使い魔契約『2体』目
出会いの瞬間は不思議だった。
その子とは初めて会ったと思わなかった。
そんな不思議な感覚…。
「猫…?」
「にゃーん」
目の前に現れたその使い魔は純粋に猫というには少し特徴が異なっていた。
そのネコモドキはひと鳴きすると、翼らしき対の白黒のナニカを背中でパタパタとはためかせて、宙に浮いたのだ。
そしてそのままリンの胸元で降り立ち、抱っこを強要してきたので、リンは慌てて抱き留めた。
「…いったい何が起こったんだ…」
そのネコモドキが現れた途端、吹き荒れていた魔力渦が消え去り、その場に座り込んでいたうちの一人、シュービックはぽつりとつぶやいた。
シュービックの周りを心配そうに飛び回っていた光の玉ーシルフィーに感謝を告げながらも、その瞳はいまだ困惑したまま、召喚陣の中心にたたずむリンに向き続けていた。
その顔には「好奇心」がうずく笑みがうっすらと浮かんでいることに、当人は気づくことなく。
「大丈夫ですか、ツキギシさん!?」
担当教員のテオはリンに駆け寄ってきて、心配そうにそう言ってきた。
「ツキギシさん!怪我はない!?」
「カムリオ先生…私は大丈夫です」
カムリオはリンの無事を確認すると、見るからに安堵した様子だった。
「それで…その子がツキギシさんの使い魔?」
「そうだった。ねぇ?あなたが…私の使い魔?」
「リンちゃん!その方は使い魔じゃないですよ!」
リンがそのネコモドキに声をかけているとどこからか、甲高い声が聞こえてきた。
突然はっきりと声が聞こえたリンは慌てて、キョロキョロと周りを見渡した。
「え?…誰?」
「ここですよ!ここ!!!…もしかして見えてませんか?!」
見渡しても、リンは声の主を気づくことが出来なかった。
するとリンの目の前に何かが止まった。
「ワタクシが!リンちゃんの!使い魔のベルでございます!」
「…ハエ?」
「ハエですが、名をベルと申します!」
ベルと名乗ったのは、まさかの小さなハエであり、ハエが甲高い声でリンに話しかけてきていた。
それを見たリンは生理的嫌悪感でとっさに握り潰そうと手を伸ばした。
「…!」
「リンちゃん!?危ないですよ!?」
ハエは慌てて避けた。
避けたハエに対して、嫌悪の瞳を向けながら、リンは小声で続けた。
「…や」
「…え?リンちゃんなんて?」
「ハエにリンちゃんって呼ばれるのは嫌!」
「がーん!」
分かりやすいほどに落ち込んだハエはすかさず返した。
「…いやでもですよ?リンちゃんなんていう、字面から音までかわいい名前を呼べないなんて、使い魔として生殺しもいいところですよ!」
「かわいい…」
リンは『かわいい』という言葉にピクリと反応した。
その反応を見たベルは、自分の主ながら(こいつちょろいな)とふと思ってしまった。
「じゃあ聞きますけれども、どんな姿ならリンちゃん呼びしていいんですか!」
「え?…それなら」
突然のベルからの問いかけにリンは少し考え込むと、イタズラを思いついたようにニヤリと笑った。
「…黒髪美少女」
「…え?なんて?」
「黒髪美少女ならリンちゃん呼びしてもいいよって言ったの!ハエにはできないでしょ!ざまぁみろ!」
やれるもんならやってみろ!といった具合に意気揚々とリンは言い放った。
ベルはきょとんとしたように一瞬動きを止めたが、不敵に笑い出した。
「…ふっふっふっ」
「な、なんだよ」
笑い出したベルによって、リンは不安を煽られた。
「その程度のことでよろしいのでしたら、お易い御用でございます!ワタクシこう見えて魔術は得意中の得意でございますので!」
ベルはハエなので、動きが小さく、非常に分かりにくいのだが、まるで舞台に立つかのごとく、見ているリンに対して鷹揚に振舞った。
「ではでは皆様、御覧くだされ!ハッ!」
ベルがその場でくるりと回ると、瞬く間に小さなハエの姿からリンよりも拳一つ分ぐらい背の低い少女に変わっていた。
その少女はリンのリクエスト通り、腰まで伸ばした、カラスの濡れ羽色のような美しい黒髪をしていた。
だが、その美しい長髪よりも目を奪われるのはその容姿だった。
顔立ちは拳一つ分に見えるほどの小顔ながら、瞳はぱっちりとした二重に透き通ったトパーズのようなブラウンの瞳。
肌はきめ細かく、すっとした小鼻に小ぶりながら柔らかそうな唇で、顔だけでも絶世の美女ならぬ、絶世の美少女といっても足りないほどの美しい顔をしていた。
服は白のワンピースを着ており、体の線ははっきりと見えないものの、それでも小さくない膨らみが見て取れた。
その姿にリンは息をするのを忘れるほどに見入っていたが、ベルが歩み寄るとはっとして身構えた。
「…この姿ならリンちゃんって呼んでもいいですか?」
リンの脳内は、美しい音色を出せるどんな鈴よりも清廉かつ透き通る声に溶かされたが、「こいつはハエ」と警笛が鳴り、留まった。
「騙されないぞ!ずいぶん幻術が得意なんだね!実体がないことなんてお見通…」
言葉を遮るようにベルはリンの手を取り、細く長い、美しさすら感じる指を絡ませて、恋人繋ぎをした。
きめ細かい絹のような触り心地の手の感触に思考が完全に停止したリンに対してもう一度言った。
眉尻を下げながら上目遣いで。
「…これならリンちゃんって呼んでもいい?」
寂しさを感じさせるほどの甘えるような魅惑の音がリンの耳と脳にトドメを指した。
リンは壊れたようにカクカクと首を縦に振り何度も頷いていた。
それを見たベルは心底嬉しそうに笑ったが、その顔立ちから出た笑顔はリンにとって必殺となった。
そのやりとりを見守っていた(見とれていたともいう)周囲の中でも、いち早く正気に戻ったシュービックはベルに尋ねた。
「…話し中のところ失礼させてもらうよ。それで…君は会話ができる使い魔ということかな?召喚中も召喚主に語りかけていたようだが」
「語りかけ…?………なるほど」
美少女の姿になったベルは、思案げにあごに手をやると、少し考え込んだ。
自分への問いを思い出し、慌てて返答した。
「あぁ!失礼いたしました!先ほどもお見せした通り、魔術、特に魔術詠唱に特化した使い魔でございます」
「魔術詠唱特化!魔術特化の使い魔は見たことはありましたが、また稀有な使い魔ですね!」
「ありがとうございます。ワタクシへのお褒めの言葉は主への言葉、ありがたく頂戴いたします」
ベルはオーバーな動きで、歓喜に震えているが、実際にも言葉の端々から嬉しそうな声色を出していた。
それを胡乱な目で見ていたリンだったが、目線を自分の胸元で休む羽の生えた子猫に移して、つぶやいた。
「それじゃあ…この子はなんなんでしょうか?」
そのつぶやきに反応したのはカムリオだった。
「…恐らく使い魔だとは思うんですが、今回は使い魔ベルとの同時召喚なので、判断が難しいですね…それに猫タイプの使い魔はかなりポピュラーなんですが、この子のような羽のようなものを生やした猫タイプは先生も初めて見ました」
「そうなんですか…」
「シュービック先生は…」
いまだにベルの能力を褒めながら、能力の聞き取りを繰り返していたシュービックだったが、さすがに自分に話が振られると、咳払いをして話を中断し、答え始めた。
「…実を言いますと、私も初めて見るタイプです。それに今回は全く別の使い魔が同時に生まれた可能性があるイレギュラーなため…お力になれず申し訳ありません」
双子のような二対の使い魔なら過去に召喚の実例があったんですがね、とシュービックは付け加えた。
そのシュービックの答えを聞いたベルは、「私は答えを知っているぞ」と言わんばかりに、前に出て話し始めようとした。
「…その方でしたら」
「『リンカーネーション』」
だがその言葉は、突然の来訪者によって遮られた。
黒のローブにつばの大きなとんがり帽子を身につけた美女が自分の身の丈ほどある杖を突きながら、声をかけてきたのだった。