別れた訳と最後の優しさ
吉川さんが、湯河原から戻ると、熊さんの顔が鬼の様相だった。
熊さんが、吉川さんに言う。
「北海道旅行から帰ってきたら、吉川がいなくて。ラインや電話を無視しただろう? 何処にいたんだよ? 山岡ちゃんも知らないって言うしさ」
「え? なんで私がいちいち熊さんに、行き先を言わなきゃならないの? もう恋人じゃないんだよ」
熊さんの表情は硬い。
「でも同居をしているだろう? 俺すごく心配したんだよ」
「何を心配するの?」
「事故とか巻き込まれたかもってさ。襲われたばっかだろ?」
吉川さんが言い返す。
「私のこと、いつも強いって言っているじゃないの? 私は、強いんだから大丈夫なんでしょう?」
「吉川は、そうやって、いつも俺に嫌味ばかり言うんだな」
吉川さんには、熊さんの言葉の意味が理解できない。
「嫌味? 嫌味ってなに?」
熊さんはガッカリしていた。
「意味がわからないなら、もう良いよ。俺は本当に、吉川を心配していたんだ」
吉川さんは、熊さんに心配されて、嫌な気持ちになる。
だって、吉川さんには、別れた男の心配なんて、必要ないから。
「私に何があっても、関係ないでしょう? 私たちの関係は、もうなんでもないんだから」
「なんでも無くはないだろう?」
吉川さんは、更に嫌な気持ちになった。
「なんでもないよ。ただ同居しているだけだよ。それに、私は出て行って欲しいわけだし」
「本当に、俺に出て行って欲しいの?」
「だっておかしいでしょう? いつまでも元カレと同居しているなんて」
「俺は、おかしいとは思わないよ」
「なんで?」
「俺は、吉川と別れたとは思っていないからだよ」
吉川さんには、熊さんの言葉が理解不能だった。
「言っている意味が全くわかんないけど」
「吉川は、俺が風俗行ったり、女作ってホテル行ってたの知っているんだろう?」
「そりゃ、知っているよ」
熊さんが、真相を話し始めた。
「アプリは、3人と実際に会ったけど。2人は、1回会っただけだよ。華ちゃんは……、ちょっと……可愛かったから、浮気になってしまったけど」
吉川さんが聞く。
「華ちゃんは本気じゃないの?」
熊さんが弁明した。
「浮気だから、本気じゃない。あと、風俗は、仕事上の付き合いだから」
吉川さんは、そんな付き合いが、今どきあると思う。
「仕事上の付き合い? このご時世に、そんな付き合いが存在するの?」
「吉川にはわかんないかもだけど、あるんだよ。キャバまでは接待だけど、風俗は接待じゃない、友だち付き合いだよ」
「それ何の違いよ」
「経費で落とせるかどうかの違いだよ。キャバまでは会食だろう? 俺は接待ゴルフだって行っているだろう。俺の仕事はビルを……」
熊さんは、話を戻す。
「ともかく、俺は客とキャバに行っても、抜く店には付き合わないから。俺はその手の店は行かないから」
吉川さんが訝しがる。
「本当なの?」
熊さんは必死になって言う。
「俺は客の代金支払ったら、外で客が終わるまで待機だから。客と一緒に付き合って行っても、おっぱいバブまでだよ。それよりなんで、妬いてくれなかったの? 聞かれたら全部教えたのに」
吉川さんは、おっぱいバブが気にはなったが、そこは触れなかった。
「妬くって、なによ?」
「何で、嫉妬しなかったの? 俺、嫉妬してくれるの待ってたんだ。でも全然平気な顔しているから、俺の行動は、ドンドンエスカレートしてしまったんだ」
あまりの事実に、吉川さんは意識を失いそうになる。
「嘘でしょう?」
「嘘じゃないよ。吉川は、俺が女と遊んでも、平気な顔していただろう? それって俺に愛がないって事でしょう? 違うの?」
「そう思っていたの?」
「そうだよ。吉川は俺に興味なんかこれポッチもないから、嫉妬もしないし、無関心だったんだろう?」
吉川さんから、思いが溢れた。
「違うよ。好きだったよ。死ぬほど好きで、死ぬほど嫉妬して、死ぬほど悩んだよ」
衝撃を受けたのは、熊さんも同じだった。
「え? 嘘だろう?」
「今更、嘘なんかつかないよ」
「じゃ、なんであっさり俺と別れたの?」
「すがりつくの、馬鹿みたいじゃん。心が離れた男に、しがみついても、余計心が折れるもん」
熊さんは意外な事を言う。
「俺は、あの時、吉川がしがみついてくれたら、吉川と結婚しようと思っていたんだ」
吉川さんは、半分キレながら言う。
「なにそれ? ウケるんだけどぉ」
「あの時は、俺なりに、吉川の気持ちを確認したんだ」
「馬鹿じゃない? なんでそんな事するの? じゃ、華ちゃんは何よ?」
熊さんは、多少の罪悪感を感じながら言う。
「華ちゃんは……。あてつけだった。アプリやったのも、アプリで知りあった女の付き合ったのも。嫉妬もしない吉川へのあてつけだよ」
吉川さんは、熊さんと付き合った女性たちに同情した。
「熊さんと付き合った女の人が、可愛そうだよ」
「うん、そうだな……。でも相手も俺に本気じゃなかったと思うよ」
「何でそう思うの?」
熊さんが説明した。
「俺は、アプリを出会い系として利用したし。俺のプロフィールもそんなだったし。女の方も、俺と遊びたいだけなんだ。お互いも会った時だけ楽しければ良いんだ」
「そうなんだ……。そう言うのあるんだ」
熊さんが、訴える。
「吉川と俺は違うだろう? 生活だよ」
「生活って何よ。私はそんなのぉ……」
熊さんがしつこく聞いた。
「なぁ、何で俺に文句を言わなかったの? 怒らなかったの?」
吉川さんは、やっと本心を、熊さんに伝えた。
「私は、熊さんが好きすぎて、文句を言って、嫌われたくなかったんだよ」
熊さんは、落胆した。
「普段は、文句ばっか言っている癖に、なんで女の事になると、言わないんだよ」
「さぁ。わかんない。でも言えなかった。私、可愛くないし、色気もないから。どうみても華ちゃんに、女として負けているし」
「色気は、あるよ。俺はいつも吉川を抱きたかったよ。でも吉川が、俺に抱かれたくなかっただろう? そんな気がしたんだ」
そんなはずはないと、吉川さんは思う。
「嘘だよ、そんな……」
「今、吉川を抱こうか?」
「何言っているのぉ。私たちはもう終わったよ」
「俺は終わってないよ」
「もう、私達終わったんだよ。私の心には、もう他の人が住んでいるから」
熊さんは、少し黙って、それから言った。
「そうか……。じゃ、俺、出ていくよ」
「え?」
「明日にでも物件を決めてくる」
「分かった。今までありがとう」
熊さんはしかめっ面で言う。
「なにがありがとうだよ。俺は今、複雑な心境だよ」
吉川さんは、自分も悪かったんだと悟った。
意地を張りすぎたのだ。
「ごめん」
熊さんは悲しげだった。
「俺たち、すれ違ったんだな」
吉川さんは、穏やかな表情だった。
「華ちゃんとは、すれ違わないでね」
「さっき言っただろ?華ちゃんは当てつけだ。もう会わないよ。それより吉川こそ、今度はすれ違うなよ」
悲しげに吉川さんが言う。
「私は相手がいないから」
「いるだろう? 松本さんがさぁ。心にいるのは松本さんだろう?」
「そうだけど。松本さんには、アプリで会った、笑顔の可愛い癒し系の想い人がいるんだよ」
「じゃぁ、吉川が見つけた、アプリの男はどうした?」
吉川さんは意外なことを言う。
「あの人は……。実は結構前に、その人には断ったんだよ。もう婚活アプリ、しばらく開いてないよ」
「え? 何で。良い人だったんだろう。見かけはタイプじゃないけど、性格がメチャ良いんだろう?」
「確かに良い人だったよ。だから逆に悪いなって思って。松本さんが好きなのに、アプリの人と二股できないから」
「それ、松本さんは知っているの?」
「知らないよ」
「なんで」
「松本さんも、私にアプリの男がいるから、私と気楽に付き合っているんだろうし。だから言わなかった」
吉川さんの瞳から、涙がボロボロ落ちた。
熊さんが言う。
「泣くなよ」
熊さんが吉川の頭を撫でる。
「優しくしないでよ。大丈夫、私は強いから」
吉川さんが熊さんの手を払った。
それでも熊さんは、吉川さんの頭を撫でた。
「良いだろう? 最後の優しさだ」
吉川さんが、小さく頷いて言う。
「エッチはしないよ」
熊さんが小さく笑う。
「知っている。それに俺は、俺としたくない女は、抱かないから」
吉川さんが、泣きながら言う。
「私だって、抱かれたい男にしか、抱かれないよ」
「だよな」と熊さんは言い。
熊さんは吉川さんの頭を、優しく撫続けた。




