遺跡にて2
名前を呼んでから、それはオカシイと気付いた。
『人間』はこの世界に生存するどの人種よりも寿命が短い。百年生きられればいい方で、最高で百五十二歳まで生きたという者もいたが、それは例外中の例外だ。肉体のあらゆる箇所がアカツキ国のカラクリ仕立てになっていたというから、半分死んでいたと言っても過言ではないだろう。
ラグアが友人のアカツキ人・橘 刀祈と旅をしていたのは今から七十年ほど前。お互いが二十代だった頃だ。それに対して、目の前のアカツキ人の青年は二十代半ば。アカツキ人が若く見えることを念頭に置いて多く見積もったとしても、三十代前半といった若さだ。
ラグアの友・刀祈であるわけがない。
と、なると、「刀祈の息子か、孫になるのか?」という結論に至るわけだが、ようやく乱れていた呼吸が落ち着いた青年は、笑顔で応えた。
「ラグア。久しぶりだな。かれこれ七十年ぶりくらいか?」
「本人なのか?! また随分と"若作り"じゃないか、刀祈!」
「ちょ、ラグアさん?! 若作りとかいうレベルじゃないですよっ?!」
ラグアの冒険の話は、今まで出版した書籍のあとがきにいくつか記したので、それを読んだことがあるナナイは、目の前のアカツキ人がどういった人物なのか見当がついたらしい。ラグアの返答に直ぐ様ツッコミを入れてくる。
「どうせ刀祈のことだ。とんでもないことをしでかして、不老長寿とかにでもなったんだろうさ」
「さすがラグア! よく分かったな!」
「全肯定か! 適当に言ったのに!」
「僕はただ、愛の証明をしただけだよ」
「隣の『エルフ』の嬢ちゃんにか?」
「そう。ラグア、僕の奥さんのセレファスだよ。セレファス、僕の友人、考古学者のラグア」
「私は嬢ちゃんではない」
「おう、そいつは悪かったな」
「……いや、分かって貰えればそれでいい……」
不機嫌そうに返されたので、すぐに謝罪を口にすると、『エルフ』の女はポカンとした。性格に難ありな『ドワーフ』がこんなにもあっさり謝るとは思わなかったのだろう。
『ドワーフ』は良くも悪くも誇り高い一族で、古い『ドワーフ』ほど粗野で頑固な者が多い。地下に文明を築き、身内で固まって生活をしているので、価値観までもが凝り固まってしまう――例えその価値観が間違っていたとしても――。
ラグアも旅をする前はそうだった。
自分の考えが正しいと信じて疑わず、他者の考えなどハナから聞こうともしなかった。そのくせ何故自分の言うことが通らないのかと腹を立てていたのだから、呆れる。
井の中の蛙そのものだったラグアは、他者を気遣うことなく、ましてや、他者からの気遣いに気付くこともなく、旅の途中で刀祈に出会うまで、怒りっぽくて手の早い、実に『ドワーフ』らしい『ドワーフ』だった。
変わり者の刀祈と一緒に旅をして、数々の困難を乗り越えていく内に、過去の自分を振り返って"恥ずかしい"と思えるようになったのだ。
今では彼も、(『ドワーフ』としては)"変わり者"の仲間入りだ。
「何やったんだよ」
「ちょっとドラゴンの血肉を食べてみたりしたんだよ」
「ちょっと?! それ、そんな言葉で済むことじゃないですよね!?」
「美味かったか?」
「味!? 気になるの……いや、味は大事ですね、はい」
混乱しているナナイはツッコミを入れることで安定をはかり、ラグアと刀祈が何か言う度にいちいちツッコミを入れていたが、『ミクロス』を見るのが初めてだったらしいセレファスに頭を撫でられ、それどころではなくなった。
内心はわはわだろうが、あまり騒ぐのも男の沽券に関わるとでも思ったのか、黙って撫でられ、耐えることにしたようだ。
「美味かったよ。意外にも鶏肉みたいな味だったから、タレつけて照り焼きにすれば良かったなぁって思ったけどね」
「肉食獣なのに鶏みたいな味なのか。脂多そうなイメージなのにな」
「まあね。塩胡椒でも美味しかったからいいんだけど。新鮮だったから」
「新鮮さは何の味にも勝るからな……って、ちょっと待て。ドラゴンを食ったのになんでそんなにひ弱なんだ? 不老長寿以外に、頑丈さとか強さとかは加味されなかったのか?」
ここに到着した時の疲労困憊っぷりを思い出し、疑問に思う。セレファスは平然としていたが『エルフ』の身体能力は心身共に優れている『竜人』たちに勝るとも劣らない。どれだけの距離を移動して来たかは分からないが、彼女の疲労度を基準にしてはいけないのだ。
「それが不思議なんだよねー。ドラゴンの血肉って、不老長寿だけじゃなくって、身体能力の底上げもあったはずなんだよね。書物にもそう書いてあったし、情報通の商人に話を聞いてみても、そのはずだって言ってたのに……」
「そっちは変わらずヘタレか」
「やかましいっ……これでも家でいろいろ試してみたんだよ? 運動能力検査とかしてさ」
「変わらなかったのか?」
「見事にね」
肩をすくめる様に嘘臭さはなく、ドラゴンの血肉の恩恵を隠している風ではない。刀祈の身体能力は、頭脳にばかり栄養がいったのではないかと心配になるくらい『人間』の中でも最低ラインだから、そちらの恩恵がなかったのが本当に残念だったのだろう。笑みが苦い。
「……ドコ食ったんだ?」
「え? ……あ、尻尾の先から三十センチほどかな」
「また随分と末端を食ったんだなぁ。お前、それ、タンスの角に足の小指を百回連続でぶつけたくらい痛かったと思うぞ?」
「だろうね。僕がそこを斬り飛ばしたら、失神してた」
「可哀想に」
セレファスに未だに撫でられ続け、おとなしくしていたナナイが、二人の会話に我慢出来ず、「ドコからツッコミ入れたらいいか分からない!」と突然叫んで美人エルフを驚かせているのを視界の端に捕らえつつ、ラグアは刀祈の身に起きた奇妙な変化に思考を巡らせる。
「まあ、尻尾だから、当然、再生能力が活発になったんだろうな」
「え。ドラゴンの尻尾って、トカゲと一緒なの?!」
「ああ。確かそうだったはずだぞ。オレも長年ドラゴンを研究してる学者の著書を読んだことがあるが、それにそう書いてあったのを記憶してる」
「なんか可愛いなぁ」
「凶暴さは全然可愛くないけどな。……尻尾の超再生能力一点のみが備わったんなら、他の身体能力に恩恵はいかなかったんだろうなぁ。……で、不老長寿だけなのか?」
「怪我とか病気とか疲労とかすぐに回復する、かな。痛いし、弱るし、疲れるんだけど、ちょっとしたら通常に戻るようになった」
「とことん再生にのみに恩恵がいったんだな。身体能力上げたいんだったら、地道にトレーニングしなきゃならんようだな。すぐ回復するんだったら鍛え放題なんじゃないか?」
「そこは楽にチートになりたかったなぁ」
またもや心底残念そうに苦笑する刀祈の腰の辺りを慰めるように軽く叩き(本当は肩を叩きたいが、『ドワーフ』の平均身長は『人間』の平均身長より大きく下回るから無理)、ラグアは一番始めにするべき質問をようやく投げかけた。
「そういや、なんでお前ら遺跡にいるんだ? お前、『ドワーフ』の文化には興味ないって言ってだろう?」
「文化じゃなくて、歴史かな。僕は新しい技術の方が好きだからね。最新の魔法具とか心躍るよね」
「……今度稼ぎを全部それに突っ込もうとしたら別れるからな?」
「えぁ?!……はい、分かってます……」
「あっはっはっ! 尻に敷かれてるなぁ!」
「僕の一目惚れで、めちゃくちゃアピールして、アピールして、命懸けでドラゴンに挑んでようやく結婚して貰ったくらいベタ惚れだもの。尻にくらい喜んで敷かれるよ。セレファスになら踏まれてもいい」
「……お前、昔はドSだったのに随分変わったなぁ……」
「結婚は男を変えるよね」
「……待って! なんでツッコミがボクだけなの! 追いつかないよ!」
ナナイは嘆いたが、刀祈もラグアも気にしないで話を進めていくので、凄い勢いで脱線していく。
「ふーん。まあ、いいか。とりあえず飯を食わせろ。今食事を始めようとしていたところだ。……おい、チビ助。この二人に茶くらい出せるか?」
「あー! もう! なんなのこの人たち!」
「一つ一つ丁寧に拾っていこうとすると疲れるぞ?」
「ご忠告どうも! そのようなので、流して行くことにします!……お茶ですか? 今日は何故かもう一セットティーカップを持ってきてるんですよね。妖精が知らせてくれたんですかね」
セレファスの"なでなで"から解放されるいい理由が出来たナナイは、いそいそとお茶の準備を始め、ラグアは先程の席に収まって、食事を再開した。
旧友との思わぬ再会やここにいる理由も大事だが、食事も大事なのだ。腹が減っていたら尚更。
「僕たちがここに来たのは、ラグアに届け物を届けに来たからだよ」
「……届け物? お前、今、運び屋やってるのか?」
「そういう事」
「意外……でもないのか。さてはお前、あのご執心だった魔法具、買えたんだな?」
「……ああ、買えた。買えたさ! 僕の可愛い自動四輪車! うあぁあああ! 待ってて! 絶対! 取りに行くからっ!!」
「うぉう! なんだなんだ?! いきなりどうした?! 何泣いてんだ?!」
突然オーバーアクション気味に嘆き始めた刀祈に、古い付き合いで彼の突飛な言動に慣れているラグアも、さすがに驚いた。それでも食べかけのベーグルサンドを刀祈から遠ざけ、食事の安全を守っているのは、なんとも『ドワーフ』らしい。
「来る途中の砂漠から、この遺跡にダイブして半分以上がイカレてな。走れなくなったから置いてきたんだ」
嘆く刀祈の横で、淡々と説明するセレファス。絵面がシュールである。
気に入った魔法具を偏愛する傾向にある刀祈の性質(性癖?)を存分に理解しているラグアは、「なるほどなぁ」と、面白そうに友人とその妻をつくづくと眺めた。
この二人がどういう経緯で出逢い、夫婦になったのか、他人の恋愛に興味の薄いラグアですらちょっと聞いてみたいと思わせる組み合わせだ。と、なると、そういう系統のおしゃべり大好きな『ミクロス』なら──
「お二人はどうやって知り合ったんですか?」
二人にお茶を出しながら、目をキラキラさせて訊ねるのは当然で。脱線した話題はさらに加速していくようである。