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バラとひなぎく  作者: 田仲絵筆
ローズ
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兄の来襲

「げ」

 いつものように温室の図書スペースでセドリック様が読書をしていて、私は植物の世話をしていた。お互いに黙々と自分の作業に没頭していると、戸口から妙な声が聞こえた。

 そちらを見ると、あからさまに嫌そうな顔をしたお兄様が立っていた。

「最近空き時間にいないことが多いと思ったら……。こんなところにいたのか、セドリック」


 そして私には、「ジギタリスとアオカズラ、授業一回分」などと雑な注文をしながらずかずかと入ってくる。どちらも温室に生えている植物で、薬の材料になる。薬学の授業で使うのだろう。


 私もそれだけで分量と部位に大体の見当をつけて、作業着のポケットに入れっぱなしにしている花バサミを取り出した。

 必要なだけの量を摘んでいると、お兄様とセドリック様の会話が耳に入ってきた。


「よせよせ、妹なんかと関わるのは。こんなところに入り浸ると、こいつのように暗く人づきあいができない性格になってしまうぞ」

 確かに。植物相手だと、話さなくて良い。それがすごく楽で、どんどん人間といるのが億劫になって意識的に離れている自覚はあった。

 私は周りにいろいろと諦められているのでそれで構わないが、セドリック様が人間嫌いになったら支障が多そうだ。


 そんなことを考えていると、想像より不機嫌な口調でセドリック様が口を開いた。

「自由時間をどこで誰と過ごそうが私の勝手だろう。それに、君の言い方は彼女を馬鹿にし過ぎだ。君は彼女の稀有な才能にもう少し敬意を払うべきだ」

 お兄様に返すセドリック様の声は明らかな不快感を含んでいて、私は少し驚いて顔を上げた。


 お兄様もとまどったような顔をしている。

「どうしたんだ、セドリック。ローズが何か君に不興をかうようなことをしたのか。だったら妹に代わって謝るよ。ご覧の通り、こいつは人間を植物の亜種程度にしか思っていない、ろくに会話もできないような奴なんだ。だからって悪気があるわけではなくて」

「だから、そうやって侮蔑的な言葉を吐くのを止めろと言っているんだ」


 ぴしゃりと遮る強い口調の声音は、いつものセドリック様のそれではない。

「そんな言葉は君らしくない。妹君に暴言を吐くなんて。身内の気やすさで片付けて良い範囲を超えているよ、ルイス」


 温室に沈黙が落ちた。常になく険悪な雰囲気だった。いつもは周りの空気なんて読まない私でさえ、逃げ場のない空間に突如放り込まれた感じがして内心おろおろしてしまう。

 本当にどうしたの、セドリック様。お兄様の毒舌なんて、今に始まったことではない。いちいち取り合う方が時間の無駄なのに。


「……セドリック様、お兄様は高慢で見栄っ張りで自分を優秀に見せるのに長けていますが、中身は意外と凡人なんです。一度見下した相手には何を言ってもいいと思っているたちの悪いところも、気にしなければ害はありません。こう見えて劣等感が凄いので、自分磨きの余念の無さは秀でているかもしれませんね。まあまあ騒がれる外見も、副寮長に選ばれた優秀さも、全部その努力のたまもの。外面を取り繕うためなら人一倍努力できるのが、彼の特性のひとつなのです」

 

 あまりにいたたまれなくて差し出口を挟んでしまった。これだけ長く喋ったのはいつぶりだろう。

「擁護する態で悪口を言うな! ……もしかして、最後のはほめてるつもりか?」

 お兄様が滅茶苦茶不愉快そうな顔でこちらをにらんでくる。せっかくフォローしてやったのに、そんな顔で見なくても。


「事実を言っているだけです。お兄様、きっとセドリック様には精一杯良い顔をしているのでしょう」

 私は毒気を抜かれたような顔をしているセドリック様に向き直った。


「多分、自分に貴族の血が流れていないことを気にしているのでしょうね。だから、生まれながらの貴族に引け目があるのですわ。私の欠点を殊更に強調するのもそのためです。こんなんでも、私以上に家名への思い入れがあるため、人の見ていないところでの努力は半端ではありません。ご覧の通り、植物に関する才能がまったくないので、今は開き直っていますが、昔はお父様の手助けをしたいともう血の滲むような猛勉強をしていたものです。あの頃はまだ可愛げがあったのですが……。それでも葉の同定ひとつとっても私の足元にも及ばないので、すっかりひねくれてしまって」


「お、ま、え、は、もう口を開くな!」

 話の途中なのに、お兄様に思いっきり両頬をつねられた。ぎりぎりとまるで容赦がない。

「いひゃい」

「お前の役立たずの表情筋を鍛えてやってるんだ、ありがたく思え!」

「ルイス」


 さとすようなセドリック様をきっと見たお兄様は涙目だったかもしれない。

「セドリック、これは友人としての忠告なんだが、妹とは即刻手を切った方が良い。素直な君に妹の無神経さは明らかに有害だ」

 手を切るも何も、セドリック様の目当てはこの温室の静けさと雰囲気であって私ではない。


 お兄様は、薬草を入れたカゴを私の手から引ったくるように奪い取ると、扉まで足早に歩いて行った。そして一瞬私の方をにらむと、温室が揺れるほどの勢いで扉を閉めた。この建物は随分と古いので、あまり乱暴にしないでほしい。


 後には、戸惑ったような顔のセドリック様と、いつも通り無表情の私が残された。


「頬、赤くなってる」

 ためらいがちに伸ばされたセドリック様の指先が、ほんの少し私に触れた。

「このぐらい慣れっこだからだいじょうぶです」

 冷静に答えたつもりで、ほんの少し動揺していた。家族以外の者に触られた記憶が久しく無い。


「慣れっこって、じゃあ君は、日常的にこんな暴言や暴力を受けているの?」

 少し大げさな気がする、暴力なんて。


「……彼はいつも、君にはこんな風にきつく当たるのか」

 困惑のにじんだ声で私に訊ねるセドリック様に、私は首を傾げた。きつく? いや別にいつもの兄だったけど。


「兄にとって逆鱗だとわかっている話をわざと持ち出したのは、私のほうですから」

「私たちが険悪にならないようにと、上手く矛先を自分に逸らしてくれたんだろう」

 けっこう見通されていた。

 

「大丈夫です。さっきも言ったとおり、お兄様は人一倍上辺を取り繕いたいだけの凡人なんです。——植物に例えるなら、さながらあそこに咲くイカダカズラといったところでしょうか」

「イカダ……?」

「華やかな大輪の花を咲かせているように見えて、実はあの色鮮やかな部分は花ではなく葉なのです。トゲもあるけれど、毒があるわけではないので、知っていれば脅威ではありません。ほんのわずかですが薬効もあります」


 なによりお兄様が張り切って社交をやっていてくれるおかげで、私はこの学園で安心して温室に引きこもっていられるのだ。

 その点に関しては、実は密かに感謝をしている。本人には口が裂けても言いたくはないが。


 私がそういった意味の言葉を伝えると、セドリック様は、少しの間よくわからない顔をしていたが、やがてふっと表情を緩ませると、少し笑った。

「それが、君の人間観なんだな」

「?」


 意味がよく分からなくて、黙って続きを待つ。

「他人を安易に善人や悪人と決めつけるんじゃなくて、冷静に観察、分析して、ただそういう存在だと認識する。短所も長所もあるがままに受け入れる。君の植物に対するスタンスとよく似ている」


 言われて恥ずかしくなって俯いた。他人をこっそり観察して分析するなんて、失礼極まりない上にみっともないので直すようにと家族から常日頃注意されているのだ。

 それなのに、つい口から出てしまった言葉を、こうやって肯定してくれるなんて。


「すみません。人をそうやって分析してしまうのは、私の悪癖なんです」

 きっとセドリック様も不愉快に感じているだろう。観察癖のある人間が近くにいて気持ちいいと思う者はいない。

 そう思ったのに。


「いや、私には新鮮だったよ。口さがない者たちの表面上だけの付き合いや陰口に飽き飽きしている身からすれば、君の対人術はひどく誠実なものに思える。私も真似させてもらいたいぐらいだ」


 そんなことを言ってくれる人に会ったのは初めてで、私はほとんど初めてセドリックを真正面からまじまじと見つめた。

 くもりのない笑顔。この人は本当に優しく笑う。植物だったら、きっと真夏に美しく花を咲かせる樹だ。少々の強風にもびくともせず、いつも鳥や動物に囲まれているような、ひだまりに生える樹だ。


「——ああ、でも」

 そう言って目を逸らしたのは、セドリック様の方が先だった。いつも視線ひとつ合わせない女にじっと見られていたら戸惑うだろう。自分でもそうと気付かず顔を凝視していたことに気づいて、慌てて俯いた。

 社交辞令を真に受けていると思われただろうか。申し訳ない。


「……やっぱり、先ほどのような暴言を黙って受けているのは良くないと思う。止まないようなら、言ってほしい。たとえ君が気にしなくても、私が嫌なんだ。ルイスは得難い友人だ。それに」

 そこで言葉を切って、少し口ごもるそぶりを見せる。

「……私は、君にも親しみを感じている。君が友人から心無い言葉をかけられているのは、見るに忍びない。これは私のわがままだと思って、どうか協力してくれないかな」


 くだらない兄妹のいがみ合いをとりなす理由を、自分のわがままだと言ってのけるこの人はなんて優しい人なんだろう。

 私はセドリック様の顔を曇らせたくない一心で、こくこくと頷いた。正直お兄様のことはどうでもいいが、この優しい人の望みなら、出来るだけ叶えたいと思った。


「ありがとう」

 この期に及んでお礼なんて口にするセドリック様の笑顔が眩しすぎて、やっぱり私は彼の顔をまともに見ることができなかった。

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