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15『後始末』

「そんなことない。もしかしたら明日も同じように生きてるかもしれないだろ。前例がないからって、諦めちゃダメだ」


 小さな雑草を幾つか抜いた私は、手を払いながら立ち上がった。ついでに服の裾を確認すると、後ろ側が砂で汚れていた。私はその汚れを落とすように叩いてから、落ちてきた髪を耳にかけた。男性の口にした言葉は気休めだった。そう言うしかなくて、当然のことのように口にした。彼だって分かっているはずだ。そんな未来が来る可能性は限りなくゼロに近い。宝くじに当選するのと雷に打たれるのが同時に起こるようなものだ。その奇跡を信じている人はどこにもいない。


「私が生きていることなんてないよ」


「そんなことない!」


「そんなことあるんだよ。この病気になった瞬間から決まってたこと。私は今日で死ぬの」


「何でそんなこと言うのさ」


 男性の声は今にも泣き声を上げそうだった。


「明日も生きていたいって、空ちゃんはそう言って……。だったら諦めちゃダメだろ」


「諦めないでどうしろって言うの!」


 私の声は裏返り、ヒマワリ畑の中に響いた。


「来年も生きていられるかもなんて、そう思う方がよっぽど辛いじゃない。五日後に死ぬんだって、明日死ぬんだって、そう思った方がずっと楽よ。……諦めないでなんて言わないで…………簡単に受け入れられたわけないでしょ」


 シミラーゴースト症候群患者がどんな思いでこの五日間を過ごすのか、健常者には絶対に分からない。確実に死ぬ病気に侵された人の心なんて、そう簡単に感じ取れるわけがない。苦悩も葛藤も、きっと想像を上回るだろう。平気に見えるのは、それを表に出さないように努力しているから。本当は泣き喚きたくて、あらゆるものを壊してしまいたいのに……。そうしないのはストッパーのように理性が働いているから。


「樹雨くんは、昨日のことなんて覚えてないでしょ?」


「昨日?」


「昨日は、私と春夏ちゃんと樹雨くんの三人で海に行ったんだよ」


「そうだったんだ……」


「だからね、そういうことなんだよ。どうにもならないから諦めるの。特効薬だって、検体が五日で消えるんだから作れるわけがないの。研究者たちが一生懸命研究しているけれど、この病気はきっとこの先もこのままだよ。私みたいな若者が生まれては死んでいくの」


 少し悲観的なのかもしれない。長い年月をかけて病気の症状が判明したように、特効薬も百年後にはできている可能性はある。ワクチンなんかも作られて、罹る人がいなくなるかも。けれど、それができるまでに多くの人が命を落とした事実は変わらない。私たちは過去を生きた人たちの上で生活している。


「昨日は海……その他には………?」


「他には、ゲームセンターに行った。UFOキャッチャーで遊んで、車のシミュレーションゲームをした。そのあと三人で焼肉を食べた。一昨日はカラオケに行って、たくさん食べてたくさん歌った。夜は門限の時間までドライブをした。あの時間は最高だった。その前は食堂で一緒にお昼ご飯を食べて、中庭の噴水を見に行った。目の前の木に蝉が止まってて、鳴き声が凄かった。その後にかき氷屋さんでかき氷を食べた。ふわふわで口に入れた瞬間溶けたの。あれにはびっくりした。その前は談話室で少しだけ人形劇を見た。そこで私と樹雨くんは初めて会ったんだよ。……どれもこれも、樹雨くんは覚えてないでしょ? 全部忘れちゃったでしょ?」


「それは!……それは……………」


 男性の表情が曇った。私は拳をぎゅっと握り、乾いた地面をじっと見つめた。


「しょうがない……しょうがないんだよ。樹雨くんが覚えてないのは分かってる。この病気はそういうものだから。覚えていようとしても、自分の意志に反して忘れてしまう。私だって分かってるの。ちゃんと理解してる。親でさえ私のことを忘れたんだから、初対面の樹雨くんが覚えているはずがない。でも……、でもね。忘れられるって辛いんだよ。覚えててもらえないのは苦しいんだよ」


「うん。分かるよ」


「分かんないよ。樹雨くんには分かんない。私たちの辛さなんて、他の人に分かるわけない。私だって分からなかった。この病気になる前は、ちゃんと理解してなかった」


「…………」


「幽霊病患者がどうして自ら自分を殺すのか。今だったらちゃんと分かるの。死ぬよりも生きてる方が辛いって、今だったらしっかり言える。春夏ちゃんの気持ちも、私には少しだけ分かる。時間を共有した人が翌日には初対面に戻るなんて、そんなの……昨日の私たちがいなかったみたいじゃない」


 抜かれた雑草の根は、太陽の熱によってすっかり乾ききっていた。


「空ちゃんたちが生きていたことを、俺はちゃんと覚えてるよ。ご両親が忘れたとしても。だって……………ほら! 手帳にみんな記してる」


 黒いショルダーバッグの中から取り出された黒い手帳。男性がともに過ごした奇病患者のことを、驚くほど事細かに記載している一つの仕事道具。男性はその手帳を開き、私の名前が書かれたページを開いて見せた。名前や年齢、会話した内容、行った場所。全てが正しく記載されている。男性と過ごした四日間は、見開き二ページ程度の思い出でしかない。


「私はね」


 そこで言葉を区切り、真上に広がる青空を仰ぎ見た。ゴーッという飛行機の走行音が響き渡り、空には一直線の白い線が引かれていく。


「樹雨くんに覚えていてほしいんだよ。手帳でも写真でもなく、海波樹雨に覚えていてほしいの。私がいたこと。ヒマワリ畑を一緒に見たこと」


「分かった、覚えてる。絶対に忘れない。」


「忘れるよ。樹雨くんは私のことを絶対に忘れるの。明日になればひとつだって思い出せない。誰とヒマワリ畑を見たかなんて、記憶すらしていない。これはそういうものなの。私は最初から居なかった。生きてすらいなかった」


 さぁぁっと風が吹きつけ、無数のヒマワリが左右に揺れる。私の髪やスカートも、抗うことなく靡いている。抵抗なんてできやしない。私は風に背中を押されるように、ヒマワリを愛でながら歩き出した。ここで撮る写真はさぞ美しいだろう。写真集の一ページに載れば読者の目を引き、ここに行きたいと思うかもしれない。そんな場所に私はいる。半透明な女子高生は、背景のヒマワリを透かしながら呼吸をしている。


「樹雨くん!」


 私は振り返り、男性の姿を視界に入れた。かなり遠くにいる男性が歩いた形跡はなく、その場に一人で立っていた。両脇には夏を象徴する花が咲き、私たちの間には誰一人いない。美しい道のど真ん中で、私は男性を、男性は私を見つめていた。


「私の名前は立花空! 四日前が誕生日だったんだよ!」


 私に放った言葉は男性に届いただろうか。体は透けても、声が透けるというものは聞いたことがない。男性はなんの反応も見せないけれど、きっと届いたと信じている。


「私は、樹雨くんになりたかった。普通の人になりたかった」


 誰に伝えるでもなく、私は小さな声で呟いた。私の声は風に乗り、どこか遠くの方へ飛んでいってしまう。憧れというものは、叶わないからこそ輝くんだ。それはまるで夢のようで、手の届かない宝石のようだった。






「空ちゃん、おかえり」


「川澄さん! ただいま〜」


 すっかり自宅と成り果てた病院の八階。ナースステーションにいる看護師は、皆私の保護者役をしてくれる。家族とは程遠い関係でも、身を案じたり、おかえりと声をかけてくれる。世の中血の繋がりだけじゃないと、私はここに来てから幾度となく思い知らされていた。


「どこ行ってきたの?」


「ヒマワリ畑! すっごく綺麗だった!」


「そっか。よかったね」


 川澄の笑顔は周囲を一気に明るくする。その笑顔に釣られて笑えば、私の心の中に僅かな光が差し込んでくるのを感じた。


「ご飯でも食べてくればよかったのに」


 窓の外はまだ明るい。今は夜ご飯にしては少しだけ早い時間帯で、私は「まだお腹空いてないの」と微笑みながら言った。川澄は「そっか」と言っただけで、他には何も言おうとはしない。人の腹の空き具合などに興味はないのかもしれない。私はふふっと笑った後で、何も言わずに病室へと戻った。


 私一人だけしかいない広い病室。これでは個室となんら変わりはないけれど、空いた五つのベッドがあるだけで安心した。これから誰かが来るかもしれない。それは看護師かもしれないし、新たな患者かもしれない。そう思うことで、私は一人じゃないと感じることができる。死ぬときは一人でも、せめてその前はまでは誰かとともに居たい。それは少しも変ではないし、高望みなんかでもない。私は一人では生きることも死ぬことも怖いのだ。


 向かい側のベッドにあった麦わら帽子は、今はもうない。ピンクのコサッシュも、大きなリュックも、携帯も、見る影を無くしている。外出するときまであったそれらは、今はどこにあるのだろう。彼女と一緒にあるのだろうか。同じ棺の中に入れられ、一緒に焼かれるのだろうか。そうだったらいいと、私は自分のベッドに腰を下ろしながら思った。


 暫くそうして窓の外を眺めた後で、私は立ち上がって荷物をまとめた。使用済みの衣服は大きな旅行バッグに入っているけれど、棚の中にはトランプや写真がしまわれている。みんなで遊んだトランプを手放すのは忍びないけれど、取っておいたってしょうがない。人形劇を見たときに出会った子どもたちが使ってくれたらいいけれど、人のお下がりなどあまり嬉しくはないだろう。私は透明なケースに入ったトランプを撫でながら、丁寧に鞄の中にしまった。


 写真立てに入った家族写真。私と姉と父と母が写ったそれは、テーマパークに行ったときに撮ったものだ。四人とも満面の笑みを浮かべ、楽しいと全身で表現している。


 三人は今頃どうしているだろう。長期休暇を取って旅行にでも行っているだろうか。叶うことはないけれど、出来ることなら誰か足りないと、そう感じていてほしいと思ってしまう。誰が居たかは思い出せずとも、何か物足りないと、そう思われるだけで十分だから。あとは何も望まないから、どうかそれだけは。私はいるかも分からない神にそう願ってみた。


 私は飽きるまで写真を眺めてから、トランプの横にそっと写真立てを置いた。空になった貯金箱も、もう使わない携帯電話も、一度だって読まなかった本たちも、みんないっしょに鞄の中へしまっていく。財布の中に残った全財産は、全て棚の上に置いた。


 持ち主のいなくなったお金は、誰かどうか活用してくれるだろう。生きている人が少しでも幸せになるならお金だって本望だろう。空になった財布を鞄にしまってから、枕横に置かれたクマのぬいぐるみを手に取った。長いこと私の人生を見てきた可愛らしいぬいぐるい。誕生日のときに貰ったそれは、私の唯一のお気に入りだ。


「取っておいても……」


 私がいなくなったらこの子は一人だ。そんな過酷な運命を背負わせるわけにはいかない。けれど、今更手放すなんてできなかった。鞄の中にしまおうとした手が止まり、クマのぬいぐるみは再びベッド上へと戻っていった。


「君は最後まで一緒だよ」


 ぬいぐるいの頭を軽く撫でると、優しく微笑み返してくれたような気がした。私はぬいぐるみ以外の持ち物を全て鞄に詰め、重たくなったそれを肩に背負った。病院に来たときの感覚が蘇り、私はふふっと一人で笑った。一人でここへ来て、一人で死んでいくなんて。笑わないとやってられない。私はそのまま病室の引き戸を開け、エレベーターの方へと歩いていった。


 エレベーターの右側には、僅かに凹んだ空間が存在する。そこには種類別に分けられた大きなゴミ箱が存在し、週に二度業者が回収に来る。私はその中の一つの蓋を開け、背負っていた鞄を中に捨てた。私の生きていた証は極力無くしていきたい。それは後片付けをする看護師のためであり、死にゆく自分のためだった。


 踵を返して来た道を戻り、そのままナースステーションのカウンターに寄りかかる。頬杖をつきながら仕事をしている川澄を眺め、そうしてお礼を言った。


「ありがとうございました、川澄さん」


「ん? どうしたの、改まって」


「いや、言わなきゃなと思って。五日間お世話になったんだし」


「そんなのいいのに。俺だって空ちゃんと話せて楽しかったよ!」


「そう? ならよかった!」


 私との会話を彼が覚えているはずがない。それでもそう言うのは、確かに話したらしいという自信故か。それとも私を傷つけないためか。どちらであったとしても、私は彼のような看護師が好きだった。もう一度生を受けることがあるならば、私は看護師を目指そう。そう思うくらいには好きだった。









 とある病院の屋上。落下防止の柵の向こう側に、一人の少女がぽつんと座っている。


 その少女の体は幽霊のように透け、闇夜に浮かぶ景色を透過する。それに抗うように、少女は白いTシャツと黄色いハーフパンツを身に纏う。右腕には可愛らしいクマのぬいぐるみを抱き、左手にはコンビニで買ったホットドッグを持っている。


 時刻は深夜。正確な時間など、少女を含めた大多数が気にもしていない。ただ、今が眠る時間だということはどんな人も知っている。何故なら、夜更かしは肌に悪いからだ。


「綺麗だなぁ」


 少女は天を仰ぎ、頭上に浮かぶ星々を眺めた。黒い瞳に星が映り、少女の目も同様にキラキラと輝いている。少女は残りのホットドッグを口の中に押し込んで、咀嚼しながら星の数を数え始めた。けれど百を超えたあたりで飽きたのか、大きなあくびをひとつだけした。


「星になりたいなぁ」


 少女が放った言葉を聞いている者はいない。そしてその言葉に込められた真の意味を、少女以外に知る人もいない。


「さよなら、世界」


 途端、辺り一体に強い風が吹いた。夏特有の生暖かい風は、少女の綺麗な髪を揺らしたはずだった。けれど、既に病院の屋上に人影はない。少女が座っていた場所には、何も残されてはいなかった。


 白いTシャツと黄色いハーフパンツは吹き抜けていった風に乗り、どこか遠くへ飛ばされてしまった。少女の腕に抱かれたクマのぬいぐるみは、支えを無くして下へと落下していく。


 コンクリートの地面に着地したぬいぐるみは、ボールのように跳ねた後で静かに静止した。










 カーテンの隙間から差し込む太陽の光。それが俺の顔に真っ直ぐ伸び、眩しさとともに起床した。携帯で設定していた目覚ましを切り、ついでに時間を確認する。時刻は午前七時を回ったところ。今日も寝坊せずに済みそうだと、一人しかいない部屋で頭を掻いた。


 一人暮らしにしては少しだけ広い部屋。けれど家具などの日用品は少なく、その代わりに床には紙が散乱していた。辺りに散らばる紙は、どれも俺の書いた文章だ。シミラーゴースト症候群に侵された若者をこの世に残す、唯一の方法。最終手段。どこで生き、どのように死んだのか。俺はそれを記事にして新聞に載せる。あるいは書籍にし、半永久的に若者を生かす。


 そんな俺の朝は、黒い手帳を見ることから始まる。顔を洗い、賞味期限ギリギリの菓子パンを開け、机上に置かれた手帳を引き寄せる。日付が変わるのと同時に、俺の中にあった彼らの記憶が消える。昨日は何をして、どんな会話をしたのか。思い出そうとしても思い出せない。だから、忘れ去られた記憶を蘇らせる作業が必要だった。


 ペラペラと手帳を捲り、最新のページを端から読む。彼女の名前は立花空。どうやら歌が上手いらしい。それから海が好きで、誰よりも明るい女の子。自らの字で綴られた彼女のことは、やっぱり少しだって記憶にない。


 直筆のメモに目を通し終えると、机の端に置かれたボイスレコーダーを再生した。患者に内緒で録音しているそれは、公で聞くことが許されてはいない。一歩間違えれば盗聴と同じだ。再生されたボイスレコーダーからは、記憶にない少女の声が聞こえてくる。その声の間から自分の声が聞こえ、会話している様を脳内で想像した。


 この音を聞くたびに、相手との記憶がないことを悔しく思う。会話の続きをしようにも、自分がどこまで話したか忘れているのだから。


『樹雨くん!』


 ボイスレコーダー内の少女が俺の名前を呼ぶ。それに混ざってザーッという風らしき音も聞こえてくる。


『私の名前は立花空! 四日前が誕生日だったんだよ!』


 明るい声だった。死というものを実感してもなお、少女の声は明るい。


「立花空。四日前が誕生日……」


 俺は開いたままの手帳を見る。昨日行ったヒマワリ畑がちょうど五日目。ということは、少女は誕生日当日に発症したことになる。ボイスレコーダーは再び風の音を再生し、それに被って「帰ろっか!」という少女の声が微かに聞こえた。


 その直後、俺の頬を雫が流れていった。別に悲しいわけではない。この少女が死んだところで、俺はその子との記憶がない。思い出がない。だから知らない誰かが死んだとて、俺へのダメージは少しもない。


 けれど、少女は確実に俺との時間を共有している。メモが、ボイスレコーダーが、携帯内の写真が、その事実をまざまざと見せつけている。目を逸らすことなんてできなかった。耳を塞ぐこともできなかった。


 メモの最後には、昨日の日付と五日目という文字がボールペンで記載されている。立花空という少女に会うことも、話すことも、俺には二度とできない。なぜなら、少女はもうこの世には存在していないから。


 死人と話すことなんて、凡人の俺にはできない。


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