テストと約束
翌朝、駒形さんに呼び出されたのは3階にある空き教室だった。
中に入ってみると、彼女は香織と窓から外を覗き込みながら真剣な顔で話をしている。
2人とも俺と高崎さんに気づいた様子もなく、瞬き一つせず集中している様子だった。
「今入ってきた女の子のグループはどうですか?」
「あれは……一見仲が良さそうに見えるけど、それは見かけだけで本心は、たぶん……」
(なるほどな……)
昨夜の電話だけじゃ何をするのかわからなかったけど、これが駒形さんが言っていたテストのようだ。
どうやら、この空き教室の2人がいる位置からは校門が良く見下ろせるようで登校してくる生徒の顔色を窺っているのだろう。
「……どうしてそう思うんですか?」
「表情。仲良しなら一度くらい笑顔を魅せるでしょ。それが作り笑いでも……あの人たちは一度も笑ってないから。暗い話をしている様子もないし。それに時々ムッとした顔もしてる。少なくとも左側の子は良く思ってないのはたしか、かな」
さすが駒形さん、理にかなったことをする。
イベント会場で見せる態度や表情はその1人を見つけるのに重要なんだ。
少なからず好奇心があるから舞台上を目にする。
そして、その顔に出るのは決して敵意ではなく善意。
興奮していたり、それこそ目元や口元が緩んでの笑顔なら除外していけばいい。
たとえ作り笑いでカモフラージュしても、こっちにはそれを見抜く適任者がいる。
何と言っても、絶え間ない努力で笑顔を使い分けてファンの心を鷲掴みにしてるからな。
「……それじゃあ次、今校庭に入って来た3人組の女の子グループが見えますよね?」
「うん……」
「あの3人の心の中は何を考えてると思いますか?」
「あの子たちは…………無邪気に笑ってることからも和気あいあいな様子が伝わってくるから仲がいいと思うよ。真ん中の子がずっと恥ずかしがってる反応から、好きな人について話題にしてて、好意を持ってる人が傍に……たぶん、少し前を歩く男子のどっちか、視線が左の背の高い人の方を行ったり来たりしてるから、たぶんあの子が好きなのは前を歩くテニス部の男の子」
「……広瀬来たのね。ちょっと一緒に見てくれる?」
「お、おう。口調いいのか?」
「私たちしか今いないしね。それより、あの人たち同じ中学?」
「んっ……いや、違うな」
2人が話題にしていたらしい人たちを眺めてみる。
男子も女子も1年生みたいだが見覚えはない。
俺も確信があったわけではないが、思っていた以上に感情を見抜く力が香織にはあるようだ。
そんな彼女が力を貸してくれるのも心強い。
原作内の嫉妬のヒロインはあすみと同じ美術部。
そのハンドルネームを利用して模倣してるように感じるのは、ただ単にりそヒロファンや神崎結奈のファンじゃなくおそらく本人も……。
「ということは、良い目と探れるだけの物は持っていそうね」
「合格、かな?」
「そうね。感覚が鋭いことは確かなようだわ。他人の感情に敏感にならざるを得ないことを体験したか、もしくは誰かの心の中が気になってその一挙手一投足に注意してて磨かれたとか、またはその両方かしら?」
「さあ、どうかな? 駒形さんが気になってる人のことも当ててみようか?」
「っ?! あなた、この前教室に来た時とは少し印象が変わったわね? その理由はどうせ……」
「な、なんで俺を見る?」
「うん、潤のおかげだと思う……あっ……あ、あの、高崎さん」
「は、はいぃ」
香織は緊張しながら高崎さんの方に歩み寄る。
高崎さんも室内にいることにようやく気付いたらしい。
その高崎さんはというと、2人がやけに真剣な顔で何かしていた理由がわからないようで、左右に小首を傾げていたかと思ったら、答えを求めるように俺をじっと見つめ始めていた。
「昨日、潤に高崎さんのことを聞きました。き、きちんとしたご挨拶が遅れてすいません。りそヒロはうちの部でも話題になっていて、大好きな作品です。私もちょっと怪我をしちゃって、改めて色々考えたいこともあって、原作本も貸してもらって改めてアニメも見てみました。アニメのあすみ役ほんとに凄いです。あ、あの、握手してください!」
「いえ、そ、そんな……私でよければ……」
目の前にいるのが憧れに近いキャラを演じているからなのか、香織は震えていた。
付き合いもかなり長いけど、ここまで緊張している彼女を見るのは初めてだ。
高崎さんは差し出された手を感謝するように、両手でぎゅっと握りしめる。
その光景は何とも羨ましく見えてしまう。
「握手か……広瀬、手出しなさい」
「えっ、なんで……?」
「いいから!」
駒形さんは握手している2人を横目で見て、俺の手を強引につかむ。
すぐに彼女の体温が伝わってきて、それに反応するように鼓動が高鳴る。
「っ!?」
「……温かいし、照れの方が先行してるならとりあえず大丈夫かな」
「て、照れてねえよ」
「顔を赤くして俯いてるじゃない。全然説得力ないわよ」
「くっ……」
「……わかってるわね? 約束はちゃんと守りなさいよ」
「う、うん」
ただ単に握手がしたかったからではなく、俺を心配してのことか。
どこまでも真っ直ぐなその瞳に見据えられると、どうにもたじろいでしまう。
自然な笑みもやはり大きな武器で、励まされるような言葉を聞くと、こっちももしもの時は力になってあげたいと思わせる。
それも計算なのか、駒形さんはふっと笑みを浮かべた。
香織と廊下で別れ、自分の教室にやってきたときにはすでにクラスメイトが登校し始めていた。
「広瀬君、ありがとう」
「えっ……ああ、香織のこと。ちょっと隠しておけなくて話しちゃったんだ。ごめん……」
「うんうん、作品を好きなことは、話を聞けばすぐわかるから」
高崎さんはこれでもかというくらい眩しいくらいの笑顔を浮かべる。
「そうだね。俺も推し作品を好きなってくれると嬉しいし、その気持ちは一緒だよ」
「うん……あっ、そうだ。ノート……今回で全部埋まっちゃった……」
「そっか、早かったな」
まだノートのやり取りをはじめて日は浅い。
けど、この一冊分には大切な時間と思いが詰まっている気がする。
「あの……」
「俺もまだ続けたい。だから、次からは新しいのだね」
「はいっ! あっ、そ、それと何かあったの? ほら、さっきことはさんと桐生さん真剣な顔で何かしてたみたいだから。それに約束って……?」
「……ちょっとイベントのことを確認してたんだと思うよ……ほ、ほら、モールイベントって今までのイベントと少し違うから。あっ、心配しなくても大丈夫。俺と富田さんがちゃんとサポートするからさ。イベント、絶対成功させようね」
「う、うん……」
少し訝しげな顔を向けられる。
ここまで出かかったが、こればっかりはほんとのことは言えない。
彼女の性格からして、俺がやろうとしてることを知ったら止めようとするだろうし、イベントどころではなくなるかもしれない。
一方で俺は高崎さんを心底信頼していた。
だから何も言わなくても、いざって時は……。
スマホの音量を下げておこうと画面を見ると、富田さんからのメッセージが届いていた。
『君の言うとおりにモールイベントのスケジュール組んでもらったよ。根回しも大丈夫そう。私も君の策に乗るわ。でも1つだけ約束してね。無茶はしない様に!』
昨夜、駒形さんとの打ち合わせでこうしようと決めた時も同じように釘を刺されたっけ。
約束は守らないとな、でもこれは俺がやるべき役目だ。