1『幽霊に似ている』
夏の、それも良く晴れた日。洗濯物が一瞬で乾くのではないかと思うほどの陽射しが、真っ直ぐにコンクリートの地面に落ちる。照り返しがきつく、陽炎がそこら中で揺らめいている。その様子を、私は広い待合室の窓から眺めていた。
冷房によって冷やされた室内は快適で、快適を超えて寒いくらいだった。私は窓際に置かれた長椅子に座り、窓から差し込む日光を全身に浴びた。ぽかぽかとした心地よい暖かさが、冷房によって下がった体温を上げていく。そうしているうちに眠気がやって来て、私はいつの間にか船を漕いでいた。
「二年三組の十一番さーん」
看護師の声に、私の意識は現実世界に戻って来た。私は「はーい」と気の抜けた返事をし、のろのろと立ち上がる。そして看護師の前まで歩き、尋ねられる前に名前を告げた。
「立花空、十六歳です」
私の名前を確認した看護師は、「ではこちらに座ってくださいね」と人好きのする笑顔で言った。けれど、当の私は笑顔になどなれなかった。
どうか何事もなく終わりますように。
緊張とともに、そう願うほかなかった。それはきっと私だけではない。待合室にいる生徒全員が、同じように願っている。
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喪失幽霊化症候群。
巷ではシミラーゴースト症候群と呼ばれている。
数十年前に初めて確認されたその病気は、患者が透けて消えるという奇病だった。日本初の患者は遠藤睦美。当時まだ十九歳の少女だった。
少女の病気は新聞に取り上げられ、日本中に衝撃を与えた。体が透けてしまうという病気の症例は、当時の諸外国を合わせても十に満たない。そんな珍しい病気が、陸の孤島である日本にまでやって来た。
人にうつるのかすら分からない奇病。得体の知れない病気故に、遠藤睦美には隔離措置が取られた。家族にすら会うことを禁じられ、一人寂しく病院で生活していた。専門家らがその病に対する策を講じているさなか、遠藤睦美は命を落とした。
発症から五日後のことだった。
彼女が死んだという事実は、もちろん新聞に取り上げられた。けれど、彼女の名前を憶えている者は誰一人として存在していなかった。それは彼女の両親や親戚も同様だった。それがこの病気の恐ろしいところである。
シミラーゴースト症候群。その名の通り、幽霊に似た症状を発症する。指先から始まる半透明化は、発症から二日後には腕と足に。三日後には腹と胸に。四日後には全身に。そして、五日後には患者自体の色が薄くなり、背景に溶け込むように消失する。
消失するのは患者だけではない。消失した人間に関することの全てが、生者の記憶から抹消される。それも、発症した瞬間に。名前や幼少期の思い出は、自身の親ですら覚えていない。そして、発症した患者に出会った者も皆、日付が変わると同時に綺麗さっぱり忘れてしまう。全てを覚えているのは患者だけ。
その患者が消失すると、世界から一人の人生が丸ごと失われる。まるで最初からいなかったみたいに、その存在を思い出し、語らう人はいなくなる。これほど惨い病気はないだろうと、研究をし続けている者は言う。
シミラーゴースト症候群。この病気について、年月を追うごとに分かってきたことがある。初めは何も分からなかった奇病でも、患者が増えると見えてくるものがある。悲惨な現実だが、その事実が今を生きる者を安心させていた。
今現在分かっていること。それは、この病気を発症するのは十五歳から二十歳までの五年間だということ。
発症してから何らかの理由で命を落とすと、その日一日の記憶は消失しないということ。
指先が透けるという自覚症状が現れる前段階として、赤血球の約一割が半透明になるということ。
そこから発症に至るまでには個人差があるということ。
そして、患者が消失すると採取した検体も消失するということ。
この結果を受けて、政府は該当年齢に属する者の健康診断に赤血球の半透明化検査という項目を付け加えることを決めた。中学三年生から三か月毎に行う身体測定は病院で行うという学校が増え、今ではそれが常識となっている。
〇 〇 〇 〇 〇
健康診断から一週間。この七日間は生きた心地がしない。生きるか死ぬかが、たった一度の健診で決まってしまう。発症すると来年まで生きられないと、印刷された紙によって無情にも宣告される。そうはなりたくないと、誰もが神に祈っている。
私はポストに入っていた茶封筒を手に、自室の扉を閉めた。手に持った茶封筒を開けるのが怖くて、暫く宛名を眺めていた。見ないで捨てるという考えが脳内を巡ったが、どちらか分からない状況で生き続けるのは苦痛だった。
私は部屋の隅に置かれたシングルベッドに腰を下ろし、茶封筒の上部をはさみで切った。中には三つ折りになった白い紙が一枚だけ入っていた。私はその紙を恐る恐る封筒から引き抜き、震える手で開く。上部には学校名とクラス、そして私の名前が印刷されている。そこから視線を下に動かすと、身長と体重、視力に聴力の検査結果が目に入る。
身長が一六〇センチを超えていたことに嬉しさを覚えると同時に、体重が増えていることに肩を落とした。確かに最近、お菓子ばかり食べていたような気がする。落ち込んだ気分のまま、私は紙の最下部に視線を落とした。太い黒枠の中に書かれた『血液検査結果』の文字。その結果を見た私の心臓は三倍も早く脈打った。
黒枠の下には『赤血球一〇パーセント』という文字だけが印刷されている。これまでは〇パーセントだったから、何度もこの文字を見直した。けれど、目の前に現れた文字が変わることはない。一〇〇パーセント中の一〇パーセント。十割のうちの一割。私は近いうちに、シミラーゴースト症候群を発症する。
翌日。当たり前だが私は学生で、今日も普通に学校へ行く。奇病に罹ることが約束されたと言っても、これまでの日常を変えることはない。そもそも、発症するまでには個人差がある。明日かもしれないし、一年後かもしれない。過去には検査から二年後に発症したケースも確認されている。それがこの病気の恐ろしいところだ。患者は常に覚悟をしておかなければならない。
「空ちゃん、一緒にお弁当食べよ~」
隣のクラスの友人が私を呼ぶ。私はその声に明るく返事をし、鞄の中から弁当箱の入った袋を取り出した。昼休みに誰かとお弁当を食べれる回数はあとどのくらいなのだろう。もしかしたら今日が最後なのかもしれない。
そんな思いを胸に抱えながら、私は教室の入り口に立つ友人の元へと歩く。彼女も、私のことを忘れてしまうのだろうか。これまでの思い出も、今日一緒にご飯を食べたことも、全て忘れてしまうのだろうか。なんて酷い病気なのだろう。まるで悪魔が生み出した病気みたいだ。
友人は傍まで来た私の手を握り、楽し気に鼻歌を歌いながら中庭へと歩いて行く。真夏日と呼ばれる気温でも、私と友人は揃って中庭で昼食を取る。一年生の頃からの日課だ。
「ねぇ、昨日のドラマ観た?」
友人が中庭のベンチに座り、二段弁当を膝の上に広げる。彼女のお弁当はどれも美味しそうで、何か一つ交換してもらおうと思った。
「あ、観忘れちゃった。主人公どうなったの?」
昨日は病気のことで頭がいっぱいで、ドラマのことなんて頭の片隅にもなかった。
「それがさー、彼女を振って言い寄って来た女と付き合っちゃった」
「マジ?」
ドラマ特有の急展開。嫌いではないけれど、現実的じゃない。だから面白い、というのもあるのだろうが、どこか別次元の話だと感じる。
私も友人と同じようにお弁当を広げる。今日はおかずにコロッケが入っていた。私は世界で一番コロッケが好きだった。
お昼時間が終わり、午後の授業も無事に終わった。昼食後の授業は眠すぎて、内容など少しも覚えていない。覚えていないのだから無いも同然だ。私はのんきにスキップをしながら、青空の下で帰路についた。
高校から徒歩で三十分。私の家は七階建てマンションの二階。備え付けのエレベーターはあるが、それに乗るよりも階段で向かった方が僅かに早い。
私は自宅のドアの前で鞄を開き、中から取り出した鍵を鍵穴に差し込んだ。それを時計回りに回すと、カチャッという乾いた音とともに開錠される。私は自宅のドアを手前に引き、誰もいない部屋に向かって「ただいま」と叫んだ。その声は蒸し暑い室内に溶けて、響くことなく消えていった。
私の両親は共働きで、帰宅はいつも午後七時を過ぎる。二つ上の姉は高校卒業後、近所の中小企業に就職した。こちらも帰宅時間は夜で、それまでの間私は広い家に一人だった。私は帰宅してすぐリビングへと向かい、壁に取り付けられた冷房のスイッチを押した。するとピッという起動音が耳に届き、ゴーッという運転音が部屋の中に響いた。
私は来た道を引き返し、右側にある自室に鞄を放り投げた。鞄は部屋の隅にあるベッド上で僅かに跳ね、力なく停止した。その様子を最後まで見ることなく、私は気温の下がったリビングへと戻る。僅かに湿気の残るリビングでも、外よりは遥かにマシだった。
私は制服姿のまま、部屋の右側にあるソファに寝転んだ。すると途端に眠気が襲ってきて、私はそのまま瞼を閉じた。
夢を見た。真っ暗な部屋で私は一人。どこを見ても明かりは無くて、そこがどこだか見当もつかなかった。
「お母さん?」
私の声は暗闇に吸い込まれていった。
「お父さん?」
その声に返事をするものは誰もいない。
「お姉ちゃん?」
この暗闇が晴れる気配は少しもない。いつまでここに居ればいいのかも、私の家族がどこに居るのかも、何ひとつ分からない。暗黒に染まった世界が、静かに私を包み込んでいた。
前も後ろも分からない世界で、私は一人走り出した。景色が変わらないので、自分が走っているのかさえ分からなくなる。それでも私は足を前に出すしかない。進んでいるのが分からずとも、進んでいると信じ続けるしかない。それしか、今の私には出来ないのだから。
私が走り始めてどのくらい経ったのだろう。体感では一時間ほど経っているが、現実は十分も経っていないのかもしれない。周辺は未だに暗闇で、私の目の前には小さな明かりが見えている。とにかくそこへ向かって行くしかないのだが、果たしてその選択は正しいのだろうか。胸の中には不安しかなかった。
そこで私は目が覚めた。見慣れた天井を暫く見つめ、今まで見ていた世界が夢であったことを自覚する。ほんの少しだけ嫌な気分になった。窓の奥に見える景色は明るかった。私は何時間寝ていたのだろう。一度も起きることなく夜を明かしてしまった。制服のスカートには皴が付き、首筋には薄っすらと汗をかいている。嫌な夢を見たからだろうと思ったが、自分の指を見た瞬間に感づいた。
第一関節が一夜にして半透明になっていた。昨日までは背景が透けるなんて想像もできなかったのに……。神様は残酷だ。誰もいない部屋には、当然ながら冷房も付いていない。いつも用意されている朝食も、今日は欠片一つ存在しない。指先が透けるのと同時に、家族の中から私の存在が消えてしまった。都市伝説のような事態が起こっても、私はどこか夢心地だった。
時間はもうすぐで九時になる。「あー、学校遅刻だー」なんて思いながら、私は再び天井を眺めた。どうせ学校に行ったって、私のことを覚えている人はいないだろう。教室の空席も、出席簿に書かれた私の名前も、知らない人だと認識するのだろう。
「虚しい……かも?」
これでは透明人間だ。誰にも見つけてもらえない、悲しい悲しい幽霊だ。
私が患った奇病はシミラーゴースト症候群。その名の通り、幽霊のような症状を発症する。体が透けるのも然り。誰にも認識されないのも然り。
そうやって、患者は孤独に死んでいく。大切な人に見送られることもなく、どこかで一人死んでいく。きっと私もそうなのだろう。死ぬときは一人だ。
感傷に飽きるまで浸った私は、腹の虫が鳴るのも構わず父の部屋へと向かう。綺麗に整頓されたその部屋は、とても男性の部屋とは思えなかった。
私はベッド脇に置かれていたシルバーのノートパソコンを手に、気温の上がり続けるリビングへと舞い戻る。時刻は十時半を回っていた。私はダイニングテーブルにノートパソコンを置き、電源ボタンを軽く押す。するとフォンッという起動音がして、暗かった画面が明るくなった。画面にはパスワードの入力画面が表示され、私は当たり前のように母の誕生日を入力した。父が誰よりも愛しているのは母であると、いつからかそう確信していた。果たして、それはいつのことだったのだろう。
画面の開いたパソコン。私はこれから、最期のときに向けて準備をする、この作業がいかに悲しいものかを、私はこの瞬間に初めて痛感した。
画面上のカーソルで検索アプリを押す。画面上部に出てきた検索欄に市役所の名称を入れ、私は検索マークをクリックした。パソコンは一瞬にして処理を終え、市役所のウェブページを表示させた。そのウェブページには、当たり前だが市内で開催される催し物やお知らせなどが書かれている。私はそんなものには目もくれず、ページの最下部にスクロールした。そこには『シミラーゴースト症候群の患者様用』と書かれている。画面上の矢印は、当然のようにその文字をクリックした。
そうして目の前に現れたのは、死亡届を記入する書面だった。奇病に罹ったものは皆、この書面に必要事項を記入しなければならない。それも、自分でだ。自分で自分の死亡届にサインをし、それを自らの足で市役所に届ける。そうしろと、該当年齢になったときに受けさせられる講演で指導される。自分以外の人間から、自分という存在が消えてしまうから。だから、そうせざるを得ないのだ。
私はその書面データをコピー機に転送した。するとコピー機は音を立てて動き出し、印刷された紙を吐き出した。刷られたばかりの温かい紙。しかしその温かさは、ものの数秒で消えてしまう。私みたいだった。こう思うのは全て病気のせいだろうか。それとも、私の素は悲観的だったのだろうか。この際そんなことはどうでもいいような気がした。
どうせ五日後に消失しているのだから。未来なんてないんだから。
私は印刷した死亡届に、黒いボールペンで必要事項を記入した。人の生き死にがたった一枚で完結してしまうのだから、死というものは思った以上にあっけない。それに死亡者と届出人が同じだなんて、冗談も甚だしい。本当に勘弁してほしかった。
私は記入の済んだ紙と検査結果の入った封筒を手に家を後にした。家の扉に鍵は閉めなかった。
室内と同じか、それ以上に暑い世界。木々に止まって鳴いている蝉も、数日後にはあっけなく死んでいることだろう。それでも、私よりも遥かに長生きするに違いない。今の私は蝉にすら負けていた。いや、端から勝ち目なんてなかった。
私の額を流れる汗。首に纏わりつく髪。吸い込む空気は熱気と湿度を含み、吐き出された息は同じく熱を帯びている。これが生きるということであり、即ち死んでいくということだ。生と死は対極に位置しているわけではない。薄紙を一枚隔てた隣に位置している。命あるものは、生きながらに死んでいる。しかしそれに気付けるのは、死というものを実感した人だけだ。
私は歩き続けた。右手に茶封筒を持ち、左手に死亡届を持つ。その指先は透けており、茶封筒の色と直筆のサインが見えている。それを見た者は、私のことを不憫だと思うだろう。この少女はまだ十代で、それなのに命を落とす。しかしそう感じた人間もまた、明日になれば私のことなどすっかり忘れている。
記憶の片隅にすら残らない。私の存在は戸籍にしか存在しない。
「まぁ、しょうがないよね」
病気に罹った以上、どうすることもできない。致死率一〇〇パーセントの奇病は、誰にも治すことが出来ないのだから。
悶々とあらゆることを考えているうちに、目の前には立派な市役所が現れていた。建て替えたばかりらしいその建物は、全面がピカピカと輝いていた。いくらあれば、こんな立派な建物が建つのだろう。一度でいいから大豪邸に住んでみたかった。
私は市役所の自動ドアを抜け、一階にある届出窓口に向かった。その窓口には制服を着た女性が座っており、幸いなことに他には誰もいなかった。私は女性に「こんにちは」と挨拶をしてから、持っていた二つを差し出した。女性は不備がないことを確かめたあと、その二つを透明なクリアファイルに挟んだ。本当に奇病に罹っているのかを、検査を行った病院に再度確認するためだ。もっとも、私の指先を見れば疑う余地もない。
「承りました。こちら、お受け取りください」
女性は顔色一つ変えることなく、三枚の紙を私に渡した。一枚目には自ら命を絶つな、という内容が記されている。周囲の人から忘れ去られる病気故に、その苦痛に耐えられない者は多い。耐えかねた患者は、五日よりも早くに自殺する。国は対策を考えてはいるが、「死ぬな」という以外にできることはない。何をどう頑張ったとしても、必ず五日後には死ぬのだから。
二枚目には奇病に対する詳しい説明が記されている。そのどれもが、既に何度も聞いた内容だった。こんな紙を読まずとも、私たちは耳に胼胝ができるほど聞かされている。
そして三枚目。そこにはとある病院が紹介されていた。睦美之病院。シミラーゴースト症候群を日本で初めて発症した女性の名が付いた病院。長年奇病について研究を重ね、今や多くの人が知っている情報を見つけ出した場所。日本に一つしか存在しない、シミラーゴースト症候群患者が入院できる病院だ。
奇病を発症した患者は無料で入院することができる。その代わり、研究に協力するという義務が発生する。時間的拘束を受けることがあるため、入院するもしまいも患者本人が決めることになる。この世界は何かを強制するということはしない。全て自己責任だ。
「ありがとうございました」
私は女性にお礼を言って、市役所を後にした。あの女性も、これまで多くの死亡届を受け取ったのだろう。それを覚えているかは知らないけれど……。
私は寄り道もせず真っすぐ自宅に帰宅した。幸いなことに、家を空けている間に誰かが侵入した形跡はなかった。
私は自室の押し入れから大きな横長の旅行バッグを引っ張り出し、クローゼットの中から服を数着取り出した。そのどれもが私のお気に入りで、丁寧に畳み直して鞄にしまう。同じように下着も入れ、本棚から数冊の本を取り出し鞄に入れる。
他にもトランプやクマのぬいぐるみ、筒状の貯金箱を入れ、洗面台に向かった。洗濯機の上部にある棚からバスタオルを一枚抜き取り、その横にある棚から新品の歯ブラシを手に取った。なんだか旅行の準備をしているようで、心なしかウキウキしてくる。
私はそれらを鞄の中に放り投げて、机の上にあった写真立てを手に取った。テーマパークに行った際に撮った家族写真。この頃は、一年後に死ぬなんて夢にも思わなかった。人生とはいつ何が起こるか分からないものだ。私は手にした写真立てをそっと撫で、バスタオルの上に丁寧に置いた。そして鞄を閉め、肩にかけた。ずっしりとした重さが肩に伝わり、ほんの少しだけ泣きそうになった。
この部屋とも、家とも、今日でさよならだ。もう二度と戻ってくることはない。
「バイバイ、机。椅子。ソファ。カーテン。キッチン。冷蔵庫…………キリがないや」
全てのものに別れを告げるには、少しばかり時間がかかり過ぎる。言い終わる頃には日が暮れることだろう。
「みんな、ありがとね。さよなら!」
部屋中に響き渡る私の声。その声に返事を返すものは誰もいない。その代わりに、窓から差し込む陽光がその光の筋を長く伸ばした。この家に存在する全てのものが、私の門出を祝福しているようだった。
私はその様子に笑顔を浮かべ、晴れやかな気持ちで玄関の扉を開いた。じめじめとした空気が肌に纏わりつく。夏は少しだけ苦手だった。
背後で閉まった扉に、私は鍵を差し込んだ。それを反時計回りに回すと、カチャッという乾いた音が耳に届く。十七年間聞き続け、耳に馴染んだ簡素な音。それも今日で聞き納めだ。
「君もありがとね。また、いつか」
鍵っ子だった私が、小学生の頃から身に付けている小さな鍵。手に良く馴染む鉄の鍵は、お守りのように私の傍に居てくれる。
それはこれからも変わらない。これだけは手放したくなかった。