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バラとひなぎく  作者: 田仲絵筆
ローズ
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温室の少女

 日課の土いじりの最中、お兄様と共に現れた人物の姿をぽかんとした顔で見上げる私は、相当間抜けな顔をしていただろう。

 きらびやかな王立学園の敷地の片隅に忘れられたように建っている、古びた温室の中での出来事だ。


 温室に現れたのは義理の兄のルイスとその友人のセドリック様だった。ふたり共学園の有名人だ。


 どこから見ても立派な貴公子然とした佇まいのふたりは、薄暗い温室に全然似合っていなかった。

 対する私は、いつもの灰色の土まみれの作業用のワンピースとエプロンに、髪も後ろでくくっただけという格好だ。相当みすぼらしい姿に見えているだろう。きっと頬も額も汗を拭った時に付いた土で汚れている。


 そんな私に無邪気に笑いかけてくれるセドリック様の笑顔は私にとっては眩しすぎたので、目を細めてすぐに視線を自分の手元に落とした。ちっと聞き慣れた音が降ってくる。お兄様の舌打ちだ。

「上級生を無視するな、お前は」

「ごきげんよう、お兄様、ランバート様」


 早口な上に棒読みな私の挨拶は、私には精いっぱいだったが、お兄様には気に入らなかったようだ。

 二回目の舌打ちは、先程よりも大きな音がした。

「まず立て! 人と話すときは、ちゃんと目を見て話せ! 目上には自分から名乗れ! 礼の取り方ぐらい習ってるだろう、ガードナー男爵家の名を汚すな!」


 まったく口うるさい。私はしぶしぶ立ち上がって、分厚い麻のワンピースの裾をつまんで軽く頭を下げた。こんな格好で挨拶されても嬉しくもないだろうに。

 

「初めまして、ランバート様。ローズ・ガードナーです。ごきげんよう、ルイスお兄様」

 私の表情筋が仕事をしないのは今に始まった事ではない。幼い頃から、無表情、無愛想、可愛げがないなんて散々言われてきた言葉だ。

 にこやかな表情を作っているつもりでも、私のそれは社交用の笑顔には到底及ばないらしく、不快感を示されることも多かった。

 そのため、自然と人付き合いが苦手になる。

 特に、初対面の人との挨拶が本当に苦痛なのだ。


 元々人間よりも植物に興味が向かうたちなので、ひとりで土いじりをしている時ほど心安らぐ時間はない。

 それを破られたので、少しだけ不機嫌さが出てしまったとしても、仕方がないのではないだろうか。


 嫌々お辞儀をする私の姿がおかしかったのか、目の前にいる人物がふふっと笑った。もちろんお兄様ではなくて、横に立っていたセドリック様の方だ。


「私の名を知っていてくれているなんて、光栄だな。初めまして。セドリック・ランバートです。ここの温室、君が世話してるんだって? すごいね。人の手で育てるのは難しい植物ばかりだと先生が言っていたよ」


 第一印象と変わらず、穏やかに話す。少し癖のある髪は、淡い茶色で、無造作に流されているのに、どことなく品がある。瞳は琥珀を思わせる深い茶色だ。

 謙遜しているが、セドリック様の名前を知らない生徒なんてこの学園にあまりいないのではないだろうか。


 この国に高官を多く輩出している名門ランバート伯爵家の嫡男で、成績も優秀。彼自身もゆくゆくは王家の側仕えになるだろうと言われている方だ。


 授業以外の学園生活の大半を滅多に人の来ない薄暗い温室で過ごす私とは対照的に、ルイスお兄様は、いつも華やかな集団の中にいた。家柄が良く、成績も優秀で、社交力に長けている人たちの、学園のリーダー的な集団だ。


 私は学園内でお兄様とあまり鉢合わせしないように動向を常に気にしていたので、一緒に行動していることの多い兄の友人達のひとりとして、何となく覚えてしまっていただけなのだけど、こんなに穏やかに笑う人だとは知らなかった。

 やっぱり顔は眩しくて見ていられない。何故こんな方が怒りっぽいお兄様と一緒にいるんだろう。


 まっすぐに右手が差し出される。

 高級そうな手袋に包まれた手。もしかしてこれは握手を求められているのだろうか。

 私の土まみれの素手で握り返せとでも? ——まさか。


「別に、コツさえつかめば、難しくありません」

 真っ白な手袋を汚したくなかったので、差し出された手は見て見ないふりをした。

 常になくほめられたので、何と返して良いのかわからず、ぶっきらぼうな返答になってしまう。印象は最悪だろう。


「お前な、本っ当に直せ、その無礼な口調」

 お兄様が今度は長いため息をつくと、横のセドリック様を見た。

「礼儀を知らない奴で申し訳ない。馬鹿みたいな人見知りは、どうやらこいつの血筋の特徴らしい」


「どうやら、って。ルイスもそうじゃないのか。君が人見知りだとは知らなかったな」

「はあ? 俺がこんな社会不適合者と血がつながってるわけあるかよ。俺の母親と今の父が再婚したんだ。植物馬鹿のガードナーの血を継いでるのはこいつだけだ」


 私の生家であるガードナー男爵家は代々植物学者の血筋なのだ。

 王立の植物園の管理を担っている一族でもある。

 私が5歳の時に実の母が亡くなり、その翌年にお父様とお兄様のお母様が結婚した。

 お父様は研究のためによく家を不在にするので、幼い私の世話をする人が欲しかったのだろう。


 だから、私には血のつながらない母と兄と妹がいる。

 三人とも明るく社交的で、私ひとりが家にいないお父様に似て、陰気で人付き合いができない人間だった。



 セドリック様とお兄様は薬学の授業で使う薬草を採りに来たという事だった。

 私が出なくてはいけない授業は多くないので、基本的に温室に詰めっぱなしだ。そのためすっかりここのぬしのようになっている。

 生徒に所望されて薬草を渡すのも慣れたもので(本当はその薬学の先生がここの管理人なのだけど、もうおじいちゃんなのでけっこう私に一任されている)、言われた数種類の草を摘んだ。


「ありがとう」

 セドリック様がちゃんとお礼なんて言ってくれるものだから、人から感謝されることに慣れていない私は、やっぱり何も言えずに頷くだけだった。

「おい、セドリック、さっさと出るぞ。これ以上こんな臭いところにいたら鼻が曲がりそうだ」


 お兄様はすでにドアに手をかけている。確かに、温室の中は独特のにおいがする。真夏の雨の日の森のような、土にわずかに発酵臭が混じったにおい。

 落葉樹の葉を発酵させて作った腐葉土が大量にあるためだ。


 去年の晩秋、霜が落ちる前に森に入って、どっさりと拾ってきた落ち葉に筵をかけてひと冬発酵させたものだ。これを土に混ぜ込むと、植物たちが生き生きと育つ。

 今年もそろそろ落ち葉を拾いに行く季節だ。


 私にとっては良いにおいだけど、臭いと感じる人もいるらしい。

 それにしても、礼儀をわきまえていないのは、兄も同じではないか。その無礼さは、もっぱら私だけに向かうのだけど。


 ふたりが出ていくのを見送って、私はそっと息を吐く。突然の来訪者に緊張してしまった。たとえそれが見知った人間でも、人当たりの良い方でも変わらない。

 ふたたび訪れた静寂に心底ほっとして、作業に戻った。

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