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神社に呼ばれている



 これは、私が以前体験した少し不思議なお話です。


 五年くらい前の私は、休日には愛車を走らせて少し遠出をするのが趣味でした。

 嫌な現実から逃げたい私にとって、日帰りの旅は手軽に非現実感を味わえる心の支えだったのです。


 よく晴れた冬の日。海沿いにある雰囲気が良さそうなカフェに行きたいと思い、愛車に乗って出かけました。


 一時間半ほど運転して、その土地の有名な観光スポットも見て楽しみました。

 目的地であるカフェに行こうと愛車を走らせていた時、道路にある案内看板に『〇〇神社』という文字を見かけました。


 私は以前から神社が好きでした。

 自然が多く、日常と離れた静かな場所は落ち着けるからです。


 何となくですが、「寄っていこう」と思いました。


 案内看板を辿って愛車で細い坂道を上っていくと、割と広めの駐車場がありました。周囲を木々に囲まれているので駐車場からは見えませんでしたが、大きな神社なのだろうなと思いました。


 愛車を降りて歩き出そうとした時、空からゴロゴロと雷が鳴り出しました。

 あれだけ天気が良かったのにと思っていると、ポツ、ポツと粒状の雨も降り出しました。


 傘がいる程ではなく、このくらいなら可愛いものだと思える小雨だったので、私はそのまま参拝に向かいました。


 鳥居の前まで来て、私は「あれ?」と思いました。

 駐車場には車が数台()まっていたのに、境内(けいだい)には誰もいません。


 不思議に思いながらも鳥居を潜った時、私の心臓がドクンと音を立てました。


 参道の奥にある小さなお社から放たれる存在感に、私の目が釘付けになりました。世界にそれしかないように、目を()らせない。


 「怖い」と、直感的に思いました。


 何処か知らない場所に連れて行かれるような感覚がして、心臓がドクドクと音を立てました。


 頭では「帰った方がいい」と思っているのに、足が前に進み出します。

 夢の中にいるように現実感は無く、ただ、お社に向かって歩く。


 どうして自分が歩いているのかわからず、心と体が乖離(かいり)したような感覚のまま、一直線にお社に向かって進み続けました。


 怖い。ダメだ。このままじゃ……。


 そう思った時、急に右側の横道から女の子が笑い声を上げて走ってきました。その後ろから、女の子の家族であろう人達がゾロゾロと続いて参道に現れました。


 それまで聞こえなかった周囲の音が急に溢れ出しました。

 風に揺れる木々の騒めきも、神社に設置されているスピーカーから軽快に流れる和楽器の音色も聞こえました。


 女の子達は、神社にあるもう一つの入口からやってきたようです。

 それまでは全く気づかなかったのですが、小さなお社の右横には、存在感のある大きなお社がありました。どうやら、いくつかのお社が集まった大きな神社のようです。

 

 私はしっかりと自分の意思で足を止め、肺に溜まっていた空気を吐き出しました。


 目の前の小さなお社を見れば、先程まであった吸い寄せられる感覚は無くなっていました。


 少し怖く思いながらも参拝をして、私は神社を後にしました。



***



 それから一年後の春。


 私は、また海沿いのカフェに行きたくなりました。前回立ち寄った際に食べたケーキがとても美味しく、お店の雰囲気もすこぶる良かったのです。


 私はあの神社を思い出し、「絶対に寄らない!」と決めました。


 悪い感じはなかったのですが、何処か知らない場所へ連れて行かれるような感覚が怖かったからです。


 また愛車を走らせて、私は海沿いの場所へやってきました。

 しかし、目的地のカフェには一向に辿り着けませんでした。


 愛車を停めて携帯のナビを確認しても、既に目的地付近なのに。目的地のカフェは、とてもわかりやすい場所にあった筈なのに。


 そして、道を変えてみても、何故かあの神社の入口に辿り着いてしまうのです。


 何度か右往左往してもカフェに辿り着けない。そして、「寄って行きなさいよ」というように神社の入口が見える。


 三十分以上も道に迷っていた私は投げやりになり、神社に寄りました。

 恐々と警戒しながら進むと、心を和ませるような綺麗な花が咲いていました。


 神社に多くの人がいることに安堵しました。人が結構いるのに、あの小さなお社の前には誰もいません。私は一対一で向き合うように、ゆっくりと参拝しました。


 怖い雰囲気はなく、神社全体が温かくて居心地の良さを感じました。肩透かしを食らったように思いながらも、神社を後にしました。


 その後、すぐにカフェを見つけました。

 神社に行く前に何度も通った道なのに、急に看板とお店が出現したようにそこにあり、目的地に辿り着いたのです。


 「狐につままれる」とは、こんな感じなのだろうと思いながらも、カフェで素敵な時間を過ごして、私は家に帰りました。



 一体、この体験は何なのでしょうか?


 今は愛車を手放したので、あの場所へは行けませんが、今でも時折あの神社を思い出します。まるで、「おいで」と呼ばれるように。

 

 


※「狐につままれる」と表現してますが、お狐様の神社ではないです。

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