行き倒れた没落令嬢、粘着系男子(物理)に拾われる。〜重すぎる愛とスライムの便利機能を使い倒して、究極の怠惰ライフを満喫中〜
雨が冷たく打ち付ける路地裏。
泥水が跳ねる石畳の上に倒れ伏しているのは、銀糸のような髪と透き通るような白い肌を持つ少女――没落子爵令嬢のシルフィエルだった。
精霊のように儚く、可憐な令嬢。誰もが振り返るその美貌は、泥に汚れてもなお輝きを失っていない。
しかし、彼女の脳内を占めているのは、悲壮感でも絶望でもなかった。
(腹減った……。石でもいい……いや、流石に石は無理か。せめてその辺の雑草、塩茹でにして食べたい……塩気が欲しい……)
実家が詐欺に遭い、婚約者にもあっさりと捨てられ、文字通り着の身着のままで放り出されて三日。
究極の飢餓状態にあったシルフィエルは、霞む視界の中で「何か丸くてふくよかなシルエット」が近づいてくるのを捉えた。
「おや。こんなところに、美しい廃棄物が落ちていますね」
声は、穏やかで丁寧だった。
見上げると、そこには平凡な顔立ちの、少しふくよかな青年が立っていた。彼の手が、倒れたシルフィエルの頬にそっと伸びてくる。
その手首のあたりが、なぜか異様にツヤツヤモチモチとしていて、ほのかに甘い匂いがした。
(……パン? いや、もっちりしたお餅……?)
限界を迎えていたシルフィエルの野生が、理性を軽々と吹き飛ばした。
彼女は伸びてきたその手を両手でガシッと掴むと、ためらいなく大きく口を開け――
ガブリッ!!
「……っ!?」
青年の腕に、綺麗な歯型が食い込んだ。
しかし、血は出ない。代わりに、プニッとした不思議な弾力と、ほのかな甘味が口いっぱいに広がる。
「……あの。食べないで、ほしい、のですが……」
青年が困惑したように言う。しかし、シルフィエルは離さない。生存本能が「これを手放すな」と力強く告げている。
餅(仮)を逃がすまいと、彼女は野生動物のようにギラギラとした瞳で、青年を真っ直ぐに睨み上げた。
その時だった。
至近距離でバチリと視線が交差した瞬間――青年の全身を、雷に打たれたような凄まじい電流が駆け抜けた。
(ああ……なんて、美しくて、貪欲な瞳だ。僕を、こんなにも激しく求めてくれている……!)
それは、果てしなく永い時を生きる古代スライムが、生まれて初めて「一目惚れ」をした歴史的瞬間であった。
先ほどまでの困惑はどこへやら、青年はぽっちゃりとした頬を真っ赤に染め、なぜかモジモジと身体をよじらせ始めた。
「……いや。でも、君の血肉の一部になるというのも、それはそれでアリですね。ええ、素晴らしい同化の方法だ。もっと深く、隅々まで味わってくれても……」
うっとりと熱っぽい視線を送り、照れくさそうに頬を掻きながら身悶えする青年の言葉を、シルフィエルはガサツにぶった斬った。
「んん、今は塩気のものが食べたいからやめとく。で、あんた誰?食べ物持ってない?」
「失礼しました。私の名はマクシミリアン・フォン・エルドラド・第十三世。王侯貴族の裏社会にて『不要なものを跡形もなく消し去る都市伝説の掃除屋』として名を馳せる、由緒正しき古代スライムの一族にして――」
「長い。あんた、ふくよかで丸いから『マル』でいいわ」
「マル……!なんという素晴らしい響きでしょう。君が私に名前(所有印)をつけてくれるのですね!」
感動で打ち震える少しぽっちゃりした青年をよそに、シルフィエルはただ一つ、打算的な計算を弾き出していた。
(なんかヤバそうな奴だけど……身なりは整ってるし、こいつについて行けば、一生働かずに飯が食えるのでは……?)
かくして、儚げな見た目とは裏腹に、究極の怠惰を求めるガサツ令嬢と、距離感のバグった重すぎる変態スライムの、奇妙で最高に快適な共生関係が幕を開けたのである。
* * *
マルに拾われて(というか自分から餌付けされに行って)から数日。
シルフィエルは、王都の裏路地にひっそりと佇む、外観からは想像もつかないほど豪奢な隠れ家で目を覚ました。
「んん……」
身をよじると、ふかふかの巨大なクッションが彼女の体の線に合わせて絶妙に形を変え、優しく包み込んでくる。
最高級の羽毛布団すら凌駕するこの寝具の正体は、もちろんマルだ。
ついていった先で知った事だが、どうやらマルは訳ありスライムらしい。いろんなものに変化出来る魔物だった。びっくりしたが、背に腹はかえられぬ。安眠サイコー。
「おはようございます、シルフィエル様。今日は一段とお美しいですね。寝顔も最高でした」
「おはよ。マル、ちょっと腰のあたりの反発力が足りないわ。あと、朝は少し暑いから表面温度を2度下げて、ひんやり仕様にして」
「承知いたしました! すぐに内部の粘度と温度を調整します。ああ……僕の体を、君の好きなようにカスタマイズしてくれている……! 朝から最高の気分です……っ!」
頬を赤らめ、スライムの体を波打たせて歓喜するマル。
彼にとって、シルフィエルに「使われる」ことは至上の喜びらしい。
普通ならドン引きして逃げ出すレベルの重さと変態性だが、極限の貧困と飢餓を経験したシルフィエルにとって、そんなことは些末な問題だった。
(キモいけど、タダで全自動の空調付き最高級家具が手に入るなら安いもんね)
ガサツで打算的な彼女は、人とスライムの形を行ったり来たりしているマルの特異体質と激重な愛情を「究極の生活インフラ」として完全に使い倒していた。
* * *
その日の昼食。
食卓には、マルの隠し財産で用意された最高級の食材を使った特製シチューが並んでいた。
一口食べた瞬間、シルフィエルの目がカッと見開かれた。
「んんっ!? なにこれ、すっごく美味しい! いつもよりコクがあって、この謎のツヤツヤモチモチとしたお肉(?)の食感と甘味がたまらないんだけど!」
「まあ! 今日のご飯すごく美味しい!」と令嬢らしからぬ勢いでガツガツとシチューを掻き込むシルフィエル。
その様子を、少し離れた場所から定位置のソファに擬態したマルが、ニコニコと穏やかな笑みを浮かべて見守っていた。
しかし、その内面は――。
(アーーーッ!! 僕の、僕の体の一部が、あの愛らしい小さな口に吸い込まれて、舌で転がされて、ゆっくり味わわれているぅぅっ!! ハァ、ハァ……ッ、たまらない、最高だ、君の血肉になれるなんて、スライム冥利に尽きる……!!)
実は、今日のシチューには「マルのエッセンス(スライムの一部)」が隠し味としてこっそり混入されていたのである。
そんな変態的サプライズに全く気づかないシルフィエルは、空になった皿をバーンと突き出す。
「おかわり! もっとこのタピオカみたいなお肉のところ多めで!」
「はいっ! すぐに僕の……いえ、特製モチモチ具材を追加しますね!」
限界突破寸前の歓喜で全身を震わせながら鍋に向かうマルを見て、シルフィエルは「また変態が悶えてる。まあご飯に罪はないから別にいいか」とさらりと流した。
* * *
午後。隠れ家の裏庭にて。
そこには、綺麗に耕された立派な家庭菜園が広がっていた。
「ふふっ、このトマト、いい感じに育ってきてるわね。やっぱり自分の手で育てた野菜が一番よ」
シルフィエルは高級なドレスの裾を豪快にまくり上げ、見事なクワさばきで土を返している。
元貧乏子爵家の出身で、自給自足の農業サバイバルで生き抜いてきた彼女にとって、美味しい野菜を育てるための適度な運動は至福の時間だった。
額に汗を浮かべながら、彼女は土にたっぷりと肥料を混ぜ込んでいく。
その肥料はなぜかほのかに甘い匂いがして、異様にツヤツヤモチモチとしていたが、植物の育ちが尋常ではないほど良いので、彼女は「金持ちの使う肥料はこんななのか。高そうね」と全く気にしていなかった。
少し離れた日陰で、シルフィエルが愛用しているジョウロに擬態したマルは、その様子をニコニコと見守っている。
しかし、その内面はやはり大沸騰していた。
(アーーーッ!! 僕の、僕の体の一部が土に溶け込み、彼女の愛する野菜たちの養分になっていくぅぅっ!! そしてその野菜を彼女が食べて、満面の笑みを浮かべる……! つまりこれは、大地と植物を介した究極の愛の交わり……ッ! ハァ、ハァ……ッ、尊すぎる……!!)
「なんかこのジョウロ、持ち手が妙に熱くてブルブル震えてるわね。まあいいか、水撒こっと」
マルの変態的な興奮など露知らず、シルフィエルは熱を持ったジョウロ(マル)をガシッと掴み、たくましく畑に水を撒くのだった。
かくして、互いに全く違う方向を向きながらも、二人の奇妙な同居生活は極めて順調(?)に進んでいったのである。
* * *
すっかり忘れていたが。
シルフィエルには婚約者がいた。
その元婚約者の男は、表面上こそ爽やかな好青年を装っていたが、その本性は女や老人を食い物にする下劣な詐欺師だった。
しかし現在、彼は首の回らない大赤字を抱えていた。シルフィエルの両親を騙して手に入れた領地の鉱山が、資源の欠片もない完全な「廃鉱山」だったからだ。
金策に走り回っていた彼は、とある夜会で耳を疑う噂を聞く。
『裏社会の重鎮でもある大富豪のマルが、見目麗しい令嬢を囲っているらしい』
特徴を聞けば、どう考えても自分が騙して没落させた子爵家の娘、一応婚約者だったシルフィエルだ。
「あの顔だけの小娘が……。いいや、これは好機だ。上手く取り入り、あの得体の知れない成金から根こそぎ財産を奪ってやる」
ついでに顔だけは極上の小娘を娼館に売って一儲けしようと思いつく。男は浅ましい笑みを浮かべ、手配中の凶悪なならず者たちを雇い入れると、深夜、王都の裏路地にあるマルの隠れ家へと忍び込んだ。
だが、彼は致命的な勘違いをしていた。
スライムであるマルの「視界」は、人間のそれとは根本的に異なるということに。
屋敷の壁、床の隙間、庭の土――あらゆる場所に自身の一部を極薄く這わせているマルにとって、この敷地は彼自身の「体内」も同然であり、常に360度の完全な視界を共有していたのだ。
「おい、金目のものは……ヒッ!?」
「足が、足が溶け……アァァァッ!?」
極上のベッド(マル本体)でシルフィエルが「すー、すー」と幸せそうに爆睡している間に、庭へ侵入したならず者たちの足元から、音もなく無数の触手が伸びる。
「君たちの発する悪臭、彼女の安眠の妨げになりますね。ああ、手配書にあるゴミもいるじゃないですか。ちょうどいい、ゴミは……この世から消去しましょう」
ならず者たちに巻きついた触手は彼らの体内に痛みもなく入り込み、ジワジワと内部から溶かされていった。
意識のあるまま自分の手や足が溶けて消えていく。その恐怖の悲鳴すら夜闇に溶かされ、凶悪なならず者たちは文字通り「跡形もなく」この世から消え去った。
「……お、おい?一体何が……」
一人庭に取り残された元婚約者の前に、闇の中から静かにマルが姿を現す。
いつもの「ふくよかで温厚なニコニコ顔」は完全に消え失せ、その瞳には、絶対的な捕食者としての底知れぬ冷酷な光が宿っていた。
「……私の大切な、愛しい半身。彼女の人生を一度めちゃくちゃにした上、まだ彼女から搾取しようというのですか?」
「ひっ……!? な、なんだお前、バケモノ……っ!」
「ええ、そうですとも」
マルが一歩踏み出すごとに、周囲の地面がドロドロと波打つ。
「……あなたの皮膚を一枚ずつ溶かし、肉を啜り、骨の髄まで溶かして、存在そのものをこの世から抹消して差し上げましょう」
「ヒィィィィッ!!」
全身を這い上がってくる冷たいスライムの感触と、圧倒的な死の恐怖。元婚約者は白目を剥き、完全に泡を吹いて失神した。
しかし――マルが溶かしたのは、彼の「服だけ」だった。
「シルフィエルの手を汚す価値もないゴミですね。君には、死ぬより辛い『一生の恥』を与えましょう」
冷たく見下ろしながら、マルは気絶した全裸の元婚約者の体に、強力なスライムの粘着液とともに、庭に落ちていた「辛うじて秘部を覆える程度の、心許ないほど小ぶりな葉っぱ」を一枚だけピタリと貼り付けたのだった。
* * *
翌朝、王都で最も賑わう中央広場は、かつてないほどの騒ぎに包まれていた。
広場の中心にある立派な石柱に、爽やかな好青年で通っていたはずの元婚約者が、両手足を広げた「全裸状態」で磔にされていたのだ。
しかも、マルの底意地の悪い計らいにより、彼の股間には『辛うじて秘部を覆える程度の、小ぶりな葉っぱ』が一枚だけ、強力なスライムの粘着液でピタリと貼り付けられていた。
「……ん、あ……? な、なんだここは……ヒッ!?」
目を覚ました元婚約者は、自分の置かれた状況と肌寒さに気づいて情けない悲鳴を上げた。
なんとか手足の拘束を外そうとジタバタもがいていると、いつの間にか日は上り、広場には朝の買い出しに向かう人々が次々と集まり、大きな群衆となっていた。
「おい見ろよ、あんな小さな葉っぱ一枚で隠れるのか?」
「まあやだ……アレで事足りるなんて、随分と……その、可愛らしいのね(クスクス)」
「ガハハ! 爽やかぶって女を騙してたらしいが、中身は随分と慎ましいじゃねえか!」
貴婦人たちの容赦ないひそひそ話と、男たちの遠慮のない大爆笑。
男としての、そして人間としての尊厳を完膚なきまでに打ち砕かれた元婚約者は、「あああああっ!!」と絶望の叫びを上げ、顔を真っ赤にしてそのまま白目を剥き、再び気絶した。
彼はこの日、社会的に完全に死亡したのだった。
* * *
その日の昼下がり。
市場へ買い出しに行ったメイド(マルの分体)から元婚約者の惨状を聞いたシルフィエルは、同情するどころか腹を抱えて大爆笑していた。
「ギャハハハッ!! 全裸に小さな葉っぱ一枚!?ざまあみさらせ、天罰じゃい!!……あー笑った。私の飯と安眠を奪った恨み、これで綺麗さっぱり晴れたわ!祝い酒もってこい!」
トラウマや感傷など一切なく、ただ「ざまぁ」の痛快さを堪能して高笑いするシルフィエル。
その足元では、ジョウロに擬態したマルが
(アーーーッ! 彼女の笑顔が眩しい! そして今日も僕の養分をたっぷり吸った野菜が彼女の血肉に……ッ!!)と、一人ひっそりと変態的な歓喜に打ち震えていた。
* * *
元婚約者が広場で「葉っぱ一枚の全裸モニュメント」として歴史的な社会的抹殺を遂げてから数日後。
隠れ家の裏庭では、シルフィエルが今日も元気にクワを振るっていた。
「よし、これで畑仕事は終わりっと。あー、お腹すいた。今日はお肉に齧り付きたい気分!ワインも飲んじゃいたい!」
手をパンパンと払いながら振り返ると、そこに用意されていたふかふかのソファ(マル)にドスッと腰を下ろす。マルが彼女の疲れを癒やすように、絶妙な反発力で背中をマッサージし始めた。
ふと、シルフィエルは空を見上げながら、思い出したように口を開いた。
「ねえ、マル」
「はい、何でしょうシルフィエル様。肩の揉み具合が足りませんか?」
「あんた、私を食べたいの?」
唐突な問いかけに、マルの動きがピタリと止まった。
食べたい、という単純な食欲ではない。彼の根底にあるのは「完全に同化して、永遠に一つになりたい」という、果てしなく重く深い愛情と欲望だ。しかし、それをそのまま伝えれば、彼女を怯えさせてしまうかもしれない。
「えっと……そ、それは……その……」
普段は饒舌なマルが、ソファをタプタプと波うたせながら珍しくまごまごと口ごもる。
そんな彼の様子を「図星ね」とあっさり肯定(勘違い)したシルフィエルは、ふっと息を吐いてから、とても穏やかな声で言った。
「私は美味しいものをいっぱい食べて、大好きな野菜を育てて、この先ものんびり生きていくわ」
「……はい」
「で、それが全部終わったら。――私を、食べてもいいわよ」
それは、シルフィエルなりの「私が死ぬまで一緒にいなさい」という、一生の契約だった。
その言葉の真意と、彼女が自分の本質を完全に受け入れてくれたという事実に気づいた瞬間。ソファの肘掛け?マルの瞳?から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
やがて訪れる彼女の死を想う「悲しみ」と、ついに一つになれるという「歓喜」。処理しきれない膨大な感情の波に呑まれ、マルの人間の姿が保てなくなっていく。
「あ、あああ……っ、シルフィエル、様ぁ……っ」
ソファに擬態していたマルの体が、ふにゃふにゃと崩れ、透き通った美しいスライムの本来の姿へと変わっていく。
スライムになっても、ポロポロと涙――というか小さなスライムを、目と思しきところから溢れさせている。
「あら」
足元に広がる、ツヤツヤでモチモチとしたスライム。
それを見たシルフィエルの口から出たのは、悲鳴でも嫌悪でもなかった。
「そういえば、その姿は初めて見たわね。……ふふっ、なんだかお餅みたいで、結構かわいいじゃない」
「かわいいっ……!? 僕がっ、君に……ああああっ!!」
愛する人からの「かわいい」という特大の追撃を受け、ついにマルの限界が突破した。
『シュウゥゥゥゥゥ……』
「ちょっと!? なんでさらにドロドロに溶けてんのよ! ……もー、バケツ! バケツどこにあったかしら!?」
すっかり液状化してしまった最強の古代スライムを、ガサツな令嬢が慌てて両手で掬い集める。
そのドタバタとした騒がしい声は、夕暮れの空にどこまでも明るく響き渡っていた。
* * *
人里離れた小さく豪奢な屋敷では。
妖精のような美貌を持つガサツな女性と、彼女を愛してやまないスライムの『何かしら』が、いつまでもいつまでも、幸せに暮らしましたとさ。




