定例お茶会
植物園では毎年管理人(つまりうちのことだ)主催のガーデンパーティーが春と秋に行われる。私はそれが近づいてくるたびに死ぬほど気が重い。王族も来るれっきとした社交行事なので、我々一家総出で準備をすすめなくてはいけない。
今年もまた春のパーティーの準備を始める時期が近づいていた。一番うんざりするのが、当日正装をして、招待客に愛想を振り撒かなくてはいけないことだ。本当に嫌だ。逃げ出したい。
お父様なんてガーデンパーティーの日に屋敷にいたためしが一度もない。社交嫌いな彼のことなので、文字通り逃げているのだ。研究という大義名分があってうらやましい。私も病気にならないだろうか。当日土砂降りになれば良いのに。どうせ翌週に延びるだけだから、一時しのぎにしかならないけど。
そんなことを考えていたら、お母様がお茶の時間ににっこりと笑ってこう言った。
「ローズは今年から表に出なくても良いわよ。植物のことだけに注力していたいでしょう。ドレスアップはしないで、好きなだけ裏方に徹してくれていていいわ。ああ、でも、難しい質問をされた時のために、私たちの近くにいるようにしてくれないと困るけど」
「本当ですか、お母様!」
私は柄にもなくはずんだ声を出してしまった。嬉しい。なんていい人なんだろう。
「恐れながら、奥様」
そう口を挟んだのはメイド頭のホランドさんだ。
「王族の皆様は元より、数多くの有力貴族がいらっしゃる宮中行事に、ホスト役としてガードナーの者がひとりもいないのはあまりよろしくないのではと思いますが」
「あら、貴女は、私たちがガードナー家の者ではないと言いたいの?」
「由緒正しいガードナーという意味では、その通りかと。少なくとも、来賓の皆さんがガードナーの者に期待するのは、植物への敬意と教養です。失礼ですが、奥様、ルイス様、デイジー様。お三方のどなたか、それらのひとかけらでも持ち合わせていらっしゃるのでしょうか」
ふたり共にこやかに、火花を飛ばし合っている。毎回のことながら、間に立つとどきどきしてしまう。
ホランドさんも、せっかくお母様が素敵な提案をしてくれているのだから、そのまま受け入れれば良いのに。
大体責任者が居ないのが良くないというなら、全面的にお父様が悪い。
私の本心としては、100パーセントお母様の味方をしたい気分だった。流石にホランドさんに申し訳なさすぎて口には出せない。
結局その場は、私や弟子達の中から、詳しい者がお母様かお兄様の近くに張りついているようにするということで、その場は何とか収まった。
「ローズ様はあからさまに喜んでるんだから、放っとけば良いんですよ」
台所で、ガーデンパーティーの打ち合わせをやっている。ついでに私が作ったお菓子とお茶も出して、ほとんどお茶会のようになっていた。
出席者はホランドさんとデイジー付きの侍女のリンダ、そして弟子見習いの少年、ジルだ。
ガーデンパーティーでは来客に飲み物と軽食を提供するのだけど、お茶以外は外注している。
ただ、何か植物園らしく花にちなんだレシピを何点か考えてほしいと要請されていて、その試食会も兼ねていた。
薔薇のジャム、スミレやライラックの砂糖漬け、金蓮花のサラダあたりが鉄板だろうか。
私はお茶を淹れながら、リンダの言葉にもっともだと頷く。危うく今年も正装して出なくてはいけなくなるところを出なくて良いと言われたのだから、その喜びは大きい。
ひと目で主催者だとわかる格好をすると、百人ぐらいに話しかけられる。植物の知識に関することならともかく、世間話だとか社交界の噂話だとかはじめられた日には、どうしていいか分からなくなる。
しかも向こうはこちらが誰だか知っていて、当然自分のことも知っていると思っているのだ。
人の顔を見分けるのが植物を覚えるよりも苦手な私だが、貴方は誰ですか、なんて訊けるわけもなく、よく分からない世間話に精一杯の愛想笑いを貼り付けて頷き続けなければならない。
それでも無愛想だなんだと陰口をたたかれる。正に地獄の責め苦だ。
毎回泣いて逃げる寸前でとどまっているのだ。それをせっかく免除されそうなんだから、このままにしていて欲しい。
ホランドさんが私のために言ってくれた言葉なのは分かっているから、こんなことを考えるのは良くないのだけど。
お母様やお兄様やデイジーはこの難行を難なくやってのける。そこは本当に尊敬せざるを得ない。
「だって腹が立つじゃないの。表に出なくても良い、なんて。この屋敷で唯一ガードナーの血を引くローズ様に向かって。大方、去年ローズ様が王室より直々にお褒めの言葉を賜ったことが、よほど腹に据えかねたんでしょうよ」
そんなこともあったっけ。いつも園に来てくれて、お花を褒めてくれるおばあちゃんが実はこの国でも結構偉い人だったらしい。そのことだろう。
それにしても、爵位はルイスお兄様にすべて譲ると言っているのに、ホランドさんはすぐに忘れてしまうようだ。
お父様が子供の頃からこの屋敷にいる人だからか、お父様と血が繋がっていないお兄様のことを、後継者と認めたがらない。
「自分たちよりローズ様が目立つのが嫌なのよ、あの母娘は」
「そっかなー。意外とあのおばさん何も考えてないんじゃねえのって気もするけどな。単純にお嬢が毎回社交するのめちゃくちゃ嫌がってるの知ってて裏方にしてくれたんじゃねえの?」
お行儀悪くケーキを手づかみで食べながら、ジルがそんなことを言うので、私もこっそり同意する。お母様が私の気持ちを推し量ってくれているのだとしたら嬉しくないわけはない。
でも私を社交から解放してくれるという点では、悪意があっても構わないとすら思う。
「どっちかっていうと、娘のデイジーの方が性格悪いだろ、絶対。最近なんかお気に入りの男ができたとか言いふらしてるけどさ……相手が可哀想っていうか」
ジルの言葉にどきりとした。お気に入りって、それはセドリック様の事だろう。弟子達にも話をしているのか。
あれから、セドリック様と私の間柄は、相変わらずだ。
年が明けて、学校が始まって、セドリック様がたまに温室にやって来て、特に会話らしい会話をしないまま、帰って行く。
お互いに軽く訪問と贈り物のお礼を言い合ったけれど、それだけだ。
デイジーがすっかりセドリック様に夢中になっている事や、婚約者に立候補したがっているという話は、できなかった。
必要があればお兄様が伝えるだろう、と心の中で言い訳していたものの、本心では喜びに顔を輝かせるセドリック様を、見たくなかったのかもしれない。
——一番性格が悪いのは、私だ。
「そんなことないと思うけどなあ。デイジー様なんて、表面はつんつんしてるけど、心の中では私たちが思う3倍はねえさまねえさま言ってると思いますよ?」
それまでは無心にケーキを食べていた侍女のリンダのあっけらかんとした言葉に、我に返る。
「あんたはデイジー様付きだから、欲目があるんだろうよ」
「いや、別に庇ってるわけじゃないんですけど。クソガキだと思ってるし。あ、私この味好きです。香りもどぎつくないし」
「俺も。でもちょっとぱさぱさしてるな。お嬢、お茶おかわり」
「自分でやりなさい。なんだかんだ言ってあんたが一番失礼だよ」
「いって」
ホランドさんにぺんっと頭を叩かれて、ジルが大袈裟に頭をおさえた。やんちゃな孫と気難しい祖母といった感じだ。
しょっちゅう口喧嘩をしているように見えて仲が良いな。このふたりは。
「ローズ様の前ではことさらわがままになるんですよね、あの子。親離れできてない子供みたいになるっていうか」
「ああー、それは確かに。お嬢を母親かなんかだと思ってる節あるかも。奥さんは外面いいけど、あんまり母親って感じじゃねえしな」
「そう? そう見える……?」
私は満更でもない表情をしたのかもしれない。「ローズ様、嬉しそう……」とリンダとジルは微妙な顔をしていたが、産まれた時から知っていて、名前まで付けたあの子のことを、私はどうしても可愛くないとは思えないでいた。
「甘い、甘すぎる」
ホランドさんが吐き捨てる。
「蜂蜜を入れすぎたかしら」
私が首を傾げると、「そうじゃない!」と一括された。
「大体、ローズお嬢様は、この由緒あるガードナー家の後継だという自覚が薄すぎます。そもそもこの屋敷を賜ったのは、さかのぼること七代前、時の当主ユーリ公が……」
「そうだ、ジル、お茶お代わりだったわね」
いつものホランドさんのお説教がはじまりそうだったので、慌ててちょうど私も飲みたかったから、と立ち上がった。はじまると長いのだ、この話は。
そしてホランドさんに「ジルにまで甘い!」と怒られた。