嘘つき食人鬼と被食者のあの子
「助けてください…!少年がトラックに、…!あ、あぁ腕が!腕が飛ばされて…、!血が!早く!早く助けて!早く!!」
虚ろな意識の中聞こえる絶叫。あれから10年経った今でも、よく覚えている。
嘘つき食人鬼と被食者のあの子
荒くれ者の鬼と捻くれ者の人間が共存する世界。それが今日の日本だ。
かつて、人間がこの地球のトップだった頃、人間が対人間用生物兵器として“鬼”を生み出した。最初は人間同士の鬼を使った戦いだったのだか、鬼が自我や知恵を持っていたのもあり、鬼は反乱を起こした。鬼の勢力は拡大し結局は、人間対鬼の構図が出来上がった。その戦争がひとまず終わったのはもう200年前のことで、人と鬼はふつーに同じ学校に通い、同じ業務をこなし、同じ食べ物を食べている。このことは小学生の教科書に載るほどメジャーな話だ。
「おはよー。」
先生がまだ来ていない、ガヤガヤとしている教室。それでも彼女の声はよく通る。数人からおはようと返事を受けながら、彼女は僕の前の席に座った。
「おはよう。今日は一段と眠そうだね。」
僕は少し茶化して言った。
「そうなんだよー。24:00に課題思い出してさ。しかもコバteaじゃん?だから出さなきゃマズイよなーって思って。」
一時限目だし、と彼女は付け加えた。コバteaとは僕らの担任の小林先生の愛称でteaはteacherのteaだ。定年退職ギリギリの男性の先生で怒り方がねちっこく、生徒からはまぁまぁ嫌われている。僕的には、以前体調が悪くなった時に保健室まで肩を貸していただいたから割と好きな先生なんだけどな。ちなみに小林先生は鬼だ。鬼も教職につけるようになったのは…170年前とかだっただろうか。
「あ、ねぇねぇここ教えてくれない?」
「え?あぁ、いいけど。」
彼女はイスをそのままにして体ごと僕の方を向いた。
簡潔にいうと、僕は彼女が好きだ。大好きだ。朝、彼女の挨拶を聞かないと朝になった気がしないくらいには彼女の存在を大切にしている。……彼女がどう思っているのかは、分からないけれど。
「いつも君ってお昼ご飯何食べてるの?」
紙パックのいちごミルクをストローで吸いながら、彼女は問いかけてきた。
「何にも食べてないよ。僕、少食なんだよね。」
「少食って、そんなに食べなくても大丈夫なの?」
「僕はへーきだよ。」
すごい!絶対太んないじゃん!いいなぁ、と彼女は言う。彼女の馬鹿正直で騙されやすいところも僕が好きなところの一つだ。
鬼は、人間の作った生物兵器であった。そして、鬼には失敗作があった。“食人鬼”と呼ばれるものだ。その名の通り人間を食べる鬼で、人間以外の食べものは不味すぎてとても食えたものじゃない。養分として吸収もされない。普段は人間の少しの血や死肉を食べて生きている。鬼と人間が共存するようになって200年経つが、食人鬼への差別は未だ無くなっていない。何故こんなに僕が食人鬼について詳しいかというと、その食人鬼が僕なのだ。僕は昼食の時間になるとお手洗いに行きビンに詰めた人間の血を飲む。それで、僕の昼食は終わりだ。持ち物が少なくて楽だが人にバレないように、というのはなかなか難しくもどかしいものなのだ。
僕は一人暮らしだ。クラスやグループの中心人物でないにしろ、割と楽しく毎日を過ごしている。初めて自室に入った時の高揚感は2年も過ごすともう塵となっていた。電気をつけて夕食を求めて冷蔵庫を開ける。赤黒い血と少しの肉が入っている。小詰めにした血入りのビンの栓を開け、飲もうとして気づいた。これは、血じゃない。つい二週間前の記憶、ふだんは月に1回販売のおばちゃんが来てくれて、そこで血や肉を買っているのだが、今月はいつものおばちゃんじゃなかった。担当の人が変わったのかな、程度に思っていたが、あれはもしかして詐欺だったのだろうか。肉もどうやら人間のものじゃない。おばちゃんが次来る日は……5日後。まぁどうにかなるだろう、と思っていた。
鬼は3日間人間を食べないと死ぬ。人間を食べずに丸一日経ち、空腹に耐えかね調べた結果は僕に絶望をもたらした。人間を何度も食べたくなったが、そうもいかなかった。友達や顔見知りを食べるのは気が引けるし、そもそも血はボランティアから、肉は遺族の方から少量分け与えてもらっているもので襲い方や食べ方が分からない。かといって食人鬼仲間に血をもらおうと思っても、食人鬼は差別されることが多いため食人鬼であることを隠すから仲間を知らない。まさに絶体絶命のピンチだ。何が辛いかって、僕の前に座る彼女だ。人間や鬼たちに食の好みがあるように、食人鬼にも食の好みがある。まぁ彼女は僕のどタイプなのだ。勘違いしてほしくないのだが、決して彼女が美味しそうだから好きなのではない。だがそれでも、細胞レベルで彼女がいかに食糧として有能な存在か、本能が僕に語りかけてくるのだ。でも、彼女を食べるなどしたくない。だって大好きだから。彼女には生きてて欲しいから。
「おはよー。」
彼女が僕の前の席に座る。人間を食べず過ごし2日目、否定しがたい空腹と目の前の彼女に頭が狂ってきているのを感じていた。彼女が僕の中で好きな人からご馳走に変わっていく気がして、苦しかった。それでも、彼女は可愛かった。
「あれ?今日は挨拶返してくれないの?」
彼女は少し茶化して言った。生憎、そんな平和な日常を今僕は過ごしていないのだ。
「うん。今課題やってるから待って。」
ノートを適当に開いて英単語を書いていく。嘘をつくのは得意な方だ。
帰り道、彼女とは同じバスを使う。普段は一緒にバス停まで行って、同じバスに乗って、彼女の3つ後の停留所で降りるけど、今日は彼女から逃げるようにバス停へ走った。ぶっちゃけ、僕の中で食欲が勝ってきていたから。でも彼女は走っていった僕を追いかけてきていたみたいだ。
「ねぇ!今日おかしいよ……?走って帰ろうとするし、顔色悪いし、それにいつもより……私を避けてるよね?何かしたかな……?ごめんね。」
バス停で待つ僕から少し遠くにいる彼女は言った。ごめん、は僕の方だ。君が僕の中で“好きな人”から“好きな物”になるのが怖かったから、嫌だったから、苦しかったから、君が大好きだから。君から勝手に逃げた。ごめん。本当は言いたかった。僕が食人鬼であること。僕が君を食べたいと思ってしまうこと。僕が君を愛してること。それでも君を食べたくなんてないこと。
その時気づいた。彼女は走ってきて、転んでしまったのだろうか。彼女の右膝のあたりから血が垂れていた。
頭がぐるぐると回転するようだった。大丈夫?と本来ならすぐに駆け寄ることができただろう。でも今日は、今日だけはそれができない。僕の頭に一番最初に浮かんだものは、「美味しそう」だったから。あぁ、今すぐに食べたい。血の一滴だけでも、あの足だけでも食べたい。食べたい。食べたい。食べたい。あの人間を食べたい。僕に駆け寄ろうとしているあの、あの人間を食べたい。自分が食人鬼だとバレてもいい。あの人間がどんな人物だったとしても関係ない。食べたい。食べたい?食べたい。タべたイ、タベタイ、タベタイ、たべたイ。
あの人間が僕の名前を呼んだ。
あぁ、僕は彼女になんてことを思ってしまったんだろう。
「ごめん。」
僕は一言だけ残して自分の家へ走った。
家について思ったことは、流石にもう人間を食べなくてはいけない、死んでしまうということだった。人間を襲いたくないし。そして、僕は一つ思い出したことがあった。そうだ。なんで気が付かなかったんだろう。人間の肉はここにあった。10年前、僕を助けてくれた人間のお姉さん。ありがとう、2回も命を救ってくれて。そして、わざわざくれたのに、ごめんなさい。僕は自分の右腕に齧り付いた。
「おはよー……。」
先生がまだ来ていない、ガヤガヤとしている教室。それでも彼女の声はよく通る。数人からおはようと返事を受けながら、彼女は気まずそうに僕の前の席に座った。
「おはよう。元気ないの?大丈夫?」
と僕が返すと彼女は驚いた様子で、そしてとても嬉しそうに言った。
「ううん!今元気になったとこ!」
彼女はにっこりと笑った。だが、その数秒後には顔を曇らせた。
「……その右腕どうしたの……?」
「あぁ、昨日弟がなんか喧嘩してるって聞いてさ、気が気じゃなかったんだけど、学校終わって急いで現場行ったらイカつい鬼がたくさんでさ、ボコられて腕切られたんだよね。」
アハハ、と僕は笑う。
「え!?」
さすがに彼女とはいえ変な嘘すぎたか…?
「ヤバいじゃん!え?病院行った?あれ!?警察?え!?どっち?保健室!?」
僕は思わず大爆笑してしまった。これなら大丈夫そうだ。
「心配してくれてありがとう。ごめんね。」
その言葉は本当だった。食人鬼であるという事実に嘘をつき続けている、嘘つきな僕だけれど、いつかはこんな正直で真っ直ぐな彼女の隣にふさわしい人になりたいな。そう思っていると、つい口が滑ってしまった。
「大好きだよ。」
「え……?」
「あ、ちょ、待って!え!?今の僕が言ったの聞こえた?」
「ごめん、めっちゃ聞こえた……。」
「あぁぁぁぁ!嘘!?嘘でしょ!?」
自分の顔がみるみる赤くなるのを感じる。彼女も顔を赤くしている。情けない僕だ……。
「でもね…?」
彼女は言った。
「私も大好きだよ。」
僕は食人鬼だという、あまりに大きすぎる事実を隠しながらまだ僕は過ごすだろう。でもいつかは、嘘のない僕と君で笑い合いたい。
嘘つき食人鬼と被食者のあの子───END