結局、今度は私の方が呆ける番になってしまっていた。
普段なら間違いなく恐怖を感じるべきシチュエーションな気がする。でも、何故だか……本当に自分でもよくわからないけど、その男性の行動に焦っていた気持ちが解きほぐされていく。
私が立ち上がろうとしていた体制を解き座りなおすと、男性はどこかホッとした表情を見せる。
「あの……本当に、良いんですか?」
「えぇ、もちろん。……それはそうと、何で君はうちに? 引き止めておいてなんですが、君こそ本当に学校は大丈夫なんですか?」
男性は私に話しかけながら、何やらカウンターの中で作業をし始めている。でも、その男性の言葉に、私は男性がしている作業のことなど全く頭に入らなくなってしまう。
――学校のことを話題に出されて、あの恐怖が再び私の心を支配し始めたんだ。
「……嫌なんです。行きたく……ないんです」
「勉強が嫌だから?」
「違います。……怖いんです」
「怖い?」
「……学校の校舎も、先生も、クラスメイトも……みんな怖いんです」
何で私はこんなことをついさっき初めて会ったばかりの人に話しているんだろう。そんな疑問を抱きつつも、私は理性が生み出す躊躇いを無視して、ただただ汚物を吐きだすかのように話し続けていた。