新天地へ
天保四年(1833年)から六年も続く大飢饉は、ここ奥州南部七戸の村々では深刻だった。
「うー寒い。もう駄目だぁ親父、お袋も、今年も凶作に間違いねぇだ」
春先から続く長雨に加えて、冷たい夏のやませが吹いて来た。
小太郎は、田んぼで焚火をして煙で温めてはみるものの、無駄な努力であろう。
夏に、こう寒くては稔らない。
「七年も米が取れないで、もし粟や稗まで年貢に取られたら、ワシらは飢え死にしかない。こりゃあ一揆だ、覚悟を決めるしかないのぉ」
噂では、国家老さまが、百姓の少ない稔りから年貢を絞り取って、米の値が高い江戸に廻米して金を儲けているという。
「親父、一揆はだめだ。それじゃぁ、皆を巻き込んで殺されてしまう。だったら村を捨てて逃げよう。飢え死にするよりはマシだろうさ」
「でもなぁ、御先祖さまの土地だし」
その夜、小太郎と両親は囲炉裏端で静かに話し合った。
「ひもじいなぁ、みじめだなぁ」
親父は、しわ腹をさすった。今日は粟と菜っ葉の雑炊しか食べていない。
小太郎も骨と皮になった自分の腕と両親の顔を交互に見つめて、やるせなかった。
もう村を捨てるしかない。
人の多い江戸や仙台ではなく、人の少ない蝦夷地に行くことに決めた。
すべてを捨てて逃げるにしても、北の蝦夷地は寒いので、着物だけは背負って持って行くことにした。
残る食料は、もしものために残していた種籾三升に粟三升。
日の出前にそっと、家族三人は北に向かった。
朝霧の舞う山道を四里(16キロ)ほど歩くと野辺地の湊がある。陸奥湾に面した静かな港町であった。ここから海を渡るか、下北半島まで歩いて行くかを決めねばならない。
波打ち際で漁師さんの一家に出会った。
夫婦と三人の子供たちが、楽しそうに浜で干物を作っているところだった。
「あのーすまんが、船を出してもらえんかね?」
小太郎は漁師さんに聞いてみた。
「三人かい、どこまで行くのだ?」
「蝦夷地まで」
「そりゃあ、遠いのう」
小太郎たちは、これまでの経緯を話した。もう六年も満足に米が取れず、家族三人で故郷を捨てたこと。蝦夷地に渡ると決めたことなど。
「それは難儀じゃったな。お役人に見つかったら大変だ。だがワシらも米が高くて、毎日の食に困る有り様なのだよ。ここしばらくは満足に食べていない」
漁師の岩男さんが嘆いた。
「じゃあ、持って来た最後の種籾を一緒に食べましょう。もう破れかぶれだ」
石臼を借りて籾を擦り、米を炊いて皆で食した。
小太郎たちも、ひさびさのお米の御飯であった。
岩男さんご家族とも仲良くなり、妻のお春さん、三人の姉弟たちが作った干物と潮汁もご馳走になった。
立場の弱い者が寄り添って、ささやかな宴であった。
「美味しいね」と子供たちが笑い、大人もみんな笑顔だった。
温かかった。美味しかった。なぜか涙がこぼれた。
そして静かに岩男さんが語り始めた。
「陸奥湾を北上すると津軽海峡に出る。ここは海流が速いので注意が必要だ。蝦夷地に住むのなら、武士の松前よりも商人の箱館の方が良い。新しい町だから新参者でも仕事はあるだろう」
「では、船を出して貰えるんだね?」
小太郎たちは喜ぶ。
「ご飯の礼だ。任せてくれ」
新天地への希望と不安で胸がいっぱいになった。
生きてさえいれば、なんとかなるさ。