思惑
高崎さんもステージ上から一礼して、俺の方に近づいてくる。
何かするとしたら、彼女がステージ上から引き上げる瞬間が一番確率が高い。
本番中は他の観客の目もあるし、増やした警備員も仕事をしている。
だが、警備の人は終了と同時に少しずつ警戒心を解くだろう。
なにより作中でも嫉妬のヒロインが仕掛けてきたのもコンテストの受賞が終わった瞬間だった。
掲示板の書き込みや同じハンドルネーム、再現性のある相手だからこそ、その時が一番危ない。
それが俺と駒形さんが話し合いの中で結論付けたことだった。
「あれ……このメインテーマ、1期のと少し違くね?」
「アレンジバージョン?」
さすが最前列にいた人は気づくのが早い。
んんっ?! という困惑した顔で高崎さんも足を止める。
俺との間隔はわずかだった。
よし、この距離なら大丈夫か……?
終わりを告げたのでステージに背を向ける人、テーマ曲の違いにはっとして留まる人が大半の中……最前席からゆっくりと立ち上がりりそヒロのTシャツを着たそいつはその場の観客とは違い、前に歩き出した。
『広瀬、最初に桐生さんが言ってた2列目左端の子、あの目と笑みは普通じゃないわ!』
『立ったおかげでやっと見えた。その人、やっぱり美術部! 服の袖が黒くなってる』
立ち上がり一歩踏み出した瞬間に、2人からの早口な声。
それは推測を確信に至り締めてくれる。
俺の決意を固め、踏み出す一歩を後押してくれた。
2人の言葉を聴くと同時に体は動いていた。
富田さんが宿題に出したDVD。あの映像には特に不審な人物は映ってはいなかった。
それでも同じ人の動きは見ているうちにだんだんとわかってきて……。
だから途中から出来うる限り客席全部の動きに注意してみることにしたんだ。
もちろん、イベント後の動きも、その中で2回目の神崎結奈のイベントに参加してなかった人のシルエットは出来うるだけ記憶した。
何かの役に、そうこんな時動ければいい。
そいつが動いた瞬間に映像が頭を過り、その一歩目をタイムラグなしで切れた。
そいつの目に映るのは神崎さん、いや高崎さんだけ。
それだけ逆恨みしているのは、行動に出たことで明らかだ。
前しか見ていないから、だから横から飛び出した俺の動きは散漫になる。
「……好きなようにはさせねえよ」
その瞬間、俺はちょうど2人の間に入った。
左のみぞおちの部分に突き刺さったペインティングナイフ。
ざわついていた室内はシーンと静まり返る。
他の観客とは距離があるので遠目からでは何をしているのかはわからないかもしれない。
思った以上に衝撃があるが……大丈夫、意識ははっきりしてる。
歯を食いしばって逃がさない様に、驚き目を見開いているそいつの手を右手で思い切り掴み、足を踏みつける。
まだだ、まだ気を抜いちゃダメだ。
「えっ……」
状況を掴めていない高崎さんの声。
無理もない。彼女にはこうなることを伝えていない。
でも、始まる前に匂わせることは出来た。
「なんだ、お前……じゃ、邪魔するな!」
「ただのマネージャーだよ。残念だけどこれ以上は一歩も進ませない」
こいつをただ捕まえるだけじゃダメなんだ。
行動に起こした以上、このままでも事件ということで警察に引き渡されるだろう。
でもそれだけじゃダメだ。
このまま騒ぎになれば、せっかくのイベントが台無しになる。
世間は同情してくれるかもしれないが、それは神崎結奈のイメージダウンにもつながるかもしれない。
それに、そんな報道されれば次の模倣犯を生んでしまうかもしれない。
だから表向きには騒動ではなくこいつもイベントの一環として処理する。
幸い順番通りなら、2期は嫉妬のヒロインからあすみを守るエピソードからだ。
(高崎さん!)
「あっ、あっ……」
彼女は息をのみ、声を震わせた気がする。
俺はクラスメイトだし、マネージャーだ。
想像もしていないだろう目の前の状況に頭が真っ白になり、たぶん凄く心配してくれてる。
本番どころじゃないかもしれない。
でも、ここで終わらせるわけには行かないんだ。
2期から使用されるメインテーマは少し不気味なイントロに差し掛かる。
幸いテーマ曲が掛かりっぱなしだったこともあり、観客も状況把握に時間がかかり戦況を見守っている。
「ちゃんと準備してたから、俺は大丈夫だよ。だから安心して。最後の見せ場だ」
「っ!? は、はいっ……あっ、そうか、このテーマ曲って……」
短くても、無事を伝える声を出すと返事がある。
そのまますべてを察したように、素の彼女を前面に出して言葉がピンマイクを通して響いていく。
「もしかしてこれ2期で使われる曲ですか?!」
もう大丈夫だ。
あとは彼女を信じて任せればいい。
「す、すいません。だ、大事なことを忘れてました。りそヒロ2期の告知映像です」
(よしっ)
富田さんに大きく頷いて合図する。
『たくっ、君はあれほど言ったのに……流すわよ』
ステージ上のモニターにはカウントダウンが始まる。
それがゼロを告げ、先日アフレコしたばかりの2期の告知映像が初めて流れだした。
それだけで観客の目はステージ上のモニターに釘付けになる。
その30秒のわずかな間に駆け付けた富田さんが犯人の腕をつかみ、舞台袖へと引きずって行く。
「ど、どうしてしゅうはあたしを守ってくれたの?」
映像の最後に映し出された言葉を、高崎さんがあすみの気持ちになって生で発した。
(なっ、ええっ?!)
神崎結奈が映像後に何か言って締めさえすれば、それだけで2期への期待とこのイベントの余韻を残せると思った。
彼女ならその気持ちを汲んでくれるって信じてた。
だけどまさかその台詞を口にするとまでは思ってない。
その後に続く2人のやり取りが2期の見せ場の一部になる。
それを思い浮かべれば原作ファンはにやにやが止まらないはず。しかも生であの台詞を……。
想像以上の幕引きだ。
「すげえ……何かと思ったらもしかして今さっきのももしかして2期への演出かよ」
「そういえば、この間の時もトランペットの生演奏とかやってたな」
「企画したひとにファンレター送りたいぜ」
見ている人の期待を煽ったのかどよめきが起き、神崎結奈の一礼にて今度こそイベントは終了した。
☆☆☆
楽屋へと引き上げた高崎さんは弱弱しく椅子へと腰掛けて、ちょっとムッとした顔を俺に向けてくる。
額からもまだ汗がにじんでいて、今しがたのイベントの頑張りが垣間見れた。
「えっと、事前に何も話せなくてごめん」
「……」
「あれほど、無茶するなって言ったのに……君の策はイベント終了時に犯人を抑えるけど、おおきな騒ぎにならない様に観客の目はあくまで舞台上に向ける、だったはずよ。それが何で刺されちゃうわけ?」
納得いっていないのは富田さんも同じなようで、こつんと頭を叩かれた。
「……擁護するわけじゃないけど、どうなふうに広瀬が伝えていたかは知らないけど、あそこまでが当初からの広瀬の策。思惑通りだったはずよ。私からは怪我でもしたら今後の活動に支障が出ると伝えて、自分の身も守ることは約束させたけど。おおかた自作で防弾チョッキでも作ったんでしょ。無傷でいられたのはそのおかげかしら?」
「お、おう……」
「りそヒロの知識もそこから得る感性と再現力もあんな子とは比較にならない。もちろん、何がなんでも守るって強い意志と勇気が必要なのは言うまでもないけど。広瀬だからこそそれが可能だったのよ」
事の成り行きを見ていた駒形さんが助け舟を出してくれる。
「潤なら無茶するんだろうなとは思ったけど……まさか、あんなことになるなんて私聞いてなかったよ。ちゃんとそこまで話しておいてよ、焦るでしょ」
「悪かったよ……あの、高崎さん、最後のあすみの台詞凄かった。ありがとう」
「っ!? そんな……そ、それより、なんで……私にも話してくれれば……? そりゃあポンコツだけど、それでも知ってたら何かできたかもしれないのに……」
「……あんな奴の為に高崎さんが骨を折る必要ないから。それに……りそヒロの作品やあすみのキャラから受ける影響に僅かでも疑いを持ってほしくなかったから。どう感じるかは受け取る人次第。応援されて頑張ろうとするのはいいけど、それが上手くいかなかったからといって作品や演じてる声優さんを否定するのはありえないくらい無茶苦茶すぎるからね1ミリも作品も高崎さんが悪くないから」
「っ!? い、1番のファンの広瀬君が言うなら私はその言葉を信じるのに、もう……」
「えっ、あっ、そっか、ごめん……」
「あ、あの……」
「んっ?」
「守ってくれてありがとう」
「いや、そ、そのマネージャーとしては当然のことをしただけで……あれ……」
高崎さんはお礼と共に見惚れてしまいそうな笑顔を向ける。
その表情を見られて安心したのか、今頃になって体が膝が震えだしてしまいよろけてしまう。
「……まったく君は……スカウトしておいてなんだけど、頼もしすぎていじめたくなっちゃうよ」
「ど、どうも」
傍に居た富田さんが体勢を崩した俺の腰に手を回して支えてくれる。
なんだかその瞬間に、あちこちから視線が向いたが、ふーんという何かを察したような富田さんの笑顔と声の前にかき消された気がした。




