不安で心配
深夜、何度も寝返りを打つ。
駒形さんとの話に出た『嫉妬のヒロイン』というハンドルネームがどうにも気になっていた。
その名はりそヒロ内でも出てくる。
あすみが事故のリハビリ後に完成させたイラスト。
それはコンクールで入賞を果たすけど、その後から嫌がらせを受け始める。
その相手はあすみの才能に嫉妬した子で、コンクールに関する掲示板で『嫉妬のヒロイン』と名乗っていたことが判明するんだ。
ひと悶着ありながらも最後はしゅう君があすみを助ける話の流れ……。
そんなことを思いながら、りそヒロの掲示板内を除く。
『抽選外れた。当選したひとは楽しんできて』
『あー、やっぱり生の神崎結奈さん見たかった』
『なぜ、自分が落選したんだ』
それは嫉妬のヒロインが書いた内容で特に問題視する書き込みでもない。
けど、誹謗中傷の嫌がらせが増えてきた時期と重なる。
加えて……。
『顔見せのイベントは注意した方がいい。よくないことが起こるかも』
『こんなに応援してるのに、好きなのに。なんでわかってくれないんだ。なんで……もういい、もういいや、それなら結奈ちゃんを引退に追い込みます』
同時期に送られてきた脅迫文とも取れる文面。
(……あーくそっ)
考え出すと途端に不安になり、高崎さんのことが心配になってしまう。
その後は一睡も出来ず朝を迎えた。
「欠伸多いなあ。またお兄ちゃん夜更かししたの?」
「いや、布団の中にはいたんだけどな……」
「駒形さんに何かされたの? いや、ちょっと電話で話してる声が聞こえたからさ」
「……ああ、それもあるんだけど他にも気になることが……」
「なにそれ? 話ならいつでも聞くよ」
「ああ、そのときは頼む」
日曜日の朝だった。
台所に陽菜と並んで立ちながらそんなやり取りを交える。
話しながらも手は動かしていて、食パンにはさむトマトを和切れに。
「トースターじゃなくフライパンで焼き目つけてみようか」
「おう……」
温めたフライパンの上で、パンの上にトマト、モッツァレラ、バシルを乗せたものを投入。
陽菜の方はその様子を監視しながらサラダ用のドレッシングを作っている。
「なにぼーっとしてるの、焦げるよ」
「……おっと、あぶねえ」
今朝はいつにもまして野菜が多い。
両親が親せきから野菜をたくさんいただいたようで、ならばそれサラダにして、バジルもあるしホットサンドにしようという流れだった。
「いい匂い……朝はおしゃれな感じなんだね。あっ、私が朝食に用意してたものいただいちゃったから……」
「そんなこと気にしないでよ。カフェのモーニングっぽいでしょ。これねえヘルシーっぽく思うけど、結構カロリーはなやつだから油断大敵だよ、かおりん」
朝食を一緒に取るべく香織はうちに来ている。
利き腕の火傷。1日も早く治して欲しいという想いから、陽菜は栄養バランスのいい献立を考えてくれた。
いつもは陽菜と2人きりの食卓も香織が加わるだけで賑やかになる。
和やかなムードで、俺ももう緊張せずに彼女と話すことが出来ていた。
「かおりん、どう、お兄ちゃんの料理は?」
「お、美味しゅうございます。なんか悔しいな」
「っ?! 面と向かって言われると結構照れるな。そうだ。昼は違う具材でサンドイッチにしておくから」
「ううっ、そんな甘やかされても返すのが大変……って、潤どこか行くの?」
「ああ、えっと、今日はちょっとバイトがあるんだ」
「バイトまで始めたんだ……そうだ。今日は部活行かないから、りそヒロを読み進めようかな」
「それなら、2巻以降も貸しておくよ」
なんだか昨夜よりも元気な様子の香織を見れてほっとする。
一方で俺は高崎さんのことが心配で、はやく会いたいと思っていた。
☆☆☆
出かける準備をして、高崎さんとのノートに少し書き記してから家を出た。
マンションへ向かう途中もついついすれ違う人や辺りを気にしてしまう。
ちょうど視線の先にマンションが見えた時、路上に富田さんの車がハザードを付け止まっているのも目に入る。
「広瀬君、おはよう」
「……おはよう」
「どうかした?」
「あっ、いや……昨日会ってないからさ、元気だったかなと思って……」
「っ! げ、元気だよ。今日も頑張るね」
後部座席に乗り込むと、高崎さんが台本を広げ真剣な眼差しで内容を確認していた。
いつも通りの彼女だ。
その姿を見られて少し、いやすごく安心する。
「ふっ……それじゃ行きましょうか」
本日の高崎さんの予定は、スタジオでりそヒロ2期のPR動画の撮影。
あすみのナレーションでりそヒロを紹介しつつ、1期を振り返る構成だ。
「たくさん練習したし、大丈夫……広瀬君、見ててね」
「……うん」
「……それじゃあ行ってきます」
「結奈ちゃん、しっかりね」
深呼吸しながら気持ちを落ち着かせようとする彼女と別れ、俺と富田さんは別室に移動する。
収録が始まった神崎さんの様子をモニター越しに見守りながらもつい体に力が入り、心配になってしまう。
そんな俺の様子をみて富田さんが話しかけてくる。
「浮かない顔してるけど、どうかした? 何か手掛かりでも見つけたの?」
「えっ、まあそうなんですけど、話しながら整理するか……この脅迫状、ちょっと黒くなってるでしょ?」
「……ほんとだ、汚れてるね。あっ、こっちも……どういうこと?」
「たぶんこれ書いたのは左利き何だと思います。ほら、横書きだと書いた文字を擦っちゃって、手も紙も汚れちゃうから」
俺はさきほど高崎へのノートを書いたときに汚れた手を見せる。
「……そういえば広瀬君も」
「左利きです……左利きの人は右利きに比べて少ないでしょ。たしか、10パーセント前後くらいだったと思います。もし何かしようとしているなら大きな手掛かりになる、かも」
「そうね。さすが私が見込んだマネージャー。でも、その顔はそれだけってわけじゃなさそうね」
「……嫉妬のヒロイン」
「えっ?」
「りそヒロの情報掲示板に少し前からそのハンドルネーム使ってる人がいるんです」
「それで?」
論より証拠という言葉がある様に、口で説明するよりも書き込みと脅迫文を富田さんに見せる。
「どっちかって言えば負のイメージだけど最後に自分の過ちを2人に謝罪することから、りそヒロ内では救いもあるけど……もし、書き込んでいる人と脅迫者が同一人物なら、りそヒロ内の犯行を再現する、実行する可能性が高いと思う」
「なるほど……」
「ただ、決定的に違う部分があって……この神崎結奈宛ての文面から見てもリアルな方は相当歪んでるのがわかります……」
「君……」
モニターに映る神崎さんの笑顔を魅せながらのナレーションを見つめる。
一生懸命頑張る神崎さんの姿。
あすみの気持ちになって、時に苦しく哀しさを台詞にまとわせる。
それはまるでキャラが憑依しているかのようで、その声に途端に耳を奪われ、その映像に目を奪われる。
そうだ。気持ちが落ち込んでいれば励まされている気がして、勇気づけられて応援したくなる。
嫉妬や妬みの感情は相殺できるはずなんだ……。
だがそれは受け取り方次第で引き金にもなるかもしれない。
神崎さんを見て、他の人が称賛する姿が気に食わない、自分が一番彼女を応援している。
好意がある。
でもその想いは報われない。
たしか、ウェブラジオの公開収録は抽選制だった。
その後からの書き込みと脅迫文。
落選したことでその想いは時間が経つごとに恨みとなり、それを晴らそう。そんな方向性に変化した……いや、そんなことは俺にはわからないし理解できない、けど……。
そのあまりに歪んだ感情にはこっちも強い対処や準備が必要になる。
「くそっ……だ、大丈夫。傍に居るし……俺がどんなことをしても」
「まったくもう、独り言声に出てるよ。そのおかげで色々把握できたけど。それと俺がじゃなくて俺たちね。1人で背負わないの」
自分に言い聞かせて両手を握りしめていた俺に富田さんは、目を覚ませというように頭を軽く叩かれた。
「ううっ、すいません……」
「ほんと君は……だけど、ちょっとヘビーになるかもね。これ今週の確定したスケジュール」
「……はっ、ちょっと、なんでよりにもよってこんな場所でイベントが!」
週末にスケジュールにモールでのトークベントと書かれている。
「それ、私もどうにか変更できないか掛け合ったんだけどね。なにより結奈ちゃんが乗り気で止められなかったのよね」
「……高崎さんが……ああ、モールは小さい子もいるし、りそヒロを知るきっかけになるかもしれないからか。でも、利用する人は多いし、不特定多数。おまけに手荷物も検査出来ないんじゃ……場所的にも警備は不安だし、それって2人だけじゃ対処するのは困難ですよ」
「わかってるわ。でも事務所が結奈ちゃんをプッシュするのもわかるでしょ。困ったわね。警察の対応は期待できないし、警備の人数は増やせるとは思うけど焼け石に水になりかねない。なにより私の憶測を信じてくれるのは君だけだからね」
「……富田さんが色々考えてくれてるのはわかります。俺も最悪を想定して、神崎さん、いや高崎さんの安全を最優先に行動するのは変わらないです」
「なかなかそう言えてもそれを実行できる子っていないのよね。頼っちゃってごめんね」
「別に……俺もマネージャーだし」
「あはは、照れてるの?」
「っ?! 照れてないし。あっ、そうだ。事後ですけど、この件のこと駒形さんに」
少し相談したことを報告した。
「それ、身近で見て駒形さんを信頼できるって広瀬君が判断したってことでしょ。なら私は何にも言わない。あの子頭良さそうだし……けど、ほんと君は期待を裏切らないなあ……そのモールでのイベント、前のステージはおさサイで声優さん何名か出演するんだよ」
「えっ、嘘……」
「ほんと」
「……」
相変わらず安心感があるような富田さんの声と表情だった。
こっちの不安を察して払拭してくれてるんだと思う。
でも、何もかも見透かされているようで……この人は苦手だなと思うんだ。
そんな話をしていたら、あっという間に半分の収録を終え休憩時間になる。
高崎さん、休憩中は随分とリラックスしていてまるで別人みたいだ。
だが再度収録が始まればスイッチを入れなおす。
そのギャップは普段を知っているからこそより魅力的に映る。
2時間に及ぶナレーションを終えた高崎さんの額には大粒の汗が流れていた。
頬をピンク色になっていて、対面するだけでなんだかドキドキする。
一生懸命仕事に取り組む姿、それはいつでも変わらない。
マネージャーになっていつも近くで見ているからかもしれないけど、最近は日に日により輝いていくような、洗練されて行っているようなそんな印象を受ける。
「お、お疲れ様」
「えへへ、ありがとう。どうだった? 広瀬君の思った通りのあすみたんだったかな?」
「いや、それ以上だよ」
「っ! そ、そう……」
汗をぬぐい、少し照れながら微笑む高崎さんに俺は偽りのない答えを返した。
その後、富田さんの車へと乗りこむ。
高崎さんは仕事を終え、疲労も見えるが充実した表情を浮かべていた。
2期のPR動画をNGなしで負えたことが自信につながったのかもしれない。
「高崎さん、来週のモールでのイベントなんだけど……」
「うん。りそヒロを知ってもらう機会だし、小さい子もいるかもしれないから、頑張りたいな。広瀬君、準備期間短いけど……その、リハとか手伝ってもらえると」
「……も、もちろんだよ」
「あれ……? あの、何かイベントのことで相談があったの?」
「いや、大したことじゃないから。俺も精いっぱい力になるから」
「うんっ!」
そのはじける笑顔を魅せられれば、何も言えなくなった。
すでに来週のイベントに目を向け、気持ちを入れ始めている。
頑張る高崎さんのその邪魔をするようなことは出来ない。
「……」
「……」
目が合った富田さんにはそれでいいよと頷かれる。
先ほどから俺たちを乗せた車は同じところを少し回っていた。
それは警戒の表れだ。
そのことを高崎さんに気づかれない様に、書いてきたノートを渡す。
「あのさ、これ……」
「何か書いてくれたんだ」
「うん……来週も頑張ろうね」
そんな様子を見ていたら、香織からの電話が入った。
りそヒロの3巻まで読んだことと、夕食は陽菜と話してカレーにしようということになったらしい。
通話を終えると、驚いた顔でこっちを見ている高崎さんと目が合った。
「あっ、えっと、香織が手を怪我しちゃって、だからうちでご飯を……」
「怪我っ! そ、それって……あっ、いえ……ううっ」
彼女は自分の頬を手の平でぺしぺし叩いている。
俺がその様子を心配して見つめているとわかると、恥ずかしそうに俯く。
なんだかやたら可愛らしくて、心が癒された。
「えっと……」
「広瀬君、来週も頑張るね、私。頑張るからね」
「お、おお……」
高崎さんはノートを大事そうに両手で掴んで、何だか引きつったような表情を浮かべる。
その様子をフロントミラーで見ていた富田さんはあからさまな笑顔を向けてきた。




