応酬
神崎さんの自己紹介を機に立ち見の人が1人、また1人と足を止める。
本番を迎え、ステージ上から見る景色も下見の時とは違い緊張感が増したためか、高崎さんは少し言葉を噛んだり、目が泳いだりしてしまっていた。
オープンイベントということもあり、いつもとは客層も違う。
それも影響してなのか、なかなか練習通りにはいかない。
だけど、その何とも危なっかしい、それでもなんとかしようとする一生懸命な姿を見せられ、応援したくなるのは俺だけではない。
もちろんすぐその場を後にしていく人も見受けられたが、圧倒的に興味を持ちステージを見続ける人の割合の方が多い。
「えっと、りそヒロの魅力は何と言っても主人公のしゅう君とヒロインのあすみを中心としたラブコメです。話が進むにつれ、少しずつ近づいていく距離感とたまに二人の間に立ちはだかる大きな壁をどう破るのか、ハラハラドキドキするシーンもあって、あすみを演じている私自身も原作の続きを気にしつつ、このシーンはアニメになるとどうなるのかな? って皆さんと同じ気持ちで楽しみにしています」
会場の雰囲気にも慣れてきて、あすみやりそヒロの語る神崎さんは嘘のように饒舌になり、それが彼女の素を魅力を引き出すことに直結する。
だからこそ、その声はファンの心に響く。
その変わらない一生懸命な姿は輝きを放ち、小さな子やりそヒロを知らない人たちも引き寄せていく。
彼女はステージに向かって手を振る小さな女の子に笑顔を作ると手を振り返していた。
(うわっ……)
その微笑ましい光景になんだか頬が緩む。
普段のイベントでは決してみられないその光景に胸が熱くなる。
それにしても……ステージ袖からみても、立ち見の後ろの方は見えないくらいの人だかりだ。
大盛況なのは歓迎だし、俺自身もそれをもちろん望んでいた。
だけど、高崎さんの様子を気にしながら想像以上に増えていくイベント参加者まで目を配るのは思った以上に骨の折れる作業で……。
そんな想いを察したようにインカムから声が届く。
『やるわね、神崎さん。それはそうと広瀬、なによそ見してるのよ。あなたは目の前の人だけに集中しなさい。何かしようとしてるなら用意された座席のお客さんと立ち見客の前列にいる可能性が高いのは確かなんだから……まあ、言わなくてもわかってるでしょうけど。人混みに紛れて機会を窺ってるんなら私が見逃したりはしないわ。私たちに全体を見ることは任せなさい』
『ほんとに一瞬目を離すと立ち見の人は前に動いたりして位置がすぐ変わっちゃう。それでも見分けるポイントさえわかってれば……真っ白なキャンバスにこの場にそぐわない人を色分けしていくイメージで、怪しい人の動きを把握できる』
『……桐生さんだっけ、想像以上の働きよ。それ、最後まで維持してよね』
『駒形さんこそ……』
なんとも心強いやり取りに、こちらが励まされているようで不安が一掃された。
「その、2人ともありがとう……」
『『っ?!』』
2人に感謝しながら改めてステージに立つ高崎さんに目を配る。
「あっ、もうすでにTシャツ着てくれている人がいますね。物販用のは色違いですが会場限定販売らしいです。私もグッズは一通りいつも見させてもらっています。ちびキャラになったあすみのぬいぐるみが今物販のおすすめです。あっ、それです、それ! ……ああ、また、す、すいません」
前に乗り出すように興奮している様子は完全にファン丸出しだが、逆にそれが親しみやすくも感じた。
自分の失態に気づいたようにぺこぺこと謝罪し、ステージの周りは暫し笑いに包まれる。
そして先ほどの高崎さんの声に反応するかのように、われ先にと購入したTシャツを着ていますアピールをしたり、着始める人もいた。
特に座席客のりそヒログッズを持っている割合が高い。
掲示板のコメントからも、嫉妬のヒロインはWebラジオの公開収録の鑑賞を希望してた。
あすみのアプリ会員じゃなければあれは応募も出来ない……少なくとも元はファンってことだ。
神崎さんはTシャツ姿だし、あんな発言をされたらファン心理としたら……。
「今日のじゃないけど……」
「それ、Webラジオ収録イベントのですね」
顔見知りやファン同士なのか、会話も弾んで閲覧している人も目に付く。
(……これで、少しはその1人を見分けやすくなったか)
しばらくは何事もなく、スケジュールは進む。
「ここまでは問題はないね」
「ええ……」
富田さんがぼそりと呟いた声に頷く。
そんな中で場にそぐわない刺すような強い視線が目についた。
『広瀬、気づいてる?』
『潤、立ち見の同世代くらいの子……』
ほとんど同時に2人からの声。
「ああ、気づいてる」
立ち見の一番前の列、その真ん中付近の女の子を見据える。
その彼女は凍り付くような冷たい視線をステージ上に送っていた。
始まった時からずっと他の観客とは視線が違っていて、だから気にしてはいた。
どこか悔しそうな顔で……今は両手を握りしめ震え出している。
抑えきれない感情が目に見えて表に出ている、そんな感じだった。
『……あの子、おさサイのオーティションの時に見たことがあるような……』
「えっ、それほんと?」
『ええ。同業者、だと思う』
『だとしたら……あの視線はたぶん、神崎さんが成功していることに対しての嫉妬や妬み。うんうん、それが拗れた憎悪、かな? でもなにか違うような……』
歪んだ悔しいって感情が、神崎さんへの恨みに変化しているってことは少なからずあるように見える……けど、香織が言うようにそれだけじゃなくて、おそらく大半を占めているのは、自分への……。
「そろそろ終わりの時間が近づいてきてしまいました。最後は」
「――もう終わりなのよ!」
冷笑と共に出るそのあすみの台詞が神崎さんの言葉を切り裂く様にステージまで響いた。
「「「っ?!」」」
一瞬の間があって、声のした方向に一斉に観客の視線が向く。
彼女はその瞬間、はっとした顔になり体を強張らせた。
素人には聞こえない言い回しと声量、それになんだか凄みを感じる。
どうやら、同業者っていうのは本当らしい。
高崎さんの目もすぐにその子に向き、えっと言うように瞳が大きくなった。
その反応からするに、見覚えがあるのかもしれない。
「……終わりじゃないって、なんでしゅうにわかるの?! もう描けないのよ! そんなあたしの気持ちがあなたにわかる?」
一度顔を伏せ、すぐに顔を上げ高崎さんは、ふうと息を吐いて彼女と向き合った。
そして、しゅう君の台詞を受けての、リハビリを諦めようとするあすみの台詞のその先を口にする。
その瞬間、アニメのその場面が脳裏に再生された。困難な状況に陥ったあすみの気持ちがこれでもかって伝わってきて、苦しくてでも頑張れと叫びたくなるような、そんな気持ちにさせられた。
突如始まった本気とも思える熱演に、ざわついていた観客は押し黙り固唾を飲んで2人を見守る。
物音やおしゃべりで雰囲気を壊してはいけないと誰もが察しているようだ。
「な、なんでそんな顔するのよ。お、幼馴染なだけでしょ? どうでもいいでしょ、私のことなんか……」
「……昨日はごめんなさい。その……リハビリ頑張ってみるわ。べ、別に、あんたに心配されたからとかじゃないからね。か、簡単に諦めたくないだけなんだから」
「く、苦労したけど、ほぼ元通りに動かせるようになったわ」
「出来た……最後まで動いてくれた――いま、仕上がったわ。うん……あー、その、い、一応お礼は言っておこうと思ってね。ウザイくらいリハビリ手伝ってくれたし……ま、まあ、少しだけ感謝してるわ」
飛び入りした彼女も流石と思わせたが、本家本元の神崎さんが演じるあすみの生演技は度肝を抜いていた。
こうやって順番に聞くと、その違いが鮮明に浮き彫りになってしまう。
神崎さんのあすみの台詞は、それを聞くだけで、アニメの映像はもちろん、彼女が何を思って言葉にしているのか、その根底までも浮かんでくるようで、喜怒哀楽が心に響いて胸が熱くなる。
「あなた、私に諦めるなって言ったじゃない。だ、だから、私は……それなのに」
観客席の女の子は、しゅうを励まそうとする台詞を途中で止まってしまった。
わずかな時間の台詞の応酬だったが、その子の顔は神崎結奈のそれを聞くごとに、険しかった顔が段々と崩れていき、今は少し晴れやかになっている、そんな気がした。
『高崎さん、すごい……』
「ああ、響いてくるんだよな、あすみの台詞は。落ち込んだり不安な思いを抱いていると特に。なんだか応援されているみたいで……」
それをきっかけに俺も立ち直ることが出来たんだ。
同業者というなら、もしかしたら彼女もあすみ役を受けていてその結果に納得出来ない部分があったのかもしれない。
だからあんな風にあすみの台詞を介して、神崎さんに投げかけたのかも。
そしてそのやり取りの中で、自分と神崎さんの違いに気づいて……。
「……」
彼女は大きく頭を下げ、高崎さんに微笑んだ後、人混みをかき分け遠ざかろうとする。
その背中に向かって、高崎さんは声を掛けた。
「あなた、私に諦めるなって言ったじゃない。だ、だから、私は……それなのに自分は逃げ出そうとするの……情けないわね。私の知ってるあなたはそんな人じゃないはずでしょ。しゅうはまだ精いっぱい頑張ってない!」
(っ?! あの子が言いかけたあすみの台詞)
それは何か特別な、そんな応援のように俺には聞こえた。
2人のやり取りを目にし、ステージは中断したにもかかわらず集まった人からは今日一番の拍手が起こる。
遠ざかって行こうとする女の子にたまらず何人か声を掛けていた。
称賛しているのはたしかだろう。
その状況に恐縮し、彼女が詫びるように頭を下げているのが目に映る。
しかしまあ……今のは台本にないイレギュラーなこと。
それを慌てふためくこともなく、状況も加味して高崎さんは瞬時に対処していた。
1つのイベントを超えるごとに大きくなっている。
(やっぱすげえよな)
そんな神崎さんと一瞬目が合ったので力強く頷くと、彼女は心底口元を緩める。
『どれだけやって来たかは伝わるのよね。同業者ならそれがわからないわけがない。あの子は神崎結奈の頑張りを、その凄さを肌で感じたはずだわ。オーティションに挑むあの子の取り組み方少し甘く感じたところもあったけど、今日ので吹っ切れるかもね。それにしても……広瀬の入れ知恵もないなかで、アドリブ利かせてやるじゃない』
『なんだかこっちにも響いちゃった、な。駒形さんも神崎さんもたくさんの人が応援したくなる訳があるんだね』
香織の言葉は何か吹っ切れたような印象を受けた。
でも、今は振れるわけにはいかない。まだ緊張感を解くわけにいかないんだ。
「これからもりそヒロと黒糖あすみをよろしくお願いします」
神崎さんが改めてイベントを締めようとする中で駒形さんの声が届いた。
『どうやら、行動や仕草を見る限り嫉妬のヒロインはあの子じゃなかったみたいね』
そうなんだ。
たしかに僅かな嫉妬が入り混じった態度はあったものの、彼女が脅迫文を書いたにしては少ししっくりこない。
時計をしているのも左手だし。
「うん……富田さん、例の打ち合わせ通りに」
「わかったわ……」
イベント終了を告げるように、りそヒロのメインテーマ曲が流れだす。
それと共に立ち見の後ろの方から、人が段々とはけ出しはじめた。
その人の流れを注意深く観察しながら、俺は高崎さんに近づいていく。
まだ、終わっていないんだ。




