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縁談相手が急に「謝罪と賠償をしろ」と言い出しました

作者: 忍者の佐藤



 それはノクティリアが、ヴァロワ伯爵家を訪れた際に起こった。玄関を入ってすぐの大ホール。その噴水の近くにノクティリアと侍女のモニカは立っていた。いや、立たされることとなった。


 ノクティリアたちの周りは、ヴァロワ家の使用人に囲まれており、身動きが取れない状態だった。彼らは敵意に満ちた目でノクティリアを睨んでいる。



「ノクティリア・アングラード、お前との縁談は破談とさせてもらう!」

 玄関正面にある大階段の上で、二コラ・ド・ヴァロワが高らかに宣言した。人差し指をノクティリアに突きつけ、脇に一人の少女を抱き寄せていた。カトリーヌ・ダルビニーという名の男爵令嬢だ。


 ノクティリアと二コラの縁談が持ち上がったのは半年ほど前だ。今は互いの主張を検討する形で、折衝案をまとめている最中だが、難航していた。

 二コラが男爵令嬢のカトリーヌと、公然といちゃつくようになったのは、協議が暗礁に乗り上げてからのことだった。


 まだ婚約には至っていない。破談になるには早い方が、互いに後腐れも無くて良いだろう。

 しかし……。

 ノクティリアは周囲を見回した。使用人たちの目は、今にも飛び掛かってきそうな野生動物のようだ。ひょっとしたら、集団心理で少し狂暴になっているのかも知れない。


 一体、彼らは何故こんなに怒っているのだろう。




 侍女のモニカは明らかに動揺していた。逆にノクティリアは、あくまで冷静に事情を分析しようとしていた。

「縁談を無かったことにしたい理由を聞かせて貰えるかしら」



 彼女は二コラを見据え、静かな、しかしよく届く声で言った。

「とぼけるな! お前がこの屋敷に出入りするようになってから、どんな異変が起こっているか、知らないわけではないだろう」

「あなたのご期待に沿えないようで申し訳ないのだけれど、分からないわ」


 ノクティリアはかぶりを振った。漆のように艶やかな黒髪がたなびく。

 周りの者たちが騒ぎ始めた。

 その中には使用人だけでなく、文官や家宰、そして兵士も含まれているようだ。要するに、この屋敷で働く人々のほぼ全てから、ノクティリアは敵意を向けられていた。


 ノクティリアは首を傾げた。異変、と言われても身に覚えのないことだった。



「静粛に」

 二コラが右手を上げると使用人たちは静かになる。

「もし今、正直に己の罪を告白するのなら、断罪はやめ、うちの者たちやカトリーヌ、そして俺が被った被害を弁償するだけで済ませてやる。だがこれ以上嘘を付くのなら」

「知らないわ」

 ノクティリアは食い気味に言った。


 使用人たちが再び騒がしくなる。

「とぼけないで下さい!」「あれだけのことをしておいて!」「元に戻してください」

 など、ノクティリアを責める言葉が飛んでくる。

 しかしノクティリアが大粒のルビーのような瞳で、使用人たちの方を見ると、おびえたように目を逸らし、静かになった。


「二コラ、まどろっこしい言い方は止めて頂戴。彼らに何があったというの?」


 静かになってからノクティリアは聞いた。


「お前……この場においてもまだとぼけるのか」

 二コラは苛立たし気に右手で頭を掻きむしった。

「お前ら、見せてやれ」


 二コラの言葉に呼応して、使用人たちが腕をまくったり、首元をはだけさせたりしている。大きなノクティリアの瞳が、それを見て細くなった。

 彼らがはだけさせた腕や足には、赤黒い、爛れたような痣が浮いていた。それも一つや二つではないことを考えると、全身にある者も居るかもしれない。


 腕まくりをした二コラの腕にも刻まれており、「さあ、君も」と促され、恐る恐るスカートを少したくし上げたカトリーヌの足にも、赤黒いものが見えた。




「なるほど、呪術ね」


 呪術。それは悪意をもって他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらさしめんとする「呪い」を体系的にまとめたものだ。



 彼らの痣は「斑呪印はんじゅいん」と呼ばれる、典型的な低級呪術の一つであると、ノクティリアは見て取った。


 効果は相手の皮膚に醜い痣を出現させること。

 これを受けても生死にかかわることはまず無いのだが、かける術者の呪力によっては、一般的な治癒士では解呪が難しいこともある。



「ほう、流石にあんな異名で呼ばれているだけあって、今度はとぼけるのをやめたか。知らないのは不自然だからな。ノクティリア・アングラード公爵令嬢」


 二コラの言葉にはたっぷりと皮肉が乗っているようだったが、ノクティリアは意に介さなかった。


 基本的に強力な呪術だと相手を殺すほどの力を持つが、必ず痕跡が残る。しかし命に関わらないような弱い呪術だと、痕跡が薄いか、周りから見れば全く感知出来ないこともある。

「斑呪印」は最も弱い呪いの一つであるため、ノクティリアはこのヴァロワ家屋敷に出入りしていながら、人々が呪われていることに気付かなかったのだ。



「皆さん、痣を治療しないのかしら?」

「敢えて残させておいたんだ。犯人を特定するためにな」


 二コラはノクティリアを睨んだ。犯人を特定するためとはいえ、身体に醜い痣が出た状態で生活することは、彼らにとって、特に女性にはかなり苦痛なのではないだろうかと、ノクティリアは思った。


「それで、彼らが呪われているのは分かったけれど、それがどうして私の仕業ということになるのかしら」

 ノクティリアは新月のように、暗く長い髪を右手でかき上げながら言った。


「ここまで言ってまだ分からないのか」

 二コラは大きなため息をついた。


「さっきも言ったように、この呪いが発生し始めたのはお前が屋敷に出入りするようになってからだ。もっと言えば、婚約の条件を協議し始めてから、ということになる」

「ふぅん」


 ノクティリアは顎に手を当て、まるで他人事ひとごとのように頷いた後、「なるほど」と小さく言った。彼女ののんきな態度に業を煮やしたのか、周りから発せられる殺気が強まり、バチバチと、雹のように肌を刺激してくる。

 モニカは怯え、ノクティリアに殆どくっつくようになっていた。


「我が伯爵家では婚約に際し、かなり平和的で譲歩した案を提出してきたつもりだ。だがお前はそれを受け入れられないと突っぱねるどころか、このような惨状をもたらした」


 この状況。このまま反論しても、敵が多すぎて、喋る声がかき消される可能性が高い。

 彼女がここで潔白を証明することは、普通であれば非常に難しいことだった。



「全く、お前のやっていることはまるで脅しではないか。少しでも自分に気に入らないことがあれば呪いをもたらす! そんな女と仲良くやっていける男がこの世に存在すると思うか?」

 一同から「そうだそうだ」と賛同の声が上がった。




「それに引き換えカトリーヌは可憐で気立てが良い。こんな時にも癒しを与えてくれる。呪いを受けても動じることなく、俺や使用人のことを心配してくれている。お前とは大違いだな」


 二コラはカトリーヌを強く抱き寄せた。目を潤ませたカトリーヌと見つめ合っている。


「盛り上がっている所悪いのだけれど、動機は何? どういう利益があれば、私が皆さんを呪うのかしら」

「ほう、つまり自分にはそんなことをする理由が無いと言いたいのか」

「まさに」

「そんなものは幾らでも思いつく。例えば婚前の交渉を有利に働かせるための示威的として呪いを使ったとか」


「呪いを人に使うことは重罪だということくらい、私も知っているわ。誰だって、そんなあからさまに自分が怪しまれるような危険を冒してまで、呪いなんか使わないと思うのだけれど」

「お前に限っては『自分は大丈夫だ』という確信があったのだろう。自分が犯人だと疑われても、絶対に捕まらないという自信が。何たってお前は『あんなこと』をしでかしておいて、のうのうと生きているのだからな」

 二コラはまるで演説をしているかのようだった。雄弁に、使用人たちに向けて語る。



「何が言いたいのかしら?」

 ノクティリアの瞳孔が一瞬、三日月のように細くなった。二コラは問いを無視して続ける。




「それに、複数の証拠がお前が犯人であることを如実に示しているんだ」

「証拠?」

 ノクティリアは首を傾げてみせた。


 二コラは鼻を鳴らした。

「ほう、これだけの状況証拠が揃っているのに、まだとぼける気か」


 一段づつ、一人で階段を下りてくる。


「それなら良いだろう。お前が犯人だという証拠を今から叩き付けてやる」


 二コラは再び、ノクティリアを指さして言った。



「先ずお前の飼っている黒猫だ」

「まあ、うちのタマがどうかしたのかしら?」



 タマとは、ノクティリアが実家で飼育してる黒猫のことだった。いつも彼女の後を付いて回るほどに懐いているが、二コラには存在を知らせただけで、会わせたことはない。彼は猫アレルギーだと聞いていたからだ。



「黒猫とカラス、それからカエルは呪術師の使い魔としてよく知られている。お前の猫も使い魔だろう」

「それは流石に暴論過ぎないかしら。タマはただの猫よ」

「そうだな。目撃証言が無ければ、俺もそう思いたかったところだ。おい、聞かせてやれ」


 二コラが顎をしゃくると、執事風の若い男が一人、進み出てきた。どうやら緊張しているらしく、細い声で喋り始める。

「僕がこの痣に気付いたのは6日前の朝ですが、その前日の夜、部屋の窓から物音がしたんです。それで、何だろうと思って、外を見ると黒い猫が走って行くのが見えました」

「他にも猫を見た者がいるな。そこのお前」

「は、はい」

 返事をしたのは中年のメイドだった。

「私が黒猫を見たのは1か月以上前、洗濯物を干している時でした。その直ぐ後に痣が現れたので、よく覚えてるんです」

「黒猫の目撃情報あるのは決まって呪われた者が出る前か後。必然的に、お前がこの屋敷に来てからということになる。どうだ、全員に聞いてみるか? それともこいつらが嘘を言っているように見えるか?」


 階段を下まで降り切った二コラは肩をすくめた。

「見間違いということは――」

「それに」

 二コラはノクティリアの言葉を遮ると、指を鳴らした。壮年の執事がゆっくりと進み出て、二コラの隣に並ぶ。手に箱を持っていた。

 開けると、黒いもふっとした毛玉の束が飛び出した。恐らくは猫の毛だろう。


「これは掃除をしているうちのメイドが集めたものだ。だがこれはほんの一部。何ならお前も今からこの屋敷の床掃除をしてみるか? 黒猫の毛が幾らでも手に入るだろうよ__ああ、このホールと、普段俺が使う部屋は入念に掃除させてあるから出ないかも知れんがな」



 二コラの言い分をまとめるとこうだ。猫アレルギーの領主が仕切るこの屋敷に、大量の毛玉が取れるほど猫の毛が落ちていること自体がおかしい、と。

 しかも、この毛が取れるようになったのは、ノクティリアがこの伯爵邸を訪れるようになってからで、黒猫は必ず、使用人が呪いを受けた前後で目撃されているのだと。



 黒猫の毛が落ちていることは本当なのだろうとノクティリアは思った。もし嘘だった場合、ノクティリアが自分の侍女を使って、本当に床掃除をし始めたら、たちどころにバレてしまうからだ。


 そして使用人たちの証言も本当の可能性が高いとノクティリアは考えていた。ノクティリアは仮にも公爵令嬢である。彼女に対して、平民の身分の使用人が嘘を付き、それがバレて公になったとしたら、どのような制裁を受けるのか、貴族の家に仕える彼らにも、分からないわけはではないだろう。



 では、何故猫アレルギーの領主がいる屋敷に、黒猫の毛が沢山落ちているのか。目撃されたのは本当にノクティリアの猫なのか。そして何故、ノクティリアが出入りを始めた時期と呪いの発生時期が被っているのか。



「何より」

 二コラは一段と力を込めて言った。彼はノクティリアの前まで来ると、人差し指を彼女の眼前に突き付けた。

「お前は『呪われた令嬢』と呼ばれ、王妃候補を外された、あの悪名高いノクティリア・アングラートだ。これを疑わない理由がどこにある」


 ノクティリアの眉間に、一瞬だけ溝が刻まれたことに、彼女の横顔を観察していたモニカは気付いた。


 それは、ノクティリアが最も忌み嫌う、あの記憶を呼び起こす名前だった。




 *******




 ノクティリアは10年近く前、このグレイン王国第二王子、レオナール・ド・ベルナールの王妃候補だった。

 第二王子はいわば第一王子の保険的な役割を担う。第一王子に何かあれば、彼にも王位が回って来るかも知れず、そうなると自動的に第二王子の妻が王妃となる。

 そのためレオナール王子にも5人の王妃候補が居て、ノクティリアはそのうち、最も王子から気に入られていた一人だった。



 ノクティリアから見て、レオナール王子の第一印象を一言で表すならば「大型犬」であった。身体が大きく、剣術に秀でているのだが、人懐っこく、誰に対しても人当たりが良い。後で直接彼から聞いた話だが、レオナールの方は、ノクティリアに「人に懐かない猫」という第一印象を持ったらしい。


 レオナール王子は、ノクティリアと出会って、割と早い段階で惹かれていた。

 会食の際にあるトラブルが起こった時、他の王妃候補は王子に守ってもらおうと逃げたのに対し、ノクティリアだけは王子を守ろうと動いたからだそうだ。


 二人の距離は次第に縮まっていった。しかし婚約の話もちらついていた頃、事態は急変する。


 王妃候補が次々と、謎の失調によって王妃候補を辞退していったのだ。ノクティリア以外、全員だった。

 原因は呪いであると突き止められた。そして、最も呪いを使った可能性が高いと疑われたのは、一人だけ何の被害も受けていないノクティリアだった。



 王宮で呪術を使用したとなれば重罪である。本当ならば死刑さえ免れない。しかし疑いは強いけれども、ノクティリアが犯人だと断定できるような証拠は無く、また、レオナール王子の猛烈な抗議があり、彼女への厳重な処分は保留となった。


 ノクティリアと彼の父親ヒース公爵は、何度も正当性を主張した。しかし呪いによる被害者が出ている以上、何の対応も取らないわけにはいかず、ノクティリアは王妃候補を外されることとなった。

 これは国王陛下直々の命令でもあったようだ。



 実家へ戻ったノクティリアだったが、彼女の悪評は社交界に広まっていた。幾ら公爵令嬢とはいえ、呪いをまき散らすかもしれない令嬢を嫁に迎えたいという貴族は居なかった。

 このことにはヒース公爵も頭を抱えていたようだ。


 ノクティリア自身も、誰からも声が掛かることは無いと考えていたし、それで良いとも思っていた。

 ヴァロワ伯爵家から声が掛かったのは、そんな時だった。


 ヴァロワ伯爵家の当主は二コラという人物で、まだ若かった。彼の両親が数年前に他界しており、同時に彼が家督を継いだのだった。


 ヴァロワ伯爵家は代々、魔術に秀でた家系として知られる名家だった。

 公爵家と伯爵家では家格はつりあっていない。けれどヒースはこれを千載一遇のチャンスと捉えた。これを逃せば娘は一生独身かも知れないという恐怖心。それに、ヴァロア家という魔術の名家に嫁げるのは、魔術の得意なノクティリアとしても嬉しいのではないか、と考え、この婚約を受けることにした。


 ノクティリアとしては、あまり気乗りしなかったのだが、家長であるヒースの決定を受け入れることとしたのだった。

 それに、この時「表面上は」二コラも大人しかった。今思えば、猫を被っていたということだろう。猫アレルギーなのに。




 *******




「『逃れ得ぬ輪となりてその身を縛れ。«チェイン・バインド»!』」



 二コラの詠唱と共に、地面を突き抜けて何本もの鎖が現れ、ノクティリアとモニカを縛り上げた。二人は完全に身動きが取れなくなる。

 モニカはパニックに陥り、甲高い悲鳴を上げた。


「何のつもりかしら」

 ノクティリアが二コラをきつく睨んだ。これは公爵令嬢に対して、明らかな侮辱であり、暴行だった。

「これだけの証拠が出揃っている。そろそろ裁判といこうか」

 二コラはノクティリアの顔を見つめ、薄ら笑いを浮かべた。


「分かっているの? 公爵令嬢の私に傷を負わせるということが、どれほどの重罪であるのか」


「心配するな。それは俺の魔力で練り上げた疑似的な鎖。外傷などは残らないように配慮している」

「そういう問題ではないわ。そもそも――」

「それに」

 二コラは再びノクティリアの言葉を遮った。

「お前がどんな呪術を使ってくるか分からないからな。お前の罪を明らかにするまでは拘束した方が安全だろう。いわば正当防衛だ……上を見ろ」


 ノクティリアは頭上を見上げ、まるで獲物を狙う猫のように目を見開いた。そこには白く光る、巨大な球状の物体が浮いていた。ノクティリアとモニカを潰すには十分すぎる大きさだった。

 時々炎が吹き上がっている。恐らく、かなりの高温なのだろう。


「あれは……」


「光魔法エクス・ルクス。あれを受ければ、生身の人間ならひとたまりも無いだろうな」

「お陰でこの薄暗い大ホールも明るくなったわ。でも眩しすぎるから控えめにしてもらえないかしら」

 ノクティリアの悠長な口調に、二コラは再び苛立ったようだった。


「状況が分かっていないようだな。これからお前には正直に喋ってもらう。もし嘘を付いたら、あれをお前らに落とす」

「まあ、そんなことをすれば、あなたも時間差で裁かれて死ぬことになるわよ。心中なら他に相手を探して下さらない?」

「『呪罰法』という法律があることくらい、知っているよな?」


 呪罰法というのは、呪いを防止するために出来た、この国の法律である。

『もし呪いを受けた場合、それ相応の報いを行っても、罪には問われない』という内容だ。


「お前はこの屋敷の全ての人間に呪いを掛けた。それに対する報いは『死』であるべきだろう」

 二コラは動けないノクティリアとモニカの歩いて一周した。


「だが俺も鬼ではない。もし彼らに対する相応の賠償金を払い、謝罪をするのなら、寛大に許してやる。どうだ?」


 勝ち誇った笑みを浮かべる二コラ。圧倒的優位に立っているという確信があるのだろう。



 あまりにも一方的過ぎる断罪。そして要求。二コラのいう「相応の賠償金」というのが、幾らなのか検討も付かない。彼のことだ。後で法外な金額を吹っかけてくる可能性も十分に考えられた。

 ここが伯爵家の領内であることを考えると、もし殺されたとき必要十分な捜査が成されるかも分からない。

 証拠を隠滅される可能性もある。その事態は絶対に避けなければならない。


 そして何より、もう二度と無実の罪で裁かれるのはごめんだった。

 あの時、王妃候補を外された悔しさから磨いてきた技術を駆使して、この場を切り抜けるしかない。



 エクス・ルクスと呼ばれた光魔法は、じわじわと下がってきている。あれが人生のタイムリミットだ。


「お、お嬢様、どうしましょう!」

 隣でモニカが泣き叫んでいる。

 ノクティリアは一度目を閉じ、大きく息を吸った。酸素と共に思考を素早く循環させる。自分ひとりであれば、この状況を潜り抜けることも容易い。しかし、隣にモニカが居る。

 ノクティリアが抜け出せても、その瞬間モニカに攻撃魔法を落とされては意味が無い。


 ちらりと二コラの方を見やると、人を死に追いやろうとしてる自覚など無いのか、彼には目には憐みの色さえ浮かんでいなかった。



 殺気に満ちた聴衆。

 行動を制限するための鎖。


 二コラは最初から、こうしてノクティリアの退路を塞ぐつもりだったのだ。

 この状況で、覆すしかない。

 ノクティリアの腹が決まった。



「分かったわ。今から私の無実を証明してみせましょう。そうすればこの拘束も解いて貰えるし、あの眩しいのも消して貰えるわよね」

 しばしの間、二コラはノクティリアを睨んでいた。二人の視線が互いを圧迫するようにぶつかっている。

 二コラは片手を開き、言った。

「5分だ」


十分じゅうぶん

 ノクティリアは言った後、モニカを見て、僅かに笑ってみせた。泣いていたモニカは何度も頷いた。侍女の命はノクティリアが己の無実を証明できるかどうかにかかっている。



「では先ず、このヴァロワ邸で目撃されている黒猫について」

 目を開けたノクティリアは視線を二コラに戻した。

「それは私の猫ではないわ」

「はっ、何を言い出すかと思えば。証拠はあるのか、証拠は」

「先ほども言った通り、うちのタマは使い魔ではなく、ただのペットよ。使い魔は他に居るわ。公爵家に戻って、猫の呪力を鑑定すれば全て分かることよ」

「ふん、そんなこと、呪力の隠匿呪術『影呪沈潜』を使えば幾らでも隠せるだろう。何せお前は呪われた令嬢と呼ばれているのだからな」


 二コラが言った瞬間、ノクティリアは僅かに目を細めた。


「呪力の隠匿ね、まあそういう可能性も考慮しましょう。でもウチの猫ではないという決定的な証拠があるわ」

「決定的な証拠、だと?」

「簡単な話よ。この屋敷で目撃されている猫も、タマと同じく黒猫のようだけれど、毛の一本一本に着目すれば、全く毛の形は異なっているはず」

 ノクティリアは先ほどの毛玉が入った箱に目を向けながら言った。


「そんなの分かるわけ……」

「顕微鏡で見れば一目瞭然だわ。毛の太さ、キューティクルの形、微妙な色合い。それらは指紋のように、同じ猫は一匹たりとも居ないの。ご存知無かったかしら」

 二コラの表情が険しくなった。ノクティリアの表情は涼しげなままだ。

「試しにそこの毛玉と、タマの毛を顕微鏡で見比べてみてはいかがかしら。もし二つの毛が異なるとするなら……」


 真っ直ぐ二コラを見据えている。

「その猫、誰の猫なのかしら」

 二コラは顎を引き、必死に怒りを堪えるような表情でノクティリアを睨んだ。

「俺を疑っているのか? 俺は猫アレルギーだと言ったはずだぞ」

「あらごめんなさい。そういえば、そういう設定だったかしら」

 二コラの目端がピクピクと動いている。

「お前、何が言いたいんだ」

「私、あなたが猫アレルギーではないと考えているの」


 二コラが猫アレルギーだというのは、縁談を受けた当初から聞かされていた情報だった。そのため二コラが公爵家を訪れる際は、絶対猫の来ない部屋に、清掃を徹底してから案内をしていた。

 しかしある日、使用人が誤って、猫が寝転がっていた椅子を運び込み、あろうことか、そこに二コラを座らせてしまうという事態が起きた。


 ノクティリアが事を知ったのは、二コラが帰った後、青くなったメイドが縋り付いて来てからだった。ノクティリアも一瞬慌てかけたのだが、違和感を覚える。彼は重度の猫アレルギーだと言っていた。それなのに、平然と椅子に座り、数時間喋り、そして何事も無く帰って行った。


 一応、使者を伯爵家に向かわせてみたのだが、二コラはピンピンしているということだった。

 そこから、二コラはは何らかの理由により、事実とは異なることを語っていると考えるようになったのだ。


「あの時は何故猫アレルギーだと嘘を付いているのかまでは考えなかったのだけれど……」

 二コラが呪術の使い魔を悟られないようにするためだと考えれば、辻褄が合う。


「バカバカしい。お前が何と言おうと、俺は猫アレルギーだ! 下らない妄言を垂れ流すな!」

「あら? あなたの右肩に付いているのは猫の毛ではなくて?」


 二コラは反射的に、素早く反対の手で右肩を何度もはたいた。

「嘘よ」

 ノクティリアはじっとりした表情で頬を吊り上げた。

「なっ……!」

 彼の唖然とした顔が怒りの形相に変わる。

「けれど、咄嗟に手ではたく動作をするなんて、もし猫アレルギーだったら大変なのでは?」

「貴様……!」


「まあこの話は置いておきましょうか。次は……」



*****



 少しづつ、ホールの空気が変わりつつあった。使用人たちが互いに顔を見合わせ、ひそひそ言葉を交わし合っている。

 しかし、ノクティリアの攻勢はまだ終わらない。

「次は……そうね、この屋敷に呪いが蔓延し始めたのは、私が来るようになってからということだったけれど、それ自体がおかしな話だわ」

「どういうことだ」

「だって私、呪術が使えないのだから。呪力自体を持ち合わせていないの」


 使用人たちのざわつきが一気に大きくなった。と言っても、「そうだったのか!」という驚きではなく、そんなわけがない!「何と子供じみたい言い訳をしているんだ!」という怒りに満ちたものだった。

「あら、私ったら信用が無いのね」

 ノクティリアは頬に手を当てた。


「今更何を言い出すかと思えば……」

 二コラはそんなノクティリアを鼻で笑った。

「お前に呪力が無いなんて、誰が信じると思っている! お前が来てから、これだけのことが起きているんだぞ!」

 二コラは使用人たちの一人ひとりと目を合わせる様にしながら言った。


「呪力鑑定をすれば分かること……と言いたいところだけれど、あなたの言い分だと、私は呪力を隠匿できる、ということだったわよね」


「そういう可能性が高いと言っているんだ。だが何より、お前に呪力が無いと誰も信じないのは、お前が王宮内に呪いをまき散らして『呪われた令嬢』と恐れられた女だからだ」

「そう、だからこそおかしいの」


 ノクティリアは鷹揚に頷く。二コラは眉間に皺を寄せた。

「お前は何を言っているんだ」

「この屋敷の人たちを呪った真犯人は、私が呪術を使えないことを知らなかった。だからこそ、噂だけで私が呪いを使えると信じ込み、使用人たちを呪い倒した」ノクティリアはゆっくり言った後「これはまだ仮説だけれどね」と付け足した。


「真犯人」という言葉が出たことで、先ほどとは違うざわつきが起きた。驚き、疑い、好奇心。その大勢の声の中を斬り込むように、ノクティリアは口を開いた。


「ところで私が呪いを引き起こしたことにして、一番得をするのは誰なのかしら。ねえ、二コラ」


 ノクティリアの瞳孔が、獲物を狙う肉食獣のように細くなった。睨まれた二コラはビタビタに静止している。蛇に睨まれたカエルのようだった。

「お前、さっきからずっと俺を犯人に仕立て上げようとしているな。言っておくが俺は魔法使いであって、呪術は使えないぞ」

「ええ、あなたは魔術『も』使える。例えばこの鎖は魔術によるものよね。だから私もすぐには見抜けなかったし、拘束されてしまったわ。けれど根は呪術師のようね」


 二コラはゆっくり頭を振った。

「おいおい、俺が呪術師だと? 代々魔術師の家系として名をはせるヴァロワ家当主のこの俺が。何を根拠にそんな……」


「例えば」

 今度はノクティリアが言葉を遮る番だった。


「あなたは呪術を隠匿する技術【影呪沈潜】を私が使ったのだと言ったわね」

「それがどうした」

「呪術を隠匿する技は、呪術の中でもかなり高度な技術を要するわ。そして、悪用される可能性が高いことから、その名前や技術体系を知ることが出来るのは、基本的に上級呪術師しか居ないはずよ」

 無言で睨んでいる二コラを尻目に、ノクティリアは続ける。


「あなたは私を呪術師だと考えていた。だからこそ、【影呪沈潜】という専門用語を言っても伝わると無意識に思っていた」

 そしてノクティリアは、二コラが普段から己の呪力を影呪沈潜で隠しているのだと考えていた。その技術力はかなり高いレベルにある。だからこそ、これまで彼が呪術師だと気付かなかった。


「そ、そんなの魔術書の知識で知っただけだ! 俺くらいの魔術師になると、呪術への対抗手段を知るために、高等呪術を学ぶ機会など幾らでもある」


「そうなの、奇遇ね」

 ノクティリアは、まるで久しぶりに顔を見る友達に会ったかのような喜び方をした。

「私も、呪術には詳しいのよ。例えば、ほら、私たちの頭上に光ってるあれ」

 ノクティリアは頭上の光魔法エクス・ルクスを指さした。二コラが皿のように目を見開く。エクス・ルクスを見たからではない。ノクティリアが魔力の鎖を引きちぎり、腕を伸ばしていたからだ。

「お、お前、どうやって……」


 しかしノクティリアは己の話を続ける。

「あれは魔法じゃないわ。あれこそ隠匿された呪術」

「苦し紛れの言い訳はよせ! どこからどう見ても光魔法だろ!」


 二コラはどもりながら言った。まるで苦し紛れの言い訳をしているかのようだった。


「そうそう、二コラ。あなたはさっき魔術書で呪術への対抗手段を知ったと言ったわよね」

「それがどうした!」

 二コラの額には脂汗が浮いている。

「それなら、勿論、【影呪沈潜】を解除する魔法が存在することも、勿論ご存知よね」


 二コラの顔色がはっきりと変わった。まるで、これから処刑をされる囚人のような、絶望に満ちた顔。ノクティリアが何を言わんとしてるか、何をしようとしているか、分かったのだろう。


「『鏡よ映せ。真実を照らせ。悪しき呪いを打ち破らん』【オブスキュラ・アンバウンド】」

「やめろ!」


 二コラがノクティリアを掴んで止めようとしたがもう遅かった。ノクティリアが身体を躱すのと、使用人たちから悲鳴が上がるのは、ほぼ同時だった。


 使用人たちが指さしているのは、頭上に眩しく輝いていたはずの光魔法だった。それは一切の光を失い、それどころか、周りの光を吸収するように、まがまがしく黒い球体へと変貌していた。


「あれは呪術。そしてそれをコーティングするように覆い隠していたのは、恐らくただ光を発するだけの下級魔法というところだと思うわ」


 ノクティリアは、まるで生徒に授業をしている教師のような説明口調で言った。

「あ、あれは確かにエクス・ルクスではない。だが! あれが呪術だという証拠はあるのか! 証拠は!」


 ここに居る者の大半は、呪力による攻撃など見たことがない。だからあの球体を見ても、呪いであると判断出来ないと考えたのだろう。


「猫の毛が一本一本違うと言ったけれど、それは呪術も同じなの。呪術を使えば、特有の波形が出る。あ、これは最近完成された技術なので、ここに居る人たちは誰も知らないとは思うわ」

「波形、だと……?」


 二コラは既に、猛獣による長距離の追走を、全力で逃げ続けてきた者のような、もう出し切ってしまった顔になっていた。


「そう、呪術の捜査で使われるのよ。試しに、あの球体と、そこのあなたが受けた呪いを比べてみるわね」


 呪いの波形は、特殊な測定魔法によって、対象を照らすことで出現させることが出来る。


 呪いは感情波、言語波、魂波の三つで構成されている。感情波と言語波は、詠唱やその時の術者の状態によって異なるのだが、魂波だけは、どんな術を使おうと、ほとんど一定の波形を保っている。


 そのため、魂波が術者を特定するための最重要項目となる。


 ノクティリアが若い執事の痣に手をかざし「【カース・スペクトログラフ・ソウル】」と唱えると、まるで光が投影されたかのように、彼の目の前に、規則正しく波打つ一つの線が出現した。

 三つの波の中で、魂波だけを抽出したのだ。


 次に、ノクティリアは頭上に禍々しく存在する球体に向けても同じ言葉を唱えた。

 前面に押し出される形で、先ほどと同じ線の波が、球体の下に出現した。


「詳しい説明は省くけれど、これが呪いの波形。術者によって異なっていて、一つとして同じ波は無いの」


 説明しながらノクティリアは、左右に開いた手を拝むように合わせた。

 二つの波形がゆっくりと近付き、重なる。


「よ~く見比べてみて。ぴったり一緒じゃないかしら?」

 二つの形は、まるで一つの線のように、完全に合致し、同じタイミングで波を刻んでいた。


 二コラは何か反論をしようとしているが、口が動くだけで全く言葉になっていない。汗だけが滝のように湧いている。


 どよめきが大ホールを包んでいた。「本当に領主様が?」「そんな」「まさか」「領主様がそんなことするわけない」「しかしノクティリア嬢は信じられない」という驚きと疑いの感情がせめぎ合っていた。

 ノクティリアは畳みかける。


「さあ皆さん、一列にお並びになって。今から一人づつ、呪いを解いて差し上げますわ」

 ノクティリアは両手を広げた。

「そ、そんなことが出来るんですか?」


 先ほど、波形を投影された若い執事が、目をしばたたかせている。ノクティリアは頷く。

「じゃあまずははあなたから」

 ノクティリアは目を閉じ、詠唱を始めた。

「今、位相を解き、重なりをほどき、本来の静けさへ還れ」【カース・レゾリューション】」


 光の粒子が執事を包んだ。そしてそれは呪いの痣に集中し、幾何学的な文字となって渦巻き始めた。

 やがてゆっくりと光が消えた時、周りで見守っていた使用人たちから驚きの声が上がった。

 痣が綺麗さっぱり、消えていたからだ。


「さあ、治したい者は一列に並びなさい。列を割り込んだりしたら治してあげないから」


 使用人たちは素早く、そして秩序だって一列に並び始めた。もう彼らの行動は完全に、ノクティリアによって掌握されていた。

 呪いを解かれた使用人たちは、一様に感謝と、そして先ほどまで疑ったことへの謝罪を述べてから去って行く。


「このように、私に出来るのは、解呪と――」

「でたらめだ! この大嘘つきめ!」


 二コラが叫んだ。目は血走り、鬼のような形相でノクティリアを睨んでいる。ノクティリアは両手を広げてみせた。


「でたらめと言うからには、これまで挙げてきた証拠を否定出来るだけの材料が、あなたにはあるの?」

「関係ない」


 二コラは短く叫んだ。

 ノクティリアは顎を引き、二コラの動きを注視する。呪力の流れが淀んでいる。何か、する気らしい。


 並んでいた使用人たちがホールの端の方へ下がり始める。不穏な空気を感じ取ったようだ。


「馬鹿らしい。茶番は終わりだ! お前があの呪術を喰らえば、どこにもお前の無実を証明できる者は居なくなるのだからな!」


 二コラは狂人の絶叫のように、笑いながら叫んだ。証拠をノクティリアごと葬ろうとしている。

「逃げなさい!」

 ノクティリアの鋭い声。

「はい!」


 モニカが玄関方向に駆け抜けていく。いつの間にか、彼女の鎖はノクティリアによって解除されていた。


 禍々しい球体が発するのは、深淵の底から漏れ出る呻き声のような空洞音。

 巨大になって近付いてくる。

 大口を開け、全てをのみ込もうとしている。

 発する邪気が全身に張り付いてくる。


「はっはっはっ! 終わりだ、ノクティリア!」

 二コラの声が、やけにくぐもって聞こえた。


 薔薇のように紅い瞳が、呪いに向けて見開かれた。

 口元が鳴らす詠唱は夕立の如く。

 かざした両手は呪いを抱いた。


 次の瞬間、破裂するような轟音と閃光がホールを包んだ。誰もが目を閉じ、床に伏せる。

 完全に静けさが戻ると、使用人が一人、また一人、恐る恐る顔を上げていく。


 彼らの目には、一人で佇むノクティリアが映っていた。彼女は俯いているように見えた。少なくとも、彼女は無事で、どうやら二コラの呪術はノクティリアに効かなかったという見解が得られた。


 使用人たちはホールを見回す。居るべき人物が居ない。二コラだ。


「このように、私に出来るのは、解呪と――」

 ノクティリアは地面に向かって、先ほど言い損ねた言葉を続けようとしている。


「解呪と、『呪い返し』なのよ。ね、カエルさん」


 ノクティリアの足元には、どこから紛れ込んだのか、黒っぽい、ウシガエルほどのカエルが居た。


「私が『呪われた令嬢』と呼ばれていた理由はね……」

 ノクティリアはしゃがみ込んだ。どうやらカエルに向けて話しかけているようだ。


「私を呪ってきた他の王妃候補に呪いを返していたら、あたかも私が呪いをまき散らしているように見えたからなのよ。どう? 自分の呪いでカエルになる気持ちは」


 そのカエルは、ノクティリアの呪い返しによって、カエルに変えられてしまった、二コラの姿だった。

 二コラが脅しに使っていた禍々しい球体は、カエルになる呪いだったらしい。



 ******



 レオナール第二王子は絶世の美少年であった。見る者を虜にする美貌と笑顔を持ち、ノクティリアの他の王妃候補も、どうにか彼をものにしたいと考えていた。

 しかし王子の好意は、ある時からノクティリアにのみ向けられるようになる。他の四人の王妃候補は、このことに激しく嫉妬した。

 そして彼女たちは手を組み、全員で呪いをかけることにしたのだ。


 呪術というのは、基本的に呪う人間の数が多ければ、それだけ威力を増す。それに、呪術を使える者が一人でもいれば、あとの4人は念じていれば呪いに参加できるのだ。

 この手軽さから、5人は呪いを使ってノクティリアを脱落させようとした。



 ノクティリアが呪いを受け、傷物になれば、レオナールの気持ちも彼女から離れるだろうと考えた。しかし、事は彼女たちの思惑通りには進まなかった。

 かけたはずの呪いが、そっくりそのまま自分たちに帰って来たのだから。

 呪い返しを受けた彼女たちは治療に専念せざるを得なくなり、王妃候補から脱落していった。



 ノクティリアの詳しい生い立ちにちついては、長くなるので今回は省略するが、彼女が呪い返しが出来るのは、生まれつきのことだった。

 呪い返しの力により、彼女は幾度となく危機を脱してきた。


 その時も、ノクティリアはただ自己防衛をしただけだった。しかし国王陛下たちには、ノクティリアが呪いによって、邪魔者を排除したように映った。

 彼女は「自分に向けられた呪いを返しただけです」と何度も説明したのだが、理解は得られなかった。

 呪い返しは非常に強力な魔術であり、故にまだ子供のノクティリアが扱えるということを、誰も信じられなかったからだ。


 それだけではない。国王はノクティリアを元から警戒していた節がある。伝承に出てくる、災いをもたらす呪術師の姿と、ノクティリアの黒髪に深紅の瞳という見た目が一致していたためだ。


 結局、当時はまだ呪いの波形により、証拠を固める方法も無く、王妃候補4人も固く口を閉ざしたため、誰の仕業であるか確定することは出来なかった。



 事件から暫くして、他の王妃候補たちがやって来た。しかし彼女たちは以前の王妃候補より貴族の格も、立ち振る舞いも劣っていた。

 恐らく慌てて補充されたためなのだろう。

 これにより、レオナール王子は余計にノクティリア以外に興味を示さなくなってしまった。


 時をほぼ同じくして、王宮や社交界で妙な噂が立つようになる。「ノクティリアが他の王妃候補を呪って蹴落とした」「彼女の周りにいると、呪われて、顔が醜く変形する」「呪い殺された者もいる」など、事実無根のものばかりだった。


 当時、ノクティリアの父親であるヒースは噂を流した犯人を特定しようと躍起になっていたのだが、ついに見つかることは無かった。

 そして、この噂によってノクティリアは王妃候補から外されることとなった。

 幾ら事実無根だったとしても、これだけ多くの人々に噂されている人物を、王妃として迎えることは出来ないという判断だった。

 レオナール王子は激しく抗議したが、決定を覆すには至らなかった。


 ノクティリアが最後にレオナール王子と会った時、彼は無言で彼女を抱きしめた。絶対人前で泣かないノクティリアは、彼の胸で、気付かれぬよう一筋の涙を流した。


 ノクティリアが呪術の対策について、本格的に学び始めたのはこの時からだった。



 *******



「くそっ! 俺を元の姿に戻せ!」

 黒いカエルは口をパクパクさせながら、ノクティリアに向かって叫ぶ。いや、鳴いている。

「あら、このカエルったら喋れるのね。サーカスに売ったら幾らになるのかしら」

「ふざけるな!」

 ノクティリアは足を上げると、カエルの直ぐ傍に勢いよく落とした。驚いたカエルがバチンと跳ねる。

「ねえ、二コラ。あなた自分の立場が分かっているの?」

「な、何が言いたい」

「あなたは呪術を使って、このお屋敷で働く人たちを沢山呪ってきたことがバレてしまったのよ? つまり……」


 ノクティリアはゆっくりと回りを見回した。つられて二コラも周りを見回す。カエルの皮膚表面に、油なのか汗なのか分からない液体が、じわじわと浮き上がって来た。


 見上げるばかりの巨人たちが、全員彼を睨みつけているのだ。皆目が赤く光っているようにさえ見える。ノクティリアを包囲するはずが、今は完全に自分が追い詰められている。

 ちなみにカトリーヌは既に逃げていた。


「確か、この辺りはカエルを食べる習慣があると聞いた事があるわ」

 ノクティリアは非常にのんびりした口調で言った。

「お、俺じゃない! 俺じゃないんだ! おい、お前ら何だその目は! そんな目で俺を見るな! 俺はこのヴァロワ伯爵家の当主だぞ!」


 カエルは必死にぴょんぴょん跳ねながら、ゲコゲコと喉を膨らませて訴える。見た目が見た目だけに、あまりに苦しい言い訳だった。

 ノクティリアは頬に指を当てて考える仕草を取った。そして、パッと笑顔になる。


「そうね、それなら、あなたが私にやろうとしたこと、使用人の皆さんを呪ったこと、全てを正直に言うのなら、元に戻して差し上げるわ」

「本当か?」

 二コラも笑顔になった……と、声色から思われる。

「ええ」


 ノクティリアが頷くと、二コラはまるで雨の日のカエルの如く、饒舌に白状し始めた。


 二コラがノクティリアに興味を持ったのは、「呪われた令嬢」と呼ばれていたからだった。縁談と銘打って、その呪われた令嬢がどんな人物なのか、確かめようとした。最初は呪術師としての単純な好奇心だったようだ。


 しかし、ノクティリアと対面してみて、彼女は一切の呪力を持っていないようだと気付く。「周りの人間を呪って不幸にする」という、あの噂は嘘だったのだと二コラは気付いた。

 同時に、ある企みを思いつく。


 先ず、ノクティリアとの縁談を進める。そういて彼女が屋敷に出入りするようになってから、使用人たちを無差別に呪っていく。

 そして、それをノクティリアが引き起こしたことにして、多額の損害賠償をせしめるという計画だった。



 当然、ノクティリアは「自分には呪力が無い」と否定するだろうが、それを証明する手段は、彼女には無いと考えた。カトリーヌともグルだった。

 何より、「呪われた令嬢」の悪評が大きすぎて、彼女を信じる者は誰も居らず、自分の主張が通るに違いないと思い、事件を起こしたのだった。



 アングラート公爵家とヴァロワ伯爵家の婚前交渉が中々まとまらなかったのも当たり前だ。二コラには端からノクティリアと結婚する気が無く、無茶な提案を幾つも吹っかけていたのだから。


 しかし、ノクティリアは二枚も三枚も上手だった。



 ちなみに賠償金の使い道は、国宝級の呪術の禁書を買うことだったらしい。

 こんな男に、そんな危ない物が渡らなくて本当に良かったと、ノクティリアは思った。


「さあ、全て話したぞ。早く呪いを解いてくれ」

「無理です」

「は?」

「だから、私には出来ないと言っているの」


「な、何を言ってるんだ。お前はさっき、使用人たちの呪いを解いていたではないか! ならばこの呪いだって……!」

「見たところ、あなたが使ったカエル化の呪いは、かなり特殊な物のようね。私が解呪出来るのは、幾つかのメジャーな呪術だけなの。何せこれまで、時間とリソースを呪術の捜査の勉強に割いていたものだから」

「お前ぇ、俺を騙したな! この性悪女め!」

 二コラはぺちぺちと前足を叩き付けながら怒鳴った。するとノクティリアは肯定するかの如く、鷹揚に頷き、口角を吊り上げて笑った。

「ごめんなさい、私、大嘘つきなので」


 それは自分が言ったことへの意趣返しだと、二コラが気付いた時にはもう遅かった。


 周りの使用人たちが、自分の方へジリジリ寄って来ている。

 じわじわと、輪が縮まって行く。

「く、来るな! 来るなあああああ!!」


 夜更けのヴァロワ伯爵邸に、二コラの断末魔が響いた。



 *******



 あれから数年が経っていた。

 ノクティリアはレオナール王子と……いや、レオナール公爵と結婚していた。

 レオナールは公爵の爵位と領地を、新しく国王から賜り、そこにノクティリアを迎え入れたのだった。


 レオナールが爵位を貰ったのは、外交において数々の成果を上げたからだった。その天使のような笑顔と裏腹に、強かな交渉術を持つ彼は、それまで険悪だった国々との緩衝材の役割を果たした。


 これが適材適所だったようで、一時は一触即発と思われた国との和平も、彼の活躍で結ぶことが出来ていた。



 レオナールはノクティリアが王妃候補を外されてからずっと、彼女を迎え入れるための準備を整えていた。あれから他の王妃候補とは会おうともしなかった。

 国王としては、レオナールの態度に業を煮やしていたようだが、華々しい外交成果を上げている彼に、強く出ることが出来なかった。



 レオナールがそのことをノクティリアに話さなかったのは、全ての準備を終え、迎えに行った時に驚かせるためだった。

 そのため彼女がヴァロワ伯爵と婚約手前だったことを知った時は、非常に驚いたようだ。

 ノクティリアはノクティリアで、レオナールは既に別の王妃候補との結婚を決めているのだろうと考え、迷惑になると思い、手紙などは送らなかった。

 それによりすれ違いが起きていたのだった。



 ちなみに二コラと一緒になってノクティリアをはめようとしたカトリーヌ男爵令嬢は、実家を絶縁されることとなり、今は平民としてその日暮らしをしているという。



 ***



 二人の間には子供が二人生まれた。

 現在、上が三歳の女の子で、下はまだ0歳の男の子。子育ては忙しい盛りだが、乳母が手伝ってくれているし、レオナールも公務の無い時はいつも子供と過ごしてくれる。


 広大な庭園の見えるテラスに座って乳飲み子をあやしていると、子供の声に混じって、カエルの鳴き声が聞こえた。

 二コラだ。

 時が経つにつれて彼もカエル化が進み、人の言葉をあまり喋れなくなっていた。



 カエルから人間に戻す方法は未だ見つかっていない。いや、あるのだが、二コラ以外使えないのだ。彼は呪術に関しては優秀であり、また、呪術オタクでもあったらしく、ニッチでマニアックで、誰も使えないような呪術を習得していた。あの時使ったのもその類だ。

 そのため、様々な治癒士に依頼したが、彼を治せる術を使える者が一人も居なかった。



 落ち込む二コラに「良いじゃない、そっちの方がイケメンよ」とノクティリアが言うと、二コラが「やかましいわ!」と久しぶりに人間の言葉を話した。


 まあ、気長に待つしかないだろう。


 カエルの姿の二コラは、アングラート公爵家からノクティリアに付いてきた侍女、モニカが部屋で世話をしている。

「元々男性だったカエルなのに、気にならないの?」とノクティリアは聞いた事があるのだが、モニカは笑顔で「はい。私はカエル料理を作るのが得意なので、何かあっても大丈夫です」と、大丈夫なのか大丈夫じゃないのか、よく分からない答えを返してきた。


「『人を呪わば穴二つ』を自ら体現なさるとは、呪術師の鑑だと思うわ」

 ノクティリアは乳飲み子をあやしながら、上の子を抱いたレオナールと視線を交わし、微笑んだ。



 おわり




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― 新着の感想 ―
カエルってよく車に轢かれてぺしゃんこになってますよね。かわいそうですけど。 現実にこんなやついたら慈悲なんかいらないと思います
当主がカエルになってしまったヴァロワ伯家はその後どうなったのでしょうか?
カエルのお肉は鳥のささみのような感じなので、鍋料理などがいいかと思います。 あと脚部は筋肉が発達してるし、油との相性もいいので唐揚げもいけるでしょうね。 中華料理には幾つかカエル料理が有るそうですが、…
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