春のガーデンパーティ
ガーデンパーティー当日はあつらえたような晴天だった。
社交シーズンがはじまったばかりで、園内を散策する招待客は皆楽しげだ。それを見て、私達は達成感に包まれていた。
真っ白なテーブルクロスがかかった丸テーブルが、点々と配置されている。白が新緑に映えて美しい。
大量の軽食は、知り合いのレストランに外注したものだ。花を模したスイーツに、焼き菓子に添えられた花のジャム。花のサラダ。それに加えて本物の季節の花もテーブルごとに生けてある。色彩があふれていて、テーブルの上がまるで花畑のようだ。
来客がテーブルを見て歓声を上げていた。
立食スペースの中心で、お母様とお兄様とデイジーが周りに挨拶をしている。
本当なら、私もあの場所に居なければいけなかったのだ。
お母様に心の中でそっと感謝をして、その場を離れる。私の持ち場は薬草園だ。
来客はだいたい春薔薇を見ながら食事やおしゃべりを楽しむか、フラワーガーデンを散策するかで、薬草園まで足を伸ばす人は少ない。学園の温室と同じで、忘れられがちになる場所だ。
思う存分庭仕事ができそうで良かった。
そんな時、私の隣に人影が立った。
「大したもんだぜ、きっかりこの日に花が見ごろになるように合わせてきやがったな。俺が出る幕なんざなかったじゃねえか」
「マグワイアさん」
私の隣で、腕を組んで感心したように笑っているのは、4年前まで、父の弟子としてうちで働いてくれていたマグワイアさんだ。
彼の姿を見て、何人かの庭師たちがわらわらと周りに集まって来た。
シャツから伸びる太い腕は筋骨隆々としていて、非常に強そうに見える。一見騎士団か海賊船にでもいそうな厳つい風体のこの中年男性は、実は美しい花を育てることにかけては右に出る者がいない、王城の庭師だ。
貴族というのは何故か薔薇や蘭などの、華やかで香りの強い花を好む人が多い。その手の花を、彼はその外見に似合わない繊細さで実に見事に咲かせる。
このガードナー家で十年も働けば、庭師としてはどこの貴族の屋敷でも働けるようになれると言われているが、その筆頭がこの人だろう。
私も幼い頃から、いろいろと教えてもらった。でも、特に観賞用の花にかけては、私はまだまだマグワイアさんの域には到底及んでいない。
「フラワーガーデンは大盛況だな。ローズの采配か?」
「私は何もしていないわ。学校もあったし」
「ふうん?」
「今回活躍したのはジルよ。最近は肥料の配合も大分まかされているの」
マグワイアさんはジルの父親だ。
ジルは4年前、マグワイアさんが独立する時に、独りでここに残ることを決めた。その時はまだ10才の子供だった。
流石はマグワイアさんの息子というべきか、見習いとしては若年のジルだが、この手の花を上手く咲かせることは誰よりも上手くやるとみんな認めている。
私はいまいち観賞用の花には興味がなくていけない。どちらかといえば、植生や、根や葉の薬効について調べるのが好きだ。
「だってよ。よかったなあジル、お嬢様のお墨付きが出たぜ」
いつの間にか近くに来ていたジルをマグワイアさんが目ざとく見つけて、ばんばんと肩を叩く。「いてえよ!」と怒ってみせるジルは、しかし満更でもなさそうだ。
「今年は天候も良かったんだよ。土の状態はずっと良いから、球根も太ってるやつばっかりだし、肥料に使う鉱石も、安く手に入れられたし……。あとは普通に、親父とか師匠に教えられた通りにやっただけ!」
「あら、謙遜しちゃって。あんたらしくもない」
同じく父の弟子のグロリアさんがにやにや笑ってからかえば、ジルは頬を膨らませた。
「べつに、そういうんじゃねえけど。でも、花がどうやって咲くかなんて、結局自然の力がほとんどで、人間にできることなんてほんの少ししかないんだって。それは、育てれば育てるほど、身に染みてる。綺麗に咲いたのは俺の力だなんて、とてもそんなこと言えねえよ」
ジルの言うことは、よく分かる。どんなに手をかけても、枯れるときは枯れるし、逆にとても駄目だろうと思っていた株が、すくすくと育ったりする。私達が植物に出来ることは、実はそう多くはないのだ。
「意外とその『ほんの少し』ってやつが難しいんだよ。世話をし過ぎても駄目、放置しても駄目。その辺のバランスの見極めは、やっぱり天性のもんもあるんだろうなあ」
どれだけ長年やってても、そこんところがからっきしな庭師ってのもいるからな、とマグワイアさんがしみじみとこぼす。
「あとは、やっぱり謙虚さだな。これは俺の持論なんだが、自然をどれだけ敬愛し畏れているかが、良い庭師の条件と言って良いと思う。——そう言う意味では、お前はなかなか悪くないんじゃねえか?」
何と言っても、俺の息子だからな、とジルの髪の毛をわしゃわしゃかき回して笑うマグワイアさんに、「結局それが言いたかっただけだろ……」とジルがうんざりしたような顔をする。それを見てみんなも笑った。
しばらくみんなで歓談していたが、「さて、そろそろ持ち場に戻るよ。ルイス坊ちゃんに見つかったら、雑談し過ぎだって怒られちまう」とグロリアさんがのんびりと言ったひと言で、休憩が終わった。
お兄様の名前が出た途端にみんな表情を引き締めたので、あの口うるささは弟子達の間にも浸透しているのだろう。大したものだ。
「ところで」
みんなが散り散りに戻って行った頃、不意にマグワイアさんが顔を寄せてきた。
「さっきからすげえ色男がこっちを見てるんだが、ローズの知り合いか?」
言われた方を見ると、確かに物凄い貴公子が少し離れたところに立っていた。見知った顔だった。
セドリック様だった。
目が合うと、にこりと笑って、こちらに近づいて来る。
「本日はお招きありがとう」
セドリック様は、いつもは横に流している前髪をきっちりと上げていて、正式な三つ揃えのスーツに身を包んでいた。王族も来られる行事なので、フォーマルにしているのだろう。あまりに隙が無さすぎて、少しだけ知らない人に見える。
対する私は、灰色の作業用ドレスにエプロンといういつもの格好である。どこからどう見ても、来賓客と単なる庭師にしか見えないはずだ。
招待のお礼を言われてしまったが、招待状を出したのはおそらくお兄様だろう。
このガーデンパーティーは、基本的に王族と上位貴族しか招かないのだが、ガードナー家の者はそれぞれの裁量で親しい人を呼んでも良いことになっている。お兄様も何名か学友を招待しているはずだった。
もちろん私は誰にも招待状は出していない。
昔、招待状欲しさの同級生のいざこざに巻き込まれてから、特に学園の知り合いには出さないと決めた。
私にとっては憂鬱なだけのガーデンパーティーだが、招待される方にとっては、それなりに価値のあるイベントらしい。
「ごめん、邪魔かと思ったんだけど。姿が見えたので、つい」
そう言うと、セドリック様は、傍らにいたマグワイア父子に名乗って会釈をした。
今日の私は庭師に徹しているのだから、わざわざ挨拶など必要ないのに、律儀な方だ。
「ローズにも、ちゃんと学校で会話する相手がいたんだな。よかったよかった」
マグワイアさんはにかっと笑って軽く私の背中を叩いた。まるで私の保護者だ。「じゃっ、上手くやれよー」なんて、的外れな言葉を私にかけて退散してしまった。多分何か勘違いされている。
ジルは、セドリック様に興味津々のようで、この場に残ってしげしげと眺めていた。ずけずけとものを言う子なので、何か失礼なことを言わないかとはらはらする。
「兄ちゃん、お嬢の彼氏? えっお嬢って男いたの? めちゃくちゃ男前じゃん」
悪い予感は的中した。
「下品」
たしなめてから、セドリック様にとってはさせてはいけない誤解であることに気がついて、慌てて訂正する。
「セドリック様は、ルイスお兄様のご友人なの。それで私はたまたま顔を見知っていただいてるだけ。デイジーとも親しいのよ」
「親しいと言えるかどうか。ああ、さっき会ってここまで案内してもらったよ。彼女はすぐに行ってしまったけど」
デイジーは弟子達にはあまり近寄りたがらない。土の匂いが移りそう、とか言って。そのあたりはさすがルイスお兄様と血の繋がった兄妹だ。
お兄様は、実務作業は行わないけれど、植物園の経営には携わっているので、弟子達の中でも運営管理をしている人達とは結構親密に話をしている。
努力家なのは確かなので、前は反発ばかりだったが、今では一目置いている人もいるようだ。
セドリック様の言葉でジルは思い当たったようだ。
「ああ、あのわがまま女に言い寄られてる気の毒な伯爵令息ってあんたのことか。面食いだな、あのお嬢さんも。ガキのくせに」
ガキって。デイジーとは2才しか違わないジルが言うと、何だか変な感じだ。
セドリック様は苦笑している。
「誰が言ったか知らないが、言い寄られているというのは、誤解だと思うよ」
「隠さなくっていいって。デイジー本人が吹聴しまくってんだから。いちおう忠告しとくけど、あいつ、顔は可愛いかもしれないけど、性格やべーからな。逃げられるうちに逃げた方が良いと思うよ」
私はひやりとした。ジルとデイジーが仲が良くないのは知っているけど、デイジーに想いを寄せているセドリック様に聞かせる話ではない。
「ジル、そんな言い方はやめて。デイジーにも失礼よ」
私はジルの肩を掴んで、強めに止めた。セドリック様に申し訳ない。想い人のこんな話、聞きたくないだろうに。
「だってこういうことは言っといてやった方がいいだろ。何せあのお嬢様ときたら、今日も直前でドレスが気に食わないとか言っむぐっ」
これ以上聞かせられない。こうなったら物理的に止めるしかない。私はジルの口を全力で手のひらで塞いだ。
「セドリック様、申し訳ありません。どうにも口の利き方を知らない子で」
ジルがわかったというように私の腕を軽く叩いたので、放してやった。まだ余計なことを言うようなら、頬をつねりあげるしかない。いつかのお兄様の気持ちが分かってしまった。
「君たちが仲が良いのは、よく分かったよ」
セドリック様にしては、少し強い口調だった。少し驚いて顔を見ると、笑顔こそ作っているものの、どことなく冷たい眼をしていた。どうやら不快にさせてしまったようだ。無理もないが。
私の視線に気付いたのか、セドリック様は一瞬はっとしたように眼を見開くと、自分の語気の荒さを恥じるように少し笑った。
「ごめん。少し驚いて」
何に驚いたのかはよく分からなかったが、どう考えても失礼なのはこちらの方だ。謝ってデイジーの悪口を撤回させようとジルを見ると、ジルはなんだか不思議なものを見るような眼でセドリック様を見ていた。
「あんたさ、もしかして本当に……」
まだ何か言う気だろうか。ひと言でも変なことを言ったら頬を引っ張ってやる。
そう考えて身構えた時、人のざわめきがこちらに移動して来た。