29話 歯牙にもかけない
諺の意味ですが、無視して問題にしないこと。
だそうです。
―減―
マリーさんがクリスタルを持っていない方の手の指をくいっと引く。
「うぎゃあ!!」
その動きに連動するように、シランの体が操り人形のように拘束されていく。
うめき声を上げるシランを、マリーさんが冷たい目で見据えた。
……熟練者の眼だ。
基本ワイヤーなどを使う業は自己防衛のための護身術がほとんどである。
しかし、マリーさんはそれを転じて完全に攻撃用の戦闘術として扱っている。殺しのプロか、護衛のプロか……、どっちもなんだろうな。
「さあ、泥棒猿。これから私が一つずつ質問をします。必ず本当のことを言いなさい。嘘を吐いたかどうかは、今あなたを縛っているワイヤーから伝わるあなたの全身ありとあらゆる筋肉の硬直が教えてくれます」
「うきき、誰が本当のことなんかぎゃああああ!」
シランは一瞬余裕の笑みを浮かべたものの、それはすぐに苦痛の色に変わった。
理由は一目瞭然、シランの身体に巻き付いているワイヤーの内の一本が、その右手を切り落としたからだ。
悲鳴を上げるシランを前に、マリーさんは、
「言っておきますが、あなたが抵抗したり嘘を吐くたびに、身体の部品のどこかを切断します。私、キメラって大嫌いなんですよ」
笑っていた。
その声を聞いたシランはびくっと身体を硬直させる。
「じょ、冗談だろ? おいらがこんな女に……」
「それでは、最初の質問をします。あなたを送り込んだ者の名を答えなさい」
「……お、おいらを送り込んだお方は……」
シランが答えようとしたその時だった。
「ぐっ!!」
シランがその場でうめいた。
「マリーさん!?」
「わ、私ではないです!」
俺はマリーさんが力を入れ過ぎてしまっているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「うぐっ、うぎゃああ!!」
シランは、ついには叫び声を上げ始めた。
そして、気付く。
なんだ……? シランの身体がなんだか歪んで……。
「うきき、や、止めてください! おいらは、おいらはまだ……」
そうおびえたように言うシランの身体がどんどんねじれていく。
「これは……拘束術式の魔法!?」
マリーさんが慌てたように言う。
拘束型の魔法。属性は関係なく、相手を物理的もしくは念力のような魔法で空間に固定する攻撃魔法。
聞いた話では、かなり高度なものらしく、一介の魔術師程度のレベルでは出来ないと聞いたが……。
「でも、この魔法は……」
ついにはマリーさんまでもが圧倒されたかのように後ずさりを始めた。
「うぎぎぎぎぎ……」
そうこうしている間にも、シランの身体は空中で歪んでいき、そして、
「うぎゃああああああああああああああああ!!」
耳をつんざくような断末魔と共に、砕け散った。
いや、文字通り、破れた。
「……、おそらく、このキメラは、もう用済みと判断されたのでしょう」
落ち着きを取り戻したらしいマリーさんが四散する肉片を見て呟く。
「でも一体、どんなやつが……」
「わかりません。ただ、相当な手だれだということだけは確かです。むしろ、その本人が出てこなかったことに安堵しています。……情けない事ですが」
マリーさんがひゅっと手を振ると、空気中に何かが舞った。
糸を回収しているらしい。
「どうやら、強襲してきた黒服の集団はあなたのご学友や兵士たちが粗方沈めてくださったようですね」
マリーさんが探索系の魔法を使ったらしく、こちらを見て言う。
「そう、ですか……」
俺は片膝をつく。どうやら相当緊張していたらしい。
魔法を使った本人が現れたわけでもないのに、この圧倒感。
相手取っていたら、おそらく今の俺ではあっけなく殺されていただろう。
……ひとまずは、安心か。