寂しい
スマホの画像を眺めながら、駒形さんのマンションへと向かう。
駒形さん、確か明日も仕事がいくつか入っていた。
あまり長居すると迷惑がかかるかもしれない。
そんな思いから、つい足早になる。
おのずと指定されていた時刻よりだいぶ早くマンション前まで来てしまった。
(遅れるよりはいいけど早すぎるかな……)
そう思いながらも確認の意味を込めて電話を掛けてみる。
「もしもし、もうマンションの前にいるんだけど……」
『ええっ! 随分とはやいわね……』
「ごめん、何か都合悪かったか? その辺で少し時間つぶしてこようか?」
『……いいわ……今日はそのまま中に入ってきて』
「はっ、えっ、中って……」
『マンションの中に決まってるじゃない! 部屋の番号はーーね。玄関入ったら呼び出して』
「……お、おう。って、ちょっと待て!」
前回、公園のベンチで計算違いをしたからか、場所を変更してくるとは……。
なんともらしい。
いや、部屋で話をする想定してないんだけど!
でも、安全性を考えればそれがベストかと無理矢理に納得して駒形さんにコールする。
防犯セキュリティが解除されたので、エレベーターに乗り指定された階へと向かう。
25階か。マンションに住んでいる誰かを訪ねる経験がないこともあるのか、エレベーター内では異様に緊張した。
フロアに到着してラウンジを横切り、部屋の呼び鈴を鳴らす。
しばらくそこで待たされたあとドアが開いた。
「おまたせ~」
「お、おう。って!」
目に飛び込んできたのは、バスローブを身にまとい、湯上りで頬を上気させた無防備な駒形さんの姿だった。
いつもはふわっとしているブラウン色の髪はアップされていてまだ少し濡れている。
やたら血色も良く映り、この距離でも石鹸の香りをはっきりと感じた。
発育のいい胸元は計算したかのように少し見開いていて目のやり場に非常に困る。
そのままドアを閉めようかとも思ったが、それを予知したかのように駒形さんはもう一歩前に出る。
「えっ……あっ、ほ、ほら今日暑かったし、仕事で汗かいちゃったからちょうどシャワー浴びてたのよ。だからこんな格好で……」
「そ、そっか……ごめん、俺が早く来ちゃったから」
「いいってば。すぐに髪乾かしちゃうから中に入ってて」
「う、うん。お、お邪魔します」
「あはは、なに緊張してるの?……言っとくけど、私の部屋に入るのって広瀬が初めて、だから。光栄に思いなさいね」
「っ! そ、そう、なんだ……」
「すぐ、飲み物持っていくからソファにでも適当に座ってて」
駒形さんは浴室の方に消えると、ドライヤーの音が生々しく耳に届く。
言われた通りソファに座ってみるも全然落ち着かず、体を硬直しながら待つ。
しばらくすると、ルームウェアなのか、可愛らしいクマがデフォルメされたTシャツとショートパンツ姿で駒形さんは台所へとやってくる。
さきほどのバスローブ姿とは違ってラフな格好だ。
駒形さん、何を着せても似合うようで少し見惚れてしまっていたところで目が合ってしまった。
「っ!」
「ふっ、広瀬が休みの日まで私に会いたいとは知らなかったわ」
「……間違ってないけど、何か誤解があるような」
俺の前で見せる素の笑顔も以前より破壊力が上がっている。
そして、こちらの態度を見た上で駒形さんは揶揄うような憎たらしい笑みを浮かべた気がした。
いや、可愛すぎるくらい可愛い。
おかげでペースを握られてしまいタジタジになってしまう。
「広瀬ってすぐ顔赤くなるわよね……」
「う、うるさいな……」
「あはは、珈琲でいいかしら? アイスとホットどっち?」
「じゃあホットで、何か悪いな……」
まったくあの笑顔はほんとに油断ならない。
揶揄われそうなのがわかっていてもどうしようもできない。
こっちの不安を見越しての彼女なりの励ましが揶揄いなのかもしれないな。
まあ、揶揄いがいのあるやつと思われてもいそうだけど。
(まったく勘弁してくれよ……)
それでもだいぶ気持ちは落ち着いてきた。
まだ胸が高鳴っていることを自覚しながらも、ソファに座りながら辺りを見回す。
目の前の机の上だけはものが乱雑としていたが、掃除の行き届いた室内だった。
家具も必要最低限のもので、1人で住むには広さを持て余していそうだ。
手元が柔らかいものに触れる。それはソファに置かれたクマのぬいぐるみだった。
随分と年季が入っていて、何回か糸で補修した後がある。
「……」
なんとなくだけど、部屋全体から淋しい感じがしないでもない。
それは俺が抱いている駒形さんのイメージとなんとなく合致しない。
机の上にはおさサイの台本も目に入る。
やたらと読み込んでいるあとがあり、その間には付箋が貼られていた。
まだ収録前の物らしく、これだけみても彼女の努力が垣間見れる。
「ごめん、それ来週収録の話。見てもいいけど」
「いや、オリジナル回だろ、放送を楽しみにしてるよ」
そう。といって口元を緩めた彼女は、机に珈琲を置いて俺の隣に腰掛けた。
「そんなあからさまに距離を開けなくてもいいじゃない」
「だって、いい匂いが……じゃなくて話の方に集中できなくなる」
「まあ私は可愛いからしょうがないけどね。広瀬が意識するのも無理ないわ」
「だ、だからそんなんじゃ……」
「あーあ、なに照れまくってるのよ……」
「っ! 仕方ないだろ。まさかシャワー浴びてたとは知らなかったんだよ」
「広瀬には刺激が強すぎたのね」
駒形さんはなんだか楽しそうで、カップにそのまま口をつけるが、あからさまに眉間にしわが寄る。
それはどうみても苦さを我慢しているように見えた。
「……俺、珈琲ブラックで飲むの苦手でな」
「そ、それはお子様ね……」
「飲み慣れていないからかもだけどさ、そのまま飲むと胃にもよくないと思うんだ。だからミルクで守りつつ適量のお砂糖を入れれば脳にもいい影響がある、話をするうえでいい案が浮かぶ、かもしれない」
「……そうね。一理あるわね。物は試しで私も入れてみる。ちょっと待ってて!」
持ってきてくれたミルクと砂糖適量を入れると、ほんのりと甘くなって俺でも飲める。
隣を見ると、駒形さんはミルクと砂糖を大量に投下して表情を緩めたまま飲んでいた。
めちゃくちゃ甘党じゃないか!
少し大人ぶってやろうと思ったのかもしれないが、俺の前だとなかなか計算通りにはいかないらしい。
さて、話をどう切り出そうか……。
~♪♪♪
そう思った時、おさサイのメロディが響いた。
着信者を見た駒形さんはあからさまに嫌そうな顔を作る。
「……もしもし、待って、かけなおす」
スマホを握りしめたまま、すぐ済むからと俺に言い残して自分の部屋に向かった。
俺がいると話しにくい話なのか、聞かれたくないのかわからない。
でも、それまでの彼女の態度とは全然違って、なんだからしくない様子が気になった。
その疑問はさらに強まる。駒形さんが自室に入りしばらくしてからだ。
「……冗談じゃないわ!」
それまでは電話の声も内容もあまり漏れ聞こえてはこなかったが、突然怒号のような声が耳に届き思わずビクッとして姿勢を正してしまう。
駒形さんの大声を聞いたのは初めてだった。だからか、俺の視線は自然と彼女が消えた部屋へと向く。
話し声はその直後すぐに止んだにもかかわらず、駒形さんはなかなか出てこない。
「っ! 広瀬……」
「ご、ごめん、何か心配になっちゃって……」
俺は様子が気になって部屋の前まで移動していた。
ノックしかけたところで俯き加減で出てきた彼女と鉢合わせになる。
「大丈夫、だから……向こうで広瀬の話聞くから……」
「……」
駒形さんは置いてあったクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて腰掛けた。
その姿を見ても大丈夫だとはとても思えなかった。
なにより、プライベートでここまで取り乱している彼女をみるのは初めてだ。
「……それで、話って神崎さんのこと……広瀬……?」
「……」
そんな自分の状況でも、俺の相談事を聞こうとしてくれる。
それは駒形さんらしい一面だった。
「……それより駒形さん、何か悩んでるの? もし俺で力になれるんなら……」
「えっ、ああさっきの電話……仕事には支障はないわよ……って聞いてるの? なんでそんな真面目な顔してるのよ?」
「そりゃあ、そんな困っていそうな顔されたら放っておけないだろ。頑張ってるの知ってるし。誰かに吐き出すだけでも違うよ」
「っ! ……ほんと広瀬は…………その通りかもね。じゃあお言葉に甘えて吐き出しちゃおうかな」
深呼吸してから、俺の目をちゃんと見て駒形さんは少し早口になりながら話し出した。
「ほ、ほら、両親には声優になること反対されてたって前に少し話したでしょ。あれ、今も良くは思ってないっていうか……うち、医者の家系だからなるのが当たり前。私にも継いで欲しいと考えてたみたいだけど、私はその意向に背いたの」
「……」
「小さいころから両親は2人とも厳しかったし、勉強もたくさんしたわ。休みの日だって遊びに連れていってもらった記憶もないくらい。幼心にさびしかったのかもね。そんな環境の中でも私を救ってくれたのが『カドでれ』ってアニメなのよ。自分が出掛けている気になったし、同じようなヒロインの立場に胸が苦しくもなったけど、ちゃんと救いがあってどんどん引き込まれて行ったの。それからは、いつの間にか親の目を盗んで他のアニメを見るようになっててね。アニメーションについて色々調べたりしてた。そういうのもすごく楽しくて……いつからだったかな? 私も自分の声と演技で誰かを助けられるように、救えるようになりたいと思ったの。だから私は声優に……」
駒形さんの言葉が胸に刺さる。
カドでれは放送開始からしばらく経つけど、未だに明かされていない謎がありファンの間では頻繁に考察が飛び交い人気の高い作品だ。
キャラの心情描写がリアルで、ヒロインのキャラも爆発的な人気がある。
状況は違うけど、アニメに作品に救われたってところは俺と同じだ。
そんなこと聞かされたら……。
「……」
「ちょ、広瀬何震えてるのよ? 私なにか変なこと言った?」
「いや、いまの話聞けて良かった」
「っ! た、大した話じゃないわ」
「……カドでれ、たしかにヒロインの明るさも苦しさもすげえ伝ってくるよな。俺も当然大好きな作品だ」
「そうそう、さすが広瀬。話がわかるわね」
「それでさ、親御さんはおさサイ観てないのか?」
「アニメは子供がみるものだって思ってるところあるから。声優になるって言ったときも、実際活動を始めてときも衝突しちゃってね。まっ、私も両親相手だとあんまり上手く話せないっていうのもあるんだけど……私が言うとおりにしなかったこと、根に持ってるとは言わないけど、気に入らないんだと思う。だからまあいつもあんな感じに……」
「そっか……そのこと、駒形さんのマネージャーは知ってるの?」
「うんうん、プライベートなことだし、そういう話はあんまりしないから」
聞かれなきゃわざわざ自分からは話しにくい内容なのかもしれない。
でも俺はそれを聞いてしまい、知ってしまった。
俺も両親と上手くいっているわけでもないし、状況も全然違うけどそれでも少し親近感も沸く。
悩みのない子なんていないかもしれないし、いちいち反応していたらきりがないかもしれない。
けど、少しでも俺に出来ることがあるんなら……。
その気持ちに逆らうことは出来ないんだと悟ると同時に言葉は出ていた。
「ならさ、もし親御さんとの関係がこれ以上こじれそうなら、俺が間に入るよ」
「えっ……ええっ!」
「いや、だって放っておけないし。悩みの解決とか、この間みたいな学内でのいざこざのような、仕事にも影響しそうなことは何とかしてみる。それで駒形さんが力を発揮できるなら助けてあげたい。ほら俺、駒形ことはの1番のファンだし」
「っ! そ、そりゃあ、広瀬が話を聞いてくれるだけでも、私は助かるし。それを望んでいいなら……」
「じゃあ決まり」
「あー、もう、ペース奪われた。ほんとにあんたは……だいたい相談しに来たの広瀬なのに」
「そうだった。なんか駒形さん見てたら少し元気出てきたな。こっちも大変だけど、事情はあとでメッセージで送っておくよ」
「な、なによ、そんな満足げな顔して……もう、帰るの?」
ソファから立ち上がった俺の袖を引く駒形さんはどこか寂しげな表情だった。
親元を離れての一人暮らし。仕事は順調とはいえ、高校も転校したばかりだし不安や淋しい気持ちがないわけないよな。
そうか。俺があんな宣言したから余計に……。
「……」
「……」
ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめてるその姿はどう見ても弱さを見せてられている。
もしかしたら、毎日夜に電話してくるのはそうした気持ちを紛らわせる意味もあるのかもしれない。
「計算高いのもいいけど、たまには周りに甘えていいと思うぞ……電話、こっちから掛けるよ」
「っ! そ、そう……なら、待ってるから」
そんなやり取りをして、駒形さんのマンションを後にした帰り道。
陽菜から着信が何回もかかってきていることに気づいた。




