予期せぬ来客
やがて初雪が降り、この都にも冬が訪れた。
その日、お兄様が帰宅の際にセドリック様を突然連れて来ることになったので、屋敷はちょっとしたパニックだった。
王立学園は、基本的に全寮制なので、お兄様達も寄宿舎で暮らしている。
私は特例というか、植物園の業務があるという届け出を出しているので、家から通えているのだ。
王城と植物園は王都の北側に、学園は王都の東に位置していて、馬車で一刻ほど。通えない距離ではないが、同じ屋根の下で寝起きをして、貴族同士つながりを深め合うのも寄宿学校の意義のひとつだ。
私のように自宅から通学する者は、変わり者という目で見られていた。
そんな寄宿舎暮らしの生徒達も、年末年始には家に帰る。
学園には国中から貴族の子女が通っているので、王都近郊に家がある者、遠く離れた領地へ帰る者、さまざまだった。
セドリック様も、ランバート領地へ帰るのだが、その前に、「植物園の管理棟ってどんなところか見てみたいな」という彼のひと言で、急遽うちに来ることになったらしい。
「もう! ランバート伯爵家の御令息をお連れするなら、もっと早く言ってくれないと。何の準備もしていなくて恥ずかしいわ」
「来たいと言われて、断る方が失礼でしょう。それに彼は、もてなしを要求するような奴じゃない」
「そういうわけにはいかないわよ。タイミングも良くなかったわ。今日はデイジーのお友達が来ているの」
お兄様とお母様が慌ただしく会話をしている。
お兄様の言うとおり、簡素な歓待でもセドリック様は気にされないと思うが、お母様の心配もわかる。
デイジーはまだ家庭教師だけで学園へは通っていないのだが、来年の入学に向けて、同じ年頃の友人達を招いての年越し前のお茶会の真っ最中なのだ。
私はその準備をしているところだった。
「ローズ。そっちは後回しにして、ランバート様へ出すお茶の準備をしてちょうだい」
「え、でも」
キッチンに入って来たお母様に言われて、少し困ってしまう。
昨日のうちに焼いておいたケーキを切り分け終えて、今お茶を淹れようとしていた。
デイジーは私がブレンドした花の香りのするお茶を好む。春と夏に花びらを摘んで天日干しをしたおいたものを茶葉に入れると、冬でも花の香りを楽しむことができる。
正直この屋敷では香りを引き出すのは私が一番上手い。それに、私が淹れないと、デイジーが不機嫌になってしまう。
「……いえ、やっぱりこちらも私が淹れます。まず、セドリック様をお通ししないと」
私はエントランスホールへ向かった。お兄様は自室へ着替えに行ったようだ。
セドリック様もお兄様が着替え終わったらお兄様の部屋へ案内しよう。
セドリック様はエントランスホールに設えてあるお客様用の長椅子に座って、もの珍しそうに辺りを見回していた。うちは大して広くもない屋敷だが、あちこちに植物があって、そこは少し変わっているかもしれない。
側に行ってもう少し待っていてほしいと伝えると、セドリック様はにこりと笑った。いつもながら眩しい笑顔だ。この方がうちの屋敷にいるなんてなんだか妙な感じがする。
「お構いなく。無理を言って連れてきてもらったのは私の方なんだから。王宮お抱えの植物学者の邸宅というものに前々から興味があってね。いつでも来てくれというルイスの言葉に甘えてしまった」
そうは言っても、お見せできるようなものなんて何もない。
当主であるお父様は、登城しているか何処かへ行っているかでほとんど自宅に居ないし。ちなみに今も外国へ、この国にはあまり無い高山植物を採集しに行っている。
留守の間、植物園の管理業務や資料の整理などをしている父の弟子たちは、作業棟を兼ねた屋敷の離れに住んでいる。
あまりこの本館に立ち入ることはない。
その時、二階の客間のドアが開いて、人影が飛び出した。
「姉様、何やってるの。おそいわ!」
エントランスに立つ私たちを階段上の手すり越しに見下ろすのは、今日も今日とてしっかりドレスアップした、妹のデイジーだった。
オレンジと黄色を基調にしたドレスは、温かみのある金髪によく似合っている。
人形のように整った顔立ちだが、表情がくるくると変わるので、冷たい印象はない。
「私たち、おしゃべりしてのどが渇いているのよ。せっかくみんな来てくれたのに、あんまり待たせないで」
「お客様が来ているのよ、デイジー」
「そんなの知らないわよ! 約束したのはあたしの方が先だったじゃない!」
……わがまま。
でもそんなところも彼女に相応しいと思ってしまうのは、トゲがありながらも美しく咲く薔薇の花を連想するからだろう。
花の女王の名を持つのに相応しいのは、本来デイジーのような娘だと思う。彼女の名前の由来である雛菊は、可憐だがあまり目立たない花だ。ちなみに私が名付けた。
春に咲くあの小さな花が、私は一番好きなのだ。
お父様と再婚したばかりのお母様に名付け親になってほしいと言われて、懸命に考えた名前だが、彼女にはあまり似合わなかった。
「……あれが、君の妹なのか?」
セドリック様が驚いたように目を見開いている。
私とは何から何まで似ていない子だ。私のように陰気な子を想像していたのだとしたら、随分と驚いたことだろう。
「そうです。——デイジー、お兄様のお友達よ。こっちに来て挨拶して」
ぷりぷりしながら階段を降りてきたデイジーだったが、近くまで来ると、セドリック様の容姿に驚いたように、足を止めて、少し頬を赤らめた。あわててスカートのシルエットを整えている。
物腰といい、まるで物語から飛び出してきた王子様のようだものね。ごく普通の反応だと思う。
そっと髪をなで付ける仕草もなんだか年相応に見えて可愛らしい。
この子もお兄様やお母様と同じく、高慢なところがあるのだが、素直じゃないところがたまに可愛くてたまらないのは、姉の欲目だろうか。
今日友だちを呼んでお茶会をするという話にしてもそうだ。
「姉様、いつものお茶、みんなにも出してね。七人分。みんな良い家の子たちばかりだから、素人の淹れたお茶なんて少し恥ずかしいんだけど。でも学園に入る前にお茶会に慣れておこうっていう、予行演習みたいなものだから仕方ないわ。あと、この前作ってくれたドライフルーツとナッツのケーキがあったでしょう。あれもまあまあ食べられたから、同じものを作って」
私には、そう高飛車に命令したくせに、デイジー付きの侍女であるリンダがこっそり教えてくれた。
「デイジー様って、ご友人にいつもローズ様のお茶の自慢ばっかりしてるんですよ。お花の香りが、まるでお花畑にいるみたいだって。今回のお茶会も相当はりきっていて、率先して企画したんです。相当楽しみにしてますよ。今度枕元のカレンダー見てみてください。大きな花丸ついてるから」
どうやら、私の前では嫌々という顔をしていたのに、裏では今日のお茶会を待ち望んでいたらしい。そういうところのある子なのだ。
その様子を想像して、さすがの私も思わず笑みがこぼれてしまう。
いけない、回想して笑っている場合ではない。セドリック様にデイジーを紹介しないと。
「セドリック様、こちらが妹のデイジーです」
紹介ってこれで良いんだろうか。誰かに家族を紹介したことなんてないので文言がよくわからない。考えてみれば、これはお兄様の役目ではないだろうか。
出過ぎたかと隣のセドリック様を見上げると、彼は少し驚いたような顔でこちらを見ていた。その顔がみるみる赤くなる。私と目が合うと、ぱっと視線を逸らされた。
「セドリック様?」
「……ああ、失礼。——セドリック・ランバートです。君の兄上、姉上とも親しくさせてもらっています。来年、学園に入学されたら、会うこともあるかもしれませんね。その時は、どうぞ、よろしく」
流石というか、たちまちいつも通りのにこやかな表情になって、デイジーに右手を差し出していた。
「デイジー・ガードナーです。兄様と姉様にこんなに素敵なご友人がいたなんて! お会いできて嬉しい。ぜひ、私とも仲良くしてくださいね」
デイジーも外面は良いので、挨拶は完璧だ。
ふたりが握手を交わす様子を眺めながら、私は何となく察していた。
——私が見たのは、人が恋に落ちた瞬間の表情なのではないだろうか。