45話 老いたる馬は道を知る
―減―
「キョウさん……」
「何だ……」
「何で倒れ伏してるんですか」
「もう無理だ。もう駄目だ。もたねえ」
キョウさんは倒れ伏したまま動かない。
「マリーさん、キョウさんは……」
「私は拘束術式の解析に忙しいんです。それに、キョウのこれはいつものことです」
「そうすか……」
「くそおおっ!」
「!?」
聞き覚えのある声がして上を向くと、クロウが窓を割って飛び出しているところだった。
「やはり、クリスタルの部屋に!」
「オギ! 見て、クロウの少し向こう!」
拘束が解けかけているメリアが顎で上を指す。
見ると、クロウが追っているのは、あの部屋にあった漆黒のクリスタルだった。
クリスタルが……飛んでる!?
「どういうこと!?」
「わからない。マリーさん!」
「恐らくクリスタル自身の防衛機能が働いたのでしょう。あのままでは、クロウを取り逃がすだけではなく、クリスタルまでもが行方不明になってしまいます」
「でも、キョウさんはダウンしてるし、まだ俺達の拘束も解けきっていない……」
そう言いかけた時だった。
急に、空中で浮遊していたクリスタルが黒い光を放ち、それがクロウの胴体を貫いた。
「ぐあああっ!」
クロウが苦痛に声を上げる。
クリスタルはなおも飛んでいく。
「オレガノ! 探索魔法を!」
メリアが呼びかけたが、オレガノは顔を伏せたまま答えない。
「どうしたの!?」
「広域呪術式を……拘束されていたから……、魔力の消費が……」
なるほど。クロウは解呪だけではなく、拘束も術式にかけていたらしい。
どうりでオレガノがさっきからひと言も喋らないわけだ。
「まだです!」
マリーさんが片手を空中のクリスタルに向けた。
すぐに、シュル、という音と共に細い糸がクリスタルを捕縛する。
「よし! クロウが動かないうちに回収を……」
が。
急にクリスタルから火が吹き出し、糸を焼ききってしまった。
「そんな!」
クリスタルは何事も無かったかのように、急にスピードを上げると、屋敷の外に飛んでいった。
「……ふっ」
上空のクロウが滞空したまま、笑みをこぼした。
「封じられてなおこの威力。……やはり素晴らしい。必ず……手に入れてみせる」
そう言ったクロウは、素早く身を翻すと、「高速魔法:肆式」と呟き、次の瞬間、その姿は忽然と消えていた。
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「それは大変なことになったね」
自分の腕や足を、曲げ伸ばししているアレンが、天井と床にジャンプして交互に手を着くという、さながら大道芸のような動きを始める。
「何だよ、アレン。他人事みたいに」
「とはいっても、僕は実際クロウさ……クロウの物捕り劇は見てないわけだし。ああ、物捕り劇って捕まえた場合に言うんだったっけ」
しかし、あのクリスタルは一体なんなのだろうか。
魔法が掛かっているにしてはやけに防衛性能が高かった。
あのクロウの魔法をものともせず、マリーさんの糸を焼き切り逃げたのだ。あれ自体に相当な魔力が込められているに違いない。
「それは……どうなんだろうね」
アレンがいぶかしげにこちらを見る。
「どうって……何がだ?」
「いや、ふと思ったんだけど。あのクリスタル、ただの宝石じゃないんじゃないかな」
「宝石じゃないなら、何なんだよ」
「そこまでは僕にも分からないよ」
アレンがどさっとソファーに腰掛ける。
「お待たせしましたっ!」
「お連れ様です」
いつぞやの二人組のメイドさんがドアを開けて、俺達が待っていた玄関ホールに入ってくる。
「待たせたわね」
「……マリーさんに……話を聞いて、いたから」
そのあとに、メリアとオレガノが続く。
「マリーさんに?」
「ええ。あのクリスタルについてだけど、アレンが治るまでの間、使用人総出で書物庫を捜しまわったらしいわ」
メリアが手のひらに火の玉を出しながら言う。
極地とか行ってもこいつだけは死にそうにないな。
「それで? 何かわかったのかい?」
隣のアレンが言う。
「あのクリスタルは……古代に、シオンさんの祖先が……“何か”を封じ込めたもの……らしいわ」
「何か?」
「おそらくは、何かの魔物の類でしょう」
上から声がし、ホールの螺旋階段からシオンさんが降りてくる。
「そういうことね」
メリアがシオンに駆けよっていく。
「メリア、みなさん。今回は本当にありがとうございました。クリスタルは現在、マリーとキョウを筆頭に、捜索を行っています。今回は事なきを……得ているとは言い難いですが、みなさんにはとてもお世話になりました。ぜひ、また、今度は依頼ではなく、お友達としていらしてください」
「堅苦しいわね、シオン。こういう時は、素直にまた来てねって言えばいいの」
メリアが笑いながら屋敷のドアに手をかける。
行方をくらました漆黒のクリスタル。
今だはっきりとした目的のわからないクロウと、その陰にある集団。
クリスタルに封じられているという“何か”。
分からないことばかりだが、依頼が終了した以上、名残惜しいが俺達は一度、学院に戻らなければならない。
だが同時に、俺達は確かな何かを感じていた。……それは、これから何かが始まるという予感。
休学届を準備しておく必要がありそうだな。
「そんな事態にならないといいけれど、ね」
隣を歩くメリアが言う。
「まあ、今日はオギの単位入手を記念して、僕たちの部屋で乾杯でもしようじゃないか」
「それも悪くないな」
今はまだ、嵐の前の静けさに、過ぎない。