応援
陽菜の電話を受け、俺は病院へと急いだ。
詳しくはわからないが、香織が怪我をして夜間外来を受診したらしい。
自動ドアを通り、薄暗い院内に足を踏み入れるとやはり緊張が増す。
救急外来じゃない、大丈夫と自分を鼓舞しながら廊下を進むと診察室前のソファに陽菜が1人心細そうに座っていた。
「お兄ちゃん、来てくれたんだ」
「おう、香織はどうなんだ?」
乱れた息を整え、明かりの点いている診察室を見やりながら陽菜に尋ねる。
「火傷したみたいで、今診てもらってる。そんなに大怪我ではないと思うんだけど。陽菜、取り乱しちゃって……。おじさんもおばさんも仕事で遅いんだって」
「そっか……いや気にするな。火傷か、それは……」
どこを? と聞こうとはしたとき治療を終えた香織が出てきた。
その右手は痛々しく包帯が巻かれている。
「あれ、潤……来てくれたんだ……」
「火傷したんだって。平気かよ?」
「うん……料理してたんだけど、ちょっとぼーっとしちゃって……あははは、面目ないね」
「たまにはそんなこともあるさ。大怪我じゃなくてよかった」
「……うん」
そんな当たり障りのない言葉しか出てこない。
右手は香織の利き腕だ。手がけている絵は完成間近とはいえ、足踏みしている状態。
そんな中での自分の不注意からの怪我。
その心中は俺なんかじゃわからない。けど……。
その場の空気を感じてか、勘のいい陽菜は飲み物を買ってくると言って姿を消し2人きりになる。
「……香織、その、大丈夫か?」
「えっ、うん……」
さっき聞いたが、また同じ質問をしてしまう。
そんな俺に香織は心配をかけまいとなのか笑顔を浮かべる。
そしてそのままぎゅっと両手を握って、その痛さからか顔を歪めた。
「お、おい、あんまり右手使うなよ。お前、結構無茶するからな」
「……だ、大丈夫」
意地を張るような香織の言葉を受け、俺としてはますます心配になった。
その後、香織の診療費を清算して俺たちは病院を後にする。
帰り道、香織はよく喋った。
だが、長い付き合いなこともあって、俺と陽菜には香織がわざと明るくふるまおうとしているのだとすぐに悟る。
香織は責任感も強いし、何より頑張り屋だ。その部分は今も昔もちっとも変わらない。
それがわかるからこそ、余計に放っておけないと感じてしまう。
無茶するのは目に見えているし、それで右手を悪化させたら元も子もない。
「香織……」
「……なに?」
「その……俺、香織の描く絵好きだぜ」
「っ?! な、なに突然……?」
「いや、昼間見た絵もあのままでも凄かった。けど、やっぱり完成版みたいからな」
「……」
「言ったろ、応援するって……だから、なんだ、その手じゃ色々心配だし料理つくるのだって大変だろ。おじさんとおばさん相変わらず忙しいみたいだし……そ、そうだ! しばらくはうちにご飯食べにこいよ」
「えっ……さすがにそこまで迷惑かけられないよ」
「迷惑じゃなくて応援だ。1人分増えたって大して変わらない。まあ、まだ俺料理のレパートリー少ないから、陽菜にも助けてもらわないとだけど。それくらいしかしてやれることが思いつかない。陽菜、いいよな?」
「反対するわけないじゃん。その方が陽菜も安心。かおりん、観念した方がいいよ。今のお兄ちゃんの言葉と行動は陽菜でも一目置いてるからね。押し通すし、ちょっとウザイよ」
「ウザイいうなよ!」
「そ、それは昼間なんとなくわかった気がしたけど……もしかしてまだ認識不足だった、のかな?」
陽菜の言葉を聞いて、クスリと笑顔になった。
その表情がみれただけで、安心したし言葉にした意味がある。
陽菜の方を見ればため息交じりで俺を見ていた。
それは呆れたというよりも、よくやったという褒めているような態度に見える。
病院まで付き添ってたんだ。俺よりも心配している時間も長かったはずだよな。
大切な幼馴染だ。どうにかしたいと同じように感じていたはずだもんな。
陽菜的にも大賛成だと言っているかのようだ。
「夕飯は食べたのか?」
「まだ……」
「なら今からうちに寄っていけ」
「えっ、うん……あれ、もう断れる雰囲気が、ない……あー、なんか久しぶりに見たよ。潤と陽菜ちゃんの阿吽の呼吸。2人そろうとほんと敵わないんだよね」
俺たち兄妹の示し合わせていたかのようなやり取りに香織は呆れたような肩をすくめた。
小さいころもこんなことが何度かあった気がする。
自宅へと戻った俺はさっそく香織の夕食を用意する。
夜食に残しておいた生姜焼きを温めて出すとして。それだけだと栄養バランスが……。
「なめこのお味噌汁でも作るか」
「そうだね。それがいいかも。朝食用に出汁とっておいたやつ使っちゃおう。陽菜も少し手伝うよ」
「あの、私も何か手伝おうか……?」
「香織は寛いでてくれ」
「そうそう、かおりんはけが人だし」
「……もうなんか私の扱いが子供みたいになってるよ。なら潤が料理してるの新鮮だし、ここで見てるよ」
「お、おう」
たいしたことはしていなくても、見られていると思うとちょっと緊張する。
だが、香織はだいぶリラックスしているように見えた。
思ったよりも落ち込んでなくてよかった。落ち込ませないけどな。
「潤特製のお味噌汁に、陽菜ちゃん特製の生姜焼き……なんて贅沢な夕食。右手が治ったら今度は私が2人にご馳走するから」
いただきますをして香織は食事に手を付ける。
「うわっ、美味しい……もう遅いのに、セーブしないといけないのに、食べちゃう……」
恨めしそうな顔で香織は俺の方を睨むように見つめた。
自分が作ったものを誰かに食べてもらうっていうのは作り甲斐があるし、褒められるとやはり当たり前のように嬉しいな。
応援と言ったってこんなことしか俺には出来ない。
でも、それが少しでも香織の背中を押せるなら……。
「右手でうまく箸使えるか?」
「うん、簡単に左手は使えないし、力入れなければ大丈夫……この前のハンバーグといい、こんなに美味しく作れるなんて」
なんだろう。何か今の香織の言葉、はっとさせられたような……。
「……だいぶ陽菜に鍛えられてるからな」
「えっへん。お兄ちゃんがかおりんを応援してるってその気持ちが料理のスパイスになってるはずだよ。陽菜も応援してる」
「っ?! ありがとう2人とも。そうだよね。頑張らなくちゃだよね」
「ううっ……陽菜いまいいことじゃなくて、恥ずかしいこと言っちゃった」
「……そ、そうだ。潤、連絡先教えてくれないかな? いざって時知っていた方が安心だから」
「ああ、そういえば教えてなかったな。何か食べたいものがあったら言ってくれ」
「そんなリクエストまでしていいの! うっ、治ったらちゃんとその分返すからね」
「おう」
この日、俺は幼馴染と初めて連絡先を交換した。
☆☆☆
その日の夜、 駒形さんにメッセージでいくつかの写真を送る。
それは、神崎結奈あてに送られてきた誹謗中傷の手紙だ。
その後で、少し遅くなってしまったが駒形さんに電話を掛けた。
『私を待たせるとはいい度胸してるわね』
「色々と立て込んでて……ごめん、明日の仕事に支障がない様にもう切ろうか?」
『っ?! あ、明日は午後からレッスンがあるだけだから平気よ。おほん、私、脅迫まがいなことはあんまり受けたことないけど、メディアに露出し始めた頃は先輩に陰口くらいは叩かれたりはしたわね。ファンの人からは直接は無いかも。SNSとかやってないっていうのもあるけど……神崎さんの場合はりそヒロの掲示板も攻撃的な人はあまり目立たないけど、ハンドルネーム『嫉妬のヒロイン』って人の発言がところどころ気になる感じがするのよね……って、広瀬聞いてる?』
「うん、聞いてる。さっき画像送ったのにスラスラ出てくるなあと……駒形さん連絡する前から考えててくれたんだ」
『……もとはその為にうちに来たんでしょ? 私を相談相手に選んでくれたんだし、そのくらいはね』
「ちょっと掲示板見てみるよ」
ハンドルネーム『嫉妬のヒロイン』その書き込みが始まったのは、神崎結奈のWebラジオ公開収録の後から。ぱっと見では悪意的な内容とは思わないけど、駒形さんが言うように確かに気になる。
『書き込みの件は後で広瀬の意見を聞くとして、まずはこの脅迫文の方ね』
「うん……」
話すことで寂しさが紛れるのか最初から駒形さんの声は明るくて、時折揶揄われる。
それは彼女なりの気遣いかもしれない。そうしながらも、画像を2人で見ながら少し意見交換した。
『……何よさっきから黙っちゃって。もう眠いの……?』
「いや、これさ……この最後の画像の脅迫文……」
『……やたらと汚れてる気がするわね。なにかあるのかしら……』
「たぶん、これ手が汚れてるんじゃないかな……」
『ああ、なるほど。気になるわね……』
「1人で考えてるときは気づかなかった。駒形さんと話してたからわかったのかも。ありがとう」
香織にも感謝だな。
『っ! 安っぽいのよ。あなたのお礼は……それじゃあ明日も電話してきなさいよね。遅かったらこっちから掛けるわよ』
「わかったよ」
『それと……時間があるときにでいいから、アプリチェックね……そういえば、まだおさサイは就寝用の生ボイスは入ってないわよね』
「えっ、そうだな……」
『ふっ……広瀬、お・や・す・み』
「っ!」
最後のボイスは最初から考えていたのだろう。彼女にしてみればそれは揶揄う手段の一つなのあろうけど。
体は疲れているはずなのに、駒形さんの生声が耳に残ってしまい、なかなか寝付けなかった。




