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3『ウミガメさん』

「この先ですよ!」


 階段を軽やかに下りた少年は、目の前に現れた鉄製の扉を押し開けた。その先には少年の言っていた食堂があり、そこを利用する多くの人が目に入った。

 閉じられていた階段の扉が開いたことで、少年に無数の視線が注がれる。けれど当の本人はそれを気にも留めていないようで、こちらを満面の笑みで振り返った。私はそんな少年に笑いかけ、手を引かれるがまま食堂へと足を踏み入れた。


 少年の進む先に居た人々は、まるで避けるかのように道を開けていく。進行方向には利用客によって人の壁ができ、私たちには無数の視線が注がれる。それは同情で、好奇の目。大多数に含まれない私たちは、動物園に居るホッキョクグマよりも珍しい。


「何食べます?」


 少年はメニューの書かれた看板を見ながら言った。彼はこれまで、たった一人でこの視線に耐えていたのだろうか。中学生に向けるべきでないその視線は、少年の背中を無遠慮に刺し続けている。


「ラーメンいいなぁ。空さんはどうします?」


「んー、ナポリタンかなぁ」


 この病院の食堂は、レジの横にずらっと料理が並んでいる。その中から食べたいものを手に取り、最後にレジで会計をする。小さなビュッフェのようだった。一つ違うのは、ラーメンなどの麵料理は作り置きされていないということ、奥に居る従業員に言わなければ手に入れることはできない。


「おぼんどうぞ」


「ありがとう」


 少年に差し出されたおぼんを受け取り、私は右横に並ぶ料理に目を滑らせた。サラダはもちろん、唐揚げにハンバーグ、厚焼き玉子に茶碗蒸し。和洋折衷様々な料理が綺麗な皿に盛られている。私はその中からサラダと卵スープを手に取り、従業員にナポリタンを注文した。

 対する少年は、サラダはもちろん唐揚げにハンバーグ、チャーハンの小と餃子を手に取り、従業員にラーメンの大盛を注文した。食べ盛りの時期とは言うけれど、細身の体に全ての料理が収まるとは思えなかった。人は見かけによらないらしい。


「あ、お金持ってくるの忘れた」


 おぼんに乗せられた料理を見て、手ぶらで来てしまったことを思い出した。いくら食堂と言えど、代金を払う必要はあるだろう。


「取りに行ってくるね」


「大丈夫ですよ。僕たちはタダですから」


「タダ? どうして?」


 私はナポリタンを受け取りながら問うた。少年は皿の上に乗った唐揚げをひとつ口に運んでから、当然なことのように言った。


「だって、僕たちは幽霊病患者ですよ」


 幽霊病。巷で使われている、シミラーゴースト症候群の別名。その呼び方には、患者を僅かに揶揄うような意図が含まれている。幽霊だから差別してもいい。そう思っている人は少なくない。


「研究に手を貸している見返りが、入院費と食費の無償化。それと、自由に外出する権利。まぁ、外出するときには看護師さんに言わないといけないんですけどね」


 他人事のような言い方だった。説明する少年の背後で、二人の男性がひそひそと話している声が聞こえた。


「あれが噂の幽霊病か」


 そう言って視線を少年に向けた。男性たちの目は、少年を通り抜けて私にも注がれる。多くの患者が自ら命を絶つ理由が、少しだけ分かったような気がした。


「病院は国から援助金を貰ってますし、僕たちにタダ飯を食わせるぐらい問題ないんですよ」


 少年は平然とラーメンを受け取り、窓際の空席に向かって歩いて行った。先程の会話は、もちろん少年にも聞こえていたはずだ。それなのに、まるで何も感じていないような素振りをする。本当に気にしていないのか、平静を装っているのか。それは私には分からない。けれど、少なくとも私はいい気がしなかった。私たちも、彼らと同じ人間なのに。


「いただきます!」


 私が少年と向き合うように座ると、少年は手を合わせながら大きな声で言った。平気そうな素振りをしていたが、彼の瞳は僅かに震えていた。怖くないわけがなかった。

 見ず知らずの人に指を差され、嘲るような言葉を投げられる。後ろめたいことなど何ひとつしていないというのに、まるで罪人のような仕打ちを受ける。大切な人に忘れ去られる以上に、心に深く刺さるものがあった。最期まで普通に生きていたいのに、私たちにはそれが許されていない。


「食べ終わったら人形劇見に行きませんか! 一時から談話室でやるんです」


 私はナポリタンをフォークで巻きながら、壁にかかっていた時計を見やった。時刻は十二時半を過ぎようとしている。目の前にある昼食はまだ八割ほど残されており、ゆっくり食べる時間的余裕はなかった。私は「分かった」と返事をして、急いで料理を口に運んでいく。しかし向かいに座る少年は大して急ぐ素振りも見せず、美味しそうにラーメンを頬張っていた。


 急ぐ私と余裕を見せる少年。昼食を早く食べ終わったのは少年の方で、私は少しだけ不服だった。昼食を済ませた私たちは、下りてきた階段を上って四階に向かった。階段とフロアを繋ぐ鉄製の扉を押し開けると、八階とさほど変わらない光景が目の前に広がった。廊下を歩く人影は少なく、心なしか幼い子どもが多いような気がした。


 私の少し先を歩く少年は、廊下の壁に寄りかかっていた小さな女の子の頭をわしわしと撫でた。頭を撫でられた女の子は楽しそうに笑い、半透明な彼の手を握った。知り合いなのだろうか。気になりはしたが、それを彼に問うことはなかった。


 扉から真っすぐ伸びる廊下の脇には、病室と思われる部屋がずらっと並んでいる。どの部屋にも、私より幼い子どもたちが生活していた。女の子と手を繋いだ少年は、迷うことなく廊下を真っ直ぐ歩いて行く。少年が廊下を歩くと、まるで待っていたかのように部屋の中から子どもたちが飛び出してくる。そして少年の手や服の裾を掴み、楽しそうに笑い合う。少年の後ろを歩いていた私の周りにも、いつの間にか子どもたちが集まっていた。


 静かだった私の周辺は笑顔に包まれ、話し声で賑やかになった。彼らもまた、私たちと同じように病気を患っているのだろう。違いを上げるとすれば、彼らには未来があるということだ。数日後に死が控えている私とは違う。治る可能性はゼロじゃない。


「今日の人形劇はなんだろうね!」


 私の手を握っていた男の子が言った。人形劇というものを見るのは初めてで、定番である物語が私には分からない。答えに困った私は、「なんだろうねぇ」とはぐらかすように言った。そうしているうちに談話室に着き、少年は目の前の引き戸を開けた。


 談話室に入ると、子どもたちは皆靴を脱ぎ、脇にあった下駄箱に自身の靴をしまう。そして段差の先にあるカーペットの敷かれた床を進み、木で作られた壁の前に座った。その壁は中央部分が長方形に切り取られ、代わりに赤いカーテンのようなものが閉められている。人形劇と言うからてっきり着ぐるみでも来るのかと思ったが、どうやらパペットの方だったらしい。入り口に取り残された私は、子どもたちと同様に靴を脱ぎ、入り口近くに腰を下ろした。


 一時になるにはまだ二分ほどある。今か今かとそわそわしている子どもたちは可愛らしく、いつまでも見ていたいとさえ思った。子どもたちと前の方に座ったいた少年は、後方に座る私を見て立ち上がった。そうして右隣に腰を下ろすと、「可愛いですよね」と微笑みながら言った。


 自分にもあんな時代があったのだろう。けれど今は殆ど覚えていない。何が好きで、家族とどこへ出かけたか。幼い頃の記憶は、成長するとともに薄れていく。幼少期など、本当にあったかすら怪しくなってしまう。そして、それを聞いたところで答えてくれる人はいない。私が思い出さない限り、可愛らしい時代の私はいなかったことになる。仕方ないと割り切るにしても、僅かな虚しさが肌を掠めていく。


「僕の話をしてもいいですか……?」


 少年は私の顔を窺うように見てから言った。


「どうぞ」


 少年が何について話そうとしているのか、あいにく私には分からなかった。それでも話したいと言ってくれるのなら、聞くぐらいは出来るだろう。気の利く相槌は出来ずとも、話し相手にならなれるような気がした。


「僕、実は両親が居なくて」


 少年の口から放たれた言葉に、私は静かに頷いた。足を抱えるような体制で座っていた少年は、ゆっくりと足を前に伸ばしていく。


「いないと言っても、きっとどこかで生きてはいると思います。赤ちゃんのときに捨てられたので、会ったことも話したこともないんですけど」


 十五歳の少年は、この事実をいつ知ったのだろうか。物心ついてからだとしたら、随分長いこと抱えていたのかもしれない。


「じゃあ、今までどこで生活してたの?」


「孤児院って言うんですかね? 夢学園っていう場所で同じような子たちと生活してました。意外と多いんですよ、僕みたいな人」


 少年は自分自身の生い立ちを、自虐するような声音で話していた。両親の居る私には分からない世界。生まれて間もない時期に生みの親に見放された少年は、今何を思うのだろう。彼の親にも、きっと事情があったのだろう。けれど、それは子どもである彼には関係ない。親の愛情を知らずに生きることの意味を、少年は真の意味で知っていた。そしてそれが想像以上にきついことも、彼は身を持って知っていた。


「ご両親に会いたい?」


「んー、どうなんでしょう。僕の親は施設長なので、生みの親ってよく分からなくて」


「そっか」


 人形劇の舞台である木造りの壁。切り取られた枠の中で閉められていた赤いカーテンが、愉快な音楽とともに開いていく。その奥に見える緑色の背景の中には、ウサギとネコのパペットが立っていた。それを見た子どもたちは、「わぁぁぁ」という歓声と拍手を送る。


「僕、この病院には学園長に連れてこられたんです」


 少年は幕の上がった舞台を見ながら言った。その目はどこか寂しそうで、泣いてしまうんじゃないかとすら思った。本当の親のように慕っていた学園長は、彼のことを覚えていなかったことだろう。それが、奇病を患った患者の宿命なのかもしれない。


「学園でシミラーゴースト症候群に罹ると、本人の意思とは関係なくここに連れて来られるんです。僕たちのことは誰も覚えてないですし、そんな子を置いておくなんてできないんだと思います。責任だって取れないでしょうし」


 森の中に居たウサギとネコは、野生のトラと遭遇した。トラはウサギを見るや狩りの体制に入り、二匹はハンターから逃れるように走り去っていった。


「今思えば捨てられたんですよね、僕。親に二回も捨てられた」


 逃げ去っていく二匹をトラは追いかけた。その裏で流れる音楽は天国と地獄。運動会のリレーを想起させるその音楽は、人形劇とよく合っていた。しかし、本物の野生はここまで愉快ではない。草むらに隠れて器用に逃げていく彼らに、トラはとうとう追いかけるのを止めた。


「この病気はなんで存在しているんでしょうね」


 家族や友人が健やかに生活する代わりに、患者のみが苦しむ病気。何がきっかけで発症するか分からないのだから、予防なんて出来るはずもない。存在意義の分からない奇病は、発症者の心を着々と蝕んでいく。患者が救われる日は、いつになったら来るのだろう。


「病気に存在意義なんて求めるものじゃないよ」


 背後でそう言う男性の声がした。男性は靴を脱ぐと、そのまま私の左隣に腰を下ろした。私よりも年上らしいその男性は、黒のショルダーバッグを背負っていた。


「ウミガメさん」


「ウミガメ?」


 少年は男性を見てそう言った。ウミガメと呼ばれた男性は、少年を見るや太陽のような笑みを向けてくる。目が眩むようなその笑顔に、私は僅かに目を細めた。


「よくここに居るって分かりましたね」


「劇の時間はいつもここに居るでしょう?」


 男性は少年との記憶があるのだろうか。いや、そんなことあるわけない。ならどうして、過去の行動を記憶しているのだろう。この人は例外だとでも言うのか……?


「今日もついてくるんですか?」


「ダメ?」


「いえ、別にいいですけど」


 少年は少しだけ嫌そうに言った。二人はどういう関係なのだろう。男性は患者には見えず、ということはわざわざ少年に会いに来ているということになる。知り合いであるということは分かるのだが、友達にしては些か違和感が残る。二人に挟まれた私は、頷くことも首を傾げることもしなかった。


 部屋の奥で進む劇の内容は終盤に差し掛かっていた。野生で暮らすウサギをはじめとした動物たちは、飢え死にしそうなトラに温かなスープを差し出している。


「あ、空さん。こちらウミガメさんです。ウミガメさん、こちら空さんです」


 簡易的な紹介に、私は小声で挨拶をした。男性も同じように挨拶をするが、大して興味は無いようだった。どうせ明日になれば忘れてしまうのだ。ここで自己紹介をしたとて、また次に会ったときもしなければならない。彼の記憶が無くならないというのであれば別だが、そんな人はいるはずもない。仮にいたとしたら、それこそニュースで報道されるだろう。そしてメカニズムを調べるべく、人体実験まがいの行いをされるに違いない。


「あ、終わったね」


 出演したパペットが舞台上でお辞儀をすると、子どもたちは「面白かったねぇ」と言いながら拍手を送った。ウミガメも同じように拍手を送ると、誰よりも先に立ち上がった。それを見た少年も同じように立ち上がり、下駄箱から靴を取り出した。劇の鑑賞を終えた子どもたちは、入り口にわらわらと集まってくる。私は邪魔にならないよう立ち上がり、壁際で廊下に出て行く子どもたちを眺めていた。


「面白かったね!」


 私の手を握っていた男の子は、私の顔を見上げながら言った。私はその子に「そうだね!」と声をかけ、優しく微笑みかけた。幼い子どもの笑顔は、他の何にも代え難いものであると思った。この子たちが奇病に罹らないことを、私は祈り続けることしかできない。虚しい病気なんて、罹らないに越したことはない。


「空さんはこの後どうします? 僕はウミガメさんとお散歩行きますけど」


 靴を履いた少年は、私のことを僅かに見上げながら言った。その背後には、高身長のウミガメが立っている。


「部屋に戻るよ。少し疲れちゃった」


 少年は私の言葉に少しだけ肩を落としたが、対するウミガメはどこか嬉しそうだった。少年に会いに来たのだから、部外者である私は邪魔者なのだろう。ならばお望み通り、邪魔者は退散するとしよう。


 私は二人に軽く挨拶をしてから、子どもたちの後を追うように談話室を後にした。一人になった私は、階段へと続く鉄製の扉を引いた。階段はやっぱり蒸し暑く、上るだけで汗が滲み出てくる。冷えていた体はあっという間に熱を取り戻し、私は額に流れる汗を肩で拭った。そこで初めて、自分が制服を着ていることに気づいた。


 皴のついたスカートは、その跡を残したまま下に向かって伸びている。重力を以てしても、スカートについた皴は消えないらしい。夏を象徴する白のポロシャツは、同じように学生を象徴する。着ているだけで、私がどこの高校に通っていたか一目瞭然だ。もうその学校に足を運ぶことはないけれど、そう思うと少しだけ恋しくなる。


 窮屈だった教室でもう一度授業を受けたい。苦手な友達ともう一度話してみたい。二度とできないわけではないけれど、相手は私のことを覚えてはいない。それは、携帯に連絡が来ないことからも理解できた。家族や親友からは、電話どころかメッセージすら届いていない。


 その事実が虚しくて、私は携帯からメッセージアプリを削除した。四階分の階段を上り終え、私は自分のベッドに寝転んだ。初めて寝る病院のベッドは、家にある物と大して差はなかった。私は真っ白な天井を暫く眺めた後、携帯の動画アプリを開いた。そして適当に動画をタップして、ぼんやりと画面を眺め続けた。

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